第21話檻のなか
「この音は、何だ……」
シリルは、耳をたてていた。ジュニアも部屋からいなくなったが、部屋の外からおかしな音が聞こえてくるのだ。
何かがおかしい、とシリアは感じている。それは、勘のようなものだった。シリルは舌打ちをしながら、首輪に触れる。
忌々しい。
コレが無ければ、外に様子を伺いにいけるというのに。
「たっ、助けて……」
人間の雌が、部屋に入り込んでくる。彼女は息を切らしていて、外で何かがあったのは明白であった。
「何があったんだ」
「ぞ……ゾンビが、センターに入り込んだのよ。この部屋は他の部屋より、丈夫だから少しは持つはず……」
「そんなに入り込んだのか?」
シリルは、セナを奪還するときにセンターにゾンビを招きいれた。だが、それまでセンターはゾンビの侵入を許さなかった要塞である。このセンターにも同じ能力があるはずだ。
「誰かが、ゾンビをセンターに入れたのか」
「知らない!ここには、いままでゾンビはこなかったのよ!!」
人間の雌は、半狂乱であった。
シリルは、再び舌打ちする。センターという安全な鳥かごのなかで、死の恐怖を忘れていたらしい女性に苛立ちを覚えたのである。
「おい、これを外せるか?」
シリルは、女性職員に首輪を見せ付ける。
この頑丈な首輪は、シリル一人ではちょっと外せそうにない。
「あんたは、武器を持ってないよな。俺なら、素手であいつらを殺せる」
女性職員は、迷っているようだった。
今シリルを自由にすれば、自分が殺されるかもしれないからだ。
だが、部屋のドアがどんどんと力任せに叩かれると「ひっ」と女性職員は悲鳴を上げた。
「お願い、殺さないで……あ、あなたには酷いことをしたと思ってるの。だから、殺さないで――……」
どん、とことさら大きなドアを叩く音。
女性職員が、さらに大きな悲鳴を上げる。
「早くしろ!」
シリルは、叫んだ。
その声に怯えて、女性職員はシリルの首輪を外した。シリルは、すぐさま女性職員の胸ぐらを掴んで壁に叩きつける。
「セナとイーサンはどこだ!」
シリルのぞっとするような視線に、女性職員は息を呑んだ。
凶暴な視線に、ゾンビのようなうつろさは無い。実直なまでの殺意をこめて、女を睨んでいる。嘘をついたら引き裂く、真実を言っても殺す。シリルの目は、そう語っていた。殺されるより引き裂かれたほうがマシだと決意し、女性職員は嘘をつく。
「しっ、しらない!」
「ああ、そうか」
シリルは、目を細めた。
女性には、それしか分からなかった。
次の瞬間には、彼女の指は床に落ちていた。一拍おいて、やってくる激痛。「おっと」と呟きながら、シリルは自分の腕を彼女に噛ませる。悲鳴をもれるのを防ぐためであった。いくら頑丈といわれていても、女の悲鳴でゾンビをひきつけるのは嫌だったらしい。
「もう一度聞くぞ。俺の子供達はどこだ」
指はまだ九本もある、とシリルはささやいた。
九本と言う数字に、女性職員の頭は真っ白になる。指一本を切り落とされただけなのに、耐え切れない激痛だった。それが、あと、九回分。
シリルは、血にまみれた自分の爪を女性に見せ付ける。
尖った爪は、シリルが猫の獣人の特徴である。犬の獣人と違って、収納できる鋭い爪は凶悪な武器となる。その武器が、自分に対して振るわれている。その事実が、女性職員を震え上がらせた。
「お前たちが、獣人を殺すのに躊躇しないように――俺も人間を殺すことに躊躇しない」
シリルは、そっと女性の腹部に触れる。
ここには、シリルと同じ子宮がある。シリルの子宮は、未成熟だ。妊娠はできても、出産までは耐え切れない。なのに、三匹の獣を生み出した。
「全く知らない相手の子供を産む気分を想像したことがあるか?」
シリルは、女性に語りかける。
「眠りから覚めたら、いつの間にか腹らが膨らんでいた経験は?」
シリルは、思い出す。
センターに捕らえられて、眠らされ、気がついたら、孕んでいた記憶を。誰の種かも分からない子供が、体内にいる不安を。
「不安だった……怖かった。兄に、会いたかった」
シリルは、目を伏せる。
自分の腹に、他人の命が宿ったとき――シリルは恐れた。そして、その不安を拭い去るために兄であるラシルを欲した。他の誰でもなかった。
兄に、腹を撫でて欲しかった。
無残に膨らんだ腹を撫でて欲しかった。
初めての妊娠のときに知ったのだ。いや、自覚したのだ。
愛したのは、兄だった。
望みを叶えたいと願った相手も、最初は兄だけだった。兄のために理想の弟になりたかった。
だが、孕んでしまった。
これでは、弟とはいえない。
だから、せめて兄が望むような理想の母になりたいと思った。実子をあきらめるような母親ではなく、何をしても実子を手元に残しておくような母親に。
シリルは、産んだ子供のために母親になったのではない。
兄のために、母になったのだ。
「本当は……」
兄の母になりたかったのだ。
あの人を産み落とした、唯一になりたかったのだ。
「あなたの力が必要だったのよ。あなたしか、いなかったの!あなたしか……ハイブリットを生み出せなかった。ハイブリットのなかで、ちゃんと育ったのはあなたの子供だけだったの!!」
あなたの子宮は奇跡よ、と女性職員は涙ながらに言った。
「あなたの子宮は未成熟だけど、強い子供を産み落とせる。そして、流さない。まるで執念みたいに、生み出す」
執念、といわれてシリルははっとする。
兄を生み出したいと願ったのは、たしかに執念かもしれない。シリルは兄を殺したくなかった。だから、流したくもなかった。
「あなたは、素晴らしかったわ」
女性は涙した。
自分が助かるために、涙した。
「……あなたの子も素晴らしいわ」
シリルは、涙する女性の頬をなめた。
ざらりとした舌の感触に、女性は震えた。
「おまえも孕ませようか?」
シリルは、そう言った。
拘束した女性に太腿に、自分の太腿を押し付ける。シリルは両性だ。未成熟ではあるが、男性性器もある。その性器がわずかに硬くなっている。シリルの興奮は、これ以上にはならない。未成熟が故の限界である。
シリルが雄として、自然に雌を孕ませることはできない。
人間がシリルの精子を雌の腹に届けてくれるのなら話は別だが、子宮として優秀なシリルにそんなチャンスはないだろう。だが、女性職員は震える。恐らくは、シリルの両性体としての特性を忘れているのだろう。
シリルの外見は、男性的だ。
意図して、そうしている。
屋外ではそちらのほうが危険が少ないし、自分はラシルの弟だから。
「止めて!あなたの子供のセナは、一番奥の檻に入れてるわ。イーサンは……わからない。あの子は自由に動けるから」
女性職員の答えに、シリルは笑う。
滑稽だった。
シリルには、女を孕ませる能力はない。なのに自分を恐れるなんて、とシリルは笑ったのだ。
「そうか。なら、お前は用なしだ」
シリルは、女性職員の腹を鋭い爪を使って突き刺す。
暖かかった。
生き物の体温だった。その体温を感じながら、シリルは目を細める。手だけであろうが、雌の体内に入ったのは初めてのことだった。
「――気持ちいい」
シリルは、うっとりと呟く。
生まれては初めて、雌の自分を突き刺した。きっと雄として仕事は、これで最後だ。シリルは、倒れた女性の体を乗り越える。女性は、最後の力を振り絞ってシリルの足を掴む。
「なんで、こんな酷いことを……」
シリルは、女性職員の手を振りほどいた。
「人間が獣人を殺して、獣人が人間を殺す。普通だろ」
シリルは、部屋のドアを開ける。
ドアの外には、枯れたゾンビの群れがいた。狭い廊下を真っ直ぐに突き進んでいる。だが、シリルのほうは見向きもしない。静かにしてはいるが、こんなにも至近距離で気づかれないのははじめてのことだった。
何かがいつもと違うのだ、とシリルは考える。
それと同時に、セナは無事かと思う。
ゾンビたちは、セナがいると知らされた場所に向っているように思われた。
「だからといって、このゾンビの群れのなかを進むのは無理があるな……」
シリルは、上を見る。
そこには、当たり前のことだが天上があった。
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