第20話兄の先輩
ジーンを殺したラシルは、その場から歩き出そうとした。
「行く気なの?」
エイプリルは尋ねる。
「いかなきゃならないだろ」
ラシルは、答えた。
その後姿に、エイプリルは問いかける。
「あなたたち猫の獣人は、普通ならもっとドライよ。あなたは、どうしてそんなに……血の繋がらない相手を守ろうとするの」
その問いかけに、ラシルは振り向いた。
エイプリルには、その顔がわずかに笑んでいるように思われた。喜びを表しているものではない。微笑んでいるのは口元だけで、目じりは悲しげに下げられている。
エイプリルは、その表情でようやく理解する。
ずっとラシルは、シリルをただの兄弟としか見ていないのだと思っていた。そして、シリルだけがラシルの望みを必死に叶えようとしているのだと思っていた。
だが、ラシルもきっとシリルのことを好いていた。
好いていたからこそ、一人でも生きられるように弟として育てた。
「ラシル。あなた、それでよかったの。あなたの血は次世代には残らないわ。シリルの血だけが残って、あなたがいた証拠は何一つ残らない」
エイプリルの言葉は、正しい。
ラシルは、最初から知っていた。
「それは、そんなに気にすることじゃないだろ」
ラシルは、微笑み続ける。
悲しげに。
「俺達がいた証拠なんてモノ……たとえ、子供を残していたって残るものじゃない。ゾンビを、人間を見ろ。あれだけ栄えていたはずなのに、ゾンビになった人間どもが残したのは文明の残りだけだ。生きていた証拠なんて聞こえはいいが、単に生き残りに利用されるだけのものだろ」
エイプリルは、物資を探しにいった町を思い出す。
人間達が、かつて生活していた場。
だが、ゾンビになった人間達が残したのはそれだけだ。
「あんなものを残したって、どうにもならないだろ。なら、俺は何にも残さなくていい」
風が、吹く。
獣の血の臭いを含んだ森から、全てを拭い去るように風は吹く。
「残さなくていいから、俺はシリルを生かしたい。セナを生かしたい。俺がいた痕跡なんて、残らなくていい」
残ったところで、赤の他人に利用されるだけなのだ。
だとしたら、生きた証を残す力で今生きている間に生かしたい。
「そこまで、シリルを思うなら――セナを憎くはないの?あの子はシリルの子供だけど、あなたの子供じゃない」
憎らしくはないのか、とエイプリルは尋ねる。
「正直、セナに執着するシリルの正気を疑っていた。けど、セナと過ごした後ならシリルの気持ちも分かる」
セナは、シリルと似ている。
「笑えよ、おかしいだろ。自分は何も残さなくていいと思っていたのに、シリルが残せるものは守りたい。残しても虚しいだけって、分かっているのに」
それでも、面差しを残したいのだ。
最も好きだった人の面差しをこの世に。
残したい、そう思ってしまったのだ。
「私には……理解できないかもしれない」
好きな人の、自分の血縁ではない子供を愛すること。
その心情をエイプリルは、理解できない。
「しなくていい」
ラシルは、語る。
「俺にだって、俺の気持ちが理解できないんだ」
がさり、と茂みが揺れる。
エイプリルとラシルは、その音がしたほうを睨みつける。
「誰だ!」
ラシルの声に姿を現したのは、イーサンであった。
出現した敵にラシルは警戒を強めるも、現れたイーサンは酷くくたびれていた。
ゾンビと戦い、その傷の応急手当のためにキャンプを襲い、ラシルと戦ったから――というわけでもなさそうだった。なにより、あれからだいぶ時間が経っている。傷はともかく体力は回復したであろう。イーサンは、犬の血を濃く受け継いでいる。猫よりも体力があるはずだ。
「……あんたが、俺達の叔父なのか」
イーサンは、ラシルに向ってそう尋ねた。
ラシルは、一瞬息が詰まった。イーサンにもシリルの子供の可能性があった。おそらくは、シリルよりもその確立は高い。ラシルの子供は、一人しか生き残っていないはずなのだから。
「シリルの子供の生き残りは、一人だ。お前じゃない」
ラシルは、そう言い放った。
イーサンは、その言葉に若干驚く。だが、すぐに頭を振った。
「違う、三人とも生きてた。今は、二人だけど」
今度は、ラシルが言葉を失った。
子供は、ずっと一人しか生き残っていないとシリルは信じていた。なのに、二人も生き残っていた。そして、それを理解し、実感している。
ラシルは、イーサンのドックタグから彼がシリルの息子であるという可能性を知っていた。だが、イーサンがシリルを受け入れるとは思ってもみなかった。
「おまえ……何歳だ。シリルの息子にしては、デカイな」
イーサンは、視線をそらす。
「じゅう……十三歳」
予想外の年齢だった。
ラシルは、もっとイーサンが年上だと思っていたのだ。
「身長、伸びるのが早いんだ」
おそらく、他の人間にも散々言われてきたのだろう。
イーサンの恥じるような表情に、ラシルは毒気を抜かれた。シリルとセナの反応が、何となく予想がついたからだ。
「あんたは、シリルの兄でセナの叔父なんだろ。なら、二人を助けるのを手伝ってくれ。俺一人じゃ、無理だ。俺は人間の飼い犬だし」
「どうしてだ。どうして、今更手に入れたものを手放したいんだ」
ラシルは、尋ねた。
イーサンは、答える。
「俺は、妹を保護したいだけだった。シリルが、親だなんて知らなかった。それに、セナはシリルといることを望んでるっ」
イーサンの願いは、自分のためのものではなかった。
セナのためのものであり、妹のためのものだった。
「立場が同じだと、似るもんなのか」
ラシルは、イーサンの言葉に自分を見たような気がした。
「おまえ、敵対した相手に強力を頼んで怖くないのか?」
ラシルは、尋ねた。
イーサンの体が、びくりと震える。頼りない表情は、成長が早い肉体に似合わず幼い少年のものだった。
「……怖い。でも、頼れるのがあんたしかいない」
「セナとシリルを助けたあとに、俺がおまえを殺すとしても……お前は俺を頼るのか?」
真っ赤に染まった姿で、ラシルは尋ねる。
恐ろしいだろう、とラシルは自分の姿を客観的に判断する。彼は、犬のキャンプを皆殺しにしたのである。今更、イーサン一人を殺しても何にも思わない。それが、シリルの子供であっても。
「頼る」
イーサンは、はっきりと言った。
「それでも、セナが助かる可能性があるならば――俺は誰かを頼ることを恐れない」
その言葉は、強かった。
未熟なイーサンは、覚悟していたのだ。
ラシルと手を組んだことで、自分の命が損なわれるかもしれないということを。だが、イーサンはそれを恐れなかった。未熟であるから、一人では守れない。
だから、いつか自分を害する可能性があってもラシルの手を借りる。
少年は、それを選択した。
ラシルは、ため息をつく。
「少しは、自分の身も案じろ」
そして、自分から近づきイーサンを小突いた。
イーサンは目を白黒させながら、ラシルを見た。
「俺はシリルを怒らせても、絶望はさせなかった。それは俺自身がずっと兄として、あいつの前に立っていたからだ。お前も、いくら妹を怒らせてもいい、失望されてもいい。でも、いなくなって絶望はさせるな」
イーサンは、目を見開く。
「兄貴の先輩として言えるのは、それぐらいだ」
ラシルも笑っていた。
まだ、イーサンを認めたわけではなかった。
それでも、この場で殺さないぐらいにはイーサンのことを許してもよかった。
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