第17話シリルの執念

 ジュニアは、あだ名のはずであった。

 親はドクターというあだ名で呼ばれ、ゾンビウィルスがはびこる世界で人間の文化の復興を目指して研究していた。

 ジュニアは、その後を継いだ。

 彼にとって、ジュニアという名前は呪縛である。父親の研究を成功させなければならないという、呪縛。

 その呪縛から逃れることができる方法が、アンチゾンビウィルスの開発である。開発は一応の成功をみた。しかし、ウィルスに感染するのはハイブリットの個体のみ。そして、その毒性は個体によって大きく変化している。

 どうして、そんなことが起こってしまうのか。

 今の段階では分からない。

 だから、もっとサンプルが必要だった。そのためには、サンプルを生み出す母体が必要だ。本来ならば、その役割はシリルの第一子であるマリアにゆだねるはずであった。だが、マリアは死んだ。

 マリアにも、アンチゾンビウィルスを感染させてはいた。マリアが死ぬまで、ゾンビアンチウィルスで死ぬ個体はいなかった。だから、マリアが死ぬなんて予測できなかった。

 だが、シリルが手に入った。

 すでに三体の個体を生んだ経験のある両性体だ。

 年齢が上がったが、それでもまだ産めるはずだ。

 ジュニアは、シリルを捕らえている部屋へと訪れた。シリルの出産は、帝王切開である。普通の出産よりも母体にダメージを与えずに出産させられるし、今でもまだ多くの子を残せるだろう。

「ようやく、親子の再会は終わったか」

 シリルの部屋には、イーサンがいた。

 シリルが産んだ、二番目の子である。イーサンは、他の個体よりも体が頑強であった。故に、センターでは飼い犬として利用している。感染させたウィルスの毒性が弱すぎて、他に使いようがなかったのだ。イーサンは、かなり御しやすい個体である。

 思い込みが強く、情が強い。

 何を考えているか分からないセナという個体よりも、ずっと分かりやすい性格をしている。もちろん、シリルよりも扱いやすい。

 シリルは、一度センターから抜け出している。

 その上、セナの奪還まで成功させている個体だ。油断のならない野生の獣なのだ。だが、ハイブリットを生み出し続けることができる母体でもある。

 どんな雄の精子で受精させようか、とジュニアは考える。

 シリルの出産を計画したのは、ドクターである。

 ジュニアは、シリルの出産には一切関っていない。だが、次は関ることになる。どんな子供を産み落とさせるか考え、精子を厳選するのはきっと楽しいだろう。シリルの産んだ子が、自分が選んだ雄の特性を引き継ぐのだ。

 それはきっと、自分の子供を残す行為よりも楽しい。

 そこまで考えて、シリルとイーサンの視線にジュニアは気がつく。血の繋がりを確かに感じる、似た面差しであった。

「イーサン、シリルと話がある。外してくれ」

 ジュニアは、イーサンにそう伝えた。

 だが、イーサンはその場を立ち去らなかった。イーサンにしては珍しい反抗であった。

 しかたなく、ジュニアはシリルに近づく。シリルは、イーサンを守るように前に立った。

 体格はイーサンのほうが、シリルよりも大きい。なのに、シリルはイーサンを守る気らしい。これには、イーサンも戸惑っている。

 まだ、イーサンはシリルを肉親と認めていない。

 なのに、イーサンはシリルを守ろうとする。

 こみ上げてくる笑いをかみ殺すのに、ジュニアは必死だった。

 シリルは、子供に対して強い執着を見せている。まるで、母性はここにあるのだといわんばかりに。だが、シリルが母性など持っているわけがないのだ。イーサンは、だまされている。

 母性は学習しなければ、持ち得ないものだ。

 だが、シリルは母とは触れ合わなかった。子供時代には、自分の子供をあきらめる親の冷静な部分を見た。シリルは、それをただ否定したいだけなのだ。

 だからこそ、シリルは歪んでいる。

 誰もが、その歪みには気がついているだろう。

 シリル本人だって、気がついている。それでも、シリルは己の行動を変える事が出来ない。  

 ああ、とジュニアは思う。

 自分と同じだと。

 ゾンビを滅ぼし、人間の文明を取り戻すことに呪われている自分とシリルは同じなのだと。

「君の遺伝子は、獣人の最初の世代にとても近い。先祖がえりをおこしているといっても過言ではない」

 獣人は、かつては人間によって作られた

 それは、兵士として利用するためだった。

 そして、勝手に繁殖をしないように生殖能力をかなり低くデザインした。だが、最初の世代ではそれが失敗した個体もいた。シリルは、その個体にきっと似ている。

「だから、子供が多く作れる。君の子は、この地上をゾンビから奪い返すだろう」

 そうすれば、人間の文明はきっと取り戻せる。

 ジュニアの呪いも解けて、彼は本来の自分を取り戻せるだろう。もう誰も、父の息子という意味合いをこめてジュニアとは呼ばないはずだ。

「――……お前たち、人間は昔から嫌いだ。でも、今はもっと嫌いになった」

 シリルは、ジュニアを睨みつける。

「お前たちは、俺たち親子を引き離した。それで、利用しようとした」

 ジュニアは、シリルの爪が伸びるを見た。

 猫の獣人の特徴だ。

「イーサン!」

 ジュニアは、犬の名を呼んだ。長い年月をかけて、懐かせた犬の名前である。思ったとおり、イーサンはシリルを拘束した。シリルは、驚きながらも自分の息子を見ていた。イーサンは、苦虫をかみ殺したような顔をしていた。

「そうか……犬の血か」

 シリルは、呟いた。

 セナにもイーサン、マリアにも犬の血が流れている。だが、イーサンは兄弟のなかでとりわけ犬の血の影響が強い個体である。だから、主人であるイーサンの話をよく聞く。考えるより先に、体が動くのだ。

「俺は……その」

 イーサンは、戸惑っていた。

 シリルは、力を抜く。

「いいよ。好きにしろ」

 ジュニアは、シリルのその言葉にぞっとする。

 なぜ、そんなことが言えるのか。

 親は、子に超え欲しいと願うものではないのか。超えるのが、子の義務なのではないのか。なのに、シリルはイーサンに「好きにしろ」という。

 それは、ジュニアが言われたかった言葉だった。

 好きにしろ、と言ってもらいたかった。そうすれば、ジュニアは人の文化の復興という呪いから抜け出せたであろう。

 だが、今更その言葉を聞いてもジュニアは生き方をかえることはできない。

 シリルの子供が必要だ。

「ジュニア、一つ聞きたい」

 シリルは、尋ねた。

「お前は、また俺と子供を離す気なのか」

 ジュニアは答えなかった。

 むしろ、一緒にさせておく理由がない。

「また、俺とセナやイーサンと離したら……許さない」

 ぞくり、とジュニアは背筋が震えた。

 イーサンも震えているようであった。

 狂った母性の底知れない闇を垣間見たような気がしたのだ。

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