第18話取り戻したいもの

 ラシルは、全身に血を浴びていた。


 全てが、犬の獣人である。平和にキャンプを築いていたそのキャンプは、イーサンに襲われた。そして、ラシルがその傷をさらに広げたのだ。


 ラシルは、キャンプにいた獣人を殆ど殺した。大人も子供も、女も容赦なく殺した。ラシルは、自分が悪魔になったと思った。


 悪魔にならなければならなかった。


 ジーンは、ラシルの行動に震えていた。


「なんで……そんな酷いことができるんだ」


 ジーンは、血にまみれたラシルに向ってそういった。悪魔になったラシルは、ジーンに詰め寄る。


「お前がやったことに比べれば、俺の醜悪さなんて微々たるものだ」


 ジーンは、シリルを人間に引き渡した。


 それは、ラシルにとって何よりも許せない非道であった。だから、それを上回る非道さでラシルは聞き出さなければならない。シリルたちは、どこに連れて行かれたのかを。


 それを知るためだったら、この世から全ての獣人が消えてもかまわない。


「言わなければ、もっと殺してやる。ジーン、お前が獣人の未来をすくう前に――今の獣人を全滅させてやる!」


「南に、センターがある!」


 ジーンは叫んだ。


「そこに、シリルたちはいるはずだ。だから……もうこれ以上は殺すな」


 そうジーンは、ラシルに願った。


 ラシルは、知っている。ジーンは本当に獣人の未来を思って、人間の飼い犬となったのだろう。そして、獣人の未来とシリルを天秤にかけたのだ。


 ジーンには、獣人の未来のほうが重かった。


 ラシルには、シリルたちのほうが重かった。


「最後に聞かせてくれ。ジーン、セナに薬は必要ないと言ったのは本心からか?」


 シリルの娘のセナ。


 彼女の肉体は、確かに弱い。


 長生きは、出来ないであろう。それでも、セナはシリルの娘だ。シリルを欲しがる以上、セナにも利用価値はあっただろう。セナを軽んじた発現は、きっとラシルを逆上させるための方便だったのだ。


「いや……本当にセナには使い道がない」


 ジーンはいう。


「セナは、アンチゾンビウィルスというものに感染しているが……セナが感染したアンチゾンビウィルスの感染力が低く、毒性は強すぎる。ジュニア達が想定していたものじゃない。セナは、失敗作だ」


 だから、いらないとジーンは言う。


 セナでは、人間は救えない。


 だから、新しい子を作らなければと。


 理想のウィルスを世界に広めて、ゾンビを死体へと戻し、人間の世を取り戻せるような子供を――。


「ふざけるな」


 ラシルは、呟く。


「失敗作だなんて、理由にならない――セナは、シリルの子だ」


 その言葉を聞いたエイプリルは、ぞくりと身を震わせた。


「ラシル……今のあなた、シリルに似てる。子供を捜してた頃の狂ったシリルに」


 エイプリルの言葉を聞いた、ラシルは目を細めた。


 そうか――と思った。


 これが、シリルの気持ちであったのか。手に入らないものを、ただ愛しいと思う気持ちはこうであったのか。心の炎を燃やす薪が次々へと継ぎ足されて、もう止まらないのだ。


 この気持ちを知っている。


 はるか昔に、シリルと出会ってから知った気持ち。


 これが愛だというのならば、愛は執着だ。


 そして、狂気だ。


「ああ、そうだ。俺も狂ったんだ」


 かつては、もう少しだけ冷静だった。


 守るのは、シリルだけでよかった。


 だが、今はセナがいる。彼女も守らなければならない。より強い覚悟と力が必要だった。それを補うものが狂気であるのならば、ラシルはそれに溺れよう。


「ジーン、お前の人生には愛と狂気が足りなかった」


 だから、何も守れずに終わるのだ。


 ラシルは、そう告げた。


「ラシル!!」


 エイプリルの叫び声が響く。


 ラシルは、ジーンの首筋を切り裂いていた。


 ジーンの顔が真っ赤に染まり、噴水のような血飛沫をあげてジーンは倒れた。叫ぼうにも喉からは空気が漏れ、彼の最後の言葉は誰にも聞き取られることはなかった。


「ラシル……どうして」


 エイプリルは、呆然とするしかなかった。


 彼女は、ラシルをよく知っている。エイプリルの知っているラシルは、所詮は小悪党である。こんなに残忍なことはしないし、できないはずだ。


「取り戻したいからだ」


 ラシルは、語った。


「ただ取り戻したいんだ」


 その心境は、かつてのシリルに似ていた。


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