第16話母と息子

イーサンは、呆然としていた。

 センターは人間のためにある。ここで生まれて育ったのに、イーサンにはセンターには居場所がない。それでも、イーサンはできるかぎりの自分の資料を集めた。

 これまで、自分の資料は余り見なかった。

 人間に教えられるものだけのことを信じてきた。人間の言っていたことに間違いはなかった。自分のドックタグの表示にも間違いはなかった。

 自分の母親は――間違いなく捕らえてきた両性の個体である。

 そして、セナの母親も同じである。

 亡くなったイーサンの姉も同じ個体から生まれた。

「俺、あの人を……」

 イーサンは、震えた。

 人間の命令があり、セナを取り戻そうとした。

 だから、仕方がなかった。だが、イーサンはシリルと戦おうとしたとき――知らなかったとはいえ自分の母親を一瞬でも殺そうとした。顔さえ知らなかったが、見れば分かると思った。自分達の兄弟と出会ったときは、そうであったのだ。

 イーサンの父親は、大型の犬の獣人だ。

 顔は知らない。だが、そのせいなのか、イーサンは他の兄弟たちよりも大柄で成長も早かった。姉と初めてあったとき、イーサンはすでに姉よりも大きかった。それでも、檻のなかで眠っている姉が自分の兄妹だとイーサンには分かった。

 姉は、美しかった。

 イーサンとは違う、色の薄い毛並み。

 犬よりは猫に近い、尻尾や耳。毒性が強すぎたアンチゾンビウィルスに感染させられていたせいで、常に高熱に苛まれていた。それでも、眠っている横顔が美しかったのだ。

 目覚めたあとも、毅然とした態度ではじめて見る弟と会話した。

 あの凛とした顔は、思い起こせばシリルと似ていた。

 白い顔で、眼差しだけは鋭く、人間を信用するなと語った姉。

 きっと、彼女が自分達の兄弟のなかで一番母の血を濃く受け継いでいたのだろう。

 妹と初めてあったときも、イーサンは彼女が自分の家族だと強く感じた。妹であるセナは、姉には全く似ていなかった。

 セナは可愛らしい顔立ちであったが、感情の起伏がほとんどなかった。それでも小さな耳やふさふさの尻尾の毛並みは、イーサンによく似ていた。

 心の底から、可愛いと思った。

 自分が命をかけてでも、守らなければいけない相手なのだと思った。

 小さくて頼りない小さな妹を、一人の足で歩けるようになるまで守らなければと思った。

 そして、同時に感じたのだ。

 血の繋がりは、強固である。

 一目見れば、家族は分かるのだと。

 母もそうであろう、と思った。

 だが、分からなかった。

 だから、イーサンは聞きたかった。母親であるシリルに、自分が息子であると一目見て気がついたのかと。そのために、シリルが捕らえられている檻へと向った。

 セナは、本物の檻に入れられている。

 だが、シリルが入れられているのは檻とは名ばかりの部屋である。人間が使う個室と大差はないが、ドアは外から出しか開けられないようになっている。そして、窓もない。脱出方法はドアを壊すか、開けられたときに脱出する方法だろう。だが、シリルはドアに近づくことはできないはずだ。

 イーサンは、人間に頼み込んでドアを開けてもらった。イーサンは、何度もセンターに囚われる獣人を見てきた。シリルは、きっと彼らと同じ状態であるだろう。

 ぎぃ、と重いドアが音を立てて開けられる。

 シリルは、部屋の隅っこにいた。

 ドアが開けられ瞬間にシリルは立ち上がり臨戦態勢に入るが、イーサンの姿を確認したとたんに途方にくれたような顔をした。その顔で、イーサンは察した。

 この人は自分を息子であると理解している、と。

 イーサンは思い出す。

 今まで捕まっていた獣人は、ずっとイーサンのような犬と猫のハイブリットを産まされていた。だが、異種交配で出来た子供は死にやすい。イーサンは今まで、自分の兄妹以外にちゃんと育ったハイブリットの子供を見たことはなかった。

 センターの人間達がハイブリットの子供を欲しがるのは、アンチゾンビウィルスとの相性が関係する。ジュニアはシリルたちに獣人をアンチゾンビウィルスに感染させることが出来ると説明したが、厳密には違うことをイーサンは理解していた。

 アンチゾンビウィルスに感染できるのは、獣人のなかでもハイブリットの子供だけだ。獣人はそもそもゾンビウィルスには感染せず、ジュニアもウィルスのその性質を変えることは出来なかった。アンチゾンビウィルスの大本はゾンビウィルスであり、ジュニアはその遺伝子を少しばかり変えたにすぎない。

 だから、アンチゾンビウィルスも獣人には感染しないのだ。

 だが、ハイブリットの子供は獣人としての特性をいくつか失うらしい。アンチゾンビウィルスに感染してしまうのも、獣人としての特徴を失ったからである。

 そんな数少ないハイブリットの子を三人も生んでいる、シリル。

 ジュニアは、アンチゾンビウィルスが人間の世界を取り戻す手段となることを望んでいる。ならば、シリルの存在はジュニアにとってはかけ替えのないものであろう。

 もしもイーサンが死んでも、シリルがいれば弟か妹を産んでくれる。

 セナが死んでも、弟か妹を産んでくれる。

 そこまで考えて、イーサンは納得した。母親とはそういうものだったのだと。母親とは自分達兄妹のスペアを無限に生み出す、存在なのだと。

「お前は――セナの兄なのか?」

 シリルは、イーサンに尋ねた。

 イーサンは頷く。

「それにしては、年齢が……」

 シリルは、合わないと言いたいのだろう。

 イーサンは二十代に見られる。というか、それより下に見られたことがあまりない。大きすぎる体がいけないのだろう。

「俺は……十三歳だ」

 そう答えたと途端、シリルは少しばかりほっとしていた。

「それなら、年齢が合う」

「年齢だけが、証拠になるのか」

 イーサンは、少しばかりドキドキしていた。

 一目見たときから息子と気がついていた、と言って欲しかったのだ。

「お前のドックタグを見た。俺の名前が書かれていた」

 シリルの言葉に、イーサンは少なからず傷ついた。

 たしかに、ドックタグには自分の母親の名前も書かれていた。

 それを見て、シリルはイーサンが実子だと気がついたのだ。

 それを見なければ、シリルは気がつかなかったのだ。

「生きていたのか」

 シリルは、ぼそり呟く。

「死んだと思われていたのか?」

 イーサンは、少しばかり怖くなった。

 自分を生んだ人に、自分が死んだと思われていた。それは、なんだか地面が揺らいでしまいでしまいそうな恐怖だった。

「ドクターには、そう言われていた」

「おま……あなたは、それを信じたのか」

 目の前にいるシリルに、女性らしいところはない。比較的長身で、細身だが華奢というわけではない。両性というが、男性のように見える。

 どのように、喋ればいいのか分からない。

 イーサンは、戸惑っていた。

 シリルは、イーサンに対してため息を吐いた。

「別に、態度を改める必要はないだろ。俺たちは――親子ではあるけど」

 ほとんど初対面だ。

 シリルは、そう告げた。

「だから、ありのままのお前を教えてくれ」

 イーサンは、少しばかり力が抜けた。

 ほっとしたと言ってもいい。

 イーサンは、シリルを殺しかけた。だから、それを責められると思ったのだ。だが、シリルはそれを責めることはしなかった。

「年齢から言うと、お前は二番目か。一番目は?」

 シリルは、自分の子を彼とも彼女とも言わなかった。

 おそらく知らないのだ。

「……姉さんは、死んだ」

 シリルの目は、大きく見開かれた。

 そして、両手で顔を覆う。イーサンは、シリルが自分との再会で淡い期待を抱いていたことを知った。自分の子供が全員生きているかもしれないという、淡い期待。だが、その期待は裏切られた。

「名前は……なんていうんだ」

「――マリア。たぶん、一番お前に似ていた」

 久しぶりに、姉の名を口にした。

 そして、今度は緊張することなく母と話すことが出来た。そして、改めて思うのだ。シリルと姉マリアは、よく似ていると。

 色の薄い髪、白い肌。

 そして、静かな眼差し。

 恐らくはシリルが若返り、髪を伸ばしたら、マリアと瓜二つになる。

「セナは……セナは、無事なのか?」

 シリルは、尋ねる。

「無事だ。そもそもセナは、近いうちにこっちに運ばれる予定だったんだ」

 だから、セナのデータも大部分がこちらのセンターに保存されている。人間たちが、情報不足が故にセナを殺してしまうということはないだろう。

「お前とセナは、今度どうなる?」

 シリルの問いかけに、イーサンは言葉を失った。

 自分達は、ジュニアが言うには失敗作だ。イーサンは人間に言われるがまま飼い犬として戦っており、セナももしかしたら同じ道を行くかも知れない。いや、セナは体が弱い。

 おそらくは、イーサンのように飼い犬としては活躍できないであろう。ハイブリットの子供は体が弱い。イーサンにはその特徴が出なかったが、セナはその特徴が顕著だ。

 イーサンのように戦うために使われることはない。

 だが、セナの体内にあるのはイーサンよりもジュニアの理想に近いアンチゾンビウィルスだ。イーサンとは違う形で、人間には利用されるだろう。

「お前、俺達と一緒に来ないか」

 シリルは、そういった。

 あまりに、呆気ない言葉だった。

「俺達って……」

「俺と兄さんのラシル。それとセナ」

 家族になろう、と言われているような気がした。

 さっきまで、敵だったのにだ。

「そんなの無理だろ」

「どうしてだ。だって、俺達は親子だろ」

 シリルは、首を傾げた。

「繋がっているのは、血だけだろ」

 ずっと離れていた。

 親子という自覚も、未だにない。

「血だけ繋がっていれば十分だろ」

 シリルの言葉に、イーサンは唖然とする。

 血だけが繋がっていれば、親子だ。シリルの考えはあまりにシンプルだが、あまりに狂っている。

「セナに対してもそうなのか?血さえ繋がっていればいいって……」

「お前も、同じだろ」

 シリルは、イーサンに近づく。

 近くで見ると、シリルはイーサンよりわずかに小さかった。

「お前は、セナとさっき初めて会ったんだろ。それでも、妹だと思った。血が繋がっているから、特別だと思ったんだろ。兄弟ですら――……そうなんだ。産んだら、なおのことなんだ」

 シリルの手が、イーサンに伸びる。

 その手は、骨ばっている。

 あきらかに女性のものではない手だ。それでも細すぎて、男のものにも見えなかった。

「イーサン……おまえも俺の子供なんだ。もう離さない」

 シリルの手が、イーサンの背中に回される。

 ぎゅっと抱きしめられた。

 あまりに暖かくて、力強い抱擁だった。

「はっ、離してくれ。俺は、もう子供じゃない!」

「十三歳なんだろ、お前」

「あんたより、俺は大きいだろうが!」

 シリルは、改めてイーサンをじっと見た。そして、何を思ったのか抱きしめたままイーサンの背中をまさぐる。

「なっ、なにやってるんだ!」

「うーん。俺の子にしては、大きいよな」

 シリルは、そんなことを言うが背中がこそばゆい。

 イーサンは、慌てて大声を出していた。

「父親が大型犬だったんだろ!」

 そんなに気にすることか、とイーサンは思う。

「獣人に、大型犬も小型犬もあるか。てか、おまえは小型犬の獣人を見たことあるのか?」

「……ない」

「ハイブリットは親より小さくなる場合もあるし、大きくなる場合もあるらしい。まぁ、ハイブリット自体の数が少なくて、それが個性なのかどうか分からないって話だけれども」

 シリルは、随分とハイブリットに詳しい。

 呆然としていると「俺が産んだんだから、当然だ」と答えた。

「ああ、そうだ。一つ、聞きたかったんだ。お前、精通してるか?」

 シリルの質問は、あまりに唐突すぎた。

 イーサンは、目を点にする。

 さっきからいきなり背中を撫で回したりと、実の息子だと知ったと途端にセクハラし放題である。

「な……なんでそんなことを聞くんだ?」

「俺の子に生殖能力があるのか聞きたくてな。セナは、小さすぎてまだわからないし」

 ものすごく答えづらいが、シリルは真剣だった。

 イーサンは、視線をそらす。

「子供は、作れるらしい。ジュニアが言ってた」

 その言葉を聞いた途端に、シリルの顔に笑みが浮かんだ。

 イーサンは、その笑みの理由が分からない。

「よかった」

 シリルは、何故か安心していた。

「……俺達は大人にならないかもしれない」

 ハイブリットの個体は、体が弱い。

 大人にならない個体のほうが多い。

 セナもイーサンも、大人になる前に死ぬかもしれない。

「それでも、良かった」

 シリルは、そう言い切った。

 生まれて、初めてかもしれない。

 イーサンは、大人になりたいと思った。

 シリルが願ってくれるから、ちゃんと大人になりたいと思った。

「シリル……俺はまだ、あんたを母親とは見れない。あんたが、母親らしくなさすぎるから」

「ああ、セナにも言われた」

 シリルは、少しばかり悲しそうだった。

 この人はきっと母親に見られたいのだろう。だが、シリルを後世するものは雌とは言いがたいのだ。

「でも、ありがとう」

 イーサンは、心の底からそう思った。

 大人になると信じてくれたことに、心の底から感謝した。

 それが、愛だと思った。

「ようやく、親子の再会は終わったのか」

 そういって、部屋に入ってきたのはジュニアだった。

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