第13話奪われた家族
ラシルは、耳鳴りに襲われていた。
ジーンが、銃を使ったせいであった。なんで、と思う前に体を動かす。そうしないと、死んでしまうからである。
ラシルは、まっさきにエイプリルを見捨てた。
そして、逃げ出す。ひどい耳鳴りのせいで、自身のバランス感覚がいかれている。立ちくらみがするし、頭も痛い。それでも、なんとか真っ直ぐ走れるのは猫の感性があったからだった。
だが、素早くは逃げられなかった。
「こっちの耳もいかれそうだから、二発目は打ちたくないんだ」
ジーンはそう言って、ラシルの尻尾を引っ張った。
「おまえっ、どうして!」
「俺は、飼い犬だ」
ジーンは、そう告白した。
人間に味方する、獣人。犬のなかには、ときよりそういう固体がいる。群れのリーダーを獣人ではなくて、人間に定め。そして、人間の味方をする固体が。
まさか、と思った。
昔からしっているジーンが、人間の味方であった。
ラシルは、目を見開く。
「いつから……だ」
声は震えていた。
思ったよりも、ジーンが敵であったことがショックだったのだ。
「人間に捕まったときからだ。シリルのことを人間に知らせたのも、俺だ。ラシルとの交換であれば、無傷で比較的協力的な両性体の固体が手に入るとセンターの人間達に教えたときから――俺は人間の犬になった」
ジーンも、センターに囚われていた時期があった。
その時期は、ラシルとほぼ同じであった。ラシルは人間達に飼いならされるかと最後まで抵抗したが、ジーンは違う道を選んだ。人に飼いならされる道を。
「どうして、人間を選んだ!」
ラシルは、精一杯叫んだ。
疑問だった。
ジーンはラシルと同じように人間に捉えられ、シリルと同じようにもてあそばれた。だからこそ、人間に味方するとは思えなかった。
「それ以外に、俺達に生き残る道はあるのかっ!!」
ラシルよりも強く、ジーンは叫ぶ。
その叫びに、ラシルは驚いた。
「現実を見ろ、ラシル。俺達の生活は、人間に依存している。人間が滅べば、俺達も滅ぶことになる」
ラシルたちもジーンたちも、必要な日曜物品は人間の町へと取りに行く。
だが、その必要な日用品を作っている人間の社会はもうすでにない。取りつくせば、終わる。薬のようにほそぼそと生産されているものも、人間がいなくなればなくなってしまう。
「……だから、俺は人間の飼い犬になった。他の獣人を守るためにだ」
人間を復興させることが、他の獣人を救うことになるのだ。
ジーンは、本気そう考えているようだった。
「お前が人間の飼い犬だとして……こんなことをする意味はあるのか?」
今ここで、ラシルたちを裏切る。
ラシルたちに、味方だと思わせる。
その意味は何であったのかが、ラシルは気にかかっていた。嫌な予感がしたからだ。キャンプに行こうと言い出したのは、ジーンなのだ。そして、ラシルたちはシリルとセナの側を離れた。その意味は、一つしかない。
「シリルをセンターに戻すためだ」
ジーンの答えは、ラシルが予想したものだった。
目的は、やはりシリルたちとラシルを引き離すため。シリルの息子かもしれないイーサンとジーンは、恐らくは仲間だ。
イーサンが失敗したから、ジーンがラシルたちをシリルから引き離したのだ。イーサンが別のキャンプを襲っていたのは、きっと怪我を治すためだろう。イーサンの怪我は酷いものであり、彼も自分に使う痛み止めなどを必要としていたのだろう。だから、イーサンは近くのキャンプを襲った。イーサンとラシルとの戦闘は、ジーンの想定外のことであったに違いない。
「なんで、そんなことを……まさか、お前は自分のキャンプまでも犠牲に」
ジーンのキャンプは、人間に襲われた。
「あれは、偶然だ」
ジーンは、言った。
「俺が従っている人間とは、別の人間達が俺のキャンプを滅ぼした」
「それでも、人間に従うのか!!」
犬にとって、自分の仲間は何よりも大切なものではなかったのか。なのに、それを害されても人間に従うのか。それが、ラシルには理解できなかった。
「従う。そうしなければ、人獣に未来はない!」
ジーンは、欲していた。
人々に依存してでも、人獣が生き残る未来を。
だが、ラシルはそんな未来は望んでいなかった。
「人間が再び復興するには、獣人の力が必要だ。人間が実験に使えるような、子供の獣人の。シリルなら、産める」
その一言は、ラシルにとある感情を沸き立たせた。それは、怒りだった。はらわたが煮えくりかえるような怒りに、痛みも何もかもを忘れた。
ラシルは、ジーンの胸倉を掴む。
ジーンは、ラシルの行動が予想できなかった。獣人にとって、拳銃の音は暴力である。エイプリルも拳銃の音で、耳をやられて動けないでいた。猫であるラシルはエイプリルよりもダメージは少なかった。それでも、耳に痛みはあった。
だが、怒りは痛みを上回った。
「おまえ、ずっと知ってたな!セナが、自分の子供じゃないって知ってたな!!」
人獣の未来など、知らない。
この世でたった二人――シリルとセナだけが、幸福であればいい。
ラシルの思いは、ジーンに踏みにじられていた。
「今更、そんなこと……」
ジーンには、ラシルの怒りが理解できないようであった。
ラシルは、叫んだ。
「子供のことだ!!」
シリルとジーンは、仲がよかった。
人間に捉えられる前からの知り合いで、ラシルはシリルの子がジーンとの子であればいいと願っていた。ジーンは嫌いだったが、シリルがジーンを好きならばそれでよかった。
「ラシル、君はバカだ!!」
発砲音が響く。
頭がしびれるような音に、ジーンも顔をしかめている。だが、ラシルにはそんな音はどうでも良かった。もはや、怒りで痛みなど感じない。
「シリルのことだ!!今更もなにもあるか!!」
ラシルは、ジーンを殴りつける。
息を切らしながら、気がつけばラシルは泣いていた。悲しいから泣いていたのではなくて、怒りから泣いていたのだった。
「お前は、イーサンが失敗したときの伏兵だったのか。俺たちとシリルたちを引き離すための……それだけのための。どうして……そこまでして、人間に尽くせるんだ」
それは、怒りの果てに生まれた単純な疑問だった。
ラシルは、人間が嫌いだ。
彼らは、獣人が獣であるというだけで酷いことをする。弟を孕ませ、子を産ませ、友人を飼い犬にし、仲間を殺させる。
「ラシル……君は、セナ以外の子供を何人見たんだ?」
ジーンの言葉に、ラシルは言葉に詰まった。
「ほとんど、見たことないだろ。俺達が小さな頃は、まだそれなりに子供がいた。でも、もういない。獣人は、もうそろそろ終りになる種なんだ。でも、人間が復興したら獣人も数を増やせるかもしれない。シリルのような両性体だって、人間の手を借りれば出産できる」
ジーンの気持ちは分かった。
ラシルだって、どこか感じていたのだ。人間の文明は滅びた――そして、獣人にも種として寿命がどんどんと近づいてきている。
そもそも獣人は、人間に兵器として遺伝子操作で作られた。生殖は出来ないように設計されていたはずだった。だが、彼らはゾンビがはびこる世界となり人間の管理を外れた直後から、自分達の力で個体数を増やし始めた。
だが、子供の数はもう少ない。
人工的に作られた獣人は、まるで人類の衰退に寄り添うように最初から少なかった個体数をさらに少なくしている。
だとしても――ラシルは許すことが出来ない。
たとえ仲間が繁栄すると約束されても、そこに身内の犠牲があるのならば何一つ許さない。
「勘違いするな、ジーン。子供を産むって言うのは、そんなめでたいことじゃない」
ラシルは、シリルをずっと見てきた。
自分の子供を求めて、さまよう弟の姿を。
あれが、めでたいことであるはずがない。
「一人でも産めば、呪われる。その子のことが頭を過ぎるようになる、大なり小なり人生を損なわれるんだ」
ラシルは、ずっとシリルを隣で見てきた。
母親になるというのは、ラシルにとってはそういうことであった。
「だから、もう獣人も人間も滅んでしまえばいい」
それがあるべき道だというのならば、勝手に滅んでしまえ。
どうして、シリルやセナを巻き込むのだ。
ジーンが、ラシルを呆然と見つめていた。
「お前は本当に――シリルのことが好きだったんだな」
まるで、過去を懐かしむような言葉であった。
「兄弟だからな」
「それは、嘘だろ」
嘘ではない、とラシルは否定した。
「俺は、ずっと弟が欲しかったんだ」
「いいや、嘘だ。お前は、シリルに一人で生きてく力を与えたかっただけだ。それが、弟になっていったんだろ」
ラシルは顔を歪める。
もう捨て去った、自分の内面を掘り起こされるような気分だった。
「たとえ、そうだとしても……今は関係ない」
ラシルは、ジーンに向って頭突きをした。
ジーンの体が崩れ落ちる。
ラシルも倒れそうであった。
だが、倒れるわけにはいかなかった。シリルとセナの安否を確認しなければならない。
「殺したの?」
地面に伏していたエイプリルが、苦しそうに尋ねる。だが、ラシルは彼女に視線を向けなかった。
「殺してない。俺は、シリルたちのところに行く。もう犬はたくさんだ。そいつの始末はどうにかしてくれ」
もう関りたくない、という気持ちがラシルの本心だった。
頭の中には、残してきた弟とその娘のことしかなかった。若い獣と戦ったときの傷の痛みを誤魔化しながら、ラシルは歩き続ける。
歩きながら、シリルとセナのことが本当に好きなのだとラシルは感じていた。
ラシルは雄として雌と同衾したこともあったが、彼ら以上の愛情を雌にぶつけたことなどない。本当にシリルのことが好きだった。自分の命がなくなることで、二人の安然が得られるのならばラシルは迷わないだろう。それでも、その安然の片隅に少しでもいたい気持ちもあった。
「シリル……」
弟が欲しかったのは本当である。
だが、それ以上にシリルには一人で生きていけるようにしてやりたかった。
だが――もしも、この世界がゾンビも人間もいないような平和なものだったら。ラシルは、自分の両親が望んだとおりにシリルに自分の子を孕ませていたかもしれない。
だが、それは所詮はもしもの話だ。
今は、そんな話はありえない。
自分はシリルの兄で、セナは自分の姪。
二人を一歩下がった距離で見つめるような、この距離感がちょうどいい。
だと――思っていたのに。
「うおぁぁぁぁぁ!!」
ラシルは叫んだ。
シリルと別れた場所には、もう誰もいなかった。
数人と争った後があり、銀色に光るドックタグがきらめいていた。
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