第12話アンチゾンビウィルス

シリルは、何かを言おうとした。

 だが、ダメだった。

 言う前に、人間の臭いを嗅ぎ取ったからである。

 シリルはなりふり構わずに、セナの腕を取ろうとした。

 だが、遅かった。

 若い犬と戦うためにシリルは、セナの側を離れなければならなかった。それはまさに、セナを奪おうとしている者たちにとっては恰好の隙であった。そして、シリルはセナを狙うのは目の前の若い獣だけだと思っていた。

 だから、油断していた。

 気がつけば、セナは人間達に取り囲まれていた。人間達は泥や野生動物の糞を体に擦り付けて、自分達の臭いを誤魔化している。だから、シリルも気がつかなかったのだ。

 弱ったセナは、すでに人間に抱きかかえられていた。

「かっ、返せ!!」

 シリルは、叫んだ。

 鬼のような形相であった。人間に抱きかかえたセナが思わず怯えるほどの顔で、シリルは人間に立ち向かった。

「もう、奪われるものか!返せ!!そいつは、俺の――……」

 シリルは、背中に痛みを感じた。

 後ろを見ると、若い犬の爪がシリルの背中に爪を立てていた。その尖った爪は、犬の特徴ではない。猫の特徴である。

 彼も、猫と犬のハイブリットだ。

 獣人の子供は、生まれにくい。犬と猫の血が混ざり合えば、なおのこと生まれにくいし育ちにくい。シリルは自分以外の誰かが、産ませられたのかと思った。だが、若い犬が首から提げていたドッグタグを見つけて、目を見開く。

 自分の名前があった。

 母親の欄に、はっきりと「シリル」と刻まれていた。

「はじめまして、胎のシリル」

 人間の一人が、口を開いた。

 知らない声であった。

 若い人間なのは間違いない。

 シリルが顔をあげると、何となく見覚えのある男がいた。

「ドクター……」

 センターにいた、いけすかない男。

 シリルたち獣人を、ただの獣のように扱っていた研究者。そして、シリルがセナを取り戻すときにゾンビになったはずの男が、何故か若返ってシリルの前にいた。シリルは一瞬、今までのことがすべて夢だったのかと思った。

 今までのことは全部夢で、自分はいまもセンターに囚われているのではないかと思った。だが、そんなはずはない。

「お前……ドクターの息子か」

 獣人が子供を残すように、人間も子供を残す。目の前にいるのは、ドクターと呼ばれていた男の息子なのだ。

「仲間からは、ジュニアと呼ばれているよ」

 ジュニアは「よろしくね」と場に似合わない、挨拶をした。

「僕は、ずっと君に会いたかった」

「お前の父親をゾンビにした、獣にか?」

 にやり、とシリルは笑ってみせる。

 強がりであった。

 人間達は十三人はおり、後ろには若い犬の獣。とてもシリル一人で対処できる人数ではない。なにより、若い獣人をシリルはきっと攻撃できない。あの子も、我が子かもしれないのだ。

「別にそんなことはどうでもいいよ。父さんは獣人の飼育ばかりして、特に目立った研究発表もしていなかったし」

 もう用が無かった、とばかりにジュニアは言った。

「父さんは、凡人だったからね。まぁ、仕方がないね。でも、運はすごく良かった。なにせ、君を見つけられたぐらいだもの」

 なんのことだ、とシリルは考える

 シリルは両性体ではあるが、それ以外に特別なことはない。ジュニアはシリルの考えを読んだかのように「とんでもない」という。

「獣人は基本的に人間を遺伝子改造したもので、基本的に子供は作れないように設計されていたんだ。でも、君達はまるで法の抜け穴を見つけ出すみたいに――低すぎる出生率でも生物として自然に増えていった。それでも、獣人の出生率はどんどんと下がっていく」

 シリルは、ふと思い出した。

 自分が子供のときより、今のほうが子供を見なくなったような気がする。

 セナを――奪われた自分の子供を追いかけているから気がつかなかっただけと言い訳してみても無理があるほどにシリルの周囲には子供がいなかった。

「そのなかで、君の卵子や卵巣は素晴らしいぐらいに着床率がよかった。本来ならば流れやすいはずなのに、君が孕んだ子供はすべて生まれてきた」

 すべて――という言葉にシリルは呆然とした。

 二人は死産で、一人だけが無事に育っていると聞いていたのに。

「知らなかったのか?そうか、父さんは君が務めを果たし終えたら、一匹ぐらいはあげようと考えていたのかもしれないね。実験は、二匹でやればよかったし」

「子供達で――何をやる気だったんだ!!」

 シリルは、怒鳴った。

 その怒鳴り声にセナは、体を震わせる。

「ゾンビの天敵を作ろうとしたんだ」

 あっさりとジュニアは答える。

「そもそもゾンビっていうのは、兵器だった獣人の対抗策として考えられたウィルス兵器を作る計画のはずだった。でも、失敗した。ウィルスは人間だけに感染する特性を持ってしまい、それは爆発的に広がった」

 こうして、人間の文明は滅びた。

 今あるのは、よすがだけ。

「君は、ゾンビを何だと思っている?」

 ジュニアは、シリルに尋ねた。

「動く人間の死体だろ?」

「違う。正確には、脳にウィルスが回って人格が消滅した肉体だ。生命活動を行なっているという点では、ゾンビは生きていると表現できる。肉体だけは、生きているんだ。だから、その肉体が動けなくなるほどの病原菌をゾンビたちに感染させることもできるんじゃないかと僕は考えた。そして、作ったこれをアンチゾンビウィルスを銘銘している」

 シリルは、ぞっとした。

 嫌な、予感がしたのである。

「お前――まさかっ。まさかっ、俺の子供を!!」

「僕が作ったゾンビを殺すアンチゾンビウィルスに感染させた。人間には感染しないように調整したウィルスだから、獣人に感染させるしかなかった。セナもイーサンも、すでに感染している」

 殺したい、とシリルは思った。

 ただゾンビを殺すためだけに自分の子供にわけの分からないウィルスを感染させたジュニアを心の底から、殺してやりたいと思った。

「でも、二人に感染させたウィルスじゃだめだった。イーサンのは毒性を薄めすぎてほとんどゾンビに効いていないし、セナは逆に毒性が強すぎる。他の集団に感染するためにゾンビが移動する前に、ゾンビたちは死んでしまうし。ゾンビに噛まれれば、それがトリガーになって自分まで発病してしまう」

 ああ、本当に殺してやりたい。

 シリルは、己の力のなさを恨む。

 もっと頑強な手足があれば、相打ちを覚悟でジュニアの首を取れたというのに。

「セナたちに感染させたウィルスには、特徴があってね。ゾンビウィルスと同じように、一度感染するとずっと宿主のなかで増え続けるんだ。これは他のウィルスを殺す働きもしてしまうから、違うウィルスを感染さえることはもうできない。だから、シリル。僕は、ずっと君を探していた。君に、新しい実験動物を生んでほしい。君ならば、もっといっぱい産めるだろ」

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