第8話ラシルの姪っ子

 ラシルは、本当はセナなど認めたくなかった。

 だが、セナを見れば見るほどにシリルの面影と重なった。セナの行動は、悔しいぐらいにシリルの幼少期の思い出を再現したようだった。

 たった、それだけだった。

 証拠は何もない。遺伝子も血液型すらも調べていないのに、ラシルの心に「もしかしたら」という思いが浮かんでしまった。

 セナは、本当にシリルの子なのかもしれない。

 セナは、ラシルとはちっとも似ていない。そのことが、セナがシリルの子供である証拠の一つのようにラシルには思えてならなかった。

 ラシルとシリルは、そもそも血が繋がっていない。

 両親が、ラシルが八歳のときにつれてきた赤子。

それが、シリルだった。

シリルの両親は人間に殺され、乳飲み子のシリルは命からがら隠されて、ラシルの両親がそれを見つけた。獣人の数は少なくて、そのうえ猫は群れないから繁殖相手を探すのが難しい。

 ラシルを家族として迎え入れたとき、ラシルは幼いシリルがきっと自分の子供を生む相手なのだと思った。

 ラシルは両親が、年老いてからの子で――彼らは何かにつけてラシルを甘やかそうとした。ラシルはそれに反発しており、親から受け取った特別なものは殆ど受け取らなかった。受け取ったのは、食事と寝床と――特別な愛情はいらないと捨て置いた。

大人になってから思えば、ラシルは子供らしからぬ子供だった。早熟で格好を付けたがりだった。だが、言い訳をさせてもらえば年老いていた母や父が死ぬ前に、ラシルは一人前になりたかったのだ。

 ラシルも、シリルに同じようにした。

 歳が離れている兄弟に、両親が死んでも生きていけるように教育した。歩けるようになれば、すぐに狩りの様子を見せた。武器を持てるようになれば、ゾンビの殺し方を教えた。食料の探し方も教えた。

 シリルには、才能があった。

 ラシルよりもずっと上手く、文明のよすがに縋っている現代に適応していた。稀にいるのだ、救いのない時代に希望を持てない子供が。そういう子供達は、早い段階で脱落する。

 獣人でも、人間でもそうだ。

 だが、シリルは違かった。

 この時代、生きることに絶望しないのは一種の才能だ。

 ラシルは、シリルが弟のように成長したのを喜んだ。

 しかし、両親は喜ばなかった。両親にとって、所詮シリルはラシルの子を産む存在でしかなかった。弟のように育っても、しょうがなかったのだろう。

 ラシルは、実のところ少しばかり申し訳なく思っている。ラシルは、弟が欲しかった。だから、シリルを弟のように育てた。シリルには、選択肢なんてなかったのではないかと思ってしまうのだ。

 シリルは、両性だ。

 雄にも雌にもなれる可能性があり、どちらにもなれない可能性があった。だが、シリルは弟として育てられた。

 今のシリルは短髪だが、きっと紙を伸ばせば雌のように見える。

 人生で一度も髪を伸ばしたことはないが、きっと伸ばせば綺麗なのだろう。

 シリルは長じるにつれて、親の思いも知らずに男子のような心根に育った。意思強く、負けん気も強くて、喧嘩をすれば歳の離れたラシルに勝つことさえあった。

 自慢の弟だった。

 シリルは、自分が正しいと思うと曲げなかった。ラシルはそんな本気で引っかいたり殴ったりすることも何度もあったが、大抵の場合はシリルはやり返した。シリルが十歳ぐらいまで成長すると、ラシルはもうシリルを弟としか見れなくなった。

 シリルが両性なのは知識として知っている。

 だが、生意気で可愛げのない反抗的な兄弟はまさしく弟だった。ラシルは、シリルが弟でもよかった。弟が良かった。気兼ねなどなかったし、今更シリルとの間に子供を作れといわれても無理は話だった。ラシルは、家族で弟だ。子供を共に作る相手ではない。

 小さな時期は過ぎたが、ぎゃあぎゃあとわめく煩い弟だ。

 シリルが十五歳になったとき、ラシルは弟が弟ではいられないことにようやく気がついた。両親が、シリルを人間に渡してしまったときのことだった。

 そもそもの発端は、ラシルが人間に捕まったことだった。

 ラシルのようなドジを踏む獣人は少なくない。

 ラシルは、その日は町に下りていた。猫は基本的に獲物を自分で捕らえられるが、生活のためにかつて人間が作った物資は必要であった。

 ラシルがセンターに捉えられたのは二十歳の頃で、そのころは老いた父親に代わってラシルが町に物資を取りに行くことになっていた。稀にシリルも同じ役割を果たしたが、回数で言えばラシルが圧倒的だった。

 だが、その町にはセンターの人間がいた。

 ラシルは、彼らに捕まったのだ。

 真っ白な四角い箱のように閉じ込められた記憶は、今でもラシルのなかに色濃く残っている。狂ってしまいそうな記憶であった。自由を愛する猫にとって、自分の意思に反して常に閉じ込められるのは苦痛だった。なのより、味方が一人もいない場所で人間たちに囲まれるのが苦痛だったのだ。

 あそこから逃げられるなら何でもするとラシルは願い、後にその願いをラシルは呪った。  


 ――叶ってしまったからである。


 ラシルを捕まえたセンターの人間たち、ラシルの弟が両性だと知った途端に欲しがった。セナがいたセンターの人間達にとっては、単純な雄よりも両性のシリルのほうが研究材料に適していたらしい。センターの人間達はラシルに両性の固体について、何か説明した。けれども、残念ながらラシルはそのことについて殆ど覚えていない。

 きっと、心を守るための本能が働いたのだろう。

 辛い記憶を思い出さないために、ラシルはセンターでのことを忘れたのだ。

 そんなセンターから抜け出したかった。だが、家族を生贄にしたかったわけではない。

 それなのに、ラシルの両親はとても簡単にシリルをラシルと交換した。

 親にとって、息子の子供を産まないシリルはいらない存在だった。そのとき、初めて気がついた。

 両親にとって、シリルは子供ではなかった。

 ラシルの子供を残すだけの――他人の子供だった。

 ラシルは、それに怒った。

 ラシルにとって、シリルは弟だった。はむかってくるが可愛らしく、守ってやってもいい相手だった。なのに、自分の身代わりに人間に囚われた。

 あの四角い箱のなかに、大切な家族を囚われた。

 ずっと大切にしていたものを奪われた。

 それが、ラシルには許せなかった。

 ラシルは、両親を殺した。

 家族を守ってくれない家族なんて、いらないと思った。

 今思えば、単純な八つ当たりだった。守りたい存在すら守れず、自分より強いと思っていた家族に八つ当たりをしたのだ。だが、その八つ当たりが成功して打ちのめされた。

 ラシルは、強かった。 

 家族で一番強かった。だから、家族はラシルを取り戻すために人間に従った。合理的な判断だった。ラシルが囚われた時点で、ラシルの家族に勝ち目などなかった。

 なのに、ラシルは家族に強くあってほしいと願った。

 ラシルよりも強くあってほしいと願った。

 けれども、そちらの願いは叶わなかった。

 それから、ラシルはひたすらシリルを取り戻すために戦った。取り戻すのに五年もかかり、その間にシリルは子を孕んでいた。孕んだ三人の子は、二人が死産で一人だけが無事に育っていると人間達に聞かされていたらしかった。

 自由になったはずのシリルは、狂ったように自分の産んだ子を取り戻そうとした。そのときのシリルの気持ちは、ラシルは分からない。

 家族というのは、血が繋がっていてもいつかは自分の思惑を裏切るものだ。ラシルの母と父も、ラシルを裏切ってシリルを人間に渡した。そして、ラシルより強くはあってくれなかった。

 だから、シリルが自分の子供であるかもしれないセナに執着する理由が分からない。血の繋がった家族なんて、いずれ裏切る。

だから、子供を捜したところで無駄だ。

それは、自分が思い通りにできる存在ではない。それが、ラシルがシリルの子に感じた素直な感想だった。

 それを素直にシリルに伝えたときには、シリルはラシルに飛び掛って殴ってきた。その殺気は本物で、ラシルはぞっとした。

 親が子に向ける愛情。

 その狂気のような感情に、ラシルは恐怖した。それは、かつてラシルの親がラシルに対してみせた愛情と同じに見えた。子供になんでも与えようとして――子供の結婚相手まで定めようとした両親に似ていた。

 心の底から、シリルを怖いと思った。

 血なんて繋がっていないのに、シリルはラシルの両親に似ていた。

 シリルと共に、ラシルも子供のことを探るためにセンターに忍び込んだことがあった。ラシルは反対したが、シリルが聞かなかったのだ。

ラシルは、そこで書類を見つけた。シリルの子供がまだ生きているという記録だった。写真はなかったが、それはシリルが捜し求めていた証拠だった。

 だが、ラシルはその証拠を持ちかえらなかった。

 シリルが探し求めていたものであったが、持ち帰ればシリルがまた子供を取り戻すために危険を顧みずセンターに忍び込むだろう。今回は上手くいったが、次回はどうなるか分からない。だから、ラシルはシリルに資料のことを黙っていた。

 家族を守るためだった。

 シリルをあきらめさせるためだった。ラシルが資料を得た時点で、シリルがセンターから逃げ出して三年の月日が経っている。異種交配で生まれた子供の生存率は低い。いつ死んでもおかしくはない。

 手がかりがなければ、シリルもあきらめると思っていた。

 だが、シリルの熱情は日を追うごとに激しくなるばかりであった。

「もう、あきらめろ」とラシルはシリルに言ってしまった。そのことにシリルは逆上した。シリルがセンターから離れて、もう十年が経っていた。なのに、シリルは十年前に生んだ子供を忘れてなどいなかった。

 その時に――もう隠しておけないと思った。

 隠しておけば、一生シリルは顔も見た事がない子供のことに引きずられる。だから、ラシルはシリルに長年隠していた秘密を口にした。

 シリルの子供は、少なくとも七年前は生きていた。

 それを告げたとき、シリルはもうラシルのことを殴らなかった。ただ落胆したかのようにラシルから離れた。あのとき、シリルはラシルに幻滅したのだろう。

 そして、そのシリルがずっと捜し求めていた実子かもしれない少女がラシルの背中に乗っていた。感情は未発達で、生きる術すら知らない、ただ幼いだけの少女。

 それでも、もしかしたらシリルの血を引いているのかもしれない少女。

 ラシルの両親のように、シリルが狂った愛情を注ぐ子供。

 その子供は、今は高熱を出して気を失っている。このままラシルがセナを置いておけば、セナは自然と死ぬだろう。ラシルは、自分に自問自答してみる。

 今、セナの手を手放せるのか。

 最愛の弟の血を受け継ぎ、弟の狂信的な愛情が注がれる少女を殺すことが出来るのだろうか。殺せない、とラシルは思ってしまった。

 とても小さくて、愛しいかのしれない子供を殺せない。

 ラシルは、セナが気絶する前に指差した方向目指して歩く。幸いなことに、死人たちとは遭遇しなかった。死人他たちは、きっとエイプリルのキャンプや橋のほうに群がっているのだろう。あるいは、先ほど見たゾンビたちのように倒れてしまっているのか。

 ラシルは、さっきの光景を思い出す。

 ゾンビが熱を出して倒れるだなんて、今までなかった。

 だが、そのことを追求している暇はない。 子供一人を背負った状態では木登りもできないので、この状況はありがたい。素直に受け入れることにした。

「兄さん、セナ!!」

 シリルの声がした。

 上から、弟が降ってくる。懐かしいな、と感じた。シリルは昔はラシルのことを「兄さん」と呼んでいた。だが、長年セナのことを黙っていたせいでシリルはラシルのことを「兄さん」と呼ばなくなった。

 怒っているという意思表示なのだろう、とラシルは考えている。そのシリルが兄さんと自分を呼んだということは、セナだけではなくラシルのことも心配していたのだろう。

「見つかったの!」

 エイプリルの声を聞こえていた。

 森の奥から現れた彼女の顔にも安堵があった。心配してはいなかったが、エイプリルの嗅覚はちゃんとシリルを探し出していてくれたらしい。

「おい、大丈夫か?」

 駆け寄ってくるシリルの視線は、セナに向けられていた。恐る恐る手を伸ばすと、セナのあまりの熱さに驚いたように手を引っ込める。

「なんで、こんな発熱を」

「知らん。だが、解熱しないとヤバそうだ」

 シリルは、ラシルからセナを受け取った。そして、不安げに彼女を抱きしめた。セナは、まったく起きる気配はない。

「くそっ、さっきまでは元気だったのに!」

 セナの腕には、噛み痕があった。ゾンビによるものだが、獣人は彼らに噛まれても致命傷にはならない。熱も出さない。だからこそ、シリルはセナの容態に戸惑っていた。

「わめくな。薬を飲ませれば、下がるだろ。あるかどうかは分からないけどな。とりあえず、水をありったけ飲ませとけ」

 シリルは動転しながらも、ラシルの言葉には従った。

 とりあえず、確保していた飲み水をセナに飲ませようとする。本当に、必死だった。セナを失わないように、必死で考えをめぐらせている。

「熱って、さっきまでは元気だったのに」

 エイプリルも驚いていた。

「セナは、異種交配でできた子だ。普通よりも、ずっと体が弱い。くそっ、薬がない!!」

 シリルは、苛立ったように立ち上がった。

 そして、森の奥へと消えようとする。

「どこに行くつもりだ」

 それを止めたのは、ラシルだった。

「エイプリルの村だ。あそこだったら、まだ薬が残っているかも……」

「今、あそこはゾンビどもの巣だ。行ったら死ぬぞ」

「行かなかったらセナが死ぬ!」

 シリルは、ラシルの手を振り払う。

「近くに、もう一つキャンプがある」

 男の声が響いた。

 ラシルが、顔を上げる。そこには、見知った顔があった。セナが高熱で木の上で意識を失ったときに、再開した友人である。そして、彼の発言が元でひっぱたいてしまった人物だ。

「ジーン……」

 髪や瞳が黒い、大柄な獣人であった。ふさふさの尻尾までが黒く、セナと同じ色をしていた。だが、顔つきはまったく似ていない。

「キャンプが人間に襲撃されたから、おまえも死んだかと思ったぜ」

 ラシルは嫌みたらしく、そう言った。

 ジーンは、ラシルの嫌味を気にしていなかった。昔からからかいがいのない性格なのだ。他人に対して寛容で、中立であろうとしていたジーン。偏見も差別もなく、シリルと仲も良かった。

 だが、ラシルはジーンのことが苦手だった。いかにも優等生らしい思考回路に、どうしても馴染めないのだ。

「俺も物資調達に行っていて……キャンプにはいなかったんだ」

 ジーンは、キャンプのリーダーだった。

 だからこそ、自分のキャンプを人間たちに壊滅させられて悔しそうであった。だが、ラシルは腑に落ちないと思った。ジーンはキャンプのリーダーだ。なのに、単独で物資調達に行くのだろうか。エイプリルたちが町に下りていたというのに。

「近くのキャンプにいければ、セナの薬があるかも……」

 シリルは、もうキャンプを目指すことを決めていた。セナを背負って歩き出そうとするが、エイプリルがそれをとめた。

「シリルは、ここでセナと一緒にいたほうがいいわ。セナを背負っていたら早くは移動できないし、ゾンビたちと遭遇しても急いで木にのぼって隠れらないでしょ。私とラシルとジーンの三人で、キャンプまで行きましょう」

 エイプリルの話は、もっともだった。

 セナを連れていては早くは移動できないし、高熱を出している少女を連れまわすのも危険だ。

「セナのために悪い」

 シリルは、視線を落とした。

 ラシルは、シリルの肩をぽんと叩いた、気にするな、といいたげな仕草であった。ラシルは自分でもこんなことをするのが、少し不思議であった。

「時間が惜しい。さっさと出発するぞ」

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