第7話セナの高熱
ジーン、という名前をきいたときセナは重い体を動かそうとした。自分父親の可能性がある男、彼をちゃんと見たかったのだ。
「あ……」
体全体が、あったかい。
不思議な感覚だ。
自分の足で歩いていないのに、歩いているみたいに地面が揺れていた。
「ここ、どこ?」
セナは、目を開く。
誰かが、自分をおぶっている。そのことに、セナはようやく気がついた。自分を背負っているのは、ラシルらしい。金髪に近い色の薄い髪と耳が、ひょこひょこと揺れていた。
「シリルたちとの合流を目指している。お前はすごい熱だから、少し寝てろ。……センターにいたころもこういうふうに熱を出したのか?」
ラシルは、セナにそんなこと聞いた。
セナは頷く。
体が熱くなって、動きにくくなるのは珍しいことではなかった。センターの人間たちは、それに何も言わなかった。だから、それが当たり前だと思っていた。だが、どうではそうではないらしい。ラシルは、セナよりもずっと丈夫だった。
「セナ、お前はたぶん長くは生きられない。普通の固体より、体がかなり弱いんだ」
ラシルの言葉に、セナはあまりショックを受けなかった。
心のどこかで、自分の未来を予測していたからであった。
「皆は、熱をださないの?」
それでも、セナは尋ねる。
自分に起きていることは珍しいことではない、と言って欲しかった。
「出すこともあるが、多い回数じゃない。お前の体が弱いのは、犬と猫の獣人を無理やり掛け合わせたからだ」
ラシルに声が、少しだけ柔らかかった。
セナは自分がラシルに嫌われていると思った。だが、どうやら違うらしい。少なくとも、今のラシルの声は柔らかい。
「人間はいつもそうだ。獣人のことなんて考えてない」
「ラシルは、人間が嫌いなのね」
ずっと不思議だった。
同じ姿をしているのに、獣人はどうして人間を嫌うのか。
「人間は、とんでもないことをする。だから、嫌いなんだ。あいつらは、それを当たり前だと思ってやがる」
ラシルは、舌打ちした。
その行動で、ラシルがどれだけ人間を恨んでいるのかが分かった。
「まぁ、おいおい学習するか。腕は、大丈夫か?」
ラシルの言葉に、セナは頷いた。
セナは、腕をゾンビに噛まれた。
人間だったらゾンビになるが、セナは獣人だ。コレぐらいの怪我ならば、へっちゃらだった。痛みはあったが、痛いだけだった。
「痛いだけ……」
噛まれたときは涙したが、耐え切れないほどのものではないような気がした。それは、ラシルが側にいてくれるからのような気がした。
「その傷から、なにかの細菌が入った可能性がある。シリルと合流したら、手当てだな」
「あっ、ジーン……近くにいるの?」
恐る恐るセナは、尋ねた。
ラシルの背中から見た限り、他に人影は見えない。だが、セナはたしかにジーンという名を聞いた。
「いる。今は、ちょっと離れている」
ゾンビをまくためなのか、とセナは思った。
少ない時間ではあったが、セナはゾンビが物音に反応することを知っていた。だから、ゾンビから逃げるためにジーンと別行動を取っているのだと思った。
だが、ラシルはゾンビは全て死んだのだと言った。
その理由をラシルは語る。
「ちょっと、ジーンを殴った。それで、気まずいから別行動をしてる」
ラシルの言葉に、セナは驚いた。
「殴ったの?」
「ああ。それで、俺の頭を冷やすためにもジーンには先に行ってもらった。あいにく俺は、素早く動けないからな」
セナを背負っているせいだ。
そのことに、セナは少し罪悪感を感じた。
「ご、ごめんなさい」
「謝るな。お前の体も、人間のせいなんだ」
ラシルは、無言でセナを背負って歩いた。
無言だったのは話題がなかったせいもあるが、ラシルの体力的に辛かったこともある。十歳のセナは、それなりの体重がある。それを背負って歩くのは、ラシルには辛いのだ。
「降りるから……」
セナはラシルの背中から降りようとしたが、力が入らない。
ラシルから離れようとしているのに、セナにはそれができなかった。
「無理するな。かなりの熱だ。本当ならば薬で解熱させないといけないぐらいだが、そんな薬はないしな」
ラシルの言葉は、セナには優しく聞こえた。
「ジーンは、なにかやったの?」
それが、セナには気になった。
ラシルは気が短いが、意味もなく誰かを殴るような性格ではない。
「ジーンに子供はいない、と言われた」
ラシルは、ぼそりと呟いた。
セナは、その言葉を思わず半数する。
「子供はいないって、言われた」
不思議とショックは受けなかった。ジーンというのが知らない男だったから、辛くなかったのかもしれない。
「まっ、ジーンが父親っていうのは俺とシリルの希望的観測だったからな。俺らのほうが悪いっていえば、悪い。セナは、あんまり気にするな」
「うん、気にしない」
父親なんて、知らなくてもよかった。
ラシルたちとは、母親の縁で家族として繋がっている。ならば、父親なんていなくてもきっと大丈夫だ。自分とラシルは、繋がっていられる。
「ねぇ。私の母親って、どんな獣人なの?」
セナは、ラシルに話して欲しいとせがんだ。
顔も知らないけれどもラシルから話を聞いたら、きっとその人を愛せるとセナは思った。ジーンに対して、何の感情も抱けなかったのは彼のことを知らなすぎたせいだ。
母親で同じ失敗はしたくない、とセナは思った。母親がセナを拒絶しても、セナはそこに何かを感じたいと思ったのだ。
ジーンのときのように、何も感じずに終わるのは嫌だった。
だから、ラシルの口から聞きたかった。
母親がそんな人であるのかを、ラシルの口からちゃんと聞きたかった。
「……基本バカだ」
セナの母親について、ラシルはそう言った。
「思い込んだら一直線で、思い切りがいいから手に負えない。暴走機関車みたいな奴だ。割と強いから放っておいてもいいかと思ったら、手ひどい怪我をして帰ってきたりする。とどのつまり、バカだ」
セナは、目をぱちくりさせた。
自分の母親への評価があまりにも残念で、受け入れがたかったのだ。
「……バカ」
セナは、思わず反芻する。
だが、繰返したところで親の評価は変わらない。
「作戦も考えられるし、危機的状況を切り抜けられる頭も持っている。でも、自分を犠牲にして危機的状況に飛び込むバカなんだ」
バカ、バカとラシルは続ける。
セナは、なんだかバカという言葉に慣れてきてしまった。
「おまえも、バカは見習うな。バカは早死にするからな」
「……え」
セナは、緊張した。
今の一言で、てっきり自分の母親はすでに故人なのかと思ったのである。ラシルはそれに気がついて、慌てて口を開く。
「死んでない。生きてる。お前の母親は、生意気なことにすっごい元気だ」
それを聞いて、セナはほっとした。
まだ、セナはラシルたちと家族でいられる。
ラシルたちが近くにいてくれるのは、セナの母親が彼らの家族だからだ。その繋がりが途絶えてしまえば、きっとラシルは家族でいてはくれないだろう。
セナは、人の絆は有限であると思っていた。
センターの人々は死んで、ゾンビになってセナのことを忘れていた。
人と人との絆は、生きている間だけ有限で死んだらきっと解消されてしまう。だから、セナの母親が死んだら親子という絆も解消されてしまう。それに伴う、ラシルたちとの家族という関係も解消されてしまう。
「あとは、どんな人なの」
バカという情報以外のことをセナは知りたかった。
だが、ラシルはうなるばかりだ。
「――……あとは、そうだな。やっぱり、バカだな」
セナがいくらせがんでも、ラシルはバカとしか母親のことを教えてくれなかった。おそらくは、ラシルは本気でセナの母親を「バカ」としか表現できないのだろう。きっと母親は、ラシルより年下なのだ。いくらラシルでも、年上をこうも軽々しくバカとは表現はできないだろう。
「ああ、でも……まぁ、綺麗なやつではある」
初めて、ラシルがセナの母親を褒めた。
セナには、それがほんの少しだけ嬉しかった。
「バカみたいに真っ直ぐで、融通が利かないけどな」
「会ってみたいな。私の母親に……」
セナの呟きに、ラシルは足を止めた。
「あのな……お前の母親は」
ラシルは、何かを言おうとした。
だが、言葉を発する前にラシルは勇気を失ったようだった。ラシルの言葉は続かず、セナは不安になった。
「母親が、どうしたの?」
自分の母親には、何かがあるのではないか。
セナは、そう考えてしまった。
「なんでもない」
ラシルは、そうやってセナを突き放そうとした。
だが、セナは必死にラシルに食らいつこうとした。
「今、何か言おうとした」
ここでラシルに食いつかないと、自分の母親について知る機会は一生ないかもしれない。それぐらいの恐れをもって、セナはラシルに尋ねていた。
「だから、なんでもない!」
ラシルの声が、思ったより響いた。
森に木霊し、セナはそれ以上の追及はできなかった。
ゾンビが住まう森では、声が響くことは命取りになる。セナは先程、それを文字通り痛いほど学んだ。
やがて、ラシルは歩みを止める。どうやら、臭いを嗅いでいるらしい。
だが、ラシルは迷っている。どうやら、ラシルの鼻では遠く離れた仲間たちの臭いを嗅ぎとれないらしい。
「ゾンビのは、分かるんだぞ。あいつらは、ひどい臭いだから」
言い訳のように呟いて、ラシルは周囲を見渡した。だが、彼はどちらに進めばよいのかわからないようであった。
「……あっち」
セナは、ラシルの背中の上で指差す。
熱が出ても、セナの鼻は空中の匂いを嗅ぎ取った。間違いなく、セナが指差す方向からは猫と犬の臭いがした。たぶん、シリルとエイプリルのものだ。そして、知らない臭いもいくつか混ざっている。
「本当に、あっちか?」
ラシルは、いぶかしむようにセナが指差す方向を眺める。
相変わらず、セナが感じている臭いをラシルは感じ取れないらしい。
「……あっち、臭いがする」
おそらくだが、セナの鼻はラシルよりも性能がいい。
ラシルは「はぁ」とため息をついた。
「そういえば、お前は犬でもあったな」
犬と猫のハイブリット。
それが、セナである。
「猫は分からないの?」
セナが尋ねると、ラシルは分からないと答えた。
「人間より鼻が悪いわけじゃない。あんまり離れていると分からない」
嗅覚が鋭いのは犬だ、とラシルはいう。
セナは、自分を犬だとは思ったことはなかった。そもそも猫という自覚も薄い。なぜならば、セナの周囲には人間しかいなかった。そして、生まれて初めて見た獣人が猫だった。
セナとラシルの猫に、セナは似ている。
しかし、似ているからこそ違うところが余計に目がつく。
セナの尻尾はふさふさで、二人のものとはまったく違う。そこだけ、なにか違う生物がはりついているみたいだった。ラシルとシリルを知って、セナは生まれて初めて自分が不恰好だと思った。
「私、犬なの?」
不安になった。
猫でもない、犬でもない、不恰好な生物。シリルはセナをセンターから連れ出したが、いつしか飽きるかもしれない。あるいは、ちゃんとした猫じゃないという理由で捨てるかもしれない。その未来が、本当に怖いのだ。
「猫と犬の半分だ」
ラシルは、言う。
「母親は猫で、父親は犬。安心しろ、おまえは母親似だ」
セナは、首を傾げる。
猫に似ていることに、なんの安心があるのだろうかと思った。
「……だから、母親に似てお前は綺麗だ。安心しろ」
セナは、きょとんとする。
「犬が混ざってようが、馬鹿やろうが、おまえは綺麗だ。だから、安心しろ。おまえは・・・・・・俺が知っているお前の母親の子供だ」
家族だ、と言われているような気がした。
どんな言葉よりも強く、はっきりとした言葉で。
自分はセナと家族なのだ、とラシルが証明してくれているような気がした。嬉しかった。とても嬉しかったのに、なんだか頭がぼうっとしてきた。
「おい、人の背中に鼻水をつけるなよ」
ラシルの声が遠い。
この感覚には覚えがあった。
セナは最後の力を振り絞って、ラシルの背中に精一杯しがみつく。
「おい、おい、返事をしろ!!」
セナは、高熱によって気を失った。
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