第5話エイプリルの群れ

「シリル。せっかく近くまで来たんだから、ジーンに会っていけば」

 エイプリルは、シリルにそう言葉をかけた。

 聞けば、エイプリルのグループはこの近くを拠点としているらしい。そして、この町も縄張りとし、物資を集めにきたそうだ。食料に衣服、狩りの苦手な犬のエイプリルが持ち帰る物資は大量だった。これらは死んだ仲間と一緒に集めたものらしい。

 死んだエイプリルの仲間は、彼らが身に着けていた眼鏡や時計と言った小物だけをエイプリルが持ち帰ることとなった。

 人間に殺された彼らを運ぶには、人手が足りなすぎる。ラシルたちが手伝うにしても、殺された数は三人。大人たちが一人ずつ担いでセナが見張りを行なうのは、あまりに危険な行為であった。それに死体は重い。一人一つ運ぶというのも難しいだろう。

 仲間を伴って、もう一度来るという手もある。

しかし、音を立てすぎた。

すぐにこの近くの死人たちがやってくるだろう。この場に近づくことが難しくなっている可能性があった。幸いなのは、獣人はゾンビにはならないということである。

 だから、遺品だけを持ち帰る。

 それが、エイプリルたちの死に対してのルールであるようだった。

 セナが考えていたよりも、ここはあっけなく命が零れ落ちる世界であるようだった。そして、ここに生きる獣人はそれを乗り越えるためのルールをいくつも作っているようだ。もっとも、それは犬であるエイプリルだからなのかもしれない。

 少なくても、猫のシリルやラシルはそういったルールを作っていないようだった。そのためなのかエイプリルがシリルを誘ったとき、シリルはひどく迷った。しきりにラシルとセナの方を気にしているようである。ルールがないから、シリルは迷うのだ。それが、良いことなのか悪いことなのか分からなくて。

「……犬とは、仲が悪いの?」

 他の獣人を知らないセナは、獣人の基本を知らない。もしかしたら、本物の犬と猫のように獣人の仲も悪いのかもしれない。

「いや、俺が一方的に嫌われてるだけ」

 ラシルは、セナの言葉にあっさりと答えた。

 こうもあっさりと答えるということは、さほど犬猿な仲というわけではないのだろう。エイプリルもラシルに対する言葉遣いは荒いが、敵意と呼べるものではない。それでも、シリルが迷うということはセナに対して何か思うところがあるのだろう。相変わらず迷うシリルに、とうとうラシルが声をかけた。

「もうそろそろゾンビがくる。逃げないと、あいつらのディナーになっちまうぜ」

 白い皿の上に乗るのはいやだろう、とラシルはシリルとエイプリルを急かす。

 町を出れば、あとは見渡す限り平野であった。森にたどり着くまでしばらくは歩くことになるが、正直それが落ち着かない。

 身を隠すところがないのは、セナにとっては全裸でいるよりよっぽど答えた。本能なのかもしれない。ラシルとシリルもそわそわしながら、早足で歩いている。

 平野で見かけたゾンビたちは、ほとんどが町に向って歩みを進めていた。セナたちに気がつくと、ふらりと寄ってくる者もいた。でも、わずかな人数であれば少し早めに歩いていれば振り切ることができる。

 ゾンビは、怖い存在ではなかった。

 少なくとも、逃げる場所がある場合は。

 森へ入ると、セナは落ち着いた。森なんてほとんど見たこともないのに、狭い折に閉じ込められたような安心感であった。逆にエイプリルのほうは、少し落ち着かなさそうであった。犬であるエイプリルは、セナたちと違って持久力がある。

 その持久力を使って逃げたり追いかけたりすることは得意なのだが、エイプリルにはシリルのような瞬発力がないのだ。よって何かあったら近場で身を隠せるようなところよりも、どこにだって逃げていける平野のほうが気分的に安心するらしい。

「シリル、そろそろ答えて。ジーンに、会うの?会わないの?」

 エイプリルが、急かすように言った。

 恐らくは、キャンプが近いせいであろう。

「会って来い」

 ラシルが口を開いた。

「セナも獣人ってもんが、どういうもんか殆ど知らないんだろう。犬ころの群れはいい勉強になるだろうさ」

 ラシルの言葉に、シリルははっとする。

 シリルはセナを見たが、セナはどうすることもできなかった。

「そうだな。行こうか」

 シリルは、エイプリルのキャンプに行くことに決めたようだった。

 なぜ、シリルがエイプリルのキャンプに行くことを迷ったのかセナには分からない。

 シリルはエイプリルと親しいし、ラシルも心の底から嫌われているわけではない。なのに、シリルはラシルに促されなければエイプリルのキャンプに行こうとは決心しなかった。

 なにかが、あるのだ。

「母親かな……」

 小さく、とても小さくセナは呟いた。

 シリルの背中が、わずかに緊張したのが分かった。

 歩みを止めたシリルは、セナに向き合う。

「セナ、あのな……今まで話せなかった。もっと早くに話すべきだった」

 家族だ、とシリルは言った。

「俺とおまえは、血の繋がった家族だ。ずっと離れ離れにされていたけど、やっと見つけ出すことが出来た」

 セナは、頷いた。

 センターはなくなった。

 セナの居場所はもうなかった。シリルとラシルを頼るしか、セナには生きる手立てがなかった。そもそも、セナは自分が生きたいと思っているのかすら分からなかった。

 ゾンビたちに追い詰められたバーで、セナは「センターで犠牲になった人々」の贖罪のために命を絶とうとした。それは、自分の命しかセナが持っていなかったせいだとセナは自分で考えていた。

 だが、実勢のところセナは自分の生命に対して大した興味を持っていないだけなのかもしれない。ようやく、彼女はそこに思い当たった。だからこそ、よく知りもしないシリルとラシルについてきている。

「母親がいるの?」

 ただ、母親には会ってみたいとセナは思った。

 センターのドクターは父親のような人であったが、セナは母親のような人にはあったことがなかった。だから、本物の母親には会ってみたかった。それは「どうしても」という感情よりも、興味を惹かれる程度の淡い感情であった。

「エイプリルのキャンプには、私の母親がいて。その人と、シリルとラシルが兄妹だから家族なの?」

 セナは、シリルにそう尋ねてみた。

 この答えはセナの知識を総動員した、もっとも正解に近いだろう答えであった。だが、誰も「その通りだ」とは言ってくれなかった。もっと、従兄弟とか遠い親戚という意味合いなのだろうかと思った。

「セナ、母親は」

「知っている。猫の獣人の雌よね」

 きっとシリルは、セナが何も知らないと思っているに違いないと考えただ。だが、セナも獣がどうやって増えていくのかは知っている。シリルは、目を泳がせた。

 シリルとセナの間に割って入ったのは、ラシルである。

「おい、そんなことを気にするよりも少しは気配に気を使え。もうすぐ、犬ころたちの巣なんだぜ。俺たち、猫の天敵だ」

 言葉と裏腹に、ラシルは笑っている。

 エイプリルも何も言い返さないということは、これは単なる冗談なのだろう。

「……なにか変よ」

 エイプリルが足を止める。

 くん、と鼻をならして顔をしかめた。

「こっちが風上だから、はっきりとした臭いが分からないけど……。でも、いつもならここまで近づけば誰かが迎えにやってくるのに」

 どうやら、エイプリルは嗅覚では嗅ぎ取れない異変を感じ取ったらしい。

 シリルが、顔を上げる。

「俺が先に行って様子を見てくる」

「お前は、さっき人間を殺しただろ。俺が行く」

 ラシルが、シリルを制した。

 だが、シリルは首を振った。

「俺のほうが、兄貴より小柄だから身を隠しやすい。何かあったら、互いに逃げて北で合流するぞ」

 シリルは木に上がると、あっという間に身を隠してしまった。

 風でかさりと木の葉が揺れる瞬間に、木の枝と木の枝の間を飛び移っているらしい。セナには、もうシリルがどこにいるのか分からなかった。

「身を隠すんだったら、やっぱりシリルのほうが上か」

 ラシルは、木の上を眺めながら呟く。

「私たちは、どうする?」

 エイプリルは、ラシルに尋ねる。ラシルは「待ってるんだよ」と答えた。

「キャンプで何が起こっているかわからないからな。悪いが、シリルが帰りしだい俺達は尻尾をまくって逃げさせてもらうぜ。そもそも猫なんてもんは、戦うに向いてない」

 ラシルは、そう言いきった。

 だが、シリルは人間を三人も屠ったばかりである。

 戦うに向いていないのは、過小評価が過ぎるようにセナには思われた。ラシルは、セナの視線に気がついた。

「シリルがさっきの人間を殺せたのは、奇襲だったからだ。俺たち猫は瞬発力がある。人間のなんかよりもよっぽど身軽だが、スタミナがまるでない。だから、人間が多くいるところなんかは危険だ。二三人だったら、なんとかなるが……」

 もしもエイプリルのキャンプに何かがあるとしたら――人間やゾンビの群れに教われたりしていたらシリルではまず敵わないであろう。それでも、気配を殺して近づくのはシリルが一番上手い。上手くいけば、何事もなく情報だけ仕入れて帰ってくるだろう。そうラシルは説明した。

「無事かな……」

 セナは、思った。

 シリルのことではなくて、自分の母親のことであった。

「木に登れ、あるいは伏せろ」

 ラシルが、静かにそう言った。

 セナの耳にも、遠くから足音が聞こえた。足音の数が多い。たぶん、十人以上だ。ラシルは木の上に上ろうとしたが、足音が近すぎると判断したのかラシルは地に伏した。セナもエイプリルもラシルと共に、前面に伏せる。

 誰かが、ラシルたちの近くを通る。

 ぷん、と嗅ぎなれ始めた臭いを感じた。

 血の臭いだ。

 時間の経ったものではなくて、新鮮な血の臭いだ。セナは、そっと顔を上げてみた。セナたちが隠れた場所から、そう離れてない場所を誰かが歩いていた。

 集団だ。

 血の臭いは、彼らから香ってきている。

「セナ、抑えていろ」

 ラシルは、セナにエイプリルの手を握らせた。

 エイプリルの手は、震えていた。

 セナよりも鼻が良いエイプリルは、きっと血が誰のものかわかっているのだろう。そして、足音が人間だとも分かっている。エイプリルの手をセナに触れさせたのは、きっと彼女が無茶をすればセナが死ぬといいたかったのだろう。

 この場で、一番未熟なのはセナだ。

 人間との混戦になったら、一番最初に死ぬ。

 ラシルは、セナの命を助けたかったわけではないだろう。ただ、ここでエイプリルを暴走させればシリルとの合流が難しくなると判断したのだ。シリルは隠れるのが上手いが、今は消耗している。逃げ隠れて、無事に合流できるかどうか怪しいとラシルは考えたのだ。

 やがて、足音は遠くへと消えていった。

 エイプリルは、肩を震わせていた。

 セナの手は、今やエイプリルにがっしりと握られていた。まるで、エイプリルが望んで首輪を付けられたがっているかのようだった。

「仲間の血の臭いがした……キャンプが襲われたわ」

「ああ。あの様子だと、まだここらに人間もいるかもな」

 危険だ、とラシルは言った。

 風の流れが、変わった。どうしてさっきまで気がつかなかったのか、と思うほどに濃厚な血の臭いがした。人間のものではなく、獣人のものだ。

「なんでよっ」

 エイプリルは、ぎゅっとセナの手を握る。

 握られた手が、壊れそうな強さであった。

 エイプリルは、今すぐにでも人間を殺しに生きたそうな顔をしていた。だが、人間達は銃を持っているだろう。スタミナのある犬の彼女でも、銃を持った人間を一人では対処できないはずだ。ましてや、エイプリルは猫ではない。シリルのような奇襲戦は、苦手なはずである。そうなると、彼女にはもう勝ち目がなかった。

「……キャンプの様子を確認するわ。自分の目で見ないと納得が出来ない」

「わかった」

 エイプリルは、セナの手を離した。

 行く気だ、とセナは思った。

 たとえ一人でも、エイプリルは自分のキャンプがどうなったのかを確認しに行くであろう。ラシルは、それを止めない。なぜならば、エイプリルの行動はラシルとシリルの命に関係ないからだ。

「おい、やばいぞ」

 そんなとき、シリルが木の上から降ってきた。

 誰もシリルの気配は感じ取っていなかったから、そろいもそろって驚くしかなかった。それほどまでに、シリルは気配を完全に殺していた。

「エイプリルのキャンプが、人間に襲撃されて……」

 シリルは、黙った。

 おそらく、エイプリルの目に溜まったものを見たからであろう。エイプリルは無言で、シリルの胸を叩いた。その力は、弱かった。

 だが、セナには八つ当たりのように思われた。

 エイプリルは自分が全てなくしてしまったことを、シリルに八つ当たりしている。無言で、涙を流しながら。

 本当は、大声で泣きたいのだろう。

 だが、そんなことをすればいるかもしれない人間に勘付かれる。だから、エイプリルは無言で泣いたのだ。

「さっきの町で三人も死んだのに……仲間のために犠牲になったのに。どうして、守ろうとした仲間が死ぬのよ」

 セナには、まだエイプリルの嘆きの本当の意味も分からなかった。

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