第4話兄の殺意

 シリルの姿を見たラシルとエイプリルは、ほっとしたように姿を現す。シリルのほうが、エイプリルの登場に驚いたほどであった。

 だが、すぐにシリルは破顔し、エイプリルを抱きしめた。

 シリルは返り血に汚れていたが、エイプリルは気にしていなかった。その返り血は、人間のものであると臭いで分かっていたからだ。

 俺の時とは大違いだな、とラシルは心の中でだけ悪態をついた。心の中でだけにとどめたのは、言えばエイプリルから罵声を浴びせられると知っていたからだ。

 エイプリルにとってシリルは、救世主のような存在である。数年前、エイプリルは子供を孕んだ。結果的に子供は死んでしまったが、出産を手伝ったのはシリルであった。

 シリルは出産について、かなり詳しい知識を持っている。

 獣人の着床率はかなり低く、出産の経験やそれに立ち会った経験をするものは稀だ。シリルは両性体で自身の出産は帝王切開ではあったが、出産の経験があった。

 だから、エイプリルにとってシリルは救世主だ。

 一方、ラシルはエイプリルが出産で苦しんでいる最中にツナ缶を盗んでいったので今でも恨まれている。

「犬の臭いがするとは思っていたけど、あんただったか。悪い――仲間は助けられなかった」

「……そう」

 エイプリルは、シリルから離れた。

 ラシルは、ようやくセナが自分の後ろにいることに気がついた。彼女の顔色は、明らかに悪い。銃弾の音を聞いたせいかとも思ったが、セナの視線はシリルのほうに向っていた。セナは、シリルに怯えていた。

「セナ、おまえも怪我はないよな」

 シリルがセナに手を伸ばそうとするが、セナはその手を恐れた。身を硬くするセナに、シリルはようやく自分の姿に気がついたようであった。その鈍感さに、ラシルはあきれる。シリルは血まみれだ。何も知らない子供が見れば、怯える姿である。

「顔ぐらい拭ってこい」

 ラシルは、シリルにそう言った。

 シリルは自分の袖口で、慎重に自分の顔を拭っていた。もうそのシャツは使い物にならないだろうが、もとより人間の返り血をべったりと吸っていたシャツである。未練はないであろう。

 ラシルは、外の様子を見た。

 人間が、四人転がっていた。首を引っかかれ頭を潰されているということは、シリルが人間達の喉を切り裂いた後に頭を潰したのであろう。シリルがあれほど返り血を浴びたのは、道具を使わずに爪で人間の喉を切り裂いたからだ。人間たちは銃で抵抗したようだったが、シリルには当たらなかったようである。

 人間は、獣人を恐れる。

 獣人は、素手で人間を殺せる能力を授かっているからである。

 それは、他ならぬ人間達からのギフトだ。

 そして、今のご時世では死んでもゾンビにならないというのも人間が獣人を「自分達とは違う」と分けている原因の一つなのであろう。

 ラシルもシリル、エイプリルもその現実を見つめながら大人になった。子供のときでさ、人間と獣人は違うと知っていた。

 だが、セナは違う。

 おそらくではあるが、セナは他の獣人と接したことがない。センターで人間達に管理されており、必要がないからと言う理由で他の獣人とも接触させていなかったのだろう。

 言葉を喋れるということは、最低限の教育は人間から受けているのだろう。だが、おそらく彼女が持ち合わせている常識は人間の常識なのである。

 両性体のシリルが母親であることを、セナは受け入れられないのではないか。

 ラシルは、そう思った。

 そもそも「セナがシリルの実子である」という証拠がない。シリルは、センターに獣人はセナしかいなかった。だから、彼女こそが自分の実子だと信じている。その願いが届いていたとしても、セナは真実を受け入れてくれるだろうか。

 知るのと受け入れるのとでは、大きく違う。

 セナは、親としてのシリルを拒絶するかもしれない。

 奪還なんてやはりするべきではなかった、とラシルは考える。そして、これ以上シリルが子供に情を移す前に、セナを殺すべきだと考えた。セナがいなくなってしまえば、彼女に真実を打ち明ける必要はない。

「兄貴、何を睨んでるんだ?」

 顔だけは綺麗に拭ったシリルが、ラシルをいぶかしげに見ていた。

「なんでもねぇ。というか、お前はさっき……」

 兄さん、と昔みたいに自分のことを呼んだではないか。

 そう追求しようとしたが、シリルはするりとラシルの隣をすり抜けた。そして、後ろに居たセナに服を渡す。

「着替えろ。たぶん、サイズはあってる」

 本当はすぐにでもこの場を移動したいが、いつまでもセナを全裸でいさせるわけにもいかない。ラシルはそう切り替えて、エイプリルと共に見張りに立った。

 周囲に人の臭いはしないが、弾薬の臭いで鼻が馬鹿になっている可能性も捨てきれない。音はしないので安全だとは思うのだが、襲撃してきた人間に仲間がいる可能性は大いにあった。

「あの子は、なに?」

 声を潜めるように、エイプリルが尋ねてきた。

 ラシルはシリルから言うべきだと思ったが、シリルはセナに付きっ切りでエイプリルに事情を話す暇はしばらくないだろう。ラシルは、セナには聞こえないように慎重に声を落とした。

「シリルの子供……かもしれない」

「えっ」

 エイプリルは、言葉を失った。

 彼女は、シリルの事情を理解している。

「じゃあ、あなたたちはセンターを襲ったの?」

「たちじゃない、シリルだけだ」

 協力しなければあきらめると思って、ラシルはほとんど手を貸さなかった。それなのに、シリルは執念でセナを連れてきた。

「じゃあ、この人間はセンターのかしら?」

「それはないだろ。門を破って、ゾンビを進入させたんだ。センターのなかの人間は、もれなく動く死体になってるはずだ」

 もっとも、その案はシリルのものであった。

 だが、今になってみると確かにセンターからの追っ手がないというのは都合がいい。もしも他の人間がセンターの様子を確かめに来ても、ゾンビたちが勝手に始末してくれることだろう。

「それと、言っておくがシリルの子供っていう確証はないぞ。一緒に持ち出すはずの書類やデータが、ゾンビをセンターに入れた騒ぎのせいで持ち出せなかった」

 思った以上に、それが痛手だった。

 シリルは、十代のころのセンターに差し出された。そこで三度の妊娠をしたらしいが、無事に育っているのは一人だけだと聞いたらしい。

 ラシルは、その話を信じてはいた。

 信じていたからこそ、奇異に思った。まず、獣人の着床率は低い。両性体となると、さらに下がる。それが三度も妊娠をしたとなると、ほとんど信じられないような確立である。しかも、シリルが孕んだのは猫の子ではない。

 犬の子だ。

 本物の猫と犬では、子供ができない。

 所属する生物のグループが違うからだ。

 だが、獣人は犬や猫ではある前に人間だ。獣人同士の交配は犬であろうが猫であろうが、子供ができる確立が低くても可能なのである。人間は、それを異種交配と呼んでいる。

 異種交配の子は、つまりは雑種だ。

 多くの場合、異種交配で生まれた子は生殖能力を持たない。体も弱く、成人まで育つことは稀である。

 つまるところ、種の繁栄において異種交配で生まれた子はあまり意味をなさないのだ。

 シリルの妊娠の件は、人間の技術でと説明がつく。

 だが、その子供は一体何に使われていたというのだ。

 セナに聞いても分からないだろう。セナは、着る者も与えられない生活を当たり前だと受け入れてしまっていた。自分に行なわれていることや自分が何故ここにいるのかを問うようなこともなかったであろうし、答えるような人間もいなかっただろう。

 事情が分からないというのが、一番危険である。

 そしてなにより、セナの拒絶はシリルの心を砕く可能性さえあった。

 だからこそ、ラシルはセナを殺すことに決めた。

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