第3話エイプリル

「で、どうしてこいつは裸だったんだ?」

 ラシルは、セナのことをいぶかしむように見た。ラシルの見立てでは、セナは十歳前後ということだった。シリルは、なぜか自信をもってセナを十歳と言い放った。

 だが、セナは自分の年齢を知らなかった。ドクターたちは知っていただろうが、もうドクターたちはいない。

 センターのなかで、きっと皆は死んでしまった。

 シリルたちが、連れださなければセナだって死んでいただろう。今でもシリルは、どうしてセナをセンターから連れ出したのかを教えてくれない。ラシルは口にしようとしたこともあったが、シリルに睨まれたために辞めてしまった。

 ラシルはセナの家族らしいが、ラシルはセナに厳しい視線を向けるばかりだった。だが、ときよりその視線に値踏みをするようなものも混ざった。

 セナは、ラシルが自分の本当の父親なのではないだろうかと考えた。

 ドクターは父のような存在であったが、彼は遺伝上の父親ではなかった。セナは、自分の両親について何も知らない。

 知らされていなかった。

 そんなセナを連れて、ラシルたちは町へとやってきていた。

 町といっても、大都市というほどの規模ではない。そんな大都市に近づけば、人間であろうとも獣人であろうともたちまちゾンビの餌食になってしまう。

 だから、シリルたちが選んだのは小さな町であった。

 生きている人も獣人もいない、空っぽの町だった。ゾンビだけがうろうろと歩いていて、シリルたちは死人たちから身を隠すように移動していた。

 ラシルもシリルも、死人から身を隠す術を知っていた。死人はいつも音に反応してやってくる。だから、ラシルもシリルも気配を殺して進む。

彼らがセナを連れてきたのは、もう何十年も前に廃業したバーであった。まるで子供が積み木で作ったような単純な形の店構えであったが、店内に入ると木目調の落ち着いた雰囲気であった。だが、埃を被った今となったお洒落な雰囲気は台無しになってしまっている。

 よく見ればゾンビたちもいたが、ここにいる彼らはすべて頭を打ち抜かれていて二度と動かないように止めを刺されていた。

 ゾンビは頭を破壊すれば、動きが止まる。

 セナが、シリルたちと行動を共にして最初に覚えたことであった。

「セナ。今から、お前の着られる服を探してくる。俺が戻ってくるまで、ラシルとここで待て。まだ、あらされていない店があればいいんだけどな……」

 シリルはそういって、店から出て行った。

 残されたセナは、ラシルのほうをじっと見た。セナの視線に気がついたラシルは、居心地悪そうにセナから一歩はなれた。それが、なんとなくズルく思えてセナはラシルに詰め寄った。

「……何か用なのか?」

 ラシルは、とても面倒くさそうにセナに尋ねた。

 今までの態度から、セナはラシルによく思われていないことは分かっていた。シリルのほうはというと、セナに何も話してくれない。だから、セナはラシルに聞くしかなかった。

「あなた、私の父親?」

 セナの一言に、ラシルは固まった。

 たっぷり五秒間は、そのままの姿勢を保っていた。やがて、大きくため息をついた。

「そうか……そういうふうに考えたか」

 ラシルは、セナに近づいた。

 セナとラシルに、似ているところはほとんどなかった。どんよりと曇った緑色の瞳が似ているけれども、あとはぜんぜん似ていない。

セナの短い髪は真っ黒で、耳や尻尾も真っ暗だ。しかも、セナの尻尾は細くはない。もっさりしていて、毛並みも柔らかくはなかった。

 一方で、ラシルの髪の色は淡い。

シリルよりも淡くって、そのせいでラシルはシリルよりもずっと年上に見えた。なんというか、頭皮に白髪が混ざっているふうに見えてしまうのだ。

「俺は、お前の父親じゃない。それは、確かだ」

「そう……なら、どうしてセンターから私を連れ出したの?」

 じわっと、セナの瞳に涙が滲んだ。

 センターの職員やドクターのことが、懐かしくなった。

 たぶん、彼らの全てが死人となっていることだろう。

「泣くな。……お前は、センターにいたかったのか?」

 ラシルの問いかけに、セナは首を振った。

「わからない。あそこしか、知らない。あそこしか、ないと思ってから」

 セナは、本当に知らなかったのだ。

 センターの外があることを。

 それが、死人と獣人と人間が入り混じる世界だなんて全く知らなかったのだ。だからこそ、セナは外の世界を夢想することもなかった。それなのに、連れ出された。

「あなたが、父親じゃないならどうして……私を外に連れ出したの?」

「お前は、俺の親戚かもしれない」

「かもなの?」

 ラシルは頷く。

「証拠が何一つない」

「ドクターが知ってる」

「死んだだろうが、ドクターは」

 ラシルは、再びため息をつく。

「まったく、お前は疫病神だよ」

「やくびょ?」

 聞いたことがない言葉だった。

 少なくともセンターの人々は使ったことはない。センターの人々はセナを「はいぶりっと」と呼んだ。異種交配でできた子は、全てが「はいぶりっと」になるらしい。

「お前のせいで不幸になるってことだ」

 ラシルは、疫病神の意味をそう説明してくれた。

「……私のせいで、ドクターや職員は死んだの?」

 センターにあふれかえる、死人たち。

 そして、彼らに噛まれた人々。

 すべてが、セナの脳内に蘇った。

「ああ、そうだ。お前がいなければ、センターの人間をシリルは殺さなかった。死人どもにセンターのドクターやら職員やらが食われたのは、全部お前のせいなんだよ」

 真実だ、と思った。

 セナは、ラシルの言葉こそが嘘も偽りもない信実だと感じた。

 センターの人間が死んだのは、全部自分のせいだ。ならば、償わなければならない。

 どうやって、とセナは自身に問いかける。

 セナには、自分の命しか持っていなかった。

 ならば、これで償わなければ。

「おい……何をやってやがる」

 ラシルは、セナの手を見て驚いた。

セナの手には、割れた酒のボトルがあった。元々がバーであった店にいるのだから、そんなものは珍しくもない。ただ問題なのは、幼い少女がそれを持っているということだった。

「なにって、私は償いをする。だって、こうじゃなきゃいけない」

 割れたボトルが、セナの首元に近づく。

「私は、これしか持ってない」

 セナは、持っていたボトルで自分の喉を切ろうとした。だが、セナが予想していた痛みは何時まで経っても訪れなかった。セナは、目を開く。

 そこにあったのは、自分の血ではなかった。

 セナの代わりに傷ついたのは、ラシルだ。ラシルは血をだらだらと流しながら、セナが自分の喉に突きつけようとしている瓶を阻んでいた。

「だから、なにをやってやがる!!」

 ラシルは、セナが掴んでいた瓶を奪い取って店の外へと投げた。ぱりん、とガラス瓶が割れる軽い音が響き渡る。静かな街に、その音はよく響いた。ラシルは舌打ちをしながら、ポケットに詰め込んでいたくしゃくしゃのハンカチを掌に巻きつける。

「だって……私のせいで」

 センターの全員が、セナのせいで死んだ。

 ならば、ここで自分が死ぬべきなのだろう。

「くそ。変なところで思い切りがいいのは、母親譲りか」

 ラシルは自分の傷を確認してから、店の外を見つめる。

店の外には、ゆらりと歩くゾンビたちがいた。ラシルの怒鳴り声や瓶が割れる音で、集まってきたらしい。

「し……知っているの?」 

 死人たちを見ながら、セナはラシルに尋ねた。

「何言ってやがる」

「私の母親を知っているの?」

 セナの問いかけに、ラシルは目を点にした。

 その表情が、セナには答えのように見えた。

「その人とあなたは親族だから、あなたは私の家族なの?」

「今は、そんな話をしている暇はないだろうが!」

 ラシルは、セナを抱きかかえて店の裏口へと向った。だが、ドアを開けた瞬間に死人たちの姿が見えた。うつろな目と不安定な足取りで、ゆっくりとセナたちに近づいている。ざくり、ざくりと渇いた土を踏みしめる足音が嫌に大きく聞こえた。

「ちくしょう!はさまれた!!」

 裏口のドアを乱暴に閉めたラシルは、表の入り口から店に入ってくる死人たちに舌打ちした。入ってくる死人の数は、五人。群れと言うほどの多さではないが、狭い室内でやり過ごせる人数ではない。

「絶対に喋るな」

 ラシルは、セナに厳命した。

 セナは、頷いた。

 頷くしかなかった。

 ラシルは、セナを空中に放り投げた。すぐにセナの眼前には、太い梁が現れる。セナは本能的に爪を出して、その梁に張り付いた。

「よっと」

 ラシルは、セナが張り付いた梁に飛び乗った。梁はわずかにきしんだが、大人のラシルが乗ったのに折れる気配はなかった。

「おとなしくしてろ。やつらが、外に興味を示すまでは息を殺してろ」

 ラシルは、セナに手を貸してやった。

 セナは、梁の上にちゃんと座ることが出来た。

 だが、あいかわらず下には死人たちがいた。彼らは、セナたちに手の伸ばして食おうとしていた。

「どうして、私を囮にして逃げないの?」

 セナには、とても不思議だった。

 この場にはシリルもおらず、セナを囮にすればラシルは簡単に逃げることが出来る。なのに、ラシルはセナと一緒に店に篭城することを選んだ。

「この状態で会話とは恐れ入る。……お前には可能性がある。だから、生かしてやる」

 可能性とは、家族である可能性ということだろうかとセナは考える。

 家族である可能性とは、何なのか。

 セナには、分からなかった。あまりにセナが、何も知らないからなのだろか。静かにしろといったのに、ラシルがセナに尋ねた。

「どうして、餓鬼が出来るか知ってるか?」

「ドクターたちから聞いた。雄と雌が二匹いれば、獣人は増えるって。母親は雌だから、あたなの家族は雌なの?」

 シリルは、父親ではない。

 ラシルの家族の雌の誰かが、セナの母親の可能性がある。

 だから、ラシルたちはセナをセンターから連れ出したのだ。

「お前、獣人のことを何にも知らないんじゃないのか?いや、知らされてなかったのか」

 ラシルは、セナをじっと見ていた。

「……もう黙れ」

 ラシルは、口を閉ざした。

 下の死人たちは、まだ自分達を求めて手を伸ばし続けていた。

 セナは、口を閉ざす。

 だが、何時まで経っても死人たちはどこにも行かなかった。自分達は音をたてていないのに、ここに食料があることを学習してしまっているようであった。それでも、ラシルは音をたてずに待った。セナも、それに習った。

 待つのは、得意だった。

 センターでは、いつも待っていた。

 ドクターやセンターの職員がくることをいつも待っていて、半日以上も待つこともあった。だから、待つのは得意だ。

 ラシルは、セナの手をぎゅっと掴んだ。

 梁から、突き落とされるとセナは思った。

 だが、ラシルはセナを抱き寄せただけであった。

 どん、大きな音がした。

 誰かが店のドアを叩いたらしい。

 死人たちはその大きな音に釣られるように、店の外へと出て行く。店の外からは、ぐしゃっという何かが潰される音がした。おそらくは、死人の頭部であろう。ぐしゃ、ぐしゃ、という音は何度も続いて、ようやく静かになった。

 そして、店に入ってきたのは女の獣人であった。人間としての部分は黒人の特徴を持っていたが太い尻尾や臭いから、セナは彼女が犬の獣人だと察した。

 彼女は鼻をならして、上を向いた。

 ラシルは「やっぱり」なと言う顔をした。犬の嗅覚から逃げられるとは、ラシルも思っていなかったのである。

「ラシル。今度縄張りに入ってきたら、殺し合いになるって言ったよね」

 犬の獣人は、吼えるようにラシルにそう言った。

「そっちが勝手に決めた縄張りだ。犬同士なら話は別だが、猫にまで「縄張りに入るな」なんていわないでくれよ。ああ、ついでに手を貸してくれ。こいつが一人で降りられるのかが分からないんだ」

 犬の獣人は、いぶかしんだ。

 そして、シリルの外套をまとったセナを見つけて目を丸くする。

「あ……あんた、とうとう外道に落ちたのね」

 犬の獣人は、低く吼えた。

 その様子を見たラシルは、慌てて否定する。

「違う!おまえ、人を小児性愛者とでも思っているんだろうが違うからな!!」

「裸の女の子を連れまわしてる!」

「話は、シリルから聞け。今は、こいつを降ろすぞ」

 ラシルは、ほとんどセナを投げるような乱暴な手つきで放り投げた。獣人は、そんなセナを地上で捕まえる。

「大丈夫? 怖かったでしょ」

 獣人は、ラシルに向けていた警戒心を一瞬で引っ込めた。今目の前にあるのは、とても優しそうな女性の顔だ。年齢は、シリルと同じぐらいだろうか。すでに大人ではあるが、まだまだ若い。

「怖くない。ラシルも家族なの」

 セナがそういうと、獣人は再びラシルを睨んだ。

「言っておくが、俺の餓鬼じゃないからな」

 ラシルは、音もなく梁から飛び降りたところであった。

「だったら、なんで連れ回しているのよ。しかも、裸で」

「だから、理由はシリルから聞け。どうせ、お前らは俺の言うことなんて聞きやしないだろ。それより、外だ」

 しきりにラシルは、外の状況を見たがった。おそらくは死人のことを恐れてのことだろう、とセナには分かった。

「大丈夫よ」

 と獣人の女は言った。

「ここら辺に、ゾンビはいないわ。全部、潰したから」

「一人でか?」

 ラシルの言葉に「まさか」と女の獣人は答える。

「私を入れて四人よ。私たちのグループも人数が増えて、食料が足りなくなってきてる。犬は、あなたたちみたいに狩りには向かない人間が多いからね」

 女の唇には、自然に笑みがこぼれていた。

 それを見たセナは、ほっとする。最初こそ彼女はラシルに対して敵意を見せたが、完全に嫌っているわけではないらしい。

「あら、ようやく安心してくれたのね。よかった。私はエイプリル。シリルの友人よ」

 エイプリルは、セナにそう言った。

 ラシルの友人と言わないあたり、彼との仲はあまりよろしくはないらしい。

「私は……セナ」

 エイプリルは、セナの頭をかき混ぜるように撫でた。それが、彼女の最上の愛情表現のようであった。

「ところで、シリルはどうしたのよ」

「ああ、こいつの服を探しに……エイプリル、隠れろ!!」

 ラシルが叫び、セナを連れて素早くバーカウンターに引っ込んだ。セナには確認できなかったが、恐らくはエイプリルもどこかに身を隠したことであろう。

 銃声が聞こえた。

 センターで聞いたものともまた違う、隙間のない銃声。次々と響く轟音に耳が壊れそうになり、思わずセナは耳を塞いだ。

「おい!」

 ラシルは、叫んだ。

「どうして、人間が居るんだ!!」

「知らないよ!」

 エイプリルの返事は短かった。

 犬の彼女は、セナよりも銃声に苦しんでいるのかもしれない。あるいは隠れる場所が悪くて弾を打ち込まれたのか。

 銃声が止んだ。

 何が起きたのか確かめたくて、セナはバーカウンターから乗り出そうとしたがラシルに止められる。

「行くな。蜂の巣にされるぞ」

「でも、人ならば話が通じるわ。ゾンビじゃないって、話せば分かってもらえる」

 ラシルは、セナに首を振る。

「ダメだ。人間は、ゾンビ以上に危険だ。あいつらは、こっちを人間だと思ってない。まぁ、人間じゃないんだが……大方、エイプリルたちがここらの死人共を一掃したから、俺達を殺しておこぼれに預かろうとしたんだろう」

 だったら、勝手に取っていけばいいのにとセナは思う。

 なぜ、殺してから奪う必要があるのだろうか。

「人間は、敵だ。ゾンビも敵だが、奴らは動くものに反応して食っているだけ。人間は、敵意をもって俺達を殺しにかかってくる」

 ラシルは、そう言った。

 セナには、理解することができなかった。

「私たちと人間は、似ているのに?」

 同じ言葉を喋り、同じようなものを食べる。

 それなのに、人間は獣人を殺すというのは解せない。

 セナは、本気でそう思った。

 再び、銃声が聞こえた。

 だが、今度はセナたちにいる店に打ち込まれたものではなかった。

 さっきとは違い、銃声が鳴り響く音も不規則であった。しばらくすると、その銃声も止む。

「兄さん、セナ!!どこにいるんだ!!」

 知っている声が響いた。

 セナとラシル、そして店の隅に隠れていたエイプリルも顔を出す。

 そこにいたのは、返り血を浴びたシリルであった。

 人間たちの血なのだろう、とこの世界のことを少しだけ学んだセナは思った。

 獣人と人間は姿は似ているのに、相容れないものであったのだ。

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