第12話
居住区の通用口に登録証をかざす。ブローディアの周囲に雪の結晶が大小いくつかあしらわれたブランシュ家の家紋が浮かび上がり、通用門の扉が開く。彼女が通りすぎるとひとりでに門が閉じる。門を抜けると大きな庭園が広がり、その中央には大きな噴水。そこから放射状に伸びる道の先に各邸宅が続いている。庭園の装飾や彫像は各家が趣向をこらし、統一感がありながらもその道の先に続く各家を示す道しるべとなっている。そんな庭園の上空を飛びながら、正門正面の大通りから一つ左手側に伸びる道へと向かう。通用門は彼女の利用する道とは対角線上にあるため、最短距離を進みたい彼女は噴水の上を通過することが常であった。
「ん? あれは……?」
いつも通り上空を通り過ぎようとすると、噴水の周りをぐるぐると回る金糸が視界に止まる。彼女は静かに噴水の傍に降り立つと、彼に声をかけた。
「なにしてらっしゃるんですか?」
ぐるぐると回っていた足は彼女の前で止まった。
「ああ、貴方でしたか。知り合いに無理を言ってここに入れてもらったのはいいのですが、どこを通れば行きたい場所へ行けるのかわからなくて」
先ほど職員室で見たあの底知れない声と声色で彼はそういった。
「目印を聞かなかったんですか?」
この庭園は慣れているものでも時折迷子が出る。慣れぬ場所に行くときは目印となる、庭園装飾を確認するのがここでの常識だった。
「それが、こんな場所だとは知らなくて、大丈夫だと」
その言葉になる程。と一人納得する。
「そうですか。その様子だと正式にその家のお客様と言うわけでもないでしょうから今日のところは帰られては?」
慣れぬ様子のその姿に今だとばかりに、仕返しをする。
「そんなこと言わず、案内してくれたりしませんか?」
「しませんよ。それでは」
そういってミュゲは飛び上がり、彼に背を向け帰路を進む。
しばらく進んだ頃であろうか。邸宅の周囲に広がる森の入り口で、地上に降りる。この森は元来屋敷の防衛のために作られたものであり、飛び越えられぬようになっている。それゆえ、一度地上に降りるのはいつものことだったのだが。
「何の用ですか?」
「いえ、そういえば貴方、ブランシュのお嬢さんだったなーと」
「知ってて私と話したんじゃないんですか?」
「あははは」
白々しい笑いで話を濁す。彼女はそんな彼に小さくため息をつき、再び向きなおる。
「うちに何か用ですか?」
「いえ、貴方にご迷惑をおかけしたお詫びをしようかと」
「お詫びねぇ……そんなこと微塵も思っていないくせに、気を使わなくていいですよ」
「これは、辛辣ですね」
「そんなことありません。目的のわからない者をこの先に行かせるわけには行かないだけです」
彼女は飄々とした彼に言い放つ。
「では、私がご当主殿に用事があるといったら?」
「……本当かどうかわかりませんから。そもそもあそこでこの道と分からなかった時点で、お父様が招いたわけではないでしょうし」
「これは手厳しい」
そういって、彼は少し考え込む動作をする。
「ああ、ではこれは?」
そういって彼が取り出したのは通用門の使用許可証。そこには二人の通うスコラの校長のサインが記されていた。
「よく見せていただけますか。……『アルゼア・ノワールの研修先交渉のため通用門の使用を下記日付での一時使用を許可する』……なるほど。でも、私たちの家が目的であることとは書いて……」
そこまで言葉を紡いで彼女は書状の右下に記入された簡易紋を見やる。簡易紋は臨時通行許可証などに記入されるもので、使用者と発行者双方の魔力を通行書に通すことで、噴水広場から道案内がなされるようになっている。貴族間では知り合いへの紹介状を書くときに使用され、紹介状の持ち主の身分を保証する役目を担っている。
「あの、何か? これを見せれば校長は通れると……」
「確かにこの状態でも通用門自体は通れますが……この使い方、聞かなかったんですか?」
ミュゲは至極真っ当な質問を投げかける。確かに、この通用門の使用許可証には校長の魔力を感じるものの、目の前のアルゼアの魔力は少しも感じられなかった。これでは道に迷うはずなのだ。
「使い方、ですか?」
目の前の彼は人形のように整った顔を傾け、分からないという表情をする。
「知らないんですか……この手の臨時通行証は発行者と使用者両方の魔力を流さないと、ちゃんと作動しないんですよ。迷ってた時点でまさか、とは思いましたが……」
常識ですよ。と彼女は言外に伝えていた。
「そうなんですね、見てわかる通り私、黒翼出身なので」
そういって、捉えどころのない笑顔でミュゲの手元にある通行証を指す。
「人が気を使って、見ないふりをしたんですから、自分でお言いにならなくてもいいんですよ」
一言一言丁寧に、力強くそう言うも彼はどこ吹く風とばかりの表情をしている。
「はぁ……まあいいです。そう言うわけですから、ここは自力で抜けてください。それがあれば抜けられますよ。それじゃ」
そう言ってミュゲは道から逸れ、茂みの中に入って行った。
「もうちょっと教えて……って、行ったのか。この様子じゃ追えなさそうだし。確か彼女は魔力を流せばいいとか言っていたか?」
アルゼアは少しだけ通行証に魔力を通す。右手から左手へ、柔らかな風が表面を撫でた。それはわずかに水色の光を放つと彼の目の前に、雪がしんしんと降ってくる。
「……雪? それもここだけ……」
彼はそれを不自然に思いながらも手を伸ばす。手のひらに落ちては溶ける。ごく普通の代わり映えのない雪であった。
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