第9話
一日中好奇の目に晒されたミュゲは放課後にはすっかり疲れ切っていた。
「今日はもう帰るんでしょ?」
「流石に図書室で勉強って訳にはいかないからね……」
力なく机に伏せったままミュゲは答える。彼女らは連れ立って校門を目指していた。校舎の外、校門までの道中。彼女は悪意を感じ咄嗟に薄氷の盾を出現させる。
「ケッオ!!」
校舎の入口から呪文を叫ぶ声が聞こえる。彼女にまっすぐ向けられたそれは氷の盾とぶつかり爆発する。あたりは黒煙に包まれ、ミュゲの腕の中には隣に立っていたライラが抱かれていた。魔法を放った彼は黒煙を満足げに眺め、彼女の半径2mを囲むように球体に変化させていく。念には念を。と言わんばかりに、もう一度魔法を放った。再び爆発音が鳴り響く。ミュゲは黒煙の球体の中、盾をそれに沿うように球体に変化させ、巻き込まれたライラの頭を抱え込むように強く抱きしめた。
(ここで私が手を出せば、相手の思うまま。それにライラに怪我をさせるかも知れない……数少ない友達をこんな所で失う訳にはいかない)
冷気に慣れない友人の体温の低下を感じた彼女は、ライラの背中に温かな蒸気を発生させる。
「大丈夫? ごめんね、巻き込んで」
ミュゲの言葉にライラは「大丈夫」と短く答えた。
「それにしても、先生遅いね」
彼女はそう言いながら、ライラを自身の翼で覆う。
「多分、誰も知らせてないんじゃないかな……。生徒会長様を慕ってる人は多いし、噂ではファンクラブもあるとか」
「なにそれ」
防御壁と化してる球体の表面温度が下がる。繰り返し起こり続ける爆発は、止む気配がない。
「うーん……」
「ミュゲ?」
「増えた」
「増えた?」
「コントロールし切れてないから、流石にこれは危ないなぁ……」
「誰かが攻撃に加わったって事?」
「うん。どうしよう」
「反撃は……できない、よね」
「出来れば楽なんだけどね」
ライラの言葉に苦笑いで返す。どうしたものかと頭を捻っていると球体の外から声が聞こえた。
「そこで何してるの?」
黒煙に寄ってたかって魔法をぶつける彼らに声がかかる。
「ちょっと虫がいたので、驚いてしまいまして……」
最初にミュゲに魔法を放った彼はニヤニヤと口角を上げながらそう言った。
「そうそう。センセーが心配するような事はなぁんにもありませんよ」
彼らは口々に揶揄する様に言う。一年生である事を示す胸元のバッジを見、彼女は深いため息を吐く。
「それに、あのブランシュって大した事ないんだな!」
「本人は何も出来ないのに、家の権威を傘に着てるんだろ」
「違いない」
そう言って笑い合う。彼らの言葉に野次馬たちは距離を取り始める。他人への憶測と悪意はいつだって快楽を与える。彼らはそこで言葉を止めなかった。止められなかったと言うべきか。周囲の様子に気づかない彼らは魔法を打ちながら話す。
「あんな大きな翼、実は作り物なんじゃないの?」
「あり得る。翼の色だって脱色してるとか」
「白すぎだよな」
彼らは相変わらず嗤いながら言葉を交わし合う。
「あなた達、自分が何を言ってるかわかってるの?!」
慎重に中にいる生徒の様子を伺っていた彼女は声を荒げる。
「何のことですかー? それとも、先生その翼染めすぎてそんな色になっちゃったとか?」
囲んでいた生徒の1人がそう言葉を話す。
「ヴァンルール」
黒煙の中から、一言。ミュゲは無感情に言い放った。彼女らを覆っていた薄氷は雪のようにキラキラと舞い、黒煙を花へと変えながら春の暖かな風を吹き上げる。友人を庇っていた翼を大きく広げ、勢いそのままに飛んできた炎が花弁へと変わり辺りに舞い落ちる。
彼女はこのまま飽きるのを待つか、先生が手を出すのを待つつもりだった。所が彼らは言ってはいけない言葉を紡いだ。ミュゲ個人を馬鹿にするなら、まだ耐えられよう。しかし、王の署名の入った登録証を持つ彼女にとって、翼に対する妄言だけは許せなかった。兄譲りの絶対零度の視線。彼女に悪意を向けていた彼らの足元に氷が張る。
「ミュゲ、落ち着いて。手を出しちゃダメ」
「わかってるよ、大丈夫」
ミュゲは深く谷底を吹く風のように冷たくそう言い放った。
「貴殿らがどこの誰かは知らないが、先程の言葉撤回する気はないか?」
あたりを一瞥し、少しばかり空間を広く取り、薄氷の壁を展開させる。
「なんのことだよ」
「自分の発した言葉の責任も取れない癖に、あのような事を言ったのか」
彼女は胸元のブローチから彼らの声を再生させる。
「映像は、先生が持ってるだろうし、ここにいる人たちに聞けばわかる話だと思うけど」
彼女の言葉に野次馬をしていた生徒たちは視線を逸らす。ミュゲは軽くため息を吐き、彼らの胸元を見る。学年を示すバッジは最低学年である事を示していた。ここで適当な対処をしなければ、他の生徒も助長しかねない。
「先生、然るべき対処を取りますがよろしいですね」
それは、確認ではなく宣言だった。
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