第6話

「ベロニカ、お茶を用意してくれるか」

ウィスクムは食堂室の壁際に控えていたベロニカに声をかける。彼女が部屋から下がると、ウィスクムは他の使用人を下がらせ、話を始める。

「何故現実的ではないか、という話だったね」

真剣な顔をして話し始める彼に彼女は姿勢を正す。

「はい」

「まず、前提としてこの国では産業の殆どと日常のあらゆる場面で魔法を使用しているのは理解しているね?」

彼の問いかけにミュゲはその表情を崩さず、頷く。

「では教員をはじめ公務員と我々貴族院のメンバーは皆、魔力登録が義務化されているのは知っているか?」

「私たちが登録しているのは知っていましたが、先生方も?」

「そう。魔力は家系や翼で大きな分類はあるものの、殆どの場合個々の識別が可能なんだ。そこで、公務員はその身元の証明や配属先検討の為に登録される。勿論、民間人の登録も推奨されている」

「そう言えば、この間の試験では信用証明にもできるって……」

「その通り。登録証明書にも種類があってね、基本的には翼の色と対応した用紙が使われる。そこに、魔力の仔細が書かれ、最後に蝋印が押される」

「でも、私の証明書には蝋印なんて押されていなかったはずだけど……」

 ミュゲは上着のポケットからカード型の証明書を取り出す。これでもかと言うぐらい白いカードにブランシュの家系を示す水色の文字が並び、最後に銀のインクでで国王の署名、所々に青の入った水色のインクで、ミルフォル・ブランシュのサインが書き連ねてある。この署名に使われるインクは大陸北部で開発された魔力に反応して固有色で筆記できる特殊なインクだ。それ故に国の要職に就く家の当主のサインがなされたそれは、社会的地位を示す事となる。一方で民間人の任意登録に使用される蝋印は登録証明と登録機関を示す物に過ぎず、その立場を保障する物ではない。しかし、使用される蝋によって登録機関を特定できるため、どの機関を利用したかでその人の信用判断がなされることもある。

 彼女はその説明を兄から受けながら、父親と国王のサインを指で繰り返しなぞっていた。

「変化はしないよ。改変できないように保存系の魔法がかけられている」

「へぇ……。それと今回の話とどう繋がるの?」

「まず第一に。買い物をそれで済ませる事が多い。この普及率は知っているね」

「えっと……」

ミュゲは必死に記憶を辿る。その様子を見たウィスクムは深いため息をつく。

「……市井の様子には気を配れと」

「はい……すみません」

素直な彼女の姿にそれ以上説教を続ける気にもなれず、彼は話を続ける。

「国民の8割が登録済み、そのうち9割が直接の通貨のやりとりではなく登録証による支払いを利用している」

「でも、それだと通貨で支払いをする場合にはわからないんじゃ」

「その通り。でも、そこに一つ見落としがあるんだ」

「失礼します」

ベロニカがティーポットから紅茶をカップに注ぎ、二人の前に置く。ベロニカは二人の前に並べたティーセットに保温魔法をかけ下がる

ミュゲは彼女にお礼を言い、ウィスクムは話を続ける。

「まず、長い間生活できるような金額を銀行から引き出すには身分証が必要だ。基本的に登録証の提示が求められる。登録証だと偽装できないからね。そして、その記録は銀行に残される。次に、銀行にお金を残したままで下働きをして日銭を稼ぐと言う方法もあるが……」

「先生は少し灰色の混じった黄色い翼……翼の染色・脱色は重罪……」

「そう。灰混じりは優秀だが、自分の力を制御できず幼い頃になくなってしまうことも多い。あのお年まで健康に生きて教壇に立てると言うのはほとんど例がない。捜索書が出回れば日銭を稼ぐことすら難しくなるだろう」

「なら……」

「その先は我々の管轄外だ。深入りは避けたほうがいい。どうしてもきになるなら、研修試験を早々に終わらせて研修先にすればいい。自慢じゃないがブランシュ家はあらゆる方面に顔が効く」

少し誇らしげにそう言うウィスクムにミュゲは笑いが溢れる。

「あはは。なんだか今日のお兄様は優しいですね。いつもはゴミを見るような目をしてらっしゃるのに」

「こうして話せるのもあと少しかもしれないからな」

兄のその言葉にミュゲは眉尻を下げ俯く。

「見習いのこと聞かれたんですか……」

「ああ」

紅茶の香りを楽しむようにカップを顔の近くへ運びながら、無表情にそう答える。

「お兄様、もし……」

「だめだ」

「でも……」

「そんなに死にたいなら、今すぐ家を出て行けばいいだろう。登録証の支払い機能もすぐに止めてやる。その翼ならどこでだって雇ってくれるぞ」

彼の言葉にミュゲの前に置かれたカップに薄氷が張る。

「……すみませんでした」

「わかればいい。それを飲んだら部屋に戻れ。私は彼女に話がある」

そう言って、ウィスクムはベロニカを一瞥する。

「はい」

ミュゲは表面の氷ですっかり冷たくなった紅茶を飲み干すと部屋を出た。扉の横に立つベロニカと目が合う。彼女は気まずそうに微笑むと、早く行くようにと促した。

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