第九話 “格”
星を眺めながら、背中にモモの高い体温を感じる。
焚き火を挟んで向かい側には、相変わらず上半身裸のサーロンドがその自重しない存在感を放っていた。
数時間にわたってペースを落とさずに驚異的な速度で走り続けたサーロンドだが、呼吸は一切乱れることはなかったし、汗ひとつかいていない。
むしろ疲労の色が見えるのはモモの方だった。
久しぶりに走り回って、疲れてしまったらしい。
サーロンドの走力はおそらく魔法による強化の恩恵なのだろうが、もし俺の知る〈身体強化〉の魔法なら、その魔力量は驚異的の一言につきる。
というのは、身体強化の魔法は非常に効率が悪い。
身体強化は絶え間なく魔力を消費し続けなくては、その性質上魔法を維持できないからだ。
一度事象を起こして終わりの魔法とは訳が違う。
それなりに長く使い続けてきた俺でも、連続で使用できるのは二十分が限界だろう。
しかし、サーロンドは数時間に渡ってそれを使用していたはずだ。
これほどの差は、熟練して消費魔力が少なくなったと言うだけでは、ちょっと説明がつかない。
であれば、やはり魔力量からして違うのだろうと言う予想は、比較的容易に立つ。
「サーロンドさん」
「む?」
俺はその魔力量の秘密を知りたくて、何やら首飾りをいじくっているサーロンドに話しかけた。
実は、首飾りの効果もおおよそ検討がついている。
サーロンドが走っている最中、どんなに集中しても魔法の行使を感じられなかった。
だからこそ、首飾りの効果は分かりやすかった。
「サーロンドさんはすごいですね。全力疾走のモモと並走して、もうこんなところまで来れました。きっと明日には将軍のいるカルゼナス要塞に着くでしょう」
「む、そうだな。いや大したものというのはお前のタピタスにも言えることだぞ。ここまで見せた走りは見事なものだった! 見事だ、モモ!」
「クワッ!」
サーロンドは機嫌よさげに快活な笑い声を上げながら、膝をバシバシと叩きモモを褒める。
良い調子だ。
機嫌が良い分には話も聞き出しやすい。
これから聞くのはもしかしたら秘密の技術かもしれないからな。
そんな俺の胸中を知ってか知らずか、モモもやたらとサーロンドに愛想が良い。
寝食を共にした俺は、それがモモからの援護であると直感する。
あざとい、だがナイスだ相棒。
俺は相棒の援護に感謝しつつ、サーロンドの機嫌を損ねないように注意しながら話を続けた。
「いやー、僕も身体強化の魔法を会得はしていますが、まだまだサーロンドさんのようには使いこなせていません。魔力量が足りていないのか、長時間の行使ができないのです。サーロンドさんがそこまで長時間身体強化を使えるのは……何かコツがあるんですか?」
「————」
その質問をした途端、サーロンドの動きが止まった。
何かを思案する様に腕を組み、次いでこちらの顔をまじまじと見てくる。
⋯⋯何か失言でもあっただろうか。さすがに直球すぎたか。訪ねるにしても、他にやり方があったのではないか。
そんな不安が湧いてくるのに十分な時間サーロンドは俺を見て————何か意外なことを口にした。
「ダルトン、お前が何を言っているのかよく分からん」
「えっ?」
よく分からない?
聞き方が悪かったか?
慎重になるあまり、質問が要領を得ないものになっていたのだろうか?
そんな考えが顔に出ていたのかは分からないが、サーロンドは首を振ってから言葉を続け、余計に俺を混乱させる。
「魔法に関する質問だったのだろう? 魔力がどうのと言うのは。だが私には答えられん。魔法なぞ使った試しがないからな」
「——魔法が、使えない?」
いや、それはおかしい。
それでは、純粋な身体能力だけでここまでの長距離をモモと走ったということになってしまうではないか。
それは人間には不可能に思える。
では今の発言はどういう意味なのか。
「だがな、ダルトン。魔力より優れた力を私は手にしている。それはお前にも備わっているものだ」
「魔力より優れた力、ですか?」
魔力より優れた力。
普通は誰にも相手にされない言葉であり、俺もサーロンド以外の誰かが言ったのであれば一笑に付したに違いない。
だが、それを言ったのが【必滅】で相当な信頼を寄せているであろうサーロンドであれば話は変わってくる。
現に、彼の圧倒的戦闘力は森の一件で体感している。
そんな彼が、魔法に頼ることなくあれだけの破壊を行ったのだとしたら————
俺はサーロンドの言葉を聞き逃すまいと神経を研ぎ澄まし、彼の言葉を待った。
俺とサーロンドが黙ったことで、辺りに耳に痛いくらいの静寂が満ちる。
時々焚き火から聞こえるパチパチと言う音さえも、俺にその秘密を聞かせまいとする、必死の妨害にも思えてくる。
そうして、俺に聞く準備ができたと思ったのか、サーロンドはゆっくりと頷き、低い声で厳かに告げた。
「——筋力だ」
「————」
「筋力なんだ、ダルトン。我々生きとし生けるものすべてに、天が与えた至上の力! 最強の鎧! 究極の剣!」
「————」
「それがこの鋼の肉体! この拳! この筋肉であり、筋力なのだ!」
————何を言っているのか分からない。
サーロンドは拳を振り上げ、胸板を叩き、謎のポーズを決めながら何やら熱く語っている。
俺が訳も分からずに固まっていると、肩をがっしと掴まれた。
いつの間にか背中にいたモモは離れ、「あ、寝てるんでパス」とでも言いたげな分かりやすいポーズで丸まっていた。
本当に調子のいいやつだな、お前は。
「————で、あるからだ、ダルトン! お前の悩みは分かった! つまり、私ほどの筋肉が欲しいと! そういうことでいいんだな、ダルトン!」
「いやぁちょ、あの、魔法の話は——」
「——知らん! 魔法なぞはレイガスかロザリーにでも聞くが良い! それよりも、だ——嬉しいぞダルトン! その若さで筋肉が何たるか、この私に教えて欲しいなどと言い出すとは、殊勝な心がけだ! お前には見所がある!!」
サーロンドはこちらの手を掴むと、任せろとばかりにブンブンと振る。
……サーロンドの眼は本気だ。
ここでいい加減な答えをしても、彼は絶対に納得しないだろう。
だからこそ、俺はサーロンドの眼を正面から見据え————
「お断りいたします!」
————思い切り頭を下げた。
・
・
・
「やれやれ、こんなところで遠慮しても仕方がないだろう」
「ハハハ、いや、恐れ多くてですね……」
サーロンドは始めこそキョトンとしていたが、俺が恐縮して辞退したと思ったらしく、カラカラと笑って許してくれた。
恐縮とかではないのだが、ここは乗っておく。
その後も他愛ない会話をしながら、サーロンドと親睦を深める。
今の所【必滅】の知り合いは彼しかいないし、ここでなるべく仲を深めておきたかった。
会話の一環で、首飾りの効果についても聞いてみた。
にわかには信じられない話だが、サーロンドが魔法を使っていないのだとすると、俺の推理がはずれたことになる。
彼には魔法隠蔽の必要がない。
そう思っての質問だったが、サーロンドは一瞬何かを口走りそうになって、慌てて口をつぐんだ。
どうやら秘密らしい。
そこで、俺はもう一つの気になっていた質問をぶつける。
「サーロンドさんはどうやってゴブリンメイジの魔法に抵抗したんですか? 魔力操作は出来ないんですよね?」
実はずっと気になっていたことだ。
サーロンドは魔法が使えない。
つまり、自身の魔力で魔法の威力を減殺することができないのだ。
一瞬、もしかしたら首飾りの効果はそれかとも思ったが、その考えはサーロンドの言葉で否定された。
「私は“格を纏って”いる。ゴブリンごときの攻撃で私は傷つかん」
「“格を纏う”ですか?」
聞きなれない言葉に、俺は聞き返した。
魔力を纏うとはよく聞く言葉だ。だが、サーロンドが言ったのは“格”だ。魔力ではない。
記憶をたどっても、“格を纏う”という言葉には、やはり聞き覚えが————いや、あった。
それは、まだ俺が父さんに戦い方や必要な知識を教わっていた頃、父さんがポツリと言った言葉に、それはあったように思う。
確か——「格を纏うって言葉があってだな……いや、ほとんど関わりもないな。なんでもない」——ダメだ。まったく解説してない。
だが、説明を省いたのも無理はないのか。
現に書記官として働いていても聞いたことはなかったのだし、普通はほとんど聞くことなく一生を終えるのかもしれない。
「サーロンドさん、“格を纏う”とはなんですか?」
「ん? むむむ、どう説明したものか、こう言ったことはレイガスに任せてきたからな……」
またレイガスという人名が出た。
どうやらサーロンドはそのレイガスという人物に大分頼っている部分があるらしい。
「簡単に言うとな……鎧……だ、おそらくな?」
「鎧、ですか」
「ああ……いや剣にもなるとか……まあいい。なんでも、多くの死闘の先に会得するものらしいな。ふむ、確かそんなことを言っていたはずだ」
「レイガスさんがですか?」
「レイガスがだ」
どうやらレイガスという人物に聞いた方が早そうだ。
今の説明では、それがどのようなものなのかが全く分からない。
おそらくは、それは身を守り、また敵を討ち滅ぼす何かなのだろう。
だが、それでは魔力と変わらない気がする。
俺が頭を働かせてその“格”に思いを馳せていると、サーロンドが頭をガリガリと搔き、スッと立ち上がった。
「ふむ、面倒だ! ダルトン! 剣を抜き私を刺してみろ!」
「はい?!!」
サーロンドは俺の返事を待たずに俺の腰から剣をひったくり、それを俺に握らせる。
「よし、私を殺すつもりでやってみろ!」
「無茶言わないでください!」
——訳が分からない!
目の前の男が何をさせたいのか、一ミリだって理解できなかった。
この男は何を言っているのだろうか。
刺す? 殺す気で? 本気で言っているのか?!
混乱の境地にある俺に業を煮やしたのか、サーロンドは剣を握らされたままの俺の手を上から掴んで、自身の腹部に十分な加速をつけてそれを突き立てた。
「ああっ!!————あ、あ? え?」
「これが“格”なのだろう。レイガスが言うにはな」
————それは不思議な光景だった。
人を貫通するのに十分な加速をつけて突き立てられた俺の愛剣は、サーロンドの皮一枚すらも貫通できず、まるでそっと添えたかのようにそこにあった。
未だにサーロンドはグイグイと力を入れて愛剣を自らのはらわたに招こうとしているが、相変わらず刃は皮膚に堰き止められて、まるで侵入を果たせていない。
これまで一緒に戦ってきた愛剣が、突然なまくらにでもなったみたいに。
「最も、私の鋼の肉体は“格”なぞ無くとも刃を通さんがな!」
「すごい……これが“格”ですか……」
「ゴブリンどもの攻撃も私には通らん! 正面から潰してやったのだ!」
サーロンドはワハハと笑ってから、俺の手を解放して、また元の位置に腰を下ろした。
その後もレイガスやロザリー、リーナやニナーニャなどの隊員の話があったが、俺の頭の中は今見た光景でいっぱいで、よく聞いていなかった。
————夜は更けて行く。
・
・
・
朝、モモに埋もれるようにして体温の低下を防いでいた俺を、爆音と地響きが叩き起こす。
「づぁああっ!!!! 何だぁ?!!!」
「おお、ダルトン、そろそろ行くぞ!」
「サーロンドさん? ——これは、何をしているんですか?!」
「朝の運動だ! お前もやるか?」
「やりませんよ!!」
朝一番に俺を迎えてくれたのは、クレーターを背景にしてニカッといい顔で笑う破壊の権化だった。
これが毎朝の体操なのであれば、一体要塞の周辺はどんな地形になっているのか分からない。
一隊員がこれだ。ひょっとしたら草木の無い死んだ大地が広がっていたりして…………。
「さて、そろそろ行くぞ、ダルトン!」
「はあ、了解です……」
いつの瞬間からだったか、将軍のいるカルゼナス要塞に行くのを非常に不安に思っている自分を自覚したのは。
前任者が心が折れて云々を聞かされた時から胸の内にあった不安が、いつの間にか頭をもたげて来ていた。
「クエッ」
「おう、行こうか、モモ。やれやれ、どんな職場が待っているのやら」
俺は今日中に到着するであろう新たな職場に思いを馳せ、重い体をモモに運んでもらいながらカルゼナス要塞に出発した。
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