第八話 赤髪の強者
————それは、突然のことだった。
調査隊は森に入ってから二回目の戦闘を終え、ホブゴブリンやゴブリンメイジの魔石を回収していた。
「これだけ数が多くなって来たって事は、巣が近いんですかね?」
先の戦いは少し危なっかしかった。
ゴブリンメイジとは初めて戦ったが、風の魔法は対処が難しい。
輪郭がはっきりしないし、見えづらい。
俺は魔力を感じられるからまだ対処しやすいが、そうでない隊員たちも魔法を躱していたのは、流石と言うべきだろう。
ゴブリンメイジ程度の魔法では大した速度でもなかったが、それでも数に囲まれたらと思うとゾッとする。
「ええ、恐らくは——」
俺の言葉に、ラクスウェルは今の進路方向のやや右を指差す。
「——彼方にありますな」
ラクスウェルは自信に満ちた声で、そう言った。
すごいな、方向まで分かるのか。
何か手がかりでもあるんだろうか。
「因みに、根拠を伺っても?」
「長年の経験とでも申しましょうか、勘の良いダルトン殿であれば数年とかからず分かるようになるでしょう」
そう言ってラクスウェルはクッと口角を上げ、男臭い笑みを浮かべてこちらを見る。
それがまるで「分かるか?」とでも言うようで、俺はラクスウェルが指差す先から何か感じるものがないかと、神経を研ぎ澄ませて気配の察知に集中する。
————!?!?
と、後方から猛スピードで接近する何かの気配を感じた。
————速い?!
「みなさ——!」
俺が調査隊に警告を発するより早く、その『何か』は木々を薙ぎ倒しながら轟音と共にその姿を現わした。
「————————」
場を静寂が支配する。
ラクスウェルをはじめとした調査隊の面々も、体を硬直させてその『何か』に視線を向ける。
それは何も、驚愕から固まった訳ではない。
俺たちの前に現れたのは、赤髪の、屈強な上半身を露わにした男だ。
武器も防具もそれらしい物は身に付けていない。
その為か、首に下げた黄色い光沢を放つ首飾りにやたらに目が行く。
⋯⋯⋯⋯いや、違う。この違和感は、魔道具だろう。
だが、問題はその男が上半身裸だとか、得体が知れないだとかそんな事じゃない。
ラクスウェルやモモですら硬直しているのは、ひとえに男の放つ威圧感からだ。
背中をじわりと嫌な汗がにじみ出る。
————不味い、勝てない。
それがさっきから頭の中を支配し、本能が警鐘を鳴らし続けている。
逃げろ。あれは格が違う。違い過ぎる。
男は首をコキコキと鳴らしながら俺たちを見回す。
その顔にはこれと言った表情は無く、男の考えが全く読めない。
こいつは敵なのか、味方なのか。
いや、どちらかでなくても良い。敵でさえなければ。
ーー敵だったら?
終わりだ。
俺がどんなに頑張っても、数秒と保つ気がしない。
状況を打破する、何のビジョンも浮かばない。
まるで、怖いものから目を逸らすみたいに、俺の頭はまるで働いてはくれない。
————一撃。
何の武器もない男だが、恐らくあの拳の一撃でも受ければ、それで“俺”という存在は呆気なく終わるだろう。
——だが、やるしかない。
最悪一人でも逃げられれば、情報を街に持ち帰れる。
なら、モモにはここから誰かを乗せて逃げてもらうしか無い。戦闘には参加させる訳にはいかない。
いざとなったら、俺が——
そんな考えを、ラクスウェルに視線で伝えようとすると、男が首に当てた腕を、だらんと下げた。
その男の動きに、場の空気が緊張する。
そして男は————
「ふむ、下級書記官のダルトンはいるか?」
————男は、そんなことを言った。
は!?
俺?!
何故だ!?
こんな男に狙われる覚えなんて全く無いっ!
調査隊の隊員たちが驚いた顔をして俺を見る。
その眼には、知り合いか。知り合いであってくれという思いがありありと浮かんでいる。
そんな隊員たちの反応に、男の視線が俺に固定された。
すぐに隊員たちが「しまった」と言う表情を浮かべて、慌てて俺から視線を逸らすが、もう遅い。
もう、誤魔化せない。
ラクスウェルが舌打ちをしたのは、隊員の迂闊な行動への苛立ちからか。
「お、——俺がダルトンだ。 お前は、何者だ?」
————喉がひくつく。
イガイガした痛みと共に、俺はパサパサの口内のありもしない唾を嚥下した。
今あるありったけの魔力を捉え、神経を研ぎ澄ます。
大丈夫、いつでも始められる⋯⋯。
俺はいつあの拳が振るわれてもいいように、全神経を研ぎ澄まし、男に向ける。
と————
「おお! お前がダルトンか! 探したぞ!」
————男はそう言って破顔し、快活に笑い出した。
「⋯⋯へ?」
訳が、分からない⋯⋯。
先程までの威圧感は何処へやら、男は上機嫌に、見た目に似合わぬ少年のような声と表情で笑っている。
「——ふぅ⋯⋯ああ、質問に答えていなかったな」
一通り笑って満足したのか、男は腰のポーチから何かを取り出して、こちらに突き出すようにそれを掲げた。
「——なっ!」
それを見て、調査隊がざわめく。
ラクスウェルすらも、口を開けて目を見開いている。
それもそうだろう。
王権を示す王冠に、その周りを六本の剣が守るデザインのそれは、間違いなく将軍の証に他ならない。
「私はラギヴァ⋯⋯将軍の【必滅】が一員、サーロンドだ! 将軍の命でそこの書記官を迎えに来た! さぁ、ダルトン! 今すぐにカルゼナス要塞へと向かうぞ!!」
サーロンド?
【必滅】の隊員が“権証”を持っているのか?
だとしたら、ラギヴァ将軍も危ういことをする。
“権証”は失くしましたでは済まないし、紛失などしようものなら、家族もろとも打ち首ものだ。
⋯⋯それだけ、このサーロンドと名乗った男が信用されていると言うことなのだろうか。
「お、お待ち下さい! 私は今調査——」
「知っている!事務院に行って居場所を聞いたのだからな! 金なら【必滅】が立て替えた!!」
行動が早いなっ!
確かにそう言う事ならば、俺が調査隊に同行する必要は無くなる。
だが、それで良いのだろうか。
ここで俺とモモが抜けるのは戦力的に痛いと思うのは、自惚れでは無いはずだ。
元々事務院の好意で、荷物になりかねない書記官を同行させてくれた。
調査隊のみんなと最後までやり切れないのは————
「勘違いしていないか? ダルトン」
「え?」
気が付けば、サーロンドが目の前にいた。
俺を見下ろしながら、やれやれとでも言うようにため息を吐くと、ラクスウェルへと視線を向ける。
「私が調査の必要をなくしてやろう。巣は何処にある?」
「⋯⋯恐らくは、彼方に——」
ラクスウェルは戸惑った表情をしながらも、先程指差した方向を今一度指し示した。
「なるほど、確かにわらわらとうごめく矮小な気配があるな——ではダルトン! 少し待っていろ!」
そう言うや否や、サーロンドは来た時と同様に、生い茂る樹々をまるで小枝の様にへし折り、払いのけながらラクスウェルの示した方向へと突っ込んで行った。
それがあんまり速いから、一瞬消えたと錯覚してしまう。
俺が全力で駆けてもあれ程の速度は出せない。
あまつさえ、それを障害物の多い森の中で出すなど、まず不可能だ。
「あれが【必滅】のサーロンド⋯⋯化け物だな」
ラクスウェルがそう呟くのが聞こえたタイミングで、森の奥から凄まじい音と振動が伝わり、それもすぐに止んだ。
きっとあそこには、抵抗すら許さない圧倒的破壊が撒き散らされたことだろう。
「——待たせたな、ダルトン。終わったぞ!」
音と振動が止んで十秒しただろうか。
サーロンドが先程と変わらぬ姿で戻って来る。
「終わった」とは、つまりそう言うこと。
サーロンドは単身で、夥しいほどのゴブリンの大群を蹴散らし、かすり傷も無しに帰って来たと言うことだ。
こんなことを聞いても誰も信じはしないだろうが、現にサーロンドを目の当たりにした俺には、彼はそれが出来ることを疑いようも無く理解できた。
「調査隊の面々は巣がどうなったのかを確認し報告してくれ給え。では——行くぞ、ダルトン!」
「ぇ、は、はい! 行こう、モモ!」
俺はラクスウェル達に頭を下げてから、こちらを見ないでズンズンと進んで行くサーロンドの背中を、急いで追いかける。
————こうして、俺の脅威度調査への同行は突然終わりを告げたのであった。
・
・
・
サーロンドによって作られた、樹々の薙ぎ倒されて出来た道を歩いて行く。
いざ道ができると、あれだけ歩いた森が非常に短く感じる。
俺たちはあっさりと森を抜け、調査隊の馬車まで戻ってきた。
隊員たちは既にサーロンドと会ったのだろう。
こちらを見ても特に慌てる様子はない。
森の中にいて気がつかなかったが、もう大分日が傾いている。
今からどんなに急いでも、野宿は避けられないだろう。
だが、そんなことより気になることがある。
「何をキョロキョロしているのだ、ダルトン。野糞ならそこらでしてこい」
「違います! そうではなくて、サーロンドさんの馬が見当たらないようですが……」
そうなのだ。
さっきから馬車の周りを見渡しているのだが、サーロンドの乗ってきた馬も、タピタスも見当たらないのだ。
俺は疑問を視線に乗せてサーロンドへ向けた。
と————
「ああ、それは当然だな。私は走ってきたのだ」
「————」
————サーロンドは、とんでもないことを言った。
「——は!? え、走って?!」
ありえない!
サーロンドが【必滅】の隊員である以上、出発地点は将軍のいるカイロ領のカルゼナス要塞となるはずだ。
あそこから徒歩で来た?!
馬もタピタスも使わないで、徒歩で?!
一体この男はいつ出発したんだ!
俺の補佐官任命はかなり急に決まったはずだ。
でなければ、あんな急に、一方的に宣告されるはずは無い。
つまり、ずっと前に出発していた線は消える訳で……。
——いや、今考えるべきはそんな過去のことでは無い。
「あの、まさかこのまま徒歩で行くつもりではありませんよね?」
そう、問題はこれからどうするのか、だ。
流石にこれから何週間も歩き続けるだけの食料は無いし、サーロンドに馬を買うだけの金も、俺は持っていない。
サーロンド自身も、あまり資金を持っているようには思えない。
腰のポーチは、“権証”がすっぽり入っていて、硬貨を何枚も入れるだけの空きはなさそうだ。
(いや、【必滅】が立て替えてくれるのか?)
俺がそんなことを考えてウンウン唸っていると、それを不思議そうに見ていたサーロンドが口を開く。
「何を唸っているんだ? それよりダルトン、そろそろ行くぞ! 私について来い!」
「——へ?」
ジャッという音に視線を向けると、サーロンドはもうこちらに背を向けて走り出していた。
俺が一瞬それに惚けてしまったのは、そのあまりの速さ故か。
森で見せたようなあの疾走ほどではないにしても、サーロンドの背中は見る間に小さくなって行く。
ひょっとして、サーロンドも身体強化の魔法の使い手なのか?
もしそうであれば、是非とも話をしてみたい。
というのも、ヨシミ村でも、あるいは街でも、自分以外に身体強化を使う者を見たことがなかったからだ。
「——っと、モモっ!」
「クエッ!!」
ハッとした俺は慌ててモモに飛び乗り、サーロンドにやや遅れながも、その背中を追いかけた。
————結局、サーロンドが足を止めたのは辺りが薄暗くなり始め、ちらほらと星の見え始めた頃のことだった。
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