第7話 脅威度調査 その二


 森の中はひんやりとして、薄暗い。

 風もやや湿り気を帯びていて、なんとなく体に絡みつくような感覚を覚える。

 小さい頃は、この森独特の雰囲気がなんだか怪物の口のように思えて、入ったら二度と戻れないんじゃないかと、父と一緒でさえ入るのを怖がった。

 父や村の猟師たちがいつも森に入って獲物を獲ってくることは知ってはいた。

 しかし、それでも自分が入るときだけ、森が正体を現して自分をさらってしまうような、何か悪いことが起こるような、そんな不安と恐怖があった。


 それをあっさり叩き壊したのは父さんだった。


 父さんは森に入るのを嫌がる俺を無理やり抱いて、自分の狩りに連れ出した。

 いつもは父さんが俺を泣かしたら飛んできて父さんの頭を叩き、俺を胸に抱いて撫でてくれた母も、このときは心配そうな顔をしながらも見送るだけだった。

 当時の俺は、それを裏切られた気持ちで見ていたと思う。

 なんで助けてくれないのかと。

 何か起こったら止めなかった母さんの所為だと。


 結局俺は森の中でも泣きに泣いた。

 うるさくすれば父さんも引き返すという考えがあったと思う。


 しかし、父さんはそんなことに構うことなく、気配も殺さないで森の中へずんずんと進んでいった。

 結果、当然ながら魔物と遭遇。

 いや、遭遇どころじゃない。あれは囲まれていた。包囲されていた。

 森で厄介な存在だと夕食時にくどいほど教えられた、狼型の魔物“ディアルフ”。

 縄張り意識の非常に強いヤツらの縄張りを、父さんは踏み抜いた訳だ。

 冷静になれば、元冒険者であり、森にも日頃から慣れている父さんがそんなミスを犯すはずがないことに気がついただろう。

 だが当時の俺は、そら見たことか、自分たちはここで死んじゃうんだと喚いていた。


 そんな俺を担いだまま、父さんは「よく見ておけよ」とだけ言った。

 結果としては、襲い来るディアルフを父さんは苦もなく切り飛ばし、辺りが血の臭いで満たされる頃にはディアルフたちも逃げ出した。

 当時の俺には、ディアルフという絶望を、片手に俺を抱いたまま切り捨てる父の顔はあまりにも英雄的で、ひどく憧れたのを覚えている。

 あれがわざと縄張りに入った為に起こったことだと知り、父さんへの好感度が地に落ちた後でさえ、あの時の父のようになりたいとの思いは脳裏に深く刻み込まれた。

 もっとも、母さんはそこまで危険なことをするとは知らなかったらしく、当分父さんと口をきかない日々が続いたが……。


 それからだ、俺が森に得体の知れないような恐怖心を持たなくなったのも。

 森に入ると、いつもあの時の父さんを思い出し、つい考えにふけってしまう……。


(手紙を出しとかないとな……将軍付きの補佐官になったなんて知ったら、驚くだろうな、特に母さんは……あ、あと剣についても文句を……)


「クワッ」

「——っと、油断は禁物だよな、悪い」


 モモの声で現実に戻る。

 最近思ったんだが、モモは結構賢かったりするんじゃなかろうか。

 今も声を落として注意をしてくれたし……いや、あんまり賢くはないだろう。

 どんな賢さをもってすれば鉄扉を蹴破ろうと思えるだろうか。

 俺は忘れんぞ、モモ。


 などとモモへの怒りをチリチリと思い出していると、調査隊の後ろ、弓を持ったあの二人の後ろに追いついた。


「おっ、追いついたな」

「おや、ダルトン様。やや遅れたようですが、何かありましたか?」

「ヘイレムさん、いや、少し考え事をですね……」

「ダルトン様であれば問題ないかとは思いますが、くれぐれも油断なきようお気を付け下さい。油断したせいで敵に接近される無様を晒した者もおりますので」

「何年前の話だ、そりゃ俺が新米の頃の話だろうが」

「特に誰とも言ってませんが……心当たりがあるのですか、ナルクル」

「お前ぇ……いつかケリつけんぞ、このやろう」

「ま、まあまあ……」


 この二人は仲が悪いのか……?

 でも不思議と険悪な空気は感じない……これも一種のスキンシップか?


「ところで何だが、ダルトンさま。そのタピタスは連れてきてへーきなんですかねぇ?」

「それは私も気になっていました。今はおとなしい様ですが、また勝手に走り回られますと……」


 二人は言い辛そうにモモに視線を向ける。

 いや、二人だけじゃない。

 前を行く隊員からも、耳をそばだてている気配を感じる。

 ここは気をつけて返答すべきかもしれないな。


「いや、実はモモは戦闘もこなせまして。ゴブリンに襲われた時も一匹蹴り殺してるんですよ。本来はおとなしい奴なんですが、あの時は少しはしゃいじゃっただけなんです。ほら、今は静かにしているでしょ?」

「「…………」」


 行けたか?

 どうせ今更置いて行こうったって無理だ。根を張るに決まっている。

 そうして調査の足を引っ張って、回復して来た信頼をまた失うなんて俺はごめんだ。

 それから、単純に戦力としてモモは頼りになると思う。

 さっきから隣を歩いているモモだが、ほとんど足音を立てていない。

 これほど足音を立てないで、もし戦闘時に見せた速さで駆けることができるとしたら、これは敵にすれば脅威だろう。


 以上の理由から、俺はモモを連れて行きたかった。


「まあ、ダルトンさまが言うんなら……なあ」

「ええ、嘘と言う事はないでしょう」


 よかった、これが信頼! 出発した頃を思えば何と言う進歩か!

 少し泣きそうになった……。


「お前たち、ダルトン殿と話してる間にも警戒は怠っていないだろうな」

「もちろんです」

「え、お、おう、もちろんだ、抜かりはねぇ……」

「……ナルクル、帰ったら飯抜きだ」

「ええっ!」

「ナルクル……まさか本当に警戒していなかったとは……」


 肩を落とすナルクルと、やれやれと首を振るヘイレム。

 と、ラクスウェルが止まり、集団を停止させる。


「…………ここからは気を引き締めろ」


 ラクスウェルがそう指示を出す。

 なるほど、確かに先程から違和感を感じてはいたが、今その違和感の正体が分かった。

 木の実がほとんどないのだ。

 森に入る頃には見かけた木の実が、いつの間にか、森の奥に進むほど見かけなくなっている。

 つまり、ここからは本格的にゴブリンの活動範囲に入ることになるのだろう。


 ゴブリンの巣の規模は、何度か戦ってみれば大まかに把握できる。

 ヤツらの巣にある程度近づき、ホブゴブリンやゴブリンメイジに遭遇すれば、その時点で中規模の可能性は高い。

 もしも前衛と後衛という、考えられた編成で行動していた場合は、これは王がいる可能性が高い。

 大体三回ほど戦って、その情報を持ち帰るのが調査隊の主な役割であり、その記録を基に冒険者への依頼が出されることになる。


 今のところ、森の入り口で一戦あったが、あれは巣からは離れた場所だ。

 ホブゴブリンやゴブリンメイジは巣の近くにいる。

 よってあれはカウントされない。


(……早速だな、これは)


 ラクスウェルの指示から二十歩と行かずに、右から近づいてくる気配を感じた。


「みなさん、右から来ます」

「弓を引け! 前衛は前へ出ろ!」


 ラクスウェルたちが剣を構えてヘイレムたちの射線を空けながら前へ出る。

 向こうもこちらに気づいたらしい。

 接近速度が上がり、木々の間から、その姿が見えてきた。

 先頭に一際ガタイの良い、岩を削った物をツタで巻いて作られたような盾に木製の棍棒を持ったホブゴブリン二頭が走ってくる。

 他のゴブリンとは走る速さが段違いだ。

 後ろを大分引き離している。


「ホブゴブリンだ!」

「ゴブリン八! 内、メイジなし!」

「来るぞ!」

「射てっ‼︎」


 ヘイレムたち弓を持った三人が一斉に矢を放つ。

 そのどれもが左の、一番速いホブゴブリンの顔を狙ったものだが、二本は盾で、一本は腕で防がれてしまう。

 そして遂にホブゴブリンが雄叫びを上げながら前衛の間合いに接近した。

 が、ホブゴブリンの棍棒が振り下ろされる前に、モモが動く。


「クエーーーッ‼︎」

「ぅおおっ! タピタスが!」


 今まさに棍棒を振り下ろそうとしたホブゴブリンの横から、モモは凄まじい速さで駆け寄り、蹴りを放つ。

 直撃とは行かず盾に阻まれたが、それでも盾にヒビを入れ、体制を崩すことには成功している。


「フゥンッ‼︎」


 そこをラクスウェルが上段から厚みのある両手剣を振り下ろして頭を割る。

 他の隊員たちも、追いついてきたゴブリンたちとの戦闘に入る。


 そんな中、俺はもう一頭のホブゴブリンと戦っていた。


(やっぱりモモを連れてきて正解だったな)


 モモの戦いに、隊の士気が上がっているのを背後に感じながら、振り下ろされる棍棒を去なす。

 直ぐ横を低い音をさせながら棍棒が地面を抉るのを聞きながら、ガラ空きの首を落とした。


 ホブゴブリンは力強くタフではあるが、攻撃が単調で大振りなため、ある程度慣れれば急所への一撃で倒せるようになる。

 もっとも、実際戦うのは今回が初めてだった。


 ヨシミ村の森には中規模以上の巣はないし、そんな物が出来る前に父らに駆逐されるだろう。

 一応の戦い方は父に伝授されてはいた。

 曰く、「去なすか躱すかして、空いた急所へズン!」というものだった。

 今回は、それを思い出しながら堅実に戦ったと言う訳だ。


(確かに大振りだし、付け入れるところは多そうだな……振り上げた瞬間もいいスキかもしれない)


「クワッ!」

「おう、モモ、ようやったな!」

「ピュイピュイ!」


 背後からのモモの鳴き声に、思考を一旦切り上げて撫でてやる。

 やっぱりこれは良い。手触りが癖になる。


 見れば、隊員たちが最後のゴブリンを倒したところだった。

 負傷者はおらず、特に疲労した様子もないことから、一方的な戦いだったことが分かる。

 あるゴブリンなどは、後頭部から侵入した矢が眼球を押し出して、なんとも間抜けな死に方をしている。

 おそらく逃げようとしたところを背後からの一射で仕留められたのだろう。

 と、隊員たちが集まってきた。


「いやー、本当に強い」

「こんなに強いなんて思わなかった!」

「疑っちまって悪かったなぁ」

「あんなに素早く動けるもんなのか……未だに自分の眼を信じらんねえや」

「いや、そんなことは……」

「いえ、私もこれほどとは思いませんでした」

「だな、俺でも勝てる気がしねえ」

「二人まで、いやだな、止してくださいよ」


 おお!

 なんだか急に目をキラキラさせて褒め出したぞ。

 あんまり褒められるのは慣れていないから、普通に照れる。

 顔が熱い。


「いやぁ、モモも頑張ってくれましたから……でも、ありがとうございます、照れますね」


 多分今の俺は顔を赤くしているだろう。

 けどしょうがないじゃないか、嬉しいものは嬉しいのだ。


「モモ、モモって言うのか、お前は」

「ありがとよ! モモ!」

「見たかよ、あの蹴り、盾にヒビ入れたぜ!」

「疑って悪かったな」

「クエッ!」


 ん?

 ………………あ、なるほど。

 これは………………………。


「ダルトン殿、“色違い”のタピタスがこれほどとは知りま——何をされている?」

「いえ、何でもないです、少し落ち着かせて頂けると助かります」

「? 体調が優れぬのであれば、馬車まで戻っては?」

「いや、本当に違います、すいません」


 頭を抱えてうずくまっているとラクスウェルが気を遣ってくる。

 それが余計に効いた。

 相棒がこんなに苦しんでいるというのに、モモのやつはチヤホヤされて誇らしげに胸を張っている。

 ……まあでも確かにモモはよくやったのだ。

 隊員と戦っているゴブリンを、走りまわりながら蹴り殺して廻ったということは、隊員たちの会話から聞こえてくる。


「はぁ……落ち着きました、心配をおかけして申し訳ありません」

「いや、無理をしていないのであれば良いのです」

「……ラクスウェルさんは今回の巣はどの程度の物だと予想していますか?」

「まだ一度しか戦っていない以上、確定的には言えませんが……中規模でしょうな、この程度の数で大規模とは思えません」

「なるほど……大規模な巣だとどれくらい遭遇するものなんですか?」

「際限なく。今の様に一度戦闘を開始すれば、もはや全滅させるか、ひたすら逃げるかしかありません」

「それ程ですか……」

「ええ」


 ラクスウェルは昔を思い返す様に、遠い目をして言った。

 彼も中々壮絶な経験をして来たのだろう。


「そろそろ行きましょう。お前たち、魔石も回収したな! 調査を再開する!」


 ノルマまではあと二戦。

 未だにかなりの余裕を持って、調査は再開された。

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