第5話 望まぬ同行


 誰かが泣いている。


 自分を見下ろして泣いている。


 どうやら泣いているのは女の子らしい。


「ごめんなさい」


 そう繰り返して、金の長い髪を砂や血で汚した少女は、その顔を涙で濡らしながら自分を見下ろしていた。


 ついさっきまで笑いかけてくれていた彼女が、今は顔をくしゃくしゃにして、それ以外何をして良いのか分からないみたいに、動かない自分に縋り付きすがりつき、泣いて謝っている。


 それが、何だかたまらなく悲しかった。


 静かな森の中、少女の声だけが響いている。


 寒い程に静かな世界。


 身体中が、痛い。


 身体はちっとも動かないくせに、痛みだけは訴えて来る。


 あんまり痛いから、大丈夫だよと言いたいのに上手く声が出なくて、変なうめき声だけが口から漏れた。


 伝えたい事も伝えられずに、とてももどかしく思っていると、遠くから珍しく焦った父さんの声が聞こえて来た。


よかった……。

もう、大丈夫……。

守り切れた……。


 薄れ行く意識の中で、最後に思ったのはそんな事だった。


「クワーッ!クワーッ!」


 最早聞きなれた声に、眼が覚めた。

 何かひどく懐かしい夢を見ていた気がするが、夢の内容はうまく思い出せなかった。

 

 硬いベッドの感触を背中に感じながら、腕を動かして体に血を巡らせる。


 宿のベッドは宿泊代が安いだけあって、値段通りの薄さで値段通りの寝心地を提供してくれた。


つつ……腰や背中にクるな」


 この規格のベッドで身体が痛くなるなんて事は、書記官になる前であればありえなかった。


 実家のあるヨシミ村は多少人口の多いものの田舎であり、この位の薄さのベッドは初めてではない。しかし、二年間の事務院暮らしで、身体の方はすっかり事務院規格の柔らかなベッドに慣れてしまっているようだった。


「クワッ!」


 痛む身体を解しながらベッドから出て、さっきから窓の外でこちらを見ている相棒に手を振って窓を開ける。

 すると、モモは開けた窓から頭を入れて、頭を胸に擦り付けて来た。

 体毛が鼻にくすぐったい。


「おはよう、モモ。朝から元気だなぁお前は」

「ピュイピュイ!」


 現在ダルトンは宿の一階、馬小屋側の部屋を取っていた。

 初めは一階よりもグレードの高い二階の部屋に泊まろうかとも考えたが、これが予想よりも高く、そもそも宿に泊まるつもりのなかったダルトンとしては一泊のためにそこまでの出費をするつもりにはなれなかった。

 結局、一階の部屋でも一番安い部屋を選んだ結果、窓から馬小屋が見え、少し匂いが入ってくるこの部屋になったのである。


 モモが満足するまで撫でてから、身支度を整えて部屋を出る。

 やや年季が入った宿である故か、歩くたびに廊下の床がキシキシと鳴り、僅かな振動を足に伝えてくる。

 廊下に窓はなく薄暗いために照石が等間隔に置いてあり、朝であっても灯されているが、そのうちのいくつかは切れてしまっていた。

 照石は魔力を込めるとその量によって光る特性があり、色や光量によって値段が変わる。

 宿の廊下に置かれている照石は、暖色の光がロウソク程度の光量を発するものだった。

 これでも大きさから見てかなり値が張るだろう。

 基本的に、照石は壊さない限りは光が消えても魔力を込めて何度か繰り返し使える。

 しかし、物に魔力を込めるのは魔力操作の技術が必要になり、それを行える者はそういない。

 結果、購入者の大半は照石が一度切れる度に魔法師ギルドへ行くか、あるいは魔法の素養のある冒険者に頼んで魔力を込めて貰うことになる。

 この作業が購入時の半分程の値段がかかるので、魔法士ギルドの大きな収入源になっていると準書記官時代に教わった。


「しまったな。昨日の時点で照石に気が付いていれば魔力を込めるのと引き換えに宿代を払わずに済んだかもしれない……もしかして二階もタダで泊まれたよな……」


 ダルトンが自身の失態にため息をつきながら廊下の突き当たりを曲がると、大きな籠を抱えたパパスの後ろ姿があった。


「おはようございます、パパスさん」

「あぁ、どうもおはようございます、ダルトン様。昨夜はよくお休みになれましたか?」

「ええ、気持ちよく目覚めることが出来ました」


 嘘だ。本当は背中に違和感が残っている。

 しかし、そのような事はおくびにも出さずにダルトンは笑顔でそう返した。


「それは良かったです。あの部屋は少し馬小屋の匂いがしますから、あんまり人気がないんで不安だったんですよ」

「ハハハハ、いや匂いは全然気になりませんでしたね。快適でした。ところでパパスさんのそれは何ですか?随分と重そうですね」


 会った時から気になっている大きな籠を指差して尋ねる。

 パパスの足下からする床の音から、かなり重量がある事は分かるが、朝から何を運んでいるのだろうか。


「ああ、これですか。今から馬小屋に行って、動物達にご飯をあげるところなんですよ」

「ああ、成る程。馬やタピタスの餌ですか。良ければ持ちますよ?」

「ああ!いえいえいえ、お客様にやらせる訳には行きません!」

「大丈夫ですよ。モモの食べる物でもありますし、俺に運ばせて下さい」


 何やら恐縮しながら抵抗を見せるパパスさんから、半ば強引に籠を取り廊下を進む。

 籠の中には乾燥させた草や野菜などが大量に入っているが、中には締めて間もないと思われる数羽の鳥も板で分けられて入れられていた。


「そう言えば、タピタスって何を食べるんですか?あいつ今のところ肉しか食べてないんですけど、栄養とか大丈夫ですかね?」

「基本的にタピタスは肉食ですから、お肉をあげれば大丈夫ですよ。栄養は内臓をあげれば問題ないと思います。どうしても不安であれば、動物などを血抜きをしないであげると良いはずです。血は栄養価が高いですから」

「は〜成る程」


 その後もパパスさんと話しながら馬小屋まで歩いた。

 食堂と出口でまたパパスさんがここまでで大丈夫と言って来たが、そんな言葉には耳を貸さずにそのまま歩みを進めることで封殺した。

 と言うのも、起きたばかりであまり食欲が湧いてこず、体を動かして腹を空かせたいのが正直なところだったのだ。


(うん、少しはお腹が空いて来たな)


 やや体温が上がってくるのを感じながら馬小屋に近づくと、馬小屋からこちらを認識したモモが近づいて来る。

 今更気付いたが、特に繋がれたり、鍵のかかった部屋に入れられたりはしないようだ。


「あれ?ちゃんと鍵をかけておいたのに……どうやって……かけ忘れたかなぁ?いやでも確かに……」


 何やら横でパパスさんが首をひねっているが、取り敢えず先程から飯くれコールをしているモモに飯をあげないと。


「パパスさん、ここに置いとくので大丈夫ですか?」

「あっはい、どうもすみませんでした。わざわざ運んで頂くなんて……」

「いや、俺が無理やりやったことですから」


 籠の中から鳥だけ掴んでモモと向き合う。

 モモは早くも涎を垂らし、街で見せた食欲に支配された獣の眼をこちらに向けていた。


「行くぞモモ!そぅらよっとぉ!」


 空中に鳥を投げ、それをモモが跳んでキャッチする。

 パパスさんに来るまでの間に教えてもらったのだが、この与え方が良い運動になり、ストレスの発散にもなるそうなのだ。


「ヨイショオッ!」

「ピュピュピュピュッ!」


 どの程度の高さに投げれば良いのかを聞き忘れたことに気がついたが、かなり高く投げてもモモはキャッチしているのでこれで良いのだろう。


 結果、八羽全てを与える中でモモが鳥を取りこぼすことは無かった。


「さて、俺も朝食にするかな。モモの足だと、ひょっとして日付が変わる頃にはカイロ領手前のメトラス領に着くかもしれないな——ッなんだ!?」


 ダルトンが今後の予定について考えていると、馬小屋の裏の方から男性の叫び声が聞こえた。

 ちょうどここからは死角となって見えないが、ただ事でないのは確かだろう。


(今の声は——パパスさん!)


 声の主に気がついたダルトンは、即座に反応する。

 腰の剣に手を掛けながら、魔力の補助を受けて一瞬で最高速度に達し、馬小屋の裏手へと駆ける。


 一瞬モモを心配したが、すぐ後ろに追走する気配がその必要はないと教えてくれた。

 相棒が戦闘においても頼りになるのは昨日の一件で分かっている。

 いざという時はパパスさんを乗せて共に離脱できるだろう。


 馬小屋の裏手を視界に入れるまでのほんの一秒がもどかしい。


 ダルトンはモモと共に馬小屋の裏手へと急行し、地面にへたり込んだパパスを視界に入れた。


(遅かったか!クソッ、気配を感じられなかった!)


 呆然とした様子のパパスを見て、ダルトンの背中に嫌な汗が流れる。

 外傷こそ見えないが、魔法の中には使い手こそ少ないものの、精神を侵すものもある……。


「パパスさん、大丈夫ですか!何があったんです!」

「ぁぁ……と、扉が……」

「扉?」


 呆然とした様子のパパスさんが指差す先を見ると、内から破られたようになっている扉であったらしきものがあった。

 おそらく鉄製のそれは、強い力で何度も打たれた様な痕跡が見られ、遂に耐えきれなくなって破られた様がありありと伝わって来る。

 鉄製の扉は高価な分頑丈に出来ており、その扉を破るとは、猛獣でも閉じ込めていたと言うのだろうか。


 ダルトンは恐る恐る、その扉の上についた札を見た。


「たぴ……たす。タピタス?タピタスの部屋が襲われたのか?」


 いや違うとダルトンは思った。

 何が違うかと言うと、見てしまったのだ、扉を。

 扉に付いた、犯人の物と思われる痕跡を。

 それは昨日見たような、とても見覚えのある、付いているはずのない足跡で……。


「待て。どこへ行くつもりだ、モモ」


 ダルトンの財布の中身がマイナスへと振り切れた瞬間だった。

「はぁ、下級書記官が金欠って中々聞かない話だぞ……おかげで出発は遅れるし余計な仕事も増えたし……分かってるのか、モモ!」

「ピー……」


 あの後犯人であるモモを叱りつけ、宿の女将さんに頭を下げて賠償金は事務院に立て替えてもらった。

 その代わりに、今回の立て替え分を働いて返さねばならず、結果、ヨルダン街道に出たゴブリンの巣の調査に参加させられる事となり、今はサタピサのヨルダン街道側、北門で調査隊の面々を待っていた。


 事態の報告を聞いた時の事務員の戸惑った顔が頭にチラつき、報告を聞いた二人の統括書記官はどんな顔をするだろうかと考えると、頭を抱えて悶えたくなる。


「まさかあんなにするなんて……」


 モモの破壊した鉄扉が何の装飾もない物であったのならば、まだ手持ちでどうにかなった。

 それでもギリギリだが……。

 問題は、そうでは無かった事である。


 タピタスを持つのは、通常貴族か、平民であってもおよそ商人に限られる。

 それ程にタピタスは人気であり、高価なのだ。

 そこで、そのタピタスの扱いが問題になる。


 通常の馬と同じく木の柵を立てただけでは、タピタスは跳んで脱出が出来てしまう。

 そのためタピタスにはタピタス専用の設備が必要になるのだが、木製の扉に鍵をかけただけでは長期間に渡って使い続けることは出来ない。

 と言うのもタピタスの脚力は強く、数時間あれば通常の木製の扉に穴を開けることが出来てしまうのだ。


 つまり、タピタスを預かるには木よりも頑丈な素材を使わなければならないと言うことになる。

 そこで、ある宿屋は鉄の格子を使う案を思いついた。

 この案は見事に成功し、タピタスも鉄格子を破ることは無かったのだが、ある貴族がその様子を見て、自身のタピタスがまるで囚人か何かの様ではないかと立腹し、その宿屋を潰してしまったのだ。

 それを聞いた宿屋達が考えに考えて出した結論が、装飾を施した鉄製の扉なのである。

 この扉はサタピサだけではなく、様々な宿で取り入れられており、それが蹴破られるなど初めてのケースであった。


 結果、ダルトンが宿のすべての照石に魔力を込めることを約束してもなお足りず、事務院に立て替えてもらう程の金額になったのである。


 ダルトンが沈んだ顔をして人々の門を出入りする様子を見ていると、衛兵の装備を軽くして、革鎧を主体とする格好をした集団が近づいて来る。

 おそらくはあの集団が調査隊だろう。


 基本的に、調査隊に書記官は同行しない。

 衛兵に護られているとは言え、最悪の場合は死亡もあり得る大変危険な任務だからだ。


 また、女性はゴブリンの調査から外されているはずであり、その理由は至って単純なものである。

 ゴブリンは人やその他亜人種と交配して繁殖することが出来る。

 数の調査に行って苗床にされ、結果さらに数が増えて自体を悪化させましたとあっては目も当てられない。

 男だけならば、最悪でも殺されておしまいである。


 そんな事を考えながら、集団が近づいて来るのを見ていると、先頭の灰色の髪に浅黒い肌をした壮年の男性が声をかけて来た。引き締まった体をしており、腕に見える古傷などからベテランの風格を感じさせる。


「失礼。ダルトン殿で間違いありませんな?」

「はい、僕が下級書記官のダルトンです。本日はゴブリンの脅威度調査に同行します。よろしくお願いします」

「調査隊隊長のラクスウェルと申します。今回ダルトン殿の同行に際して特則があるとか」

「はい。今回の調査で回収出来た魔石の半分は、僕に譲って貰う事になっています」

「成る程、その旨隊員達には私から伝えておきましょう」


 ちなみに隊長との挨拶の最中、調査隊の隊員達はモモの存在に騒がしくしていた。


「おい、タピタスがいるぞ!」

「すげえ、ありゃ“色違い”だよな?初めて見た……」

「書記官にもなるとあの若さでタピタスを持てるのかよ」

「ばっか無理に決まってんだろうが。ありゃあ事務院に借りたんだろ」

「何言ってんだ、色違いのタピタスなんざ貴族でも殆ど持てねぇ位じゃねえか!それを貸すわけないだろ!」


 何やら賑やかにしているが、皆が話してガヤガヤしているために、話の内容はうまく聞こえない。


「そうだ、調査隊の方々はゴブリンの出現した場所までどうやって移動するつもりでしょうか?」

「もうすぐここに馬車が来ます。今回ダルトン殿にはゴブリンに襲われた場所まで先導して頂きたい」

「分かりました。あっ、ちょうど来たようですね」


 ラクスウェルと話していると、二頭の大きな馬に引かれた、やや大型の木製の馬車が通りから近づいて来て北門の脇に止まる。

 馬車は荷台部分が縦長で、向かい合って座れるようになっており、それを木の壁で覆った作りとなっている。

 わざわざ布より重い木を使っており、側面の壁が厚くなっているのは弓による襲撃を想定しているのだろう。


「お前たち、出立だ!乗り込め!」


 ラクスウェルの号令によって隊員たちが馬車に乗り込む。

 ダルトンもモモに跨がり、サタピサの北門から、ゴブリンに襲われたヨダルサ街道に向けて出発した。

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