第3話 交易都市サタピサ


 道中襲われることもなく、小腹が空く頃にはサタピサに到着できた。


 大きな街故に街へ入るための北門には多くの人々が長蛇の列をなしていたが、通常はどこの街も書記官や貴族などは並ばずに手続きを済ませることが出来る。

 その為、ダルトンも並ばずに手続きを済ませてすんなりとサタピサの街に入ることができた。


 こういう時に書記官の肩書きは役に立つ。


 担当した街の衛兵から書記官の身分を示す羊皮紙を受け取り、礼を言ってサタピサに入り、門から街の中央へと伸びる大きな通りを進む。


 サタピサは交易都市と呼ばれるだけあって、店や露店などが通りにずらりと並んでいて、見たことがない程に賑わい、活気にあふれていた。

 街の外と中とで気温が違うのではないかと錯覚するほどの熱気を感じる。


 父からサタピサの人の多さは聞いたことがあったが、話に聞くのと実際に見るのとではやはり迫力が違う。

 様々な音や声が飛び交い、なんだか目が回るみたいだ。


 ヨシミ村という田舎で育ったダルトンは、こうまで人が集まるところは見た事がなく、狩人として育ったが故の癖とでもいうのか、音や気配に無意識に集中してしまうダルトンにはやや落ち着かない環境だ。


 街の活気に気圧され、慣れない人混みにさぞ相棒も戸惑っているのではないかと思って隣を見ると、モモは肉の焼ける匂いにそわそわして、頭を振って嘴に付いたヨダレを飛ばしていた。

 その様子に、特に人混みに圧倒されたなどの様子は見られない。


(人の多さよりも食べ物の香りが気になるのか……)


 意外にも余裕そうな相棒にやや呆れつつも、実を言えば屋台などから漂って来る香りに食欲を刺激されていたのはダルトンも同じであり、モモの様子を見て少し冷静になると同時に腹の虫が鳴き始めていた。

 結局のところ、二人(?)の波長は合っており、同じ穴のムジナである以上、あまり偉そうなことも言えないのかもしれない。


「さぁて、先ずは腹ごなしとするかなぁ!」


 事務院に報告に行けば長時間拘束されることはほぼ確定してる。

 となれば、報告手続きの最中に腹がなるよりは、多少寄り道してでも腹を満たす方が良いはずだ。

 相棒の我慢もどこまで持つのか分からない以上、やはり多少の寄り道も仕方がない。

 腹が減っては頭も回らないし、それは良くない。

 すごく良くない。


 などと誰に対するものかも分からない言い訳を思い浮かべながら、ダルトンはモモと共に大通りを軽い足取りで、食欲の誘うままに進んで行った。

 モモと一緒によだれを垂らしながら露店を見て周る。

 本当は目に入った肉という肉を喰らい尽くしたいところではあるが、食事にあまりお金をかける訳にもいかない。

 なるべく大きくて安く、そして美味い物を見定めなければ。


 そう思いながら露店を真剣に吟味していると、突然モモが立ち止まった。


「どうした、モモ?」


 こちらの声に反応せず、モモはピクリともせずに一点をじっと見つめている。

 その眼は真剣そのものであり、邪魔をするのを躊躇わせるような気迫が感じられた。


 こんな真剣に、モモは一体何を見ているのだろう。


 ダルトンはモモのその様子にただならぬものを感じ、モモの視線をたどってとある建物に視線を向けた。


 そこには黒い看板に金の字で「タピタスの憩い亭」と書かれた高級感漂う店が建っていた。

 店の中から漏れてくる香りは強烈に胃酸を分泌させ、嫌が応にも店内で自分たちを迎えてくれるであろう様々な料理へと思考を誘導する。


 おそらく何かの肉を焼いているのだろうことは分かるが、今まで嗅いだことのある香りとはどこか違っていて、何を焼いているのかまでは分からない。

 ただとにかく、そこで食べたいという欲求だけが強くなり、視線は自然と看板のメニューへと向けられていた。


「何を焼いてるんだろ——ッダメだからな! 流石にあそこに寄るだけの金はないぞ!」


 看板に記されたメニューの値段を見て、一気に現実に引き戻された。


 何だこれは、高すぎる。とても下級書記官の立ち寄れるランクの店じゃない。

 もしもこの店でランチとしようものなら、今手元にある旅費が二回と半分は消えるだろう。

 そんな金額はとても一度の食事に出すような値段ではないし、何ならちょっとした宝石を買えてしまうだけの金額だった。

 一体どんな貴族たちがこう言った店で食事をするのだろうか。

 男爵や子爵でも気軽に立ち寄れはしないはずだ。


「ムリムリ。ほら、もう行くぞモモ」

「……………………」

「おい、行くぞって、このっ!ぐぬぬぬぬ——!」


 呼んでも撫でても動かないので、無理やり押して行こうとするも、モモは根を張ったように動かない。

 周りの目もあるので早く進んで欲しいが、いくら押してもこちらに見向きもせず、嘴からよだれを滴らせるばかりで、寧ろその眼には食欲しか見えない。



「何無視してんだ、あんな場所行けるわけないだろうが!う、ご、けぇええええ!」


 その後しばらく力一杯に押したがモモは一向に動こうとせず、結局魔力による身体強化まで使って何とかその場を離れることに成功した。

「はぁ、ゴブリンの時より魔力を使った……」


 モモを押しながら大きな十字路を二つ超えて、周りの店が売る物も変わってきたあたりに来て漸くモモは諦めが付いたらしく、自分で通りを歩き始めた。

 これほど離れるまで粘っていたと言うことは、ひょっとするとモモは鼻が良いのだろうか。


 そんなことを考えているダルトンの手には、今しがた露店で購入した、ラザールと言う土の魔法を使う鹿のような魔物を肉を焼いたものを食べている。

 『ラザール焼き』と言うらしい。分かりやすくて実によろしい。


 このラザール焼きは少し臭みがあるが、噛み答えがなかなかに癖になる。

 筋が残っているが、コリコリとして歯心地良く、肉を食べているんだという気持ちにさせてくれる。

 肉自体の味はそう濃いものでは無いが、少し脂っぽいタレがこの料理にはよく合っていて、肉肉しさを増していた。


(適当に買ったけど、これは当たりだったな。他の場所でも見かけたら買おうか)


 ダルトンはそう心にメモし、ラザール焼きを味わって食べた。


 一方モモはと言うと、先ほどの鬱憤を晴らすように、それなりの大きさのあるラザール焼きをいくつも平らげていた。

 正直言って、こんな量を食べられては何の為に露店を吟味したのか分からないが、また機嫌を損ねて根をはられたくも無いので、食べたいだけ食べさせていた。もちろん出費としては痛い、非常に。

 やたらにラザール焼きを買うので露店の主人には気に入られたらしく、少し安くしてくれたのは本当にありがたい。

 思わぬ人の温かさに触れて涙が零れそうになったほどだ。


 ちなみにモモは咀嚼が出来ないので、食べる時には全て丸呑みだ。

 味の良し悪しなど、分かるのだろうか……。

「さぁて!そろそろ見えてくるんじゃないか?」


空腹を満たしたダルトン達は店の並んだ通りを抜け、ギルドに向かっていた。


 露店の主人に事務院の場所を尋ねて場所は大まかに把握出来ている。

 何でも、ここサタピサの事務院は冒険者ギルドに隣り合う形で同じ敷地内に建っているらしい。

 各種ギルドといがみ合う事務院が多い中、これは非常に珍しいことだった。


 ちなみにダルトンのいたマクーン領も、その珍しい部類に入る。

 ロレムとマクーン領冒険者ギルドのギルド長がちょっとした知り合いらしく、両組織間の雰囲気は悪くなかった。


 しかし、それでも敷地を共有と言うのは聞いたことがない。


 ダルトン達は人で賑わう大通りを行商人などの馬車と並んで進み、大きな屋敷などが並ぶ通りへ来ていた。


 途中で貴族の乗っているであろう家紋が掲げられた馬車が通る際は、その度に行商人と共に道の端へ移動し、間違っても通行の妨げとならないようにする。

 もしも通行を妨げたとされれば、平民であればその場で処刑されても文句は言えない。


 流石に書記官である自分を処刑はしないはずではあるが、貴族の反感を買うのは控えなければならない。


 同じことを繰り返しながら通りを進むと、前方に大きな建物が見えて来る。


「あれだ!」


 様々な建物が並ぶ中、一際大きな二つの建物。その一方に事務院を示す旗が、ロレンツ領領主の物と思われる家紋を刺繍した旗と一緒の掲げられているのを見つけた。


「流石にサタピサの事務院ともなると大きいなぁ……」


 外から見たところ事務院は五階建てで、眩しい程に白い壁に青い屋根が青い空とよく合っている。

 まだ距離があるこの位置からでも、二つの建物からは威圧感のようなものを感じる気がする。

 これは何も田舎育ち故に大きな建物に萎縮しているのではない。ない……はずだ。


 さらに通りを進もうとしたが、ここである異変が起きた。

 モモが事務院に近寄りたがらないのだ。

 事務院が見えてから、モモは身体を細くして見るからに緊張し、不安そうな目でこちらを見ている。


 こんな状態のモモは一緒に旅をする中で見たことがない。

 何事かあるのかと、辺りの音や気配に妙な点がないかを確認するも、これといった異変は相変わらず感じる威圧感意外には特に感じられない。


「モモ?どうした、何かあるのか?」


 呼びかけながらモモを撫でて落ち着かせようと試みるが、相変わらずモモはその場から進もうとしない。

 むしろ引き返したそうにしていた。


 何はともあれ、モモがこれでは先に進みようがなく、モモをここに置いて事務院へ行く訳にもいかないことはダルトンも分かっている。


「まいったな……先に宿を確保して、モモはそこの馬小屋に預けるか……」

(本当は事務院の宿舎に泊まりたかったんだけど……)


 各地の事務院は、他所の書記官が任務で立ち寄った際に宿泊することが出来る(事務員は自分で宿を探さなくてはならない)。

 設備も高級宿並みに充実しており、湯船に浸かりたかったダルトンは事務院に泊まろうと考えていた。


(宿を取るつもりはなかったから、あまり高い所は無理だな……身体を拭くので我慢しよう……)


 こうしてダルトンは事務院での宿泊を諦め、馬小屋付きの手頃な値段で泊まれる宿を探し始めた。

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