第9話「墨染のイカ」

第九話「墨染のイカ」


ナツミちゃんからのメッセージ:

イカ人間、わりと生存能力高いのよね。今回は脅威も去ったから見逃してあげるわ。




 ところで、コウジの兄であるコウイチ――つまりタイプ2は無事だった。足元の墨に潜行できたからである。そこでなら即座に切断部分の再接合も可能ということなのだ。


「……ありゃ強すぎだわ。コウジのやつ、とんでもねェ新入りと戦ったもんだぜ……」

 墨の中で、コウイチはバラバラになった肉体を再生させながらそう呟いていた。

「さっさと帰ってコウジに言っとかねェとなァ。――あの新入りは強すぎるからもう手を出すな、ってよォ」


 コウイチの警戒心は凄まじいものであった。実際、今行われている戦闘を見ていると、手練のイカ人間でも同じことを考えただろうことを思えば、その警戒心は別段おかしなものでもなかった。


 ――そう、ランク7にまでランクアップしたクロトの『異界染色度』は、既にカイの力に迫りつつあったのだ。


 カイがいくらか力をセーブしているとは言え、クロトの猛攻はカイを押していた。

 コウイチはカイが明らかに強者であると察したがゆえに、このまま帰宅することにした。

「撤退だ、撤退。無理ゲーが過ぎるからなァ……」

 そう言ってコウイチは、自分の肉体が活動可能段階にまで戻ったことを確認して撤退したのだった。



「――これほどとはな」

 クロトの猛攻をしのぎつつ、カイは純粋な驚きを口にした。

 カイともあろうものが、コウイチの撤退に気が付かぬはずがない。それに関してはナツミちゃんから『始末しなくていい』という追加の指令が即座に来ていたのだった。

 ――だが、そもそもの話、暴走状態にあるはずのクロトがコウイチの撤退を許したことが、カイにとっては衝撃だったのだ。

 ……そう、


「この状態でなお、クロトは……相手を殺さないように戦えるというのか――」

 クロトの中に、自我が明確に残っていること。その点にカイは衝撃を受けたのだ。

 それだけの余力を、クロトは無意識下でさえ携えている――その強さと可能性に、カイは驚異と脅威、そして歓喜の感情を抱いていた。

 自身を覆う黒き装甲が剥がれつつあること、それさえも厭わずに、カイはクロトに立ち向かっていた。


「アア……アアアアアア!!!」

 叫びとともに振りかざされた――墨染の振動剣を左腕の黒き装甲で受けきり、

「ふ――――ッ!」

カイはクロトにパンチをお見舞いした。

「グアアアアア…………ッ!」

 夕日に包まれる路地裏、そこに、いつかの再現があった。


「……ク、左腕の装甲は限界か。この戦闘では……防御はもうあまり意味を成さないな」

 顕になったカイの異形としての左腕は、刺々しい見た目ではあるが……羽毛のような装飾に覆われていた。そして鋭い爪が特徴的な手、そこに握られた矢じりのようなもの。……その全てが漆黒だった。


「ウ、オオ……!」

 ふたたび立ち上がるクロト。それを見つめながらカイは、本心でその言葉を呟いた。


「お前は俺の希望だ。だから――戻ってこい!」

 自我を少なからず維持できている以上、クロトの暴走を解くことはできる。カイはそう確信し、カードを切った。


 ――そう、再現とはこのこと。かつて存在した最強のイカ人間『イサリビ』。彼が倒されたときの再現。

 だが今回、死者は出ない。取り戻すための戦いだからだ。

 カイの異形としての右腕も顕になる。フォルムは左腕を同じ――得物も矢じりのようなものだった。

 かつてイサリビを討った者……それはカイだったのだ。彼の武器の一つ、それは矢じりの如き『羽』だった。それが今、音速を超えるスピードでクロトの右腕に二つ直撃し――彼の振動剣を吹き飛ばした。


「ぐあああああああ!!!」

 痛みに悶えるクロト。そんな彼に

「墨を使ってすぐに治してやる。だからまずは落ち着け」

 カイは長年の友人を思わせる穏やかな声色で語りかけ、そして――

 脚の筋肉をフル活用した蹴りを叩き込んだ。


 路地裏の壁にめり込むクロト。そのスペックの高さからか、ダメージは危険域には達していない。だがそれでもなお、クロトはすぐには立ち上がれないでいた。なぜならば――


「お、俺は――」

 キックの衝撃により、クロトの自我は完全に戻ってきていた。そして、クロトの眼前には――


 ――漆黒のカラス人間が立っていた。

「な――」

 クロトは混乱した。イカ人間ではない何かが――カラス人間とでも形容せざるを得ないような存在が目の前にいたから――ではない。彼はそれとは別次元の衝撃に混乱していたのだ。それは自身が暴走していたことですらなかった。彼は――、そう、彼は、


「――カイ、なのか……?」

 なぜだか目の前に立つカラス人間が神崎カイであると――理解していたのだ。


「……やはり気づいたか。同調は本当だったんだな」

 カラス人間――カイは事実を理解し、そして、人間態へと戻った。


「本当に――本当にカイ、なんだな……」

 何が何だかわからない、と。クロトはカイに困惑の表情を向けた。カイは、

「ああ。イカじゃなくて悪かったな、だがこれが事実だ」

 カイはただただ淡々と語るのみだった。

「いや、確かに何でカラスなのかはよくわからないけど――でも、俺はお前が確かにカイだってわかる……どうしてだか、わかる。――なあ、俺は、いや、この戦いは何なんだ? イカ人間同士の戦いじゃないのか? お前みたいにイカ以外の力を持ったやつもいるのか? なあ、教えてくれよ、カイ――」


「それに答えるのはまだだ。今じゃない、今では、ない」

 そう言って、カイは踵を返した。

「待ってくれ、カイ!」

 叫びながらクロトはカイを追おうとする。だが、

「その前にラアヤを家まで送ってやれ。そのうち目を覚ますぞ」


「あ――」

 その言葉にクロトが一瞬気を取られた間に、カイは既に路地裏から立ち去っていた。


「う、う~ん。……あれ、私なんで路地裏なんかに……」

 伸びをしながら起き上がるラアヤ。その姿は実にのんきだった。そんな彼女にクロトは惚れているのだが、今はそれ以上にカイの真意が気にかかるクロトだった。



 ……そんなことのあらましを頭上から見ていた男がいた。その男は「ニシシ」と笑いながら雑居ビルの屋上から立ち去ろうとしている。……右手に握られたスマートフォンからは着信音が鳴り響いていた。

「ん、どこのカワイコチャンからの電話かなー、ってチェッ! トオルじゃねーか。あとあと、あとでかけ直すよ~」

 男はマッドなサイエンティスト。だがその正体は、わりと軟派なプレイボーイなのかもしれない。


                                   つづく


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