第6話「染黒」

第6話「染黒」


ナツミちゃんからのメッセージ:敵サイドの真打ち登場ってわけね……。




 既に戦火が広がるセントラルエリア。そこに存在する永海ドーム跡――そこにクロトは立っていた。カイに渡された通信機器からは、仲間からの報告が何度も聞こえてくる。……作戦が開始されたのだ。


『聞こえているな、墨染クロト?』

「ああ、聞こえている、シゲミツさん。そちらの状況は?」

 クロトの言葉にシゲミツは迅速に答えた。

『こちらの準備は完了だ。ヤリイカの出現予測ポイントのうち、私が任されていた区画全てに爆薬を仕掛け終わった。後は――』

『こちら崎下。こっちも準備オーケーだぜ。後は神崎からの合図を待つだけだな』

 ほぼ同じタイミングで、トオルが通話に加わった。……これで準備は完了。後はヤリイカをこの場で待ち受けるのみとなった。


 ……作戦は単純かつ大胆なものだった。神崎カイの調査によると、ヤリイカはセントラルエリア地下に建造中だった地下都市『サイバーオーシャン永海』に潜伏していたという。そして――そこに張り巡らされた通路を移動し、セントラルエリアへの強襲を行っていたのだ。カイはそれを逆手に取って、爆薬を用いてサイバーオーシャン永海の通路を破壊、それによってヤリイカをドーム前の通路へ誘導するという作戦を立案した。


『地下都市など我々は全く知らなかったのだがね。それを知っている神崎カイも奇妙だが――いや、そもそもそれ以前に爆薬を入手している事自体かなり謎だが――』

 シゲミツは誰もが薄々感じていたことを口にした。そしてそれはカイの持つ通信機器へもあえて繋がっていた。神崎カイが本当に――裏で糸を引いていないのか確かめる意図があったのだ。

 ――だが、それに対するカイの返答は予想外のものだった。


『すまない――『やつら』のメンバーが目の前に現れた……。予想外だ、そちらに合図を送る余裕がない』

『何……!』

 シゲミツはカイの言葉に偽りがないことを理解し、余計に事態の深刻さを察した。


『おいおいマジかよ、このタイミングで『やつら』かよ……』

 トオルはなんとか冷静さを維持するべく呼吸を整え始めた。


「何だって!? 無事なのか、カイ!」

 クロトは思わず叫んでしまった。今すぐにでも助けに行かなければ――とも思った。

 ――だが。


『……墨染クロト。君は君のすべきことを成し遂げてくれ。今は、大局を見極めなければならない時だ』

「だけど、俺は――神崎カイ、アンタだって見捨てたくはない! 一人で大丈夫なのか!?」

 カイは思いの丈をぶつけた。まだ会ったばかりとは言え、カイもまたともに戦う仲間なのだ。クロトはそんな彼を見捨てたくはなかったのだ。


『恐らく襲撃者との力量差は互角。明確な答えは約束できない。……だが互角だ。君たちが作戦をこなしている間ならば持ちこたえられる可能性は十分にある』

 それに対するカイの返答は極めて冷静なものだった。どこまでも――氷のように。クロトはそう感じていた。……次の言葉までは。


『だから――俺を信じてくれ。墨染クロト、俺は君を信じている。だから、だからこそ――君も俺を信じて欲しい』

「神崎――」


 カイのその言葉には、今までには感じられなかった感情の熱量があるように思えた。……それだけで、それだけでクロトは十分だった。それだけで――カイを信じようと思えたのだ。


「ああ、わかったよカイ。俺はお前を信じる。だから――無事でいてくれ」

『――ああ、君こそな、クロト』

 そして、カイは通信から離脱した。


「――二人とも、聞いていたとおりだ。俺はカイを信じる。……だから、二人もカイと俺を信じて欲しい」

 クロトの言葉に、二人は賛意を示した。

「ありがとう――そして」


「作戦開始だ」


 そして、永海町セントラルエリア全域で爆発が起きた。



 爆発が起こり始めたセントラルエリアの中で、ドームの他に安全地帯が存在した。……それは避難民用地下シェルターの存在するエリアだった。カイはそこの防衛を担当しつつ作戦指揮を行う予定だった。――そこに、赤黒いソレは現れた。


 やや丸みを帯びた赤いフォルムに滴る漆黒の墨。体の七割は墨染であった。

「……想定外だな、まさか君が来るとは」

 カイは意外そうにソレに言った。ソレは立ち止まることなく、赤き瞳を鋭く輝かせながらカイに迫っている。


「貴方に聞きたいことがあって来ました。答えてくれないのなら実力行使あるのみなんだけど」

 ソレの左腕にある異界刻印――その輝きが増す。戦闘意思が増幅したのだ。

「……やれやれ、手札は切りたくないんだが」

 そう言いつつ、カイは黒い学生服のボタンを外した。

「――行くぞ、『サヴァイヴァー』」

「どの口が言うか――!」

 はためく学生服の内側から、黒い何かが大量に放出されカイを覆った。

 そして――カイはその言葉を口にした。


「――『染黒せんこく』――」


 瞬間、カイは漆黒の戦士へと変貌した。黒い何かに覆われ、その姿はよく見えない。

 ――だが、それはやはり人型の異形であることだけは間違いなかった。


「さあ来い、相手をしてやる」

 カイは手招きによって襲撃者を誘う。

「姿を見せない――? 手を抜く気か!?」

「冷静さを欠いた今のお前に全力を出すまでもない。この手札で十分だ」

「ゲーム感覚で……ッ! 生存を望むなァ――――!!」


 襲撃者は怒りの感情を隠そうともせずカイに襲いかかる。右腕は既に、墨が変化した黒き剣に変わっている。その剣は、墨が常に高速で流動し続けているため――ウォーターカッターを思わせる凄まじい切断力を有している。襲撃者はそれによってカイに斬りかかる。


「たわけ、俺にも矜持がある」

 カイは左腕で黒き斬撃を受け止めた。その腕には傷一つ付いていない。

「フォルム隠蔽だけじゃない――防御形態でもあるのか!」

「俺が何も手を打っていないとでも思ったのか?」

「まさか――!」


 襲撃者は左腕を銃口へと変化させその内部に槍型の弾丸を生み出し装填、そのままカイの腹部に銃口をねじ込んだ。

「――! これが狙いか!」

「この距離なら――っ!」

 そして襲撃者はカイの腹部を撃ち抜いた。



 鮮血と墨があたりに飛び散る。周囲に響く爆音により静寂はなく、――そして、死者すらいない。

「――甘いな、いや、実に甘い」

「――そん、な……がっ!」

 互いに血と墨を流しながら、二人の異形はそれぞれ相手の腹部へ攻撃を行っていた。

 ――だが、襲撃者はこれ以上攻撃を続けられなかった。カイに内蔵を握りつぶされそうになったからである。


 カイが腕を引っこ抜くと、襲撃者は倒れ伏した。

「お前、その甘さでよくサヴァイヴァーに選ばれたな。……いや、それがそちらの結論なのかもしれんが」

 カイの傷は浅いものだった。射撃の直前で、襲撃者が銃口を逸らしたからである。

「お前に俺を殺す気がないことなど初めから分かっていた。そういうやつだからな」

 吐き捨てるように言って、カイはその場を立ち去ろうとした。


「ま……待て……」

 襲撃者は地面を這いずってカイに向かおうとする。

「待たん。俺にもやることがあるからな。お前もそうなんじゃないのか?」

「そ、それは……」

「まずは成すべきことを成し遂げるんだな、話はそれからだ」

 そう言って、カイは人間体へ戻りその場を後にした。

「神崎カイ……貴方の狙いは、一体……」

 そこで、襲撃者は気を失い――人間体へと戻った。

 その正体は――墨染ビャクヤだった。


「やれやれ、出向いてみればこの有様か。盛りのついた獣のように襲いかかった割に、甘噛止まりかビャクヤ」

 墨の中からデフレが姿を現す。

「段取りが狂ったが、まあいい。ここは私が代わりに出よう」

 ビャクヤを墨の中に潜行させて、デフレは行動を開始した。

「墨の中ならば傷も塞がるだろう。しばらくそこで頭を冷やしているんだな」

 そう言い残し、デフレは黒い羽を生やして飛んでいった。



 永海町セントラルエリア全域で爆発が起きた。異変はすぐにその姿を現した。


「――――――――――――――――」


 凄まじい轟音とともに、新たなる爆風が永海ドームめがけて発生した。

 それは凄まじい速度を以て、つんざく嵐となってクロトに迫りくる。


「――来やがったか」


 ――本当に勝てるのか?

 クロトの背後に設置された大量のイカスミ――カイが貯蔵していたらしい――と、それを射出するためのイカスミランチャーを目にしてもなお、クロトはその疑念を払拭しきれていなかった。


 イカ人間は墨によってダメージを回復することができる。その墨が攻撃手段足り得るのは、局所的に許容量を超える墨をぶつけるからというメカニズムらしい。要は吸収しきれない規模の墨をぶつければダメージは通る、ということなのだ。

 そのことを踏まえてカイが用意したのが――大量の墨と、巨大なイカスミランチャーなのだった。


「………………」

 確かにこの攻撃ならば、ヤリイカを倒せるかもしれない。……だが、背後に存在する大量のイカスミ――二十五メートルプール五レーン分相当を十セット。そもそもカイはいつの間にドームへ運んだのか――をたった一撃に全て込めなければならない。今相対している敵は、それほどの規模であり、同時に、


「失敗は、許されない」

 ――誤射すら許さぬ脅威の暴威。

 そういった事実から、クロトの決意は揺らいでいた。


 イカ人間へと変化し、右腕とイカスミランチャーとをこの戦いの間だけ同化させる。

 ――それでもまだ、クロトの腕は、足は、全身は恐怖で震えている。

 本当に勝てるのか? あれは人類の手に負える存在なのか? そもそもこんな大役、俺に務まるのか? ――様々な思いが、クロトの脳裏をよぎる。それほどのプレッシャーの中、ヤリイカはもうクロトの目前にまで迫ってきていた。


 ランチャーへのイカスミ充填率は百パーセント。――あと必要なのは、クロトの覚悟だけだった。


「――やらなきゃ、やられる――」

 わかってはいても、上手く照準が定まらない。心で理解はしていても、恐怖心は同時に同規模で襲いかかってくる。クロトの息は荒くなるばかりだ。


 あまりの恐怖に、クロトは通信機器をドームの外へ投げてしまい――それによって、かえって恐怖心と孤独感を増幅させてしまう結果を生み出した。


 どこまでも荒くなる呼吸、そして眼前に迫るヤリイカ。最早、決断の猶予はない――その寸前で、クロトの目前に白い羽が一つ舞い降りた。

「――カイ――」

 どうしてかはわからないが、クロトは、その羽がカイからのメッセージに思えた。


 ――恐怖心は、消え失せていた。


「そうだよな、約束したもんな」

 決意を胸に抱き、クロトは照準をヤリイカに定めた。

 つんざく轟音、何するものぞ。街を覆う巨躯、何するものぞ。

 そのようなものに今更心を揺さぶられるクロトではなかった。

「行くぞ、ヤリイカ――――!」


 そして、膨大な量のイカスミは放たれた。


「                    」


 かくしてイカスミランチャーの一撃は、漆黒の巨大イカ人間『ヤリイカ』を遍く包み込み蒸発させた。




「やったんだな、墨染……!」


「フン、連絡がつかなくなった時は流石に肝が冷えたぞ」


 それは各エリアで見守っていた仲間たちにも伝わった。


 それは、上空で事の次第を見届けていたデフレにも――

「……出るまでもなかったか。なるほど、よもやここまでとはな」

 デフレは何かに驚きつつも、表情を変えることなく帰路についた。




「――驚いた。……まだ、残っていたんだな」

 ――そして、ドームの近くにまで戻ってきていたカイは、先程見た懐かしいものを慈しむかのように、穏やかに呟いた



 以上が、二〇一六年の六月に永海町で起こった事件の顛末である。その後も敵対するイカ人間との小規模の戦いは何度も起きたが――それ以外は比較的平穏なものだった。ただ、それはクロトたちの話であって、F市は謎の巨大生物ヤリイカ関連への対応でかつてない忙しさだったという。そしてそれ以上に、ヤリイカによる甚大な被害を受けた永海町セントラルエリアには、癒えない傷が残った。




 クロトの父親、墨染シンヤの行方は未だ不明だが、いつの間にか墨染家の口座に生活費諸々が振り込まれていた。

 ――そして、


「……手紙?」

 与えられた夏休みも間近に迫ったある朝、クロトが郵便受けを開けると、そこにシンヤからの手紙が入っていた。

 そこには、『どうか、平穏な夏休みを送ってくれ』とだけ書かれていた。

「……平穏、ねえ」

 クロトは独りごち、こう続けた。


「半袖だと異界刻印が丸見えなんだよな……これでどうやって平穏にプールとか行けるってんだ?」


 わりと気の抜けた発言をしたのだった。




                                   つづく


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