第4話「蹂躙」

第4話「蹂躙」

ナツミちゃんからのメッセージ:アア……ヤリイカさんつよすぎ……


 それは、文字通り蹂躙であった。世界をつんざく轟音とともに、地中から『ヤリイカ』は姿を表し、十本の触手を振り回すことすらせず――永海町セントラルエリア全域をただ滑空した。


 だが、それが蹂躙となった。ヤリイカの通り名を持つそれは、巨大なイカ人間であった。それがただ滑空しただけで、セントラルエリアは蹂躙されたのだ。全長百メートル、触手を除いても五十メートルはあるその巨体は、ただそれだけで破壊をもたらしたのである。


 ……そしてその数分後。ヤリイカが再び地中に姿を隠した時には、永海町セントラルエリアに存在した生命の八割は肉塊と化した。無事だったのは幸運に恵まれた者と――


「墨染クロト! 崎下トオル! 無事か!!?」

「ああ……だが、これは――」

「嘘だろ……? 前見たときよりも凶暴になってないか……?」


 イカ人間に姿を変え、通過していくヤリイカの攻撃をすんでのところで回避したクロトたちだけだった。

 ヤリイカのおぞましさに気力を削がれ――既に三人とも人間態へ戻っていた。


「崎下トオル……貴様の言う策とやらは、?」

 冷や汗を流しながらシゲミツが問うた。

「わかるかよ……そ、そもそも作戦立案者が、無事かどうかすら、もう……」

 トオルは、周囲の惨状を視界から外し、声を震わせながら答えた。

 そしてクロトは、ヤリイカが移動をしたのセントラルエリアを見回した。


「……こんな、ことが」

 クロトの視界に映ったのは、崩壊したツルギモリタワーやビルなどの建造物、そして、さっきまで永海町セントラルエリアで生きていたはずの――


「うっ……ぉ……」

 クロトは思わず吐瀉した。だが……セントラルエリアの惨劇を思えば、己の撒き散らしたものなど生易しいものとしか認識できない、とクロトは感じた。


「……無理はするな。ヤリイカを見たことのある私や崎下ですら感情を整理できていない。……いや、整理どころか、私は途方に暮れている。以前私が見た時、ヤリイカはあそこまで巨大ではなかった。少なくともさっきの半分以下だった……それが、あそこまでのサイズにまで巨大化しているとは……」

 半ば放心状態でシゲミツは言った。彼は膝をつき、どうにか呼吸を整えている。彼ですらあまりにも予想以上の出来事だったのだ。


「最悪、非戦主義のイサリビからも力を借りようと思っていたけど……これじゃイサリビでも……」

 トオルは、うわごとかのようなか細い曖昧な声で何やらぶつぶつ呟いていた。


「残念だがイサリビは死んだそうだ。何者かによってな」

 その時、瓦礫の中から何者かが姿を表した。……それは、クロトやトオルと同じ高校の制服を着た少年だった。


「神崎――無事だったんだな!?」

 トオルは這いずりながら少年――神崎に言葉を投げた。

「ああ。トオルも無事でよかった。……それに、協力者たちも」


「……崎下、その少年が作戦立案者なのか?」

 シゲミツは怪訝そうに言った。その問いにトオルは頷いた。トオルの目には活力が戻っていた。


「ああ、ああ! コイツが僕の友人で、とんでもないやつの、神崎カイだ! 君らも気づいているとは思うけど、神崎は『イカ人間』じゃない。けど、けど状況分析に長けたすごいやつなんだ!」

 トオルは早口でカイの紹介をした。それほどまでに、トオルにとってカイは希望なのだろう。


「……確かに『イカ』の気配はない。だが、その割に事情通のようだが? イサリビが死んだという話が本当ならばの話だが」

 シゲミツはカイにそう問いかけた。カイは「そのことか」と一言返し――、


「――何」

 シゲミツの背後に一瞬で回り込んだ。

「ただ隠しているだけだと言えば……信じてもらえるだろうか」

「……『気配遮断』の能力なのか?」

「そのようなものだと思ってくれ」

 カイは淡々と答えた。


「トオル、お前はこのこと知っていたんだよな?」

 クロトは念の為トオルに確認を入れた。

「ああ。神崎は手札を開示しないタイプでね。能力については黙っているよう言われていたんだ」

「すまないな、共食い派のイカ人間への対策なんだ」

 カイはあまり申し訳なさそうには思えない口調で言った。


「……神崎カイ。貴様が手練であることはわかった。だがそれでも私には……ヤリイカに及ぶとは思えない。貴様が作戦立案者だというのなら、作戦内容とその優位性については我々にオープンになるべきなのではないか?」

 シゲミツの発言を聞いたカイは、目を細めながら踵を返した。


「ついてこい。この瓦礫の下だ」

 そう言ってカイは、目の前の瓦礫を一瞬で破壊した。あまりの早業に、三人とも何が起こったのかわからなかった。

 だが、瓦礫の在った場所に地下室への入り口があることには気づくことができた。

「地下工房だ。ヤリイカに破壊されなくて本当によかった」



 ビャクヤは射手の指示に従って、ノースエリアに存在する高台からセントラルエリアの様子を観察していた。ツルギモリタワーの明かりが消えていたため詳細は把握しきれなかったが、ヤリイカの行動を視認することは容易であった。ヤリイカは夜闇に溶ける漆黒の巨体であったが、滑空の際に凄まじい衝撃波を周囲に発生させていたためそれからおおよその位置を特定することができたのだ。


 そういった観測の結果、ビャクヤは、

「イサリビが消された理由、わかったかも」

 事態の裏に潜む陰謀を冷静に分析していた。


「君の窮地、あれすら彼から与えられたヒントだったということなのだが……どうやら理解したようだな」

 ビャクヤの背後に、黒い墨があった。そこから青年の声が聞こえた――デフレである。


「……何の用?」

ビャクヤは顔すら向けず答えた。

「いや何、一時的とはいえ、我らは今共闘関係を結んでいる。少しはサポートをしようと思ってね」

 デフレの発言にビャクヤは「フン」と鼻を鳴らすのみだった。


「手厳しいな。どの道ヤリイカは倒さねばならん。だからそれまではもう少し仲良くするべきなのではないかね?」

 デフレはニヒルな笑みを浮かべながら言った。ビャクヤはようやく顔だけデフレの方に向けた。

「だからこそ、余計な情はかけないほうがいいと思うのだけど」

 あくまでもすまし顔でビャクヤはそう言った。


「君がそういう方針を選ぶというのなら、尊重しよう。……だがやるべき仕事はこなしてくれ」

「言われずとも。初めからそのつもりよ」

 ビャクヤは、デフレと会話を楽しむ気がないらしい。デフレもそれを察したので早々に要件を伝えることにした。


「おそらく明日、ヤリイカは倒される。つまり予定は前倒しとなる」

 デフレの発言に、ビャクヤはこの場で初めて表情を困惑のそれに変えた。

「二日も早まるなんて。とんだイレギュラーが紛れたものね」

 ビャクヤはそのイレギュラーに興味を持った。

「ああ、新たにイカ人間となった少年が想像以上の素質を持っていてね」

「そう、なんて名前なの?」

 何の気なしにビャクヤは訊いたが、デフレはその問いに思わず笑いを漏らした。


「何? 気に障るのだけれど」

「これは失礼。いやしかし、よりにもよって君が興味を示すとはね」

「何よ、私が興味を持ったらまずいわけ?」

「いや、まずいと言うほどでもない」

「なら早く言いなさい」


 苛立つビャクヤとは対照的に、デフレは落ち着いた口調で墨染クロトの名を告げた。

 その名を聞いたビャクヤは、苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべ、


「最悪ね、まるで鏡を見ているみたい」

 隠すことなくクロトへの嫌悪感を露わにした。

 ――いや、それはクロトへの嫌悪感ではなかった。ビャクヤとてそれはわかっていた。


 ――そう。それはビャクヤ自身に向けられた嫌悪感だったのだ。


                                   つづく

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