第9話 心を一つに(前編)

「青い空!」


(はいはい、青いわね。)


「白い雲!」


(ほーんと、白いわね。)


「まぶしい太陽!」


(だからこうやってサングラスかけているんでしょうが。)


「海だっ!」


 列車の中ではしゃぐ美咲みさきを呆れたように見ている麗華れいか。しかしその目は優しい。


「少しは落ち着け。見ているこっちの方が恥ずかしくなってくる。」


 あまり気が進まない、って顔をしている隼人はやと。しかし強引に美咲と窓際の席を交換させられたわりには何となく肩のあたりが嬉しそうである。

 それと対照的に浮かない顔をしているのがいつものメンバーの中では謙治けんじ小鳥遊たかなしであった。意外と悩みの種は単純ながらも深刻であった。


「僕…… 泳げないんですよね。」

「謙治君もか。実は私もなんだよ。」

「「同士よ!」」


 確かに深刻であった。

 五人を乗せた列車は海を臨む駅へ数分の距離まで近づいていた。


「海! 海!」

「こらこら、」


 麗華が美咲の頭をコツンと叩く。


「慌てなくても海は逃げないわよ。」

「は~い。」


 土壇場で見せた美咲のスターブレイカーによって巨大な夢魔むまが倒された。夢幻界むげんかいに広がるエネルギーもしばらくは夢魔が現れないことを示していた。

 それ幸いと思ったかどうかは別として、かねてから希望のあった海水浴に出かけることになった一行である。


「いやっほぉーっ!」


 鈍行列車でトコトコと数時間、漁業と夏の間の海水浴客が落とすお金で生業をたてているような最近にはしては珍しい雰囲気の漁村であった。

 なんでも小鳥遊たかなしの親戚がここで民宿をやっていて安く泊まらせてくれるのでここに決まったという。

 ま、そんな理由の有無に関わらず、海があるという事実には変化はない。

 というわけで寂しい無人駅に止まった電車から美咲が風のように飛び出した。


「こら、美咲…… って行っちゃったか。

 まったくあの子ったら……」


 自分の身の回りの物を入れた小さなボストンバックを手に電車を降りる。そして優雅な動きで後ろを振り返った。


「謙治! 隼人! 何グズグズしてんのよ。電車出るわよ。」


 発車のベルが荷物持ちの二人を急かす。


「ま、待って下さいよ。」

「人にこんな荷物持たせやがって……」

「あら、」


 麗華が隼人の言葉にわずかに目を細める。彼女のちょっとした癖だ。


「こ~んなにか弱い女の子に荷物持ちをさせるつもり?」


 ふと隼人が含みのある表情を見せる。


「か弱い、ねえ……?」

「何か言いたそうな顔じゃないの……」

「ま、おそらくは神楽崎かぐらざきの考えている通りだと思うぞ。」

「あんたねえ……」


 険悪になりかけて慌てて謙治が間に割り込んでくる。


「ま、まあ、お二人とも。それよりたちばなさんが先に行ってしまいましたから……」

「そうだな。ただでも小さいのに先に行ったら見つけるのが余計面倒くさくなる。追いかけないとな、迷子になって困るし。」


 さも言葉通りの表情を浮かべ、パラソルとかの大量の荷物を肩に担ぎ直す。半ば怪しいオブジェになりかけている謙治に比べるとまだまだ余裕がありそうだ。

 さすがに気の毒と思ったか麗華が謙治の持っている荷物の一つに手を伸ばした。


「持つわよ。」

「い、いえ! 別に……」


 一瞬声が裏返ったのは薄着の麗華に見とれていてから口が裂けても言えない。この男、なかなかに純情君であったりする。


「何ボヤーッとしてるのよ。行くわよ。」

「は、はい!」

「そういえば…… 小鳥遊さんは?」


 あたりを見てもそれらしい人影はない。発車のベルが鳴り、列車がゆっくりと動き出……そうとして再びドアが開く。


「すすすすいません! す、すぐに降りますから……」


 謎の機械などを背負った小鳥遊がフラフラと降りてくる。はたから見ればどうやって背負ったのか不思議なくらいの量であった。


「……何ですか、それ?」


 謙治の疑問ももっともである。


「いえ、どうしても自分の研究の機材が無いと寂しいので。この前用意した携帯用の機械を持ってきたんです。はい。」

「携帯用ねえ……

 失礼ですけど、どう見ても携帯用には見えませんが?」


 麗華の皮肉めいた指摘に小鳥遊は困ったような苦笑いを浮かべる。本当はポリポリと頬でもかきたかったのだろうが、なにせ両手が完全に塞がっている。


「まあ、それはいいとしまして…… 美咲さんと隼人君は?」

「ああ、あの二人なら……」



「あまり走り回るな。転ぶぞ。」


 淡々とした口調で隼人が美咲の襟首を掴む。声に美咲がおそるおそる後ろを振り返った。


「は、隼人くん、どうしたの……かな?」


 上から睨まれて美咲の声が徐々にか細くなる。隼人は無言のまま肩の荷物の中からレジャーマットを取り出し砂浜に敷く。荷物を無造作に置き、美咲をストンと座らせた。自分もその隣に腰を下ろす。


「ま、はしゃぐのもいいが…… 少しはしゃぎ過ぎ、ってとこか。何か悩み事があるんじゃないか?」

「……やっぱりそう見える?」


 美咲の表情が少しくもる。


「ああ、最初は気のせいかとも思ったんだが…… 最近妙に空元気に見えてな。」

「ボク…… ちょっと怖いんだ……」

「怖い? 正直言って橘にしてはえらく弱気な発言だな。何がそんなに怖い?」

「だって…… だって…… 隼人くんは怖くないの? 夢魔はどんどん強くなる。それにつれてボク達も強くならなきゃならない。

 ボクだって夢魔と同じになるかも知れないんだよ。強さに溺れて人の痛みも分からない人間になるかも知れないんだよ!」


 美咲の言葉に隼人はフッと小さく笑った。少女の口調にわずかに怒気が混じる。


「何がおかしいの! ボクは本気だよ!」

「気に障ったのなら謝る。ただな、強さに溺れるんなら頂点を極めてからでも遅くはないし、それに…… いや、なんでもない……

 とにかくもし自分が信じられなくなってきたら俺に言え。『痛み』ってやつを拳で教えてやる。」


(お前に限ってそれはない、なんて恥ずかしくて言えねえな。)


 そんな彼の心中を知ってか知らずか、美咲は今の太陽のように輝いた笑みを浮かべると不意に隼人に抱きついてきた。


「わぁ~い!」

「お、おい、橘!」


 唐突な行動に隼人は(当然ながら)照れながらも慌てる。そんなうわずった声に美咲は更に甘えるように体を密着させてくる。


「えっへへぇ~んだ。」

「よ、よせっ! くっついてくるなっ!」


 悲鳴じみた声に更に美咲がニコニコと笑う。女慣れしていない隼人は乱暴に突き放すわけにもいかず、されるがままになっていた。


「ボクね、今とっても嬉しかった。」


 少し寂しげな響きの混じった声に隼人が訝しげな顔をする。


「嬉しい?」

「うん、だって…… そんな風に言われたの初めてなんだもん……」

「初めて……」

「麗華ちゃんや隼人くんたちだけなんだもん。ボクのことを本気で心配してくれて、本気で怒ってくれて…… ボク……」

「橘…… お前……」

「あ…… う、ううん! 何でもない! 何でもないって!」


 まるで今言ったことを誤魔化すかのようにより強くしがみついてくる。追求するのも忘れ、美咲の柔らかい肢体から離れようと隼人は声を荒げる。


「やめろ、橘! だ、誰か見られたらどうするんだっ!」


 二人の背後の砂が踏みしめられて音を立てる。まるで瞬間冷凍されたように隼人の動きがピタリと止まった。悲しいかな、隼人ぐらいの実力者になると足音くらいでもたやすく人物の特定くらいはできる。


「残念ね、隼人。ちょ~っと遅すぎたんじゃないかしら。」

「いやぁ~、隼人君もやりますねえ。」

「そんなところでのんびりしてたんでしたら荷物運びを手伝ってくれたら……」

「お、お、お、お……」


 喉の氷が溶けていないのか、声がまともに出ない。ま、実際の理由はありきたりだが、驚きが強すぎた、ってやつである。


「もしかして『お前ら何でここに』とか言いたいんですか?」


 謙治の言葉に隼人がカクカク首を振る。


「そりゃあ…… 僕達も海に来たんですからね、少なくとも砂浜には来るんじゃないでしょうか?」


 少し恨み言がましいことを言いながら荷物を下ろす。その中からカラフルなパラソルを広げ、砂浜に突き刺した。


「で、神楽崎さん。後はこちらで用意しておきますから着替えてきたらどうですか?」


 謙治の言葉に麗華は髪をかきあげ、無言で美咲の首根っこをつかまえる。


「美咲、あんたいつまでもコアラみたいにしがみついてるの。さっさと着替えて泳ぎに行くわよ。」

「は~い。」


 何事もなかったかのように隼人から離れると二人の少女はそれぞれの荷物を持って海の家の方へ歩いていった。隼人は安堵とちょっとの落胆の混じったため息をつく。謙治が面白い物を見つけたような表情で隼人に近づいてきた。


「おや、どうかしたんですか?」


 隼人は謙治をチラリと横目で見ると、さっきとは別の種類のため息をついた。


「なあ、お前…… 橘のこと、どれだけ知っている?」

「いやだなあ、僕は大神おおがみ君ほど深い仲じゃないですから何も知りませんよ。」


 ニヤニヤ笑いを浮かべる謙治。しかし隼人の表情は真剣そのものだった。


阿呆あほう。俺が言っているのはそんなことじゃない。ブレイカーマシンに乗っている以外の橘についてどれだけ知っている?」

「いきなり聞かれましても……」


 謙治もそう言ってはみたものの、彼女のプライベートについて何も知らないことに気付くだけだった。


「……そう言えば何も知りませんね。」

「なあ、おっさん。あんたは橘のこと、何か知らないのか?」


 謎の機械をつないでいた小鳥遊が顔を上げた。いつものひょうひょうとした顔だったが、目は笑っていなかった。


「私から言うのは至極簡単なのですが…… 美咲さんが自分から言い出さない以上、聞かないであげるのも…… よく分かりませんが、男の優しさなのではないでしょうか?」

「かもな。しかし…… おっさんの口からそんなセリフが出るとは思わなかったな。」

「こらこら。隼人君は遠慮がないなあ。そうは思わ…… ん? どうした、謙治君?」


 謙治は二人の少女の消えた方に目を向けている。腕時計を見てから首を傾げる。


「二人とも少し…… 遅くありません?」

「そういえばそうですね。」

「ちょっと見てくる。」

「あ、僕も行きます。小鳥遊博士、荷物の方をお願いします。」


 立ち上がった隼人を謙治が追った。


「……そんなに遠くなかったハズですから、やっぱり時間がかかり過ぎです。」

「静かにしろ。」


 しゃべっている謙治を一睨みで黙らせてから耳を澄ますように目を閉じる。周囲の喧噪、波の音、そんなものが聞こえてくる。耳にだけ全神経を集中する。


(ちょっと! 何なの君たち!)


 聞き覚えのある少女の声が隼人の聴神経を刺激した。


「橘……!

 行くぞ、田島! 二人が危ない!」



「うわぁ~、麗華ちゃんかっこいい~!」


 麗華は結構大胆なデザインの赤のビキニ。美咲は麗華に見立ててもらった白と黒のスプライトのセパレート。二人ともその上からサマージャケットを羽織っている。


「ふふん、どーだ美咲。すごいでしょう。」

「ううっ、言い返せない……」

「なんてね、美咲はきっとこれから伸びるタイプよ。そうがっかりするんじゃない。」

「うん! そうだね。」


(単純な子……)


「そうそう。ほら、小鳥遊さん達も待ってるわ。早く戻りましょう。」


 そう言って歩き出す二人。あまり知られていない名所なのか、砂浜には人もまばらでジャガイモを洗うような海水浴場とは天と地の差だ。海も遠浅で、遥か水平線まで青く澄み渡っていた。

 空も海と競うように青く、その中に浮かぶ雲は新雪を思わせるほど白かった。


「いい天気だね。早く泳ぎたいなぁ……」


 美咲の心はすでに海に入っていた。麗華も少女の言葉を横に、まぶしい太陽に目を細めていた。


「少し焼こうかしら……

 あら……?」


 麗華の口調の変化に美咲もその視線の先を追う。そこにはおそらく地元の人間なのだろうが、見た目ガラの悪そうな男が少女達の進路を塞ぐように砂浜に立っていた。

 まるで二人を値踏みするようにニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべている。


「(何あれ?)」

「(目を合わせるんじゃない。きっと近くの不良かなにかよ。)」


 美咲のジャケットのすそを軽く引っ張り、軌道修正をする。目の前の男の存在よりも海から離れることが美咲には残念だった。

 少し遠回りになるが、さほどの距離があるわけではない。少し目をこらせば小鳥遊達が見えそうでもある。しかし、二人の視線を遮るように別な男がさっきのと同じようにニヤニヤと立っていた。


「(麗華ちゃん……)」

「(下手に刺激しても面白がるだけよ。見ない振りをするの。)」


 また少し海から離れる方向に足を向ける。さっきの男が後ろからきている。ニヤニヤ笑いを消そうともせず、二人の少女の後を一定の距離をあけてついてきていた。眼前の男も二人が横を通り過ぎるとさっきの男のグルであるかのように並んでついてくる。

 少女二人は背後から迫る不気味さから逃げるようにわずかに歩調を早めた。

 後ろに警戒していたせいか、いつの間にかにひとけのない、つぶれた海の家だったと思われる廃屋の方まで移動していた。


「(! 麗華ちゃん! 近くに数人の人の気配がする!)」

「(なんですって! ……走るわよ。)」


 二人が走り出そうと足に力をこめた瞬間、廃屋の陰から四人の男が躍り出てきた。後ろの二人同様に嫌らしそうににやけていた。


「ちょっと! 何なの君たち!」


 ニヤニヤ。


 男達が前後から近づいてくる。美咲はわずかに横に逃げて麗華をその背に庇う。人数は多く、しかもあたりは開けていて利用できそうな障害物が少ない。しかも麗華を庇いながらという不利な条件が重なっているが、退くわけにはいかなかった。もう一つ不利な条件があるのだが、焦りにとらわれていた美咲はその事実に気付いていなかった。


「近づいたら承知しないよ!」

「いやだなあ、そんなに怖い顔しないでよ。俺は君たちと仲良しになりたいだけさあ。」


 その言葉が額面通りの意味でないことは声色と表情で容易に想像できる。男達の好色そうな視線は麗華の体に絡みつくように注がれていた。麗華が嫌悪感に身を震わせる。

 男達の一人が近づいてきて無造作に少女に手をのばしてきた。素早くその手を美咲が蹴り上げる。普段なら腕が痺れるほどの衝撃を与えるはずなのだが、ペチンと乾いた音をたてただけで痛みよりも驚きで男はのばしかけたてを引っ込めた。


(いけない。足場が悪い。)


 砂浜とビーチサンダルという条件はスピードに頼ることが多い美咲には大きなハンデとなっていた。


「おっと…… おいお前ら、まずこの生意気なガキを押さえつけろ。」


 四人の男が美咲と麗華を四方から取り囲んで麗華には目もくれず美咲に掴みかかってくる。いつものような身軽な動きで相手を翻弄し、お返しとばかりに打撃をくらわす。

 が、不慣れな足場は威力の低下と疲労を美咲に与えていた。見る間に少女の息が上がってくる。


(せめて麗華ちゃんを逃がす時間を稼がなくっちゃ……)


 自分一人なら六人の囲みを抜け出す自信があった。しかし麗華を連れてでは……


「や、止めなさいっ! 手を離しなさい! ……美咲っ!」


 美咲の背後で悲鳴が上がった。反射的に声を方を振り返る。そこでは麗華が二人の男に腕を掴まれて取り押さえられていた。


「麗華ちゃん……!

 うわぁっ!」

「美咲っ!」


 一瞬の隙の間に美咲の後ろから男がタックルしてきた。地面にうつ伏せに押し倒される。ショックで呻いている間に他の男達が手足を押さえ込んだ。


(しまった!)


「やっと静かになったか…… さて、どっちからひん剥いてやるかな?」


 男の一人がナイフを抜いた。日光を反射して光るのだが、美咲にはそのナイフが血にまみれたことがあるのをその反射を見て分かった。

 麗華はナイフに小さく悲鳴をあげたが、美咲は一言も発せず睨み付けていた。


「こいつ、生意気だな。よし、こいつからにしよう…… お楽しみは後にとっとかなきゃなぁ。」


 ナイフを手に男が押さえ込まれている美咲に近づく。そのまま少女に馬乗りになるとサマージャケットの襟に乱暴に手をかけた。


「!」

「美咲っ!」


 引き裂かれた布地が宙を舞う。悔しそうに悲鳴を堪える美咲だが、ナイフの冷たい金属質な感触が背中に触れると美咲の顔に緊張と若干の恐怖が走る。

 少女をなぶるようにナイフが背中をなぞる。刃が美咲の水着の布地を小さく裂いた途端、少女の忍耐がプツリと切れた。


「やだ…… やだよ…… やめてよ…… いやだよ…… 誰かぁ……」


 幼い子供のように怯える美咲に男達が楽しそうに顔を歪めた。下卑げびた笑いがあがる。

 次の瞬間。


「いい趣味だな。」


 冷淡な声が上から降ってきた。

 いきなり聞こえてきた声に美咲が目を見開いた。不意に美咲の頭上がかげった。



 衝撃とともに美咲の上の重量が消失する。驚きで美咲の手足を押さえつけている力が緩んだ。


(今だ!)


 体のバネで一気に男達をはねのける。その間にも隼人は二人目を吹き飛ばしていた。


「その趣味の良さに免じて……」


 この上ないほど不機嫌な怒りの表情を浮かべ、倒した男に足をかける。


「病院送りで勘弁してやる。」


 隼人が足に力を込めた。骨がミシミシと嫌な音をたてる。踏まれている男が悲鳴をあげた。その足を別の足が払った。


「なにっ!」

「ダメだよ隼人くん!」


 真剣と懇願の瞳に隼人は拳の振り下ろし場所を失い、視線を宙にさまよわせた。


「チッ……」


 悔し紛れも含めてつまらなそうに舌打ちする隼人。隼人が不機嫌になっている間に美咲がこの場の残りの二人を倒していた。


「早く麗華ちゃんを!」

「しょうがないな……」



「か、彼女から手を離せ!」


 一方の謙治は真っ先に麗華の方に向かっていた。この年になるまで喧嘩の一つもしたことがない謙治にとって目の前の屈強な男達は恐怖の対象で、お近づきになりたいタイプでは全くない。しかし、密かに思い焦がれる少女が囚われている以上、彼の選ぶべき道は一つしかなかった。


「うおぉぉぉぉぉっ!」


 勇気を振り絞るために雄叫びをあげながら男の一人に体当たりをする。まさかこの気弱そうな少年がいきなり突っ込んでくるとは思わなかったのか、一人があおりを喰らって一緒に砂浜に倒れ込む。

 謙治もまさかうまくいくとは思わなかったのか、倒れてから半ば呆然として何もできないでいた。


「こいつ!」


 倒された男が謙治の胸ぐらをつかみ、無造作に拳をつきだした。

 鈍い音と共に謙治の体が宙を舞う。かけていた眼鏡が顔から飛んだ。


「謙治!」


 麗華が悲鳴をあげる。その声に謙治はわずかに反応を見せるが、殴られたショックで体がまともに動かない。更に無防備な腹を蹴飛ばされ砂浜の上を転がる。苦しそうな息が謙治の口からもれた。

 サディスティックな喜びに体を振るわせ、男が倒れている謙治に近づく。これから起こるだろう惨劇に思わず麗華は目を閉じた。

 そして、


「ぐえぇっ。」


 予想に反して聞こえてきたのは野太い男の声だった。恐る恐る目を開くとさっきまでの男が砂浜に突っ伏していて、そのわきに長身の若者が立っている。


「悪いな。こいつは俺のダチなんでな。

 さて……」


 隼人が麗華を、というか彼女の腕をまだ掴んでいる男を振り向く。


「立っているのはお前だけのようだが、どうする? 今、そこのクズどもを連れて逃げるなら今回は逃がしてやる。ちょっとした理由があるからな。お前ら幸運だな。」


 ゾクリとするような視線で睨み付けられた男は思わず隼人の提案にのってしまおうとしたのだが、諦めが悪いようで自分が捕らえている少女の存在を最大限に生かそうと無駄な努力を始める。


「お、おい。こいつが見えねえの……」

「いい加減、ボクも怒るよ。」


 隼人の言うところの「理由」がすぐ後ろに立っていた。美咲のように童顔だとどうも怒っているよりは拗ねたようにしか見えないが、美咲もご機嫌斜めだった。

 背後からの声に驚いて振り返った瞬間、砂の上を滑るように隼人が動いて男の肘を蹴り上げる。痺れるツボをついたのか、力が抜けて麗華から手を離した途端、美咲が両手を揃えて突き出した。美咲の放った掌底が胴に命中する。吹き飛ばされずに男はその場にガックリと膝を折った。


「て、てめえら…… 覚えてやがれ……」

「覚えているとも。」


 苦しい息の下で男達が使い古されてカビの生えそうなセリフを吐くが、隼人の一言が男達を凍り付かせる。


「今度俺の目の前に現れたら誰が止めようとも手加減をする気はないからな。俺がまだ我慢している間に失せろ。」


 静かな語り口だが明らかに殺気が込められていた。美咲ですらその冷たさに恐怖し身を震わせた。


「失せろ。」


 隼人の次の一言が男達を動かした。動ける者が動けない者に手を貸して蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


「仲間を助けるとは関心関心。

 ……で、大丈夫か橘。」

「う、うん。」


 隼人を見上げる美咲の目に少し怯えが走っていた。それを悟ったのか隼人は表情を和らげると美咲の頭にポンと手を置く。


「悪かった。……ちょっと嫌なことがあったんでな。」


 ふと気付いたように自分の着ているジャケットを脱ぐとひどい格好になっていた美咲にかけてやる。


「すまない。せっかく遊びに来たのにな。」


 隼人の言葉と行動にやっと美咲が笑みを見せた。少年にとってその笑みは胸の内の怒りの炎を鎮めるのに十分な輝きを持っていた。


「ううん、いいよ。みんな無事…… みんな……? あ、そうだ謙治くん!」


 美咲が倒れた謙治に駆け寄ろうと振り返ろうとする。その肩を優しく隼人が止めた。


「え、何?」


 無言で首を振ると砂浜を指さした。そこにはゆっくりと身を起こしている謙治とそれに肩を貸している麗華の姿が見える。


「まったく…… 弱いクセに無理するんだから。」

「はあ…… 面目ないです。」

「だいたい、いっつもコンピューターや変な機械で遊んでいるあんたが、喧嘩なんかできるわけないでしょ。」

「すみません…… でもつい……」

「美咲や隼人がいなかったら今頃ボロ雑巾になってたのよ。分かってるの?」

「ええ、まあ……」

「(でも…… ちょっと格好良かったんじゃない? 謙治にしては。)」

「何かおっしゃいました?」

「いいえ。ほら、さっさと戻るわよ。美咲! 隼人! 小鳥遊さんが待ってるわよ。」


 照れ隠しだったのか、いきなり大声をあげると小鳥遊のいる方へスタスタと謙治を連れて歩いていった。少し遅れて美咲と隼人も後を追った。



 向こうから四人くらいの人影が見えてきて小鳥遊は眼鏡をなおした。そして人影が近づいてくると不意に眉をひそめた。


(皆さん…… ですよね?)


 更に近づいてくる。やっぱり顔ぶれは彼が知っている少年少女四人なのだが……

 殴られたように顔を腫らしている謙治、そして彼に肩を貸している麗華。どう見てもサイズの合わない男物のジャケットを引きずるように着ている美咲におそらく貸し主の水泳パンツ一丁の隼人。


「あの…… 麗華さん?」

「な、なにかしら?」


 いつものように優雅に答える麗華だが、比喩的な表現を用いるとこめかみに一筋の汗が流れていた。


「いえね、ちょっと…… 皆さんの様子から二種類ほど状況を想像したのですが……

 どちらでしょう?」


 小鳥遊の言葉に首を傾げる四人。しばらくして麗華がやっと思いついたように顔を上げるが、すぐに冷ややかな視線を小鳥遊に浴びせる。


「一応言っておきますが、謙治を殴ったのは私じゃありませんからね。」

「ということは…… 私の想像その一というところですか。ま、皆さんそれなりに無事でよかったです。」


 麗華がふと目を細める。


「何でそんなこと分かるのよ。」

「お忘れかもしれませんが、私はこれでも心理学者です。皆さんの今の表情と性格からある程度なら分析可能です。

 疑ってるのでしたら分析結果をこと細かく説明しますが…… そうすると困る人がいませんか?」


 そして二人の少年の方に意味ありげな視線を向ける。隼人は見えなかったように無視し、謙治は困ったような苦笑いを浮かべる。


「ま、私も深く突っ込む気はありません。皆さんが無事ならそれで結構です。

 ……で、実は皆さんがいない間にスイカを用意したんですが……」


 言いながら荷物の陰から緑と黒の縞の球体を取り出す。


「スイカ割りなどいかがでしょうか?」

「でかいな……」


 持った小鳥遊がよろけるくらいの大きさの西瓜であった。


「ええ。ちゃんと全員の分を用意してありますからご安心を。」


 と、更に四つの西瓜を取り出す。少年少女たちの動きが止まった。ややしばらくして麗華が髪をかき上げる。


「小鳥遊さん…… スイカ割りってどういうものかご存知です?」

「いえ…… それがよく知らないのですが、とりあえずスイカを使う遊びらしいことは知っております。」


 美咲を除く三人の口からため息がもれた。

 結局、この日は誰も泳がずにスイカ割りとビーチバレーと砂遊びで終始した。水着を切られた美咲が泳ごうとせず、そうすると隼人もなぜか泳がない。怪我をした謙治も海に入れないでいると麗華も浜でのんびり肌を焼いている。小鳥遊は小鳥遊で太陽電池持参で海で謎の機械を操作していた。

 そして日は沈む。

 今夜の宿である小鳥遊の親戚のやっている民宿というのが、いかにも「民宿!」という雰囲気が全体からにじみ出てきそうなほど民宿していた。いかにも絵に描いたような姿の女将がでてくると思わず感嘆の声があがる。


「おやおやおやおや。カズ坊も少し見ないうちにすっかり立派になっちゃって……

 あらあらあらあら。可愛らしい子達。カズ坊もこんな頃があったわねえ。」


 カズ坊呼ばわりされて小鳥遊が苦笑いを浮かべる。


「いやだなあ、叔母さん。この年になってカズ坊は勘弁してください。」

「なに言ってんだい。あたしにとっちゃあ、いつまでたってもカズ坊だよ。」


 そんな二人のやりとりをしばらく眺めていた美咲達だが、さすがに挨拶しないといけないと思ったか美咲を先頭に次々に頭を下げていく。


「お世話になりま~す。」

「失礼させてもらうわ。」

「お邪魔します。」

「世話になる。」

「あらあらあらあら…… 元気があっていいわねえ。おばさん、元気な子は大好きよ。」

「えへへ……」

「気になさらないで。この子は元気だけが取り柄なんだから。」


 ニコニコ顔の美咲に麗華がいつものように突っ込みを入れる。そこでふと気づいたのか、謙治が少し歪んだ眼鏡をなおして顔を上げた。


「で…… 僕たちはいつまで玄関先にいればよろしいのですか?」

「あらあらあらあら…… お客様を待たせてはいけないわね。ごめんなさいね、すぐに食事の用意もするからね。」

「あ、そうだ、叔母さん。」


 部屋に案内される途中で小鳥遊が女将の背中に声をかける。穏やかな笑みのまま、彼女が振り返る。


「スイカ…… いかがですか?」


 隼人が無言で背負っていた西瓜四つを床に置く。女将の表情が一瞬止まったように見えたが、すぐに元の笑みに戻る。


(プロだ……)


 謙治は一人呟いていた。



 海産物盛り沢山の夕食が済み、風呂にも入ってご満悦の一行。湯上がりの浴衣姿の少女二人が部屋に戻るために廊下を歩いていた。


「いい湯だったね、麗華ちゃん。」

「そうね。ところで……

 ……ちょっと美咲、待ちなさい。」

「なになに?」


 振り返った美咲を上から下まで見る。バタバタ走り回っていたせいか裾は乱れ、丈が合わないのと帯の締め方が緩かったのか前もいつはだけてもおかしくなかった。


「あんたねえ…… 浴衣ぐらいちゃんと着なさい。まったく……」


 少し屈むと美咲の浴衣の帯をゆるめる。数分もしないうちに元通り、というか端から見てもおかしくないように着付け直す。


「ほら、これでいいわよ。

 女の子なんだから少しは身だしなみに気を使いなさい。」

「はぁい。」


 言ってからふと麗華が眉をひそめる。


「……違うわよ。ええと…… そうそう。でさ、どうするの? 水着。」

「あ……」


 美咲が表情をくもらせる。美咲の水着は昼間の不良に切られたままだった。一応、縫ってはみたものの物が物だけに着てみようという気にはならなかった。

 更にここは結構な田舎町ですぐに別の物が手に入る見込みもなかったし、美咲も替えを用意してなかった。


「どうしよう……」

「困ったわねえ…… ま、今ここで色々考えてもしようがないわ。明日になったら少し近くを回ってみましょ。もしかしたらあるかもしれないわ。」

「そう、だね……」


 悲しそうな顔をしている美咲を麗華がコツンと小突く。


「こらこら、そんな顔するな。美咲らしくないぞ。今日は遅いからそろそろ寝ましょ。」

「うん……」



 明かりが消えた中で美咲は佇んでいた。静けさに包まれているのは同じだが、いつもの自分の部屋とは違う旅館の部屋。そして独りぼっちでもない証拠にすぐ隣では麗華が寝息を立てていた。

 真円に後一日位の月の光が窓から斜めに差し込んでくる。直接光の当たるところ以外はその光との明暗差でだいぶ暗く見えるが、美咲の目ではさほど物を見るのに苦労しない位の明るさである。

 並べて敷いてある布団の上に美咲とすでに眠りの世界に入っている麗華がいた。夢幻界にダイブできるようになったからといってもいつもの眠りに何も変化はなかった。夢の中にいることと睡眠は別のことである、と小鳥遊に何度も教えられたのだが、美咲にはまだ理解できないでいる。

 そんな普通に眠っている麗華を美咲は嬉しそうな顔で、そして妙なほど真剣な眼差しで見つめていた。


「麗華ちゃん…… 隼人くん…… 謙治くん…… 博士…… ボクすごく嬉しい…… 普通のことが普通にあるってことがこんなに嬉しいとは思わなかった。」


 月光の中で美咲の体は小さく震えていた。薄闇に何粒かの滴がこぼれ落ちる。確かに美咲は泣いていた。


(あの日以来、絶対泣かないと心に決めていたのに……)


 美咲は今まで泣き出しそうになっても、決して泣きはしなかった。秘めた誓いを自ら破ったのにも関わらず悔やんではいなかった。流れたのは悲しみの涙ではなく、嬉しさのあまりこぼれた涙であったからだ。

 そうして一人「幸せ」を噛みしめているとムクリといきなり麗華が体を起こした。寝起きの不機嫌を絵に描いたようにやぶにらみで後頭部のあたりをボリボリかく。

 慌てて目尻の辺りを拭うと、美咲は麗華を振り返った。


「れ、麗華ちゃん……?」

「美咲…… あんたまだ起きてたの? ……じゃないわよっ!」


 半分寝ぼけ顔から激昂する麗華に美咲はただただ呆然としているが、彼女が寝乱れた浴衣を直し部屋を出ていこうとすると、すぐに美咲も部屋を飛び出した。


「ねえねえ、麗華ちゃんどうしたの?」

「あの馬っ鹿ぁ! 何考えてんのよ!」

「え?」

「謙治よ謙治、」


 柳眉をわずかにつりあげて麗華は深夜の廊下を優雅な動きを崩さずに歩いていた。チョコチョコとした動きで美咲が後を追う。


「することないからってバスタータンクでうろつきまわることないじゃない。

 全く、自分の夢の中でブレイカーマシンに遭うとは思わなかったわ。」

「ふうん……」


 すぐに男三人の泊まっている部屋の前にたどり着く。無造作に襖を開けようとして、逆にいきなり内側から開いたので麗華は手を泳がせる羽目になる。


「夜這いか?」


 普通に立っているように見えるが、それでもすぐに戦闘態勢がとれるような自然体で隼人が立っている。


「冗談は後だ。ちょうどお前らを呼びに行こうと思ってた。

 ……田島たじまが夢魔に捕まった。」

「う、嘘……

 私さっき夢の中でバスタータンクを見たのよ。じゃあ、謙治がその…… だから……」


 隼人ほどではないが冷静沈着なはずの麗華が見事なまでに取り乱している。美咲がチョイチョイと彼女の浴衣を引っ張った。


「ねえ、麗華ちゃん……」

「何よ美咲っ!

 ……ごめん。……ありがとう、私も落ち着けたわ。で、どういうこと?」


 入り口近くで顔をつきあわせていると奥から小鳥遊が顔を出した。


「……ふ~む。麗華さんは現実世界にいる、と。するとやっぱり……」

「小鳥遊さん!」


 麗華の呼びかけに独り言を続けていた小鳥遊が顔をあげる。指で眼鏡をなおすと真剣な表情で三人の少年少女を見る。


「あ、忘れてました。すみませんが皆さん、旅館の中の人間を調べてください。麗華さんのさっきの言葉と私の考えが正しければ、少なくとも寒がっている人がいるはずです。」


 比較的視線を合わせやすい麗華と隼人が顔を見合わせる。美咲はそんな二人を見上げ、そして下を向き、腕を組んでしばらく首を捻り続ける。


「それって…… もしかして夢魔がブレイカーマシン?」

「どういうことよ美咲?」

「なるほどな……」


 隼人が考え込むように閉じていた目を開いた。さっき見た謙治は寝苦しそうに暑がっていた、というより熱がっていた。おそらく彼の夢の中は灼熱地獄なのだろう。それに麗華の見たバスタータンク、おそらく寒がっている人間。これらはすべてブレイカーマシンの能力だ。


「それと私とどういう繋がりがあるのよ?」

「来てみろ。」


 隼人がニコリともせず奥に歩を進める。気がつくと半ば無視されていた小鳥遊と美咲、麗華の三人が男衆の部屋に入った。



 謙治は暑いのだろうか全身に汗をかいていた。顔も真っ赤で息が沸騰しているヤカンのように荒い。しかし表情は苦しそうに歪んでいたが、真剣の色が見て取れた。

 口元からわずかに音がもれている。単なるうめき声にしか聞こえないが、麗華は電撃を受けたかのように体を硬直させた。


「だ…… めです…… 神楽…… 崎さん…… やめ…… て…… れ……い……か…… さん……」


 確かに謙治は一人の少女の名前を呼んでいた。隼人が膝をついて謙治のブレスレットに指先だけで触れる。


「……眠ってもいるが、ダイブもしている。そんな中途半端な状態だな。

 どうやらこいつは夢魔に捕まったんじゃない。自分から出ようとしないだけだ。」

「そ、それって……」


 その理由はすでに解っていた。しかし口に出すのはひどく勇気の要る行為だった。そして麗華にはその力がなかった。


「麗華さん。とりあえずあなたに出動を要請します。諸処の事情でリアライザーが使用できません。とにかく謙治君を連れてきて下さい。……あなたなら適任です。」


 小鳥遊の言葉に麗華が惚けたような顔を上げる。ノロノロと左腕を眉間の高さまで持ち上げる。


「ドリームダイブ……」


 半立ちの麗華がその場でクタッと意識を失う。美咲が倒れる彼女の体を支えた。


「麗華ちゃん……」


 いつもからのあまりの変わりように美咲も動揺を隠しきれなかった。



 夢幻界に入った麗華はすぐに周囲に漂う異様な気配を感じた。ちょうど夢魔の気配と同質のものだった。


「……ったく。」


 乱暴に髪をかき上げると苛立ち混じりのため息をつく。自己嫌悪に陥っているのが自分でも分かる。

 最初の頃に比べれば謙治のことは嫌いではない。それでも特別な感情を抱くほどでもない。しかし、全力で自分を庇ったり、彼女の名を呼びながら苦しんでいる姿を見ると妙に罪悪感みたいなものを感じるのだ。


「あ~っ! もう、イライラする!

 ちょっと小鳥遊さん!」


 虚空に向かって声をかけるが返事は戻ってこない。更に苛立ったように腕を組む。つま先が彼女の心の動揺を示すように小刻みに地面を叩いていた。


『聞こえるか神楽崎。』


 少女とは正反対に冷静な声がブレスレットから聞こえてくる。


『今の状況を簡単に伝える。おっさんは今研究所と回線を繋ごうとしている。それがすむまで一切の実体化リアライズは不可能だ。

 田島の居場所は自分で探せ。こちらの機材ではまだサポートできないそうだ。』


「そんな簡単に……」


 冷たく言われたことが逆に麗華にいつもの冷静な判断力を戻させる。麗華は目を閉じて集中した。脳裏に謙治の顔を思い浮かべる。

 すぐにドリームティアを通して炎が見えてきた。人影が見える。耐えきれないほどの熱の中で一人の少年が天に向かって必死に叫んでいた。


(あの、馬鹿……)


 麗華は心の中で「跳躍」をイメージした。夢幻界にも一応距離がある。しかしながら自分が知っている「場所」には時間空間を越えて移動も可能である。小鳥遊の受け売りだが、今はそれだけが頼りだった。


(なんで私があんな…… あんな…… あんな奴のために……)


 その「あんな奴」は麗華の為に炎の中で苦しんでいる。

 麗華は再びドリームティアを額にかざす。


(跳べ!)


 少女の姿が夢幻界から消えた。



 燃えるものが無いはずなのに火柱は物理法則を無視して燃え続けていた。夢幻界だから、ということも考えたが「常識」や「法則」というものが人の記憶にある以上、それを大きく逸脱したことは起きない、ということになっていた。

 謙治の上空に見えるフェニックスブレイカーは彼を嘲笑うかのように輪を描き飛んでいる。周りの炎はすべてこのブレイカーマシンが作り出したものだ。


「神楽崎さん、やめて下さい!」


 その声にやっと気づいたのか、それまで無秩序に炎をばらまいていたフェニックスブレイカーが眼下の人間を見た。


(違う!)


 そのときになってやっと謙治は自分の間違いに気づいた。その深紅の瞳は他人を見下すようなあざけりの色をたたえていた。少なくとも麗華の瞳ではない。

 謙治がその事実に困惑していると下を向いた鋼の鳥がその爪を少しのばした。爪の先端をミサイルのように飛ばすクローナイフ。謙治はそう判断した。その武器は着弾点で爆発を起こす。今の生身の状況では逃げることも耐えることも不可能である。自分のブレイカーマシンを出そうとして、今の状況ではドリームリアライザーが使用できないことを思い出す。そのことに早く気づいていればあのブレイカーマシンが麗華のものでないことはすぐに判断できたはずなのに……

 クローナイフが放たれた。雷のドリームティアを持つ謙治なら生身でも多少の電撃なら操ることができる。しかし今はその能力は全く役に立たなかった。

 謙治が自分の死が間近であることを悟った。不意に彼の脳裏に一人の少女の顔が浮かび上がる。謙治は最後の瞬間に恐怖し、思わず目を閉じた。




次回予告


美咲「今度の夢魔はボクたちと同じブレイカーマシンだった。反撃の糸口も掴めず消耗していくだけ…… 何とか一体倒せたものの、夢魔は更に強くなって襲いかかってきた。このままじゃ、みんなやられちゃう……

 みんな! ボクに力を貸して!


 夢の勇者ナイトブレイカー第十話。

『心を一つに(後編)』


 夢はボクらの宝物だよ。」

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