#92 Spring

 椿結衣の艶やかな髪に反射する光の形がゆらゆらと姿を変える。広間の隅々を見渡して状況の委細を掴もうとしていた。その手には若い男性の手が繋がれている。道中彼女といるところを何度も目にした若い男性だ。確か杏子さんは彼を『別府君』と呼んでいたか。その目は見る者を吸い込んでしまうような虚ろな目をしていて、瞬き一つもなければ黙して立する彫像と何ら違いないように見えた。


「どう?呆れるほどユーモアでしょ?」


 杏子さんが鼻で笑って言った。


「そうですね。計画が思い通りにいかないことを"humourユーモア"と呼べるかどうかはともかく――滑稽であることは否定できません。ねえ、正臣さん?」


 見透かしたような顔で椿結衣は天井を見上げた。


「私だってこんなはずじゃなかったんですよ……」


 悔しそうな声が聞こえてくると彼女はそれを一笑に付した。


「まあまあ、正臣君の失態はひとまず置いておくとして――結衣はこの状況をどうするつもりでいるのかしら」

「杏子さん、それを私ひとりに背負わせますか」

「結衣一人に背負わせるつもりはないわ。ただこの計画の首謀者は結衣で、私と正臣君はあくまでアンタの手駒だった。アンタが望む通りの舞台を用意したし、アンタの書いた筋書き通りにここまで事を運んできた。でも実際に殺人を犯したのは私と正臣君な訳だから、責任の所在をアンタ一人に被せるのはフェアじゃないことは分かってる。だからせめて計画の舵取りっていう重責を背負わせたいのよ」

「さすが杏子さん、いかにもマジシャンらしいお答えです」

「なにそれ、どういう意味よ」

「邪推しないでください。人を言いくるめるのがお上手ですね、と言いたかったんです」

「それ喧嘩売ってるのよ?気づいてない?」

「良い意味でですよ」

「アンタね――ってもういいわ、もうこの半年で分かった。アンタと普通の会話を望むのは無駄だって」


 椿結衣は首を傾げる。


「ああ、もういい、もういい。で? どうするつもり? ここにいる囚われの参加者と正臣君が取り逃がしたネズミ三匹。取り逃がしたことは不問に付すとして、問題はこの三匹がとっても狡猾だということ。私達に隠れて推理を働かせていたみたい。他の参加者も含めてこの旅行の裏側に色々と気付いている人間がいるから『魔法』の効き目が悪いのよね」

「正臣さんが練習通りに出来なかったことが影響していますか?」

「それもあるでしょうね」


 椿結衣は手を繋いでいた男性の腕を徐に引っ張ると、自分の首筋に顔を引き寄せた。若い男性はされるがまま彼女の懐に顔を埋めると大人しく目を閉じた。


「先輩、じっとしていてくださいね」


 右手に男性の頭を抱えたまま、左手を杏子さんの方に差し出した。


をこちらに」


 察した杏子さんが手に持っていた拳銃を投げ、それを手に取ると躊躇なく天井に向かって発砲した。

 どちゃり、と何かが崩れ落ちる音がした。


「ウソ……正臣さん……」


 私が思わず声を出すと椿結衣は一瞥して微笑む。

 そうして杏子さんに拳銃を投げ返した。


「これが私の答えです、杏子さん」

「……なるほどね、プランBって訳か。それってもはや『魔法』なんてどうでもいいって事よね、

「こうするしかないでしょう、今は。どちらにせよ、この件が明るみに出れば正臣さんの死刑は免れません。短い余生を悔やみながら生きていくよりはいまここで同じ屍の上に倒れた方が幸せでしょう。そう思いませんか?」


 杏子さんは下唇をぎゅうと噛み締める。その眼には怖れと焦りの感情が映っていた。


「初めからこうなることを想定していたの?」

「まさか。苦渋の決断ですよ」

「……へえ、本当にアンタって感情が読めない子ね。人を殺す時にそんな飄々としていられるもの?」

「貴方がそれを言いますか。一部始終を見させていただきましたよ、楽しそうに彼を殺していたじゃありませんか」


 杏子さんが楽しそうにを殺していた?

 それは一体誰のことで――いや、私はもしかすると盛大な勘違いをしているのかもしれない。


「そんな話はどうだっていいの? 私にはアイツを殺す理由があった。アンタがいま突発的にやった行為とは訳が違う。私には長い間積もりに積もった強い思いがある。アンタにはない。例え計画のためとはいえ擁護できないわよ」

「全く理解できません。目的を遂行するために殺人を犯したという〝結果〟は私と貴方では何も違いがありません。ただその過程に要した時間、ひいては当意即妙の機知があったかどうかというだけです」

「アンタ言ってることが可笑しいわ――そんなことだから父親にも捨てられたんじゃないの?」


 彼女の顔が凍り付く。

 何かを言い出そうとする前に――動き出したのは伊谷さんだった。杏子さんに掴まれた手を振り払うと、脱兎のごとくその場から逃げ出した。椿結衣の言葉を待っていた杏子さんはやや反応が遅れた。それに乗じて伊谷さんは千紗の手を取り、次いで私に手を差し伸べた。


「佐々さん!今はとにかく逃げましょう!」


 その手を取ろうとしたが、一瞬、椿結衣の姿が目に入り、ここに来た理由が駿馬のようにドタドタと駆けてきた。清川の血の付いた錐を強く握り締め、私は伊谷さんの思いを振り払った。

 彼は寂しい顔を見せながらも千紗の手を強く握って広間の扉を蹴破って出て行った。ほぼ同時に銃声がして、二人が蹴った床に弾痕が付いた。


「――っち、外したか」


 杏子さんは悔しそうに歯ぎしりすると二人を追うようにゆっくりと歩き出す。


「結衣、話は後よ。どちらにしてもとりあえずあの二人は消さないといけないから」


 硝煙の匂いを身に纏いながら、悠然と立ち去る。

 椿結衣はその背中が消えるまでしばらく眺めていたが、ふと私の視線に気が付き微笑んだ。


「慌ただしくてごめんなさい。本当はもっとスマートにやるつもりだったんだけど。貴方は……、佐々さんですね。黙ってここに残ったという事は束縛された彼らと同じく口封じに殺されることを選んだのですか」


 私は静かに手元に目を落とす。錐を逆手に持ちかえる。

 その様子を見た彼女は怪訝な様子で私の顔を窺った。


「もしくは――私を殺すため?」


 木で出来た持ち手がほんのりと熱を帯びる。


「でも私と貴方は面識がない。動機が浮かび上がって来ません」


 伊谷さんの手を取らなかった、逃げるための右手が鉄のように冷えている。


「私がこの計画を導いていたと断定するにもまだ判断材料が足りないはず。それにも関わらず、貴方はもう殺人を犯す覚悟が出来ている。正臣さんが殺されたから?――いや、彼には申し訳ないけど、それは理由たり得ない」


 体を流れる血潮が激しく波を打つ。背中を押す者がいればいつでも一歩を踏み出せる。


「貴方が抱いているのはきっと人間の心に根差した――なのでしょうね。でももし本当にそうなのだとしたら、絶対に殺すべき相手は間違えてはいけませんよ。それは一度潜れば帰って来れないほど暗い暗い底ですから。絶対に……、間違ってはいけません」


 彼女は私が握っている錐に目を落とすと、切っ先に向かって伸びる固まった血痕を確認し、口を開いた。


「――椿は冬から春先にかけて開花します。だからもっとも雅に咲き誇るのは、ほんのり雪化粧をした時なんでしょうね」


「椿さんは春に咲く花と聞いて何を思い浮かべますか?」


「やはり春は桜です」


 





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