#91 And Then There Were Full Cast.

 清川の亡骸を呆然と見つめる。去る一歩を踏み出す勇気が湧いてこない。思い切って背を向けてみたものの背後にまだ彼がいることを意識して振り向いてしまった。血の気のない不健康な右腕を見るだけで、彼の体が既に冷たくなっている事が分かった。これ以上彼を見つめていても延命の余地はないのに。意味もなく見つめる。やがて来る試練をその肌に感じながら、昂る気持ちを抑える。


 これから私は人を殺すのだろう。

 明確な殺意を以て、彼女の前に立つのだろう。

 椿結衣をこの手で殺めるのだろう。


 これは復讐ではない。清算だ。

 この先もずっと清川を愛し続けるために、私の心の中に彼女の残影を映してはならない。純粋に彼だけを想う日々を送るためには彼女の存在が邪魔だ。清川の生涯をその手で握りつぶしたという記憶の痕跡を残してはならない。彼の最期を看取ったのは私だけでいい。椿結衣は要らない。


 その時、何かを弾いたような音が二階から聞こえた。

 音に反応して体に電気が走る――いま自分が何をしなければならないのか、それを瞬時に理解した。銃声のように聞こえたその音はスターターピストルのように私の足を動かす。

 清川の手に刺さった錐を差し抜くと、二階に繋がる階段へと駆けていった。





 大広間には異様な光景が広がっていた。手足を椅子に縛られた参加者と、その上に坐して死す大野夫妻。魔女の格好をした見知らぬ女性に拳銃を突きつけられている伊谷さんと、それを息詰まる様子で見つめる千紗の姿があった。部屋の奥、暖炉の近くには誰とも判断が付かない焼死体が転がっている。椿結衣と連れの男性の姿は見えなかった。


「佐々さん……?」


 伊谷さんの声はすっかり魂が抜けていた。


「ちょっと正臣君、まだ参加者いるじゃない」


 女性は天井を一瞥してまた私に視線を戻した。彼女はいったい誰に話し掛けたのだろう。

 伊谷さんが困惑した表情で女性を見ると、彼女は肩をすくめた。


「いやいや、私この娘と面識ないわよ? 知らない娘――――っていうか、まあ、それはいいんだけどさ、正臣君? こういう場合はどうすればいいの? 『魔法』で殺す? それとも人間らしい方法でサクッとやっちゃう?」


 彼女の問い掛けが沈黙の中を漂う。しばらくして天井からくぐもった声で返答があった。


「私にだって……分かりませんよ」

「はあ? 大体、正臣君が色々ヘマするからでしょ? 女の子一匹取り逃がして、小父さんに天井に閉じ込められて、思ったよりたくさんの参加者殺しちゃうし」

「……仕方がなかったんですよ」


 白居正臣、彼がこんな事を……?


「あら、この娘だいぶショックを受けちゃったみたいよ。アンタ達、二人で行動してたんでしょ? ひ弱な男子がここまでやってのけるなんて思ってもみなかったみたいね」

「……」

「正臣さん、どうしてこんなことをしたんですか?」


 私は震える声で姿の見えない彼に問い掛けた。


「……」

「この旅行の実現は貴方のお姉さんの悲願だったんですよ? それなのに、どうして……、どうしてこんなことをしたんですか?」

「……」

「正臣さん! 答えてください……っ!」

「……」


 魔女の女性は面倒くさそうに頭を掻き、手の中で拳銃をクルクルと回す。


「正臣さん……!」


 私はもう一度念を押して声を振り絞った。


「佐々さん」


 天井からポツリと声が落ちてきた。


「私はしがない公務員だった。やりたいこともなく、雑念も情事もない、浅薄な人生を送っていた。そして、そういう人生を心底望んでもいた。でも、私の心の中にはいつもカビの生えた古い宝箱があった。その宝箱はきな臭い青春の匂いがしていた。それを開ければ自分がいったいどうなってしまうのか。私は理解していた。だからそれを開けた。でも、その中身は自分が思っていたモノとは全く異なっていた。ウズウズと足の先から這い上がってくる狂気が身体を蝕み、気づけば私はそれに憑りつかれていた。開けてはいけない黒箱だったと自分を責めながら今日まで生きてきた。でもに出会わなければ――その箱を開ける日は一生来なかったと思う。だから後悔はないよ――例え


 魔女の女性が舌打ちを打った。


「杏子さん、今の言い方気に入らなかったですか?」

「……少しね」

「貴方にそういうつもりはなかったのかもしれないけど、私にとってはそうです。主人の居なくなった古い城を弄んでいるんですよ、私達は。もう明らかにしていいんじゃないですか?」


 二人の間に交わされている言葉の裏が読めない私は眉をひそめて女性を睨んだ。


「……そうね、もう隠す必要がないわ」


 溜息をつくと憮然と言い放った。



「美佳、半年前に交通事故で死んだのよ」



 空白が頭の中を一斉に埋めた。


「そう……」


 努めて気丈に振る舞っていたのか彼女の口調がゆるゆると弱弱しい調子に変わっていく。


「……突然の事だったわ。大型貨物を積んだトラックが交差点で曲がり切れずに横転して、信号待ちをしてたあの子はその下敷きになったの」

「バスに乗る前、挨拶をしていた彼女は――」

「偽物よ。参加者にこの旅行がイー・トラベルの企画であることを意識させるために用意したの。彼女はこの館まで来ていないし、今頃は自分の家でぐっすり寝ているんじゃないかしら」

「美佳さんが亡くなったのに、どうしてこの旅行を続けているんですか? 杏子さん……と言いましたね、もしかして貴方は美佳さんの同僚なんですか?」

「同僚じゃないわ。ただの旧友よ。でも訳あってこの企画の準備を手伝っていたの。ちょうど一年前になるかしらね……、二人で夜明けまで企画作りに没頭したわ。社内で企画案が通ったと聞いた時は本当に嬉しかった。必ずいい旅行にしようって二人で抱き合って泣いたもんよ。計画は順調に進んだの――、バスを手配したら町工場に持って行って改造をさせたし、魔法の杖だって木材加工の業者に頼んで特注で作ってもらった。魔女役の私を筆頭に各専門のキャストを集めて、あとは打ち合わせと舞台となる魔女の館を決めるだけ――、そんな折の不幸だった」


 しんと静まり返る広間に窓を叩く風の音が寂しく響いた。


「社内では企画を存続させるか中止にさせるか、随分と長い間話し合いが設けられたの。美佳の意志を尊重したい企画部と美佳なき計画の見通しの甘さを指摘する経理部の間で揉めに揉めたらしいわ。でも結局、計画は中止された。マジカル・ジャーニーは美佳が一から作り上げた物――社員は皆それを承知していたから、あの子の存在なくして計画が上手くいくとは思えなかったのね。私は同時に二つのものを失った。明日をを生きる目標とかけがえのない友人、心の隙間を埋めるものを探す毎日を送る、そんな日々の中に光が差した。が現れて耳元で囁いたのよ――魔女になりませんか、ってね」


 杏子さんはつま先で床をトントンと小突くと、ローブに付いた埃を払った。


っていったい誰なんですか?」


 私が問い掛けると杏子さんはすんとした顔で答えた。


「直に来るわよ。正臣君の失態を咎めにね」

「……椿結衣ですか?」

「どうしてそう思うの?」

「彼女だけまだここに来ていません」

「理由はそれだけ?」

「それだけじゃありません。彼女は『魔法』を使っていました」

「そういう趣旨の旅行なんだから当たり前でしょ。ここにいる全員が一度は体験しているはずよ」

「そうではありません。彼女は『魔力』を自分で生成して『魔法』を使ったんです」


 ここに来る途中、清川は彼女の『魔法』によって傷を負った。今にしてみればアレは清川の自演だった訳だが、杖に明かりを灯すことが出来るのは魔女とサクラのキャスト側だけだ。それを椿結衣は一般参加者の立場でやってのけたのだ。


「ああ……そういえば、あの子そんなことも言ってたわね。ウザったい虫が付き纏ってきたから思わず手を出しちゃったって」

「貴方は彼女とどういう繋がりがあるんですか?」

「どうって――」


 杏子さんはピタリと言葉を切って私の背後に目配せを送った。

 振り返るとそこには仲良く手を繋いだ若い男女が立っていた。


「待ってたわ、結衣――それと別府君もね」

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