#48 Actor

 人は誰しも苦手な生き物がいる。それは隣家のよく吠える番犬だったり、ふと踏みつけてしまったカタツムリだったり、捨てたゴミを漁るカラスだったり、ひどく泥まみれになった水牛だったり、オープニングロゴの咆哮するライオンだったりと人によって様々だ。小さい頃は平気で触れたセミやカブトムシも、大人になるとワシャワシャ動く爪や脚が妙に気味悪く感じられる。かと思えば、子供のころ蜂に刺された思い出は大人となった今も根深いトラウマになっていたりする。出来ることなら彼らの声や物音を聞きたくない。その姿を視界に入れたくない。肌と肌が触れるなど当然あってはならない。そんな風に拒絶する者がいる一方で、仕方なく付き合っている者もいる。日常そうした動物と接する機会があるのもどうかと思うが、実際そうした人間はいる。他ならぬ、私自身がその一人だからだ。


 私が苦手な生き物、それは『男』だ。


 とかく男という生き物はめんどくさい。意地を張る、見栄を張る、欲を張る―――――『男』の三大ダメ要素だ。彼らはちっぽけなプライドをかざして、メンツを守ろうとする。たとえうわべの塗り重ねであっても、それを臆面もなく守り続ける。女のことを厚化粧だのと笑っていながら、それが盛大なブーメランになっていることに全く気付いていない。そこまでして守る自分の偶像にどこまでの価値があるのか。女のすっぴんを嗤っている場合じゃないだろうと思う。

 無論、世の中そんな男ばかりじゃないことは知っている。実際、私の父はそういうタイプの人間ではない。家にいながらずっと母に尻を敷かれ、平日は追われるように会社に向かい、休日は図書館に身をやつしている。自分の意見というモノがなく、何を考えているのか分からない時がある。それでも父を憎き『男』と認識した出来事がある。

 家族で買い物に出掛けた時だった。普段はひとりで行動したがる父がやたらと私の側に寄って話しかけてくるので不審に思っていると、突然、父が向かいから歩いてきた男性に話しかけられ、少し気取ったように受け答えをしているのを見て気づいた。その男性は父の会社の同僚(独身)で、どうやら愛娘と並んで買い物に出かける幸せな父親の姿を見せつけたかったらしい。

 情けないとは思わなかった。父も一人の『男』だったのだと、むしろ安心をした。そして同時に込み上げる不快感は思春期のせいということにしておいた。

 

 だからどんな男も、結局、『男』だということを私は知っている。


 当然、清川も例外ではない。



「おめぇこっちに足やんじゃねえよ。さっきからチョイチョイ当たってんだよ」

「当ててるつもりありません」

「つもりでもなんでも、当たってるモンは当たってんだよ」


 意地を張る。


「すいません―――――私の脚が長くて」

「はぁ? 何言ってんだ? 俺の脚が長ぇからもっと引っ込めろっつってんだよ」


 見栄を張る。


「あぁ? おめぇさっきからふざけてんだろ。そういう態度がいちいち鼻につくんだよ」

「じゃあ私に構わなかったらいいじゃないですか」

「構ってるわけじゃねぇんだよ。付き合わされてんだ、てめぇ如きのワガママにな」

「すみませんね、私レベルなんかがワガママ言って」

「全くだ。もっと色香のあるネーチャンなら、俺にも考えがあるっつうのによ」

 

 欲を張る。

 この短時間で三要素を全て満たすとは、彼は生粋の『男』と言えよう。


「じゃあ、他の席に座ったらいいじゃないですか。私より綺麗で可愛い女性がいますよ」

「俺だってできりゃそうしてんだ、おめぇがこっちの席に座れっつうからこうなってんだろうが」

「そこまでおっしゃるなら、私が席を離れます。空いてる席はまだあるでしょうから」


 清川は鼻で笑うと、顎をくいっとしゃくり上げる。


「勝手に行ってこいよ。おめぇがまた人様に迷惑をかけたいって言うんならな」

「ならいっそこのバスを降りてやりましょうか」

「おうおう、降りろ降りろ。窓からでもどっからでも飛び降りろ。それが怖ぇならババアの魔法で消してもらえ―――――」


 清川の顔が一瞬固まる。


「魔法で消して……何ですか?」

「ああ……、いんや、消してもらえばいいんだよ」

「ん? 消すって私を?」

「んああ? ああ……」


 妙に歯切れが悪い。


「清川さん? どうかしたんですか?」


 顔色を窺うと、彼は鋭い目でキッと私を睨んだ。


「おい、俺に質問すんなっつったろ」

「今のは質問じゃ―――――」

「うるせぇ! 質問すんなっつったろ!」


 声を張る、これも新たな要素として加えようか。  


「我ながらバカなことを言った、そう思っただけだ。気にすんじゃねえよ」

「そう、ですか。それならいいんですけど」




 カーテンが締め切られ、外界の一切の光を遮断された車内は変わらず鬱蒼としていて、小刻みに振動する座席と、停止と発進に伴う慣性だけが、目的地に向かっていることを実感させてくれる。千紗が隣にいたときは気づかなかったが、こうして忌避すべき人間と肩を並べているところを俯瞰すると、このバスはさしずめ護送車のようだ。隣の男の風貌は特徴的だ。毛先を金色に染めた長い髪と、オカリナみたいに空いた耳の穴。彼は間違いなく人間の一人や二人は殺っている。殺人罪に問われているんだ。

 

 じゃあ、隣に座っている私の罪はなんだ……、内乱陰謀罪?


「はあ……」


 自分の豊かな想像力が憎らしい。ついつい大きな溜息をついてしまった。


「幸せ、逃げんぞ」

「え?」

「溜息すっとよ、幸せが逃げんだ。ウチのばあが言ってた」

「それ、聞いたことあります」

「おう。じゃあどうやってその幸せが逃げねぇようにすっか知ってっか?」

「吐いた溜息を……吸い込む?」

「おぉ! おめぇ分かってんじゃねえか。もしかしてミキの女か?」

「ミキ?」

三城みきだよ三城みき。俺の地元だ」


 三城市と言えば、通学に利用しているJRの終点駅がそうだ。都内からのアクセスも良く、子育て世帯に人気のベッドタウンとして栄えている。


「なんか意外ですね」

「意外ってどういうことだ」

「清川さんってもっとこう……、北関東の方から来られてるのかと思いました」

「俺がヤンキーみてぇだって言いてぇのか?」

「あ、いえ……、そう、ですかね」


 私の含意を汲み取った清川は仏頂面をする。言い逃れは出来そうになかった。


「この恰好のこと言ってんだろ? 悪いけどな、もうこういう生き方しかできねぇんだ。自分の身を守るためだと思ってる、お守りみてぇなもんだ」

「お守り?」

「今のお前みてぇに身構えんだろ?」

「その、すいません。偏見だとは分かっているんですが」

「いや、それでいいんだ、俺にとってはな。考えてみろ、他人から見る俺のイメージは絶対に一つだ。『バカ』だの『頭悪そう』だのとそういう風に見積もるだろ? だから都合がいい。相手の考えが読めるんだ。俺は相手の想定内で動き回ればいいし、逆に翻弄してやってもいい」

「………」

「今みてぇにな」


 彼はたまにこういう事を言ってくるから分からない。彼の真っ直ぐな瞳が、純真な黒が、私を見つめる。最初は、他者を圧倒する絶大的な自信が彼を見事なまでの黒に染めているのだと思った。でも違う。どうしてそんな簡単なことに気づかなかったんだ。そんな人間、いるはずがない。この世に初めから黒色の絵の具なんて存在しないんだ。赤と、青と、黄色が均等に混ざり合って初めて出来る色、それが黒色。それぞれ二色どうしを混ぜて三色の補色を作り、最後にそれらを混ぜ合わせることで綺麗な黒色を作ることができる。つまり、彼の中には色々な感情が渦巻いて、それを均等に混ぜているのだ。あらゆる人生の局面を乗り越え、経験に経験を重ねることで、色に深みが出る。だから彼の内奥を覗き見たとき、そこに純真な黒が見えるんだ。

 

 でも彼はまだ若い。そんな様々な試練と立ち向かうことがあるだろうか。少なからずあるにせよ、全ての色が混ざり合い綺麗な黒になるほどの経験を若くして得ることができるだろうか。いや、できない。


 何か、特殊な仕事に就いていなければ……。

  

 多様な人生を歩む仕事、か。

 一つだけ、あるにはある。だけど本当に彼がそうした仕事に就いているのか、私はまだ確信に至っていない。


 


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