#41 Old Man

「―――――その時の文乃の顔ったら可笑しかったンだから。あれ久しぶりに見せてヨ!」


 あれからしばらく私はクラスメートに『丸見えポーズ』で散々弄られ、皆が飽きた頃には紀平くんの存在も遠い思い出になっていた。以来、彼とは一度も会っていないし、連絡も取っていない。あの『丸見えポーズ』を披露していたテレビタレントもすっかり見なくなっていた。


「よくそんな昔のこと覚えてたね」

「文乃のことは何でも覚えてる。ずっと近くにいた友達だからネ」


 千紗はすました顔で、酢っちゃんを口に運ぶ。それからぼーっと他の座席に座る参加者を眺め始めた。私に仕返しができて彼女はもうすっかり興が冷めたようだ。


 私は手持ち無沙汰に黒いカーテンを見つめる。本来私はバスや電車に乗っている時は流れる景色を見ながら時間を潰すタイプだ。近景の看板の文字や、遠景の山々を見ながら小さな発見に喜びを覚える。今だって本当はカーテンを開けて外の様子を確認したいが、ミステリーツアーという縛りを設けられているのでワガママを通すのは無粋だろう。

 それに何を案じてかカーテンの布地は外側から窓枠に沿って粘着質の物質で固定されており、外を覗き見ることが出来なくなっている。頑張れば剥がすこともできそうだが、跡は残るだろう。旅行会社から文句を言われるリスクを考えれば、別に無理に剥がすこともない。千紗と適当な話で盛り上がっていれば、退屈な時間にはならないだろう。


 しかし、私たちはどこに向かっているのだろう。


 今回のガイド役と思しき『魔女』によれば、このバスは『魔女の館』に向かっていると言っていた。そしてこのバスに乗る前、イー・トラベルの白居さんは「四時間程で目的地に着く」と言っていた。

 魔女の館、というのは実際に存在する場所なのだろうか。私はスマホで検索をしてみる。しかし結果は、聞いたことのない書籍の名前や、見たことのない芸能人のブログがヒットするくらいで実のある情報には思えない。そういう名前で呼ばれる観光名所があるのかと予想していたが当てが外れた。

 とすると、あの魔女がそう呼ぶ建物がこの日本のどこかにあるということ。ここからバスに乗って四時間で行ける場所。私は地図アプリを開いて、適当な場所にピンを差し、移動時間を確認する。ちょうど四時間なら長野県あたりがピッタリだなあ……、私はふと長野に引っ越した紀平くんの顔を思い浮かべた。



「お二人は学生さんかな」


 ふと通路の向こう側から声が飛んでくる。年を重ねた、男性の声。


「……はい」


 すぐ手近にいた千紗が戸惑いながら返事をする。


「ああ、いや申し訳ない。楽しそうな会話が聞こえてきたものだから、つい……」


 男性は微かに笑み、小さく頭を下げた。私と千紗も訝しんで頭を下げる。


「君たち、すごく仲がいいんだね。いや申し訳ない、盗み聞きするつもりはなかったんだ。とても興味深い昔話で、なんだか私も気分が良くなってね」


 面長だが大きな目鼻口のおかげで全体として整った顔立ち。しかしぷっくりと膨れ上がった涙袋とたるんだシワがとても疲れた印象を受ける。物腰の低い姿勢と弱弱しい受け答えは見ていると少し可哀そうになってくるくらいだ。理由もなく手を差し伸べたくなるようなそんな不思議な雰囲気をまとっている。


「やっぱり旅のさかなは、普段できない何気ない話で盛り上がることだ」


 千紗と私は赤面して顔を見合わせる。


「私は君たちが本当に羨ましいよ」

「お連れの方は……?」


 千紗が男性の奥、窓側に座る若い男性の方をうかがい見る。訊ねてから、しまった、と思う。やたらと派手な格好をしていておよそこの男性の知り合いには見えないのだ。


「ああ、いや彼は」


 男性は小声で答えて、気まずそうに苦笑する。

 そこで私が座席表を取り出し名前を確認しようとすると男性は「ああ」と息を漏らして申し訳なさそうにその名を言った。


伊谷いたに信也しんや、です」

「伊谷さん……! よろしくお願いします」

「君たちは―――――、ああ申し訳ない。ここに来る前、隣の座席が誰かを確認してきたんだ。見ての通り僕は一人で来ているから気になってしまって。手前の君が藤森さん、奥の君が佐々さん、間違ってないかな?」


 私たちはコクリと頷く。


「実はこういうバスツアーが初めてで、自分の隣に知らない人が座ると思うと緊張してしまって……」


 伊谷は隣の若い男性に視線をやる。毛先だけ明るく染め、耳元まで流した髪の隙間から銀色のピアスが見える。瞳を閉じて軽く眠りについているのか微かな寝息を立てている。

 私は座席表を見てその名前を確認する。『清川きよかわみなと』、服装も髪型も若く見えるけど私たちより少し上の世代の若者に見える。小学生の時に見ていた高校生くらいの差はある。


「今日までずっと君たちの名前を見ながらどんな人なんだろうって心配だったけど……、うーん、申し訳ない。思ったよりみんな若くて身が縮こまる思いだ」

「そんな、年齢なんて関係ないですよ。今はみんなこのツアーの参加者です」

「そうそう!今日はみんな『魔法使い』ですヨ!」


 千紗は杖を掲げる。伊谷さんも手に持っていた杖を見つめて笑みを零す。


「いやあ、懐かしいなあ」


 伊谷さんはしみじみと言う。


「懐かしい?」

「ああ、いや君たちは知らない世代かもしれないなあ。アドレー・ホプキンって言ったら分かるかな」

「分かりますヨ!」


 千紗が腰を浮かして座席の手すりに身を乗り出す。


「そうか……! 分かるかい? あ、でも申し訳ない。もしかして君たちが知ってるのは映画のアドレー・ホプキンではないかな?」

「映画しか見たことないデス」

「もちろん映画も傑作だよ。作品の世界観と映画ならではの緊張感をマッチさせた製作陣の功績は大きい。VFXが流行したのはあの作品のおかげといっても過言じゃない。でも私は原作の小説で育った時代なんだ。あの時、活字で想像するしかなかったあの『杖』がいま現実に自分の手にあると思うと感慨深い気持ちになるよ」

「本当にアドレーが好きなんですネ……」

「ああ、私くらいの世代の人はみんな憧れたんじゃないかな、魔法使いになりたいと。さっきの旅行会社の方もおっしゃってたけどね」


 千紗が大げさに頷く。


「もしかして藤森さんもそういう憧れがあるのかな」

「はい!私も魔法使いになりたいデス!」

「あはは、気が合うみたいでよかった。楽しい旅になりそうだよ」


 伊谷さんは安堵の溜息と一緒に笑みを零した。


 彼の素顔を見て私もホッとする。心の中で差し伸ばそうとした手を引っ込める。この人はちゃんとした大人だ。ちゃんと苦労を知っている大人だ。その皺の一本一本が身を切るような社会の疾風はやてに揉まれ刻まれた切傷のようで、その傷が化膿することなく生ある勲章になっている。


「こんなオジサンだけど旅の間だけでもどうぞよろしく」


「…………」


 私は彼の過去を慮りながら、なぜか自分の過去と錯綜する不思議な感覚に首を傾げた。


 





 

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