#42 Traffic Jam
「伊谷さんは普段何をされているんデスか?」
「申し訳ないが、きっと君が聞いてもその仕事の存在すら知らないと思うよ」
「あ、伊谷さんバカにしてますネ。私、もう来月には成人式ですヨ!もう立派な大人デス」
「ああ、それは申し訳ない。そんなつもりで言った訳じゃないんだよ。どうも私は自分より若い子を目にすると、話が合わないと決めつける癖があるみたいだ。反省するよ」
ふと気づけば千紗は伊谷さんと楽し気に会話を交わしていた。この子は人の懐に入るのが本当に得意だ。私も少しは見習わなくちゃね。黒いカーテンを眺めてそう思う。
「で、なんのお仕事なんデスか」
「
「けいて……、けいたい?携帯屋?ケータイショップの店員さんってこと?」
「いや、軽天」
「ごめん、伊谷さん。私まだまだ子供だネ」
伊谷さんは笑って肩を落とす千紗を宥める。
「藤森さん気にしないで。多分、大人の大半も知らないような仕事だよ。時間があればまたゆっくり説明してあげよう」
「伊谷さん……、優しいネ」
「藤森さんは学生さんだったっけ?将来なにかやりたい仕事があるのかな」
「文乃は大学生だけど、私はいまフリーターをしてます。専門学校に入るためにお金が必要で」
「専門学校?なんの専門学校だろう」
「テレビスタッフになるための専門学校デス」
伊谷さんの眉がピクリと動く。
「テレビ番組の……?」
「はい!昔からテレビ業界にすごく憧れがあって!あんな華やかな場所で働けたらすごく毎日がハッピーだと思うんデス」
千紗の夢はテレビ番組の制作に携わること。それは初めて会った小さい頃から変わらない夢だ。彼女は生粋のテレビっ子で、家に帰ればテレビ、晩御飯を食べた後もテレビ、寝る前にもテレビを見て、朝学校に行く前にもテレビの前で足を止める。私とのエンタメ談義もその大半がテレビ番組の話だ。それほどテレビに熱中する彼女が、制作する側に回りたいと思うのも必然の帰着だろう。ちょうど『魔法使いに会いたい』ためにこんな旅行を企画するのと同じように。
彼女の両親は反対しなかった。放任主義が過ぎていたので、無関心といった方がしっくりくるだろう。だから自分のやりたい事なら好きにすればいい、その代わりそのための費用は自分で稼ぎなさい、と事実上バイト生活を命じた。いや千紗が自分からそのように仕向けた。彼女の信条は気のみ気のままに生きること、両親に厄介な苦労はかけたくないというのが本音だったのだろう。
「ハッピー……か」
伊谷さんは表情に陰りを落とす。
「ハッピーじゃないデスか?」
千紗は無邪気に問い返す。
私は知っている。伊谷さんの反応が示す通り、テレビ業界は決して華やかな業界ではないことを。必ずしも毎日が充実してハッピーな人生が送れるわけではないことを。以前、大学の就活支援センターで聞いたことがある。テレビ業界は上位五本の指に入るほど離職率が高く、それは過酷な労働環境を物語っている、と。
千紗もそのことは分かっているはずだが、彼女は敢えてそれを口にせず自分の夢の実現のためひたむきに頑張っている。少なくとも私はそう見ている。
「――――――自分のやりたいことができるなら、それはとてもハッピーなことかもしれないね」
「そうですよネ!!さすが伊谷さん分かってるネ!!」
伊谷さんはぎこちなく笑う。
「私は藤森さんを全力で応援するよ。いつか君の製作した番組が見たいね」
彼が気を遣って千紗の強引な主張に迎合したのだと……、この時、私はそう思っていた。
*
その後、私が伊谷さんと顔を合わせたのはバスが出発して一時間ほど経った時のことだった。
(起きましたかね……?)
伊谷さんの瞳が私たち二人にそう訴えかけている。私と千紗は伊谷さんの視線の先―――彼の背後を覗いて息を止める。
出発直後から伊谷さんの隣で熟睡していた、清川湊が寝ぼけ眼をこすっている。横にいる伊谷さんのことなど気に掛けず腕を広く伸ばし、大きく欠伸をする。何か気に入らないことがあるのか小さく舌打ちをして私たちの方に顔を向けた。
(ヤバッ……!)
咄嗟に顔を反らす。清川湊の視線が私の頬を刺している、ような気がする。視界の端で清川の肌色がずっとチラついているからだ。私は耳に掛かった髪を指で
カチコチに固まった伊谷さんと、漠然とコッチを見ている清川湊。
とりあえず私たちを睨んでいる訳ではないことが分かり、私は胸を撫で下ろす。清川はそれから後ろの席の方にも睨みを利かせてから居直り、背もたれに深く背中を預けた。
フンッと威圧的な溜息を吐くと、次に彼は驚く行動に出た。
ビビッ!ビビッ!!ビッビッ……!
何かを剥がす音がして、私は恐る恐る彼の方に視線をやる。
清川はカーテンを剥がしていた。無邪気な子供が道端の植物をむしり取るように悪びれもせず、カーテンを引っ張って接着部を剥がしている。
「どこだ、ここ……」
剥がしたカーテンの下を捲って外の様子を確認する。清川の顔が太陽光を反射して白く輝く。薄ら暗い車内に、圧倒的な明度をした本物の光。私は周囲の反応が気になってキョロキョロと見回す。しかし伊谷さんと千紗以外は事態に気づいていないようだ。こうして見ると参加者たちはそれぞれ思い思いにリラックスした時間を過ごしていたようだ。相席の参加者と会話を交わしているのは、碧さんと貴一さんの大野夫婦くらいか。その彼女たちもイヤホンを片方ずつ分け合いながら二人で同じスマホの画面を見て楽しそうに話し合っている。
「っち、まだかよ」
清川はカーテンを乱暴に手放してまたふて寝をする。完全に寝入る様子はない。伊谷さんが緊張した面持ちで前の座席の背もたれをじっと見つめている。隣の人間に話しかけないでわざわざ通路を挟んだ私たちと楽しく会話を始めるのは……、まあ清川にとってあまりいい気はしないだろう。入眠を邪魔されれば尚のことだ。
私と千紗はしばらくのあいだ伊谷さんには話しかけない方がいいかもしれない、と視線で会話を交わす。
その時だった。
車内前方ののれん幕から、あの女がまた姿を現した。
「アンタ達、ちょっと手伝ってくれるかい?」
魔女が顔を歪めながら、杖で車内の床を叩く。その音に反応した参加者たちが一人二人と顔を上げる。
「どうやらこの乗り物が先に進めなくなったようだねえ」
私たちは首を傾げる。
「なんだい。アンタら人間なら分かるだろう? ジュウタイ? というやつだね」
渋滞……? 参加者から失笑の声が零れる。まったく深刻そうな顔をして来るから何かと思えばそんなことを。私たちに身近な渋滞現象が魔女を困らせているという可笑しな出来事に、思わず笑ってしまった。
魔女は不機嫌にムスッとしながら、また杖で小突く。
「笑いごとじゃないよ! 魔女の館は日没までに入らなきゃ日が昇るまで何者も侵入できない結界が張られているのさ。このまま
いまどこを走っていてどれくらいの渋滞に捕まっているのか分からないので、本当に日没に間に合わないのかどうか分からないが、いまバスの手綱を握っているのは魔女だ。魔女の館にも行けずこのまま路頭に迷うのは……、困る。
「そこでだ」
魔女が不敵に笑む。
「空を飛んでいくよ」
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