#30 Real
「それ魔法使いがモチーフなんですよね」
ひとしきりマジックを終えた杏子さんが、泡の消えたシャンディーガフに口を付けたところで、僕は彼女の服装を指さして言った。
「これ?」
「はい。魔法使い……って言っていいんですよね」
「そうよ。魔法使い。いいでしょ、このローブ」
彼女はローブの裾を掴んではらりと離した。
「魔法使いがマジックをするんですか」
「え?どういうこと?」
「いえ、魔法使いって何でも魔法で解決するじゃないですか?マジックなんてしなくても、魔法使えばいいのにって思うんですけど」
「別府君、面白いことに気づくね」
僕は小首を傾げる。
「面白い、ですか?僕、真剣に言ってるんですけどね」
「アタシ、本物の魔法使いじゃないわよ?こんな格好してるけど」
彼女は薄ら笑いを浮かべた。
「そう、ですか」
喉元に引っかかったような話し方をすると、杏子さんが鼻先をツンとさせる。
「何?言いたいことがあるなら言いなさいよ」
「杏子さん、いっそ『魔法使い』になるのはどうですか?」
「もうっ……、別府君まで美佳みたいなこと言わないでよ……。アタシは魔法が使えるんじゃなくて、客に魔法みたいなモノを見せてるだけ。そもそもこの世に魔法ってものがないんだから、出来るわけないでしょ」
僕は膝に手をついて彼女の真正面を捉える。
「その逆ですよ、杏子さん。僕さっきから杏子さんのマジックを見て思ったんです。目の前で起こっていること全てが摩訶不思議で、理屈で説明できない。それってつまり、僕の頭の中では『魔法』ってことなんです。だから理論上、この世に魔法は存在する、そういうことにならないですか?」
杏子さんは口をぎゅっと真一文字に結んでから、そっと口を緩めた。
「あぁ……、別府君の言ってることは分かるわ。実際、私もそう思う。自分の常識から外れた出来事が『魔法』になるっていう理屈。私も魔法使いを謳うマジシャンとして、それを念頭に演出してるつもり。でもそれがホンモノの『魔法』になり得るかと言われれば、それは別の話よ。だってアンタの頭の中では『魔法』でも、やってる私にとってはただの『マジック』だから」
「杏子さん目線で言われると何も言えないですけど、でも僕が言いたいことはそういうことじゃなくて……、杏子さん無意識のうちに『マジック』に逃げてるんじゃないかなと思って」
「『マジック』に逃げてる?」
「はい。今の話で言うと、僕たちがドキドキするのは、それが『魔法』だと思って見ているからです。なのに杏子さん自身がそれを『魔法』ではなく『魔法のようなマジック』と思って演出しているなら、客はそのうち離れてしまうんじゃないかと思うんです。せっかくそのような格好をされてるんなら、身も心も『魔法使い』になった方がいいんじゃないかと思うんですけど」
「アンタ本当に、アタシに説教するの好きね」
杏子さんは溜息をついて苦笑いをした。
「説教ってわけじゃないですけど。アドバイス、です」
「アドバイスって、ちょっと上からじゃないの」
「あ、すいません。本当にそう言うつもりじゃないんですけど……」
「別にいいのよ。アンタの言ってること、悔しいけど
彼女は一枚のコインを、親指から小指にクルクルと器用にこねくり回す。
「実はさ、美佳とマジカル・ジャーニーの企画づくりをしてたら、ふと考えたのよ。あの企画はお互いの信用で成り立つ、それは前言ってたわよね。つまり、参加者が『魔法』を信用して、企画者もそれを『魔法』と信用しながら、全員が世界観づくりに協力する。それは、誰の目から見ても『魔法』ということになるでしょ」
「なるほど」
例えば、いま彼女の持っているコインが突然消えたとする。僕は当然、物体を別の場所に消し去る『魔法』を、彼女が使用したと認識する。魔法を使っているという
「それを考えたら、私のマジックは偽物だな……って思ったのよ。いつも自虐的に、マジックは人を騙すために磨いてきた技術って思ったけど、本当にそんな気がしてきた。私自身も『魔法』だと思わないとダメなんじゃないかって気がしてきたのよ」
親指でコインを弾いてそれを手中に収める。
「別府君の言う通り、私はそろそろ次のステップに上がるべきだと思う。のらりくらりとやってても成功しないことは目に見えてるし。ホンモノの魔法使いになる時が来てるのかもね」
杏子さんの乾いた笑い。儚げな瞳に確かに宿る熱い意志。その炎の揺らぎに見とれた僕はとっさに、彼女の手を取っていた。
「僕、応援しますよ」
彼女の眼をまっすぐに見つめる。
「別府君ってホントに私のこと狙ってるんじゃないの」
「じゃあ、そういうことで」
「なにそれ。つまんない答えだわ」
彼女は僕の手を払って言った。
「すいません。正直に伝えたら、杏子さんビックリするかと思って」
「……その答えもどうなのよ」
沈黙。
僕と彼女は気まずくなってグラスに口を付け、その沈黙を
「そう言えば」
しばらくして僕が声を上げる。
「Cherry.Kっていうのは杏子さんの芸名?なんですよね?」
「え?ええ、そうよ」
「そのCherry.Kってどういう意味なんですか?」
「どういうって……、単に桜見杏子って言う名前から来てるのよ。"Cherry"は『桜』、"K"は杏子の”K”―――だからCherry.Kよ」
Cherry.K……。そうか、桜見杏子だからCherry.K……。
「どうしたの?何か変?」
「いえ、変というわけではないんですけど、どこかで聞いたような気がしてきて。名付け親は誰ですか?ご自身でお決めになったんですか?」
「自分で、決めたわね」
「何かを参考にされた、とか?」
「いや、別にないと思うけど」
僕は細い記憶の糸を辿っていく。なんで初めて聞いた彼女の芸名を、僕は知っているんだ。いや厳密には知った気になっているだけだ。バイト先で聞いたのか?いや、杏子さんの本職は彼女の意向もあり、あまり他のバイトには知らされていない。もし誰かが言っていても、引っかかるほど重要な記憶でもない。
ただひとつ、鳥肌くらいのザラザラとした記憶の引っかかりがある。
このところよく見るアニメの夢。小さい頃に見ていたと思われるアニメの夢だ。ローブ姿の魔法使いが自分の背丈ほどもある杖を軽々と振り回して、魔法を使って悪党をこらしめる、あのアニメ。
あの中に、”Cherry.K”という登場人物はいなかったか……?
「ボブミイちゃん……」
杏子さんがポツリと呟いた。
「え?」
僕は固まる。
「いや……、それがさ美佳も同じようなこと言ってたんだよね。昔、Cherry.Kって名前を聞いたことあるって。それも、昔見てたアニメに出てきたって」
アニメ、だって?
「杏子さん、そのアニメ、そのアニメの名前ってさっきの……!」
「え?そうそう、『魔法使いボブミイちゃん』。別府君知らないでしょ」
「いや、知ってます!むしろ世代ですよ」
「世代?それは違うんじゃないの?アタシたちと別府君の見てるアニメが同じと思えないわ。だってあれ夕方のちょっとした時間にやってて、そんな長いことやってなかったでしょ」
「え?そう、でしたっけ?」
僕の記憶では日曜日の朝にやってたような気がするが、別のアニメか?いや、でも『魔法使いボブミイちゃん』という名前は聞き覚えがある。最近、僕の夢に出てくるボブカットの女の子のことだろう。
「あ、いや、でもごめん。アタシもそんな偉そうなこと言えないわ。美佳が良く知ってるってだけで、アタシそんな詳しく知らないし。そんなアニメあったなあ……ってくらいなのよ」
「そうですか」
「何かあったの?」
「いえ、特には」
夢の話をするほど、僕もイケてない男じゃない。そんな個人的で現実味のない、つまらない話はテーブルの横にそっと置いておこう。
「なんだ。別府君も美佳みたいなこと言うのかと思ったわ」
「美佳さんみたいなこと?」
「いや、あの子さ、『魔法使いボブミイちゃん』に憧れて魔法使いになりたいと思ったらしいのよ。弟を魔法使いに見立てたりとかしてね……、で、終いにはそれを叶えるために『マジカル・ジャーニー』を企画しようと思ったんだってさ。なかなかそんな子いないでしょ?小さい頃の夢をいま叶えようとするなんて、ね」
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