#16 President

 会議室の前に立ち、ドアを開けては閉めてを繰り返す。この会社に雇われてから何度も開けてきたドアだ。どういう動きをするのかはよく知っているはずだ。

 そう言えば入社面接のときに来たのも、この会議室だったっけ。必死に就活対策本を読み込んで、面接室の入退室を練習した……、自分の部屋のドアを使って、時に大学の講義室のドアを使って。ノックは三回、相手に背中は見せず、半身でドアを閉める。何度も何度も頭の中でシミュレーションをして、練習を重ねた。

 それを初めて実践したのがこの会社だ。中小企業は大企業に比べて面接の始まる時期が早く、この会社の面接も春前から順次行われていた。私にとって最初の面接ということもあり、かなり緊張していた。でも練習通りやれば大丈夫だと自分に言い聞かせ、人の字を飲み込んで、ノックを三回、部屋のドアに手を掛け入室した。室内に入り半身でドアを閉めようとする。が、これがなかなか閉まらない。どれだけ力を入れようともドアは重たく、漫然と動く。見えない力に押し返されるように、ゆっくりと閉まった。思うように閉まらないドアに四苦八苦する私を見て、社長と人事部長は笑っていた。いま思えば、あのおかげで緊張が解けたのかもしれない。

 私の重い枷を解いたその扉が、今度は厚い障壁となっている。


「美佳さん、今日も遅くなりそうスか」

「若宮、あなたは帰りなさい。今日はもう疲れたでしょ」


 若宮が心配そうな目で私を見る。私は彼の肩を叩いて、その背中をドアの外に押しやった。


「え、でも……」

「いいから帰りなさい。これは、上司命令」

「―――分かったッス。美佳さんも早めに切り上げてくださいッス」


 彼はそう言うと、叱られた犬みたいにトボトボとした足取りで、その場を去っていった。


 若宮には今日も夜遅くまで付き合ってもらった。彼が担当する部分は順調に準備が進んでいる。もう少し人員を集めればつつがなく進行できると思うが、これ以上は望んで得られるものではないだろう。あとは彼と私の連携次第でどうにかするしかない。


 そのためにも、を片付ける必要がある。いつまでもこの問題に固執していては、せっせと働いてくれている若宮にも悪い。


 どうにかしなければいけない。


 私はドアの前に立ったまま、頭をくしゃくしゃと掻いた。



「白居さん……、今日も遅くなりそうかな」


 しわがれた老人の声が私の背中を撫でる。

 私はとっさに背後に振り返った。


「片山さん……」


 総務の片山さんは、社内の設備管理を任されている管理責任者で、我が社の設立当時からこの会社に務めている影の功労者だ。愛らしいベビーフェイスと、頭皮の見え隠れする白髪頭がトレンドマークの、会社の愛され者である。

 

「すいません、片山さん。すぐに出ますから」

「だあいじょうぶ。ボクも帰りは遅いからね」


 片山さんはいつも誰よりも早く出社し、誰よりも遅く最後まで会社に残り、施設点検をして帰る。世間一般の定年などはとうに越えているだろうから、かなりの高齢だ。今時こんなに元気なおじいちゃんも珍しいと思う。


「そんな所に立ってどうしたの?」

「このドアってこういう閉まり方しかできないのかなと思いまして」

「ドア?」

「はい」

「閉まり方って、どういうこと?」

「その……、これです」


 私はドアを一旦大開きにして、思いきり引いた。ドアはある程度引いたところで、急に重くなる。力を入れても思うように閉まらない。何度も試したことだ。


「このドアの仕様だと思うんですけど、最後まで手動で閉まらないようになってるんです」


 片山さんはキョトンとしていた。


「あの、いや、そうですよね。変ですよね…、普通こんなの気にしないですよね」

「いやあ、ボクは変だとは思わないけどねえ、ただ……白居さんは面白いことに気づく人だなあ」

「面白い、ですか?」

「うん、社長も、白居さんのそういう部分を買われたんだね」

「社長が? いえ、あの社長は、そういう所見てないと思いますよ。無難に仕事をこなす人を選んでるんですよ。今でも、なんで私が採用されたのか分かりません」


 片山さんはニッと銀歯を光らせた。


「そうかそうか、白居さんはまだまだ社長の事を分かってないんだなあ」

「どういうことですか?」

「例えば君の部下の若宮君―――、彼は仕事をそつなくこなすタイプかなあ?」

「いえ、彼はそういうタイプでは……」

「だろう? そんな彼と白居さんを企画部に配属させたのはどういう意図があるんだと思う?」

「分からない……です」

「きっとね、ことを期待してるんだよ」


 社長が私たちに…? 私はその言葉を飲み込んで、話の続きを黙って聞いた。


「ボクは、社長と若い頃から付き合いがあってね。親会社の『イー・サービス』に勤めてた時からずっと一緒さ。彼はボクの後輩だったけど、とても優秀な人間だったからね、どんどん出世して今ではこの子会社の社長さ」

「そう言えば、片山さんもこの会社の設立に携わってこられたんですよね」

「ああ、彼がボクを誘ってくれてね。ボクも定年近かったんだけど、こんな老体にも鞭打ってくれるんなら是非ついていきたいと思ってね」

「その時から社長はああいう……、保守的な性格だったんですか?」

「そうだね、彼はずっとそうだ」

「なぜですか?」


 私は少し語気を強めて言う。


「気になるかい?」

「はい」

「本当に、訊きたいかな?」

「もちろんです。本社で優秀な成績を収めてきた社長が、何でこんな経営体制を敷くようになったのか気になります」


 さぞ崇高な意思があるのだろう、私はそう高をくくっていた。


「し、失敗したくない?」


 片山さんの言葉に拍子抜けして、間抜けな声が出てしまった。


「そう、ビックリしただろう? 社長は、いやはもう二度と失敗したくないんだ」


 私は辞令に実筆で書かれた社長の本名、『高浜洋三たかはまようぞう』の名を思い出す。


「過去に大きな失敗をされたんですか?」

「大きな失敗といえば、そうなのかもしれないね」

「何があったんですか……?」


 私はそんな事を聞いてしまっていいのか確かめる間もなく、片山さんに詰め寄っていた。片山さんは困った顔を浮かべていたが、私の勢いにたじろいでその口をゆっくりと開いた。


 彼はとうとうと、高浜洋三の昔話を語り始めた。


 1990年代―――個人向けパソコンが販売され始めたインターネット黎明期に、インターネット事業法人『イー・サービス』はその産声を上げた。HP作成代行、WWWシステムに関するプログラム開発、ネット広告の代理業務などインターネットに関わる仕事を当時から手広く行っていたという。

 事業が軌道に乗り始めたある年の夏、営業部統括を務めていた高浜洋三に、思わぬ指令が下されることになる。あるビッグプロジェクトのリーダーとして陣頭の指揮を執ってほしい―――社長直々のお達しだった。そのプロジェクトとは、とある企業のWEBサイトを作成してほしいという依頼であった。その企業というのは日本で名の知らぬものはいない、テーマパーク経営を主業とする大企業で、これからは「WEBの時代がやってくる」と件の外国人社長が組織刷新に執心している企業であった。

 ただ当時のWEBサイトと言えば、HTMLでリンクを張り付けただけのお粗末なものが多く、有名企業の看板サイトにおいても個人の作成するそれと何ら変わらないものが蔓延していた。そこにデザインや利便性を追求しようとする意思はなく、インターネットで集客をしようと考える者は少なかった。ずばり依頼者の要望はそこにあった。日本一のテーマパークを創る会社として、WEBの世界に風穴を開けたいというのが彼らの考えであった。

 高浜洋三を頭としてプロジェクトは動き出した。検索エンジンをサイト内部に埋め込んでみたり、文字テキストだけでなくアニメーションを取り込んでみたりと、当時としては画期的なWEBデザインを追求した。とりわけクレジット会社を通じたネット予約システムの導入が目玉サービスとなり、日本国内でもこのプロジェクトがその先駆けとなった。彼は信頼する部下と共に、昼夜逆転の生活を送りながら懸命に従事した。その結果、WEBサイトは無事に開設した。目玉の予約システムが話題を呼び、テーマパークは開場前にも関わらず予約が殺到した。


 彼のことを称賛した。『イー・サービス』はネット事業会社の旗頭として、他社を大きく突き放した。社員は口を揃えて、あのプロジェクトが転換点であったと称えた。皆が彼を褒めたたえた。高浜は次期社長だと、彼を褒めそやした。

 

 ただ、愛する妻と、娘を除いて―――――。

 その『』の中に愛すべき家族は入っていなかったのだ。


 プロジェクトの間、家には一秒たりとも戻らなかった、帰る暇などなかった―――高浜洋三は後にそう語った。久方ぶりに帰った家庭には、何もなかった。唯一残されていたのは妻の名が書かれた『離婚届』、それだけだったという。間もなくして、高浜洋三は体調を崩し、休職を余儀なくされた。肉体の疲労に加え、精神的なショックが重なった結果だった。満を持して復帰した職場では仕事が思うように手に付かず、しばらくして子会社の社長に任命された。それまでの出世コースを考えれば、左遷と見るのが妥当な扱いだった。そうして、高浜の心から仕事に対する情熱というものが欠落した。


「そんな過去があったんですか……、知らなかったです」

「みんな詳しいことは知らないさ、当時のことを知る上司も、今や仏さんになってるしねえ、あっはっは」


 ご機嫌に笑う片山さんを見て、私は彼の若かりし頃を想像した。昔もこうして社長のそばに

いて、彼を見守って来たんだろうか。


「でも最近の社長は少しずつ変わってるんじゃないかと、ボクは思うんだよ」

「その、さっきのを期待してるっていう?」

「そうだねえ……、あくまで無理はしないっていうスタンスは貫きつつ、いつか爆ぜる、そのために起爆剤を仕込んでおきたい、そんな意図があるんじゃないか……って思うんだよね」

「その起爆剤が私たち……?」

「特に白居さんには気を掛けてると思うんだよなあ、ボクは」

「あの社長が、そんなことを……」

「だから白居さんが困ってることなら喜んで手伝うよ、ボクは。会社の為に、社長の為に」

「片山さん……」

「そういえば、このドアの閉め方が、って話だったね」


 片山さんはドアノブに手を掛ける。私と同じようにそれを開けては閉めてを繰り返す。


「このドアをどうしたいの?」


 話してしまっていいのか、バカげた考えを。

 いや、面白いことにバカも聡明もあるか。……話すべきだ。


 私は片山さんに事の次第を話した。


 彼は終始頷いて、私の言葉に耳を傾けていた。

 すでに私が起案した内容は総務の人間には知れ渡っているので、特に驚いている様子はなかった。


「なるほどお、このドアを『魔法』のように……か」

「やっぱりこのドア自体を変えてもらうしかないんでしょうか」

「いや白居さん、ボクにいい考えがあるよ」

「え?本当ですか!?」


「ドアクローザーって知ってるかな……?」

 

 


 


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