#14 Door

 私は、全体会議が行われる大会議室のドアを押す。真っ暗な室内を見回し、手探りで照明のスイッチを押すと、瞬きをするようにパチパチと電気が点いた。壇上横のコントロールセンターの前に立つと、こなれた手つきでボタンを押す。すると古い劇場の幕が下りるみたいに、粗末な摩擦音を立て窓側のロールカーテンが下りていく。


「さて、一個ずつ確認しよっか」

「ういっス」


 私は壇上に立って『コ』の字に組まれた長机を眼下に収める。若宮が私の後を追って、小道具の入った紙袋を持ってくる。それを脇に置くと、若宮も私と同じように腰に手を当て、会場全体を見渡した。


「いやあ、それにしても小さいっスね。これで『大』会議室なんスから、会社の規模が伺えるスよね」

「そうねえ、人が入るともっと狭くなるから、その点考慮しないとね」

「どうします? 机の位置とか変えてみます?」


 私たちの立っている壇上を北側とすると、西側と南側には大窓が並んでいて、東側の奥と手前のそれぞれにドアが設置されている。中央には『コ』の字の長机が並んでいて、壇上に向かって口を開いている状態だ。

  

「配置は変えられないでしょ、だって急に変えたら怪しまれるし」

「それもそうスね、じゃあこれでやるしかないんスか……」

「ま、とりあえず流れを確認してみるしかないわね。総務の片山さんに無理言って開けてもらってるし。早く取り掛かるわよ」

「ういっス」


 最初の仕込みは……と、私はクリアファイルから段取り表を取り出し、指でなぞる。


「これッスね、『手を触れずに閉まるドア』。社長が杖を振るのと同時に、ひとりでに閉まるドアを演出するんスね」

「そう。まさに魔法使いって感じしない?地味なようだけどこれが意外と面白いんだよねえ」


 私は小さいころ正臣に仕掛けた同じ『魔法』を思い出して、にやりと笑みを浮かべる。


「ドアって、この東側二つのドアっスよね? これどっちも社長に閉めさせるんスか?」

「もちろんよ。社長が振った杖の先のドアが閉まるの」

「ドアをどうやって閉めるかは、そうっス、さっき美佳さんが言ってたように紐を掛けて閉めていくんスよね。正直、俺あんまり絵が浮かばないんスけど」

「そう? じゃあ、さっそく実践してみようか」


 私と若宮は一度、暗い廊下側に出て、ドアの形状を確認する。白く塗られた鉄製の内開きドア、そこにはめられた上から下に伸びる細長いガラス額から室内の光が漏れている。

 私は用意していた麻縄を紙袋から取り出すと、それをドアノブに掛け、ほどけて落ちないように十字に結んだ。


「ちょっと若宮、社長の席に座ってみて」


 若宮を席に座らせると、私は廊下側に立ったままその紐を引いた。するとドアは、ピンと張った紐に引っ張られ、バタンとひとりでに閉まった。


「どう?」

「ええと……」


 若宮は難しい顔をしていた。


「確かに、この位置からドアノブに掛かっている紐は確認できないスから、ドアが勝手に閉まったように見えるっス」


 内開きのドアが幸いし、外側のドアノブはちょうどドアそれ自体の影に隠れて、紐が掛かっている様子は確認できない。


「ただ三つ問題があるッス。一つはドアのガラス窓からうっすら紐の影が見えることっス、引っ張った瞬間までよく分かったスよ」


 私はハッとなって、ドアを部屋側から確認しガラス窓を注視する。ドアノブから垂れ下がった麻縄の様子がよく分かる。


「二つ目は、一見成功したように見えるってことッス。前のドアも、後ろのドアと同じように、廊下側から見て左手にドアノブがあるんス。ということは、ドアを開けた時、ドアノブは丸見えってことス。そうなると紐が掛かってるのはバレバレっスよね」


 私は遠巻きに一方のドアを見て、それが開くところを想像する。確かに廊下側のドアノブに紐を掛けて引っ張るこのやり方では、仕掛けがバレてしまう。後ろのドアだけなら何とかできるかもしれないが、『前も後ろも二つのドアを閉める』と言った手前、そこは曲げられない。


「最後に三つ目なんスけど、そもそもこの紐っていつ掛けるんスか……? プレゼンの序盤なんで、始まる前に掛けておきたいっスよね。でも幹部や他の参加者が入ってくるときに、ドアノブに不審な紐が掛かってたらビックリするっスよ」


 若宮、鋭いなあ。そういうのもっと仕事に活かせばいいのに……ってこれも仕事か。


「どうします? 美佳さん、この三つの問題、クリアできます?」


 私は咳ばらいをすると、ゆっくりとした足取りで室内に戻る。

 私とて、こういう問題が出てくることは予想していた。さすがに三つも出されるとは思っていなかったが。


「分かったわ、若宮。確かにこのやり方は愚直だったと思う。そっちの紙袋に入ってるモノを見て」

「紙袋の中って……、もしかして、これッスか?」

「そう」

「これ、ピアノ線ッスか?」

「そう、ピアノ線」


 円を描いて束ねられたピアノ線を持ち上げ、若宮は訝しげにそれを見つめた。私は若宮の側に駆け寄り、それを取り上げると再びドアの前に立つ。


「これをこうして、と」


 私はピアノ線を適当な長さに切り、その線先を今度はドアノブではなく、ドアの底面に接着剤で張り付け、その上からテーピングで補強をした。


「これでどうよ」


 若宮を席に着かせ、そのピアノ線をゆっくり引っ張った。ドアは先ほどと同じように静かに、ひとりでに閉まった。


「どう?これならガラス窓から紐の影は見えないし、前後どっちのドアでも対応できる。それにあらかじめ付けておいて、引っ張る方は壁の隅にでも這わせておけばバレない。…どう?完璧じゃない?」


 若宮は小さく頷きつつも、どこか納得していないような表情を見せた。


「まだ何か問題?」

「いえ、問題というか…。そうっス、美佳さん。今度は俺が引っ張るんで見ててくださいッス」

「ん? まあ、いいけど」


 私は若宮と交代して、社長の座る席に着いた。後ろのドアを確認して、若宮にジェスチャーで合図を送る。同時に、ドアがと動き出した。


 ああ、なるほど。若宮の言いたいことが分かった。この部屋の鉄製ドアは手動ではあるが、完全な手動型という訳ではなく、ある程度の位置まで引くと、後は速度調整をしながら勝手に閉まっていく仕様になっている。特に、閉まり際には一時停止をして、それから隙間の空間を押しつぶすように、とりわけゆっくりと閉まる。これは人の手で閉めたとしても、同じだ。力を込めて押しても漫然としたスピードで閉まっていく。急に閉まって人の手が挟まらないようにしているようだ。


 これの何が問題かというと、『魔法』で閉めたという特別感がないことだ。何かの拍子に、誰かの手がぶつかって、風に煽られて、たまたまドアが閉まったように見える。私のイメージする、無機物の動きでない、ひとりでに閉まるドアを演出できていないのだ。


 ドアを閉めるだけの簡単なことだが、『魔法』を使っているように見せることがこうも難しいとは……、昔お遊びでやっていたのとは訳が違う。

 当日は社長以外の社員もいるため、彼らの目もごまかす必要がある。たとえ社長一人に『魔法』を見せたとしても、他の社員が不審に思えばその感情は伝播し、やがて会場全体を飲み込んで、『魔法』のカラクリが露になってしまう。ただのお遊びだと思われてしまう。それは、この企画そのものが実現不可能であることの証明となる。計画はとん挫する。私の夢はうつつの中で藻屑となるのだ。


 ―――だって普通の人間が考える企画じゃないでしょ。たぶん稀代のマジシャンでも考えない。


 ふと杏子の言葉を思い出した。


 普通の人間が考える企画じゃない、か。

 稀代のマジシャンでも考えない企画を、マジシャンでもない普通の人間が考えてるんだ。それ自体が普通じゃないのかな。


 普通、じゃない。自分の知っている常識で解決できない。


 そう思わせるのが、『魔法』の力なんだ。


 あの重厚な扉を、普通じゃない、人々の常識を逸した方法で閉める必要があるんだ。


 どうすれば、いいんだろう……。



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