No Name / 白居 正臣
#9 Comedy
「やいやい言うてやってますけど、僕らも売れたい。これはっきり言います、お金が欲しい!なんだかんだ言って人生お金が必要なんですよ!」
「あ、そう。俺はそう思わんけど」
「いやいや、これは言わせてください!そんなやつおらん、と!」
「だから、ここにおるって」
「ああ、分かりました分かりました。ほんなら聞きますよ?今あなたの隣に天使と悪魔がいます」
「天使と悪魔?」
「で、天使が言うんですわ。『寿命と引き換えにあなたに幸せを授けます』」
「ほんほん」
「対する悪魔はこう言うんですわ。『寿命と引き換えにお金をやろう』」
「なるほどな」
「で、俺がこう囁くんですわ。『残りの人生、共にお笑いに懸けてみないか』」
「お前誰やねん!」
ドッと笑い声が湧き起こる。
太鼓の打音のような声の塊が、舞台上の漫才師に衝突し破裂する。ビリビリと肌を打つ振動。ノリに乗った若い漫才師二人は会場の空気を完全に掌握し、彼らの一言一句に客は面白いほど大きな笑い声を上げた。
今日の優勝は彼らで間違いない。月に一度行われる事務所の小さなお笑いライブだが、この仕上がりならもしこの場が規模の大きい賞レースであったとしても、見劣りはしなかっただろうと思う。彼らは劇団出身で、舞台の使い方を熟知している。声の張りは他のコンビと比較にならないほど素晴らしく、内容が頭に入ってきやすい。またオーバーなリアクションは見る者を飽きさせず、終わってみるまでこれがしゃべくり漫才とは気が付かなかったほどだ。
彼らはもっと大きな舞台に立つべきだ。こんな場所で
私は笑いで引き締まった腹筋を弛緩しながら、短く溜息をついた。
仕事に疲れると私はよくお笑い事務所のライブに足を運ぶ。日々の業務の疲れを笑い声とともに吹き飛ばすのだ。自分でもドン引きするくらい笑ってやるのがコツだ。大口開けて笑うのも
今日もたくさん笑わせてもらった。特に今日は自分が推しているあのコンビが躍動していた。彼らの数少ない
気分がいいから今日は飲みにでも誘ってやろう。これは、彼らを支える
「―――――で、どうですか。なかなかウケてたでしょう、白居先輩」
「割と今日は頑張った方なんですけど」
ビールジョッキを片手に、後輩二人は私に睨みを利かせる。「NO」とは言わせない。そんな威圧的な問いかけに私は苦笑いを浮かべる。
「だいぶ盛り上がってたでしょ。白居先輩も見てましたよね」
「俺たちの前のコンビが滑ってたんで、決してやりやすい舞台じゃなかったと思いますけど」
私は彼ら二人―――インコとブロッコリを交互に見据える。くりくりの瞳に嘴のような上唇をしているから『インコ』、ごつごつとした面長の顔にボサボサのアフロヘア―をしているから『ブロッコリ』。これは私が脳内でそう補完しているあだ名だ。
「あ、ああ、とても良かった。特に今日は盛り上がっていたと思うよ」
「ホントにそう思うてはります?正直、白居先輩のそういう言い方、社交辞令にしか聞こえへんすよ」
「白居先輩、本当のことを言うてください。俺ら本気で売れたいんですから」
「ま、まあ落ち着いて。
私はボケ担当の
「本当に今日のライブは良かった。声はよく通っていたし、二人の息が合っていて、以前みたいな練習の跡が見えなかった。テンポはいつもより速く感じたけど、今日は若いお客さんが多かったからあれぐらいのテンポの方が却って心地よかったよ。もう周囲の若手とは一線を画してるとオレは思うけど……」
私は俯きがちだった顔をゆっくりと上げ、二人の表情を確認する。
「ほ、ほおん…、分かってるじゃないですか。その辺は石波とも話し合ったんで。なあ、石波?」
「うん。まあ」
インコにしてもブロッコリにしても二人は若い。少しそれらしいことを言い添えておけば、いい気になる。
「ちゃんと見ててくれはったんですね」
ぼそりと呟いたのはインコ。私は少しはにかんで「当たり前じゃないか」と答える。
「じゃあ、いいんじゃないですか。例の件、検討してくれても」
ほら来た。だから一度クールダウンしたかったんだ。その質問をされることが分かっていたから。
「徹田くん、それについては話しただろう」
「聞きましたよ。でも納得できへんすよ。石波もそう思うよな?」
「白居先輩、俺はあなたに執着する気はないすけど、こればっかりは徹田が正しいすよ。筋は通してもらわんと」
「石波もこう言ってるんすから。もう一度考え直してください―――――僕らトリオでお笑いやるって話」
私と彼らはかつて高校の喜劇サークルで青春を共にした仲だった。当時、脚本担当を務めていた一つ上の先輩と、同じく脚本担当だった私は方向性の違いから仲違いをしてしまい、結局私はサークルを退会することとなった。しかしどうしても脚本の道を諦めることができなかった私は、仲の良かった後輩二人に私の脚本で『お笑いコント』を始めてみないかと話を持ち掛けた。それまで喜劇俳優として舞台に立つことが生きがいだった彼らはひどく困惑したが、『人を笑わせたい』という信念は変わらないと、固い意志で承諾。こうして彼らは私のおままごとに付き合ってくれるようになった。
最初の舞台は高校の学園祭だった。私たちは一人暮らしの学生がルームシェアを始めるという設定で、その部屋に現れるトンチキなキャラクターを演じ、会場の笑いを
それからも私たちは他校の学祭やイベント、アマチュアを対象としたコンテストに参加し、ネットで話題の三人組として少しだけ有名になったこともあった。無色に思われた私のキャンバスに少しずつ濃淡が付いていったのだ。
大学に入ってからも私たち三人の活動は続き、平日は授業をサボってネタを作り、夜は遅くまで練習に励み、土日は一般参加が出来るお笑いイベントを求めて全国を奔走した。少しでも名が知れてほしい、抑えきれない承認欲求だけが私を突き動かしていた。この時、私のキャンバスは黒色そのものを表していてそこに何ら芸術性は見出せなかったが、私はまだそのことに気づいていなかった。
大学も卒業間近となり、ついに決断を迫られる時が来た。
『おままごと』を辞めて就職の道を選ぶのか、それとも『お笑い』で食べていく覚悟で事務所に入るか。
インコとブロッコリは本気だった。彼らは私より一年就職が遅い分、『お笑い』に対するやる気に満ち溢れていた。自分たちはまだ高みに昇っていけますよ、と息巻いていた。
対する私はといえば、すぐにでも辞めたいという思いが強かった。決して自分たちの『お笑い』が通用しなかったわけではない。そうして形のないものに時間をかけてきたことに酷く後悔するようになっていたのだ。勉強などは二の次だったので学力も知識も身についていない。平日も週末もワードとにらめっこをするか、インコやブロッコリと偽りの会話を交わすだけで友人との繋がりもなかった。ただ残っていたのは噛み合わない会話劇をまとめた偏屈な台本データ、それだけだった。
私はとりあえず彼らには、彼ら自身が卒業するまで待つことを理由に、ひとまず就職することを伝えた。彼らはしつこく私を引き留めようとしたが、今後も私自身が漫才やコントの台本を作り続け、週末にはたまに舞台にも立つという条件で一応の解決を見ることとなった。
それから私は生ける屍のように仕事をしながら、すっかり生気の抜けた体躯で台本を書き続けた。生憎、直接舞台に立てるほどの体力がなくなってしまったが、それについては二人も理解してくれた。その分仕事から帰ってきては、山のように台本を書き続けた。おかげでコンビの漫才ネタが随分と増えた。こんなことを言ったら面白いだろうな、あんなことを言わせればウケる、そんな妄想を徒然と垂れ流した。ただ次第に自分の能力に限界が近づいてきているのが……分かった。台本通りマリオネットのようにキャラを演じる二人、それを冷ややかな目で見る客。いつもは舞台上で自分に向けられているその目が、罪のない二人に容赦なく浴びせられている。胸が締め付けられるような思いだった。この時仕事が上手く言ってなかったので、ネタの多くが愚痴の延長のようになっていったのも原因の一つだった。彼らはそれでも私の才能を認めてくれていて何も言わなかったが、そのことが却ってより私を追い詰めていった。
この時になってようやく、ああ、自分の黒いキャンバスは無価値なものだったんだと放り投げてしまった。
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