#8 Coin Magic

 「よしっ……!こんな感じでどうよ!」


 美佳はペンの蓋を締め、企画案を眺める。


 「いいんじゃない、なかなか悪くないと思うわ」

 「ありがとう、杏子。こんな時間まで付き合ってもらって」

 「いいわよ、どうせ明日もバイトの予定しかないし。そういう美佳は?」

 「大丈夫。土日はちゃんと休み貰ってるから」

 「そう、じゃあこれで完成ってことでいいわね」


 スケッチブックに書き殴られた企画案はところどころ二人の手汗でシミができ、すっかりくたくたになっていた。


 「うん。これなら、大丈夫。絶対に社長を説得できる」

 「そうね。美佳の仕込みが上手くいけば、ね」

 「そうなんだよお……!そこが一番大事なんだ、およよ」


 美佳はわざとらしく涙を袖で拭うフリをする。 


 「まあまあ、私もできる限りに付き合うから」

 「ありがとう、心の友よ」

 「はいはい。じゃあ、今日はもうお開きにしよ。こんな時間になっちゃったし。終電ある?」

 「駅までダッシュすればなんとか」

 「じゃあ、急ごう」


 バーの店主に頭を下げ、今日の飲み代もツケにしてもらった。これからどれだけ売れれば全額を返済できるんだろう、そんな途方もない数字に頭を悩ませる。店主は気前がいいのできっと私が売れたところで、「そんな過去の話なんてするな」と優しさを持ち寄ってくれるのだろうが、その甘さに浸けこんではいけない。何が何でも返すんだという気持ちを持たなければ、この世界では生きていけない。

 美佳のように地に足付けて頑張るためにも、甘い気持ちは切り捨てるべきだ。そう考えたからこうして美佳の相談に乗る気になったんじゃないか。


 「っじゃ、私こっち方面だから」


 そう言って美佳は地下鉄の改札口へと降りて行った。

 私は「また連絡するから」と言って彼女の背中が消えるまでその後ろ姿を目で追っていた。


 

 *



 今日は練習していこう。柄になくそんなことを考えていた。

 帰りはどうせ自転車に乗っていくから、終電は関係ない。この時間ならまだ末広町のマジックバーが開いているだろうから、そこで客相手に練習をしよう。あの店の規模ならクロースアップくらいしかできないだろうけど、スライハンドを上達させるにはいい機会だろう。


 これから来週までに美佳にもしっかり叩き込んでおかないといけないから。講師である私が不甲斐ないと彼女に申し訳が立たない。初心者にも分かりやすく教えられるようポイントを掴んでおかないと。


 あ、そうだ。今日はお客さん自身にマジックを体験してもらおう。


 「私って天才だわ」


 自分で自分を褒めるアラサー女、何とも虚しいことだが自ら鼓舞しなければ誰がしてくれるというのか。


 高速道路の高架下を自転車で快走すること二十分、末広町にある行きつけのマジックバーが見えてくる。私は風を切りながら自転車を颯爽と降りると、店前のガードレールにチェーンを巻き付けそれを固定する。魔女屋敷みたいなステンドグラスの扉を開き、店内に入った。カランコロンカランとドアベルが鳴ると、煙草の匂いが鼻腔をくすぐる。

 店主と適当な与太話を済ませ、私は早速一つの卓に着いた。若い男性二人組、そわそわと周囲を見回して居心地が悪そうだ。


 「マジックバーは初めてですか?あ、そうですか、あの銀座の。あそこは常勤の方が多いですから、入れ替わり立ち替わりひっきりなしで忙しかったでしょう?」


 都内の大きなマジックバーはプロマジシャンと専属契約をして、一定の収入を餌に多くのマジシャンを取り囲むことがある。時間ごとにびっしりとシフトが組まれており、その一定の仕事量に応じて俸給が支払われる。また別途指名があればその分の俸給については歩合制となり、月に何百万と稼ぐ大物もいる。

 その中で彼らは太客を捕まえようとしのぎを削っている。私も過去に在籍していた経験があるが、そこでは純粋なマジックの技術より、客の懐に忍び込む話術の方が重要視されている気がして嫌になり、早々に辞めてしまった。


 「ここはずっと一つの席に付いていられるので。お客さん、ラッキーですね!まあアタシみたいに飛び入りで来るマジシャンがほとんどなので、クオリティは運次第ですけどね!」


 男性二人は言葉に悩んで、はにかむ。

 この二人どうもお酒があまり入ってないみたい。お酒が入っていればその場の雰囲気で小粋なトークと小手先のテクニックだけで場を作ることができるのに。仕方ない。ここはひとまずプロも唸る自慢のコインマジックで、彼らの心を掴むしかない。


 私は大きく息を吸って自分の体の中に英気を取り込む。


 「今宵もあなたに魔法の夢を―――Cherry.Kと申します。よろしくお願いします」


 スイッチオン。


 「ではお客様、お手元に五百円玉はございますか?……ありがとうございます。ではこの五百円玉を今から目の前で消したいと思います。せっかく頂いたお金ですが、これはお店の売り上げになりますのでご了承ください。え?あはは、冗談ですよ」


 アタシは右手の人差し指と親指でコインをつまみ、二人に見せる。二人がただのコインであることを確認したところで、左手を右手に合わせそのコインを左手で取るような素振りを見せる。実際には左手でコインを隠しながら右手の人差し指の辺りにそれを押し込んでいく。右手親指を使い、人差し指の第一関節と第二関節でそれを水平になるように挟み、残った中指と薬指で影を作り、人差し指で掴んだコインを隠す。

 アタシの目線からはしっかりとコインが見えているのだが、彼らからは右手人差し指に潜むこのコインは見えていない。それどころか彼らの意識は左手にあり、右手など意識の外にあるのだ。見つかるはずがない。彼らの目の前でコインは確かに消えたのである。

 このような形でコインを隠し持つことを『ウィルソンパーム』という。私がマジックを始めたころ特に得意としていた技で、今ではここから派生して別のコインにすり替えたり、瞬間移動させたりすることもできる。そのためには随所に『オフビート』を混ぜて客の注意を散漫にし、その間にタネを仕込む必要がある。

 

 「残念ながらコインは消えてしまいました。え?返してほしいですか?ええ、どうしようかなあ……。お客さんお金たくさん持ってそうじゃないですかあ、ええ、違います?」


 アタシは居ずまいを正すふりをしてお尻の下に敷いていた千円札を左手で隠し持つ(安い手だがこれが案外効果的なのである)。

 

 「じゃあ、こういうのはどうです。もう一枚五百円玉を頂ければ千円札にして返して差し上げますよ。はい、あ、もう持ってない?じゃあご友人の方から……はい、ありがとうございます」


 アタシは両手をこすり合わせ、咄嗟に五百円玉を裾に滑り込ませる。既に手のひらには千円札が忍んでいる。ここがマジシャンの腕の見せどころだ。客と会話をしつつ私の手から注意を反らし、その間に彼らとの間に死角を作り千円札を隠しながら移動させていく。


 「いいですか、それでは頂いた五百円がまた消えます」


 左手に千円札を隠し持ち、再びさっきと同じ要領で五百円玉を消していく。


 「五百円が消えてしまいました。でも安心してください、いち……にの……さんっ!ほら、お二人にいただいた五百円玉が千円札に変わりました」


 折りたたんでいた千円札をなるべくしわの残らないように広げてみせる。

 それまできょとんとしていた二人もさすがに驚いたのか、おおおと野太い声を合わせて大げさに拍手をした。その目は新しい玩具を見つけた子供みたいに輝いていて、無邪気な笑みが眩しかった。大の大人が小さな子供に戻る瞬間、こんな瞬間に立ち会えるのはきっとこの仕事だけなのだろう。


 「これで仲良くお二人で……え?元の五百円に戻してほしい?仕方ないですね、それではこの千円札を一度破いてしまいましょう―――――」


 アタシの名前はCherry.K、今夜もあなたに魔法の夢を。

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