Cherry.K / 桜見 杏子

#7 OffBeat

 四拍子の奇数拍を強調することを、オンビートというらしい。大学の時に付き合っていたダンサーの彼が言っていた。日本の楽曲はこのオンビートで奏でるものが多く、海外では逆に偶数拍を強調する、いわば「裏拍」を強調する曲が多いという。農耕民族である日本人は鍬を振り下ろすタイミングで拍を置くのに対し、狩猟民族である外国人は弓を撃ってから獲物に当たるタイミングで拍を置くことが影響しているためらしい。

 何もかも中途半端だった彼の言葉をそのまま伝えただけなので何を言っているか分からなかいかもしれないが、要するにいま私が伝えたいのは別のについてだということだ。


 「あの、つまり、どういうこと?」

 「ああもう、何で分かんないかな。アタシの話聞いてる?」

 「失敬だな、杏子。私はこんなに真面目に聞いてるのに」


 彼女の真剣な眼差しを受け止め、アタシは深いため息をついた。


 「真面目なら、なおのことたちが悪いわね」

 「杏子、私の理解力の無さを侮っちゃいけないよ?」

 「誇るな」

 「じゃあ、もう一度聞かせて。『オフビート』って何?」


 売れないマジシャンにして甲斐性なしのアラサーアルバイター、桜見さくらみ杏子きょうこは今日何年かぶりに会った高校の同級生と馴染みのバーに来ていた。この店のオーナーは元プロマジシャンで月に一度このバーでマジックコンテストを開催している。学生時代にこのコンテストで優勝して以来、オーナーには目を掛けてもらっており、このバーの飲み代はすっかりツケにしてもらっている。いつかマジシャンとして成功したら返してくれればいいと言ってくれたのをいいことに、毎週のように入り浸りその恩にどっぷりと甘えている。

 相手を考えれば、こんな場末のバー(お世話になってもらっていてなんだが)ではなく青山とか自由が丘のレストランとかそういう所を選んだっていい。相手はバリバリのOLで、お互いに年齢的にも熟した女なのだからそういう場所を選んで、大人の会話をすべきなのだ。

 それが、この女が相手だとそういう気分にもならない。さらに会話の内容がどうにも馬鹿げていて、子供みたいな会話になることは必至だ。だからこの行きつけのバーを選んだ。色んな意味で、ちょうどいい。


 「美佳、いい?もう同じことは言わないわよ?」

 「よしきた」

 

 高校の同級生、白居しろい美香みかは男子みたいに裾を気前よく捲って腰に手を当てる。


 「『オフビート』っていうのは客が緊張を解いてリラックスした状態のことを指すの。もしくはマジシャンが意図的にそういう状況を作り出すこと」

 「要はマジシャンが何もしてない時間のこと?」

 「何もしてないってのは、正解のようだけど本当は不正解」

 「どういうこと?」

 「えと、つまりそのね、マジックがひと段落ついたような素振りを見せたり、フリートークを始めたり、客から見ればマジシャンが休憩ブレイクに入ったように見えるわよね。でも実際には違う。そういう客の集中が散漫になる瞬間に、マジシャンは何通りものタネを仕込んでるの。それが『オフビート』」

 「ふむふむ。さっきよりは分かった」


 美佳は腕を組んで大きく頷く。


 「で、『ミスディレクション』って聞いたことある?」

 「あ、それは聞いたことあるかも。相手の注意を別の場所に引く、みたいな」

 「そう。例えば相手に引かせたトランプカードをその人の周囲の人間にも確認させることあるでしょ。『引いたカードを皆さんに見せてください』みたいな。あれをすることによって数秒、皆の注意がそのカードの一点に集まる」

 「その間にマジシャンがタネを仕込むんだ……そうでしょ」

 「そうそう。分かってきたわね。だから『オフビート』は『ミスディレクション』の一種だと考えられてる。意図的に人の注意を操ってるわけだからね。ただ実際には人の注意を分散させるのが『オフビート』で、人の注意を一点に引くのが『ミスディレクション』だから、お互いに逆の技法のようにも見えるけど」

 「うん。分かった。難しい概念は何のこっちゃさっぱり分からないけど、それぞれがどういうものか分かった」

 「美佳にしては上出来」

 「ありがとう」

 

 美佳は親指を突き出してグッドサインをすると、カウンターの向こうで暇そうにしている店員に「レッドアイもう一杯」と手を上げた。


 「それで三十分前の話に戻るけど、杏子が言いたかったのはどういうこと?」


 ようやく話の本筋に戻ることができる。アタシは肩の力を抜いた。いや、実際にはまだ話の半分も話してないけど。


 「マジックにおいて一番大事な技術は『オフビート』、これに尽きるってことよ」

 「ああ、なるほど。オフビートね。それ分かる」

 「この話に戻るのに三十分掛かったんだけど?」

 「それはそれとして……、で?何で杏子はそんなに『オフビート』が大事だと思うわけ?」

 「そりゃ世のマジシャンに言わせれば、もっと大事なことはあるかもしれない。でもアタシに言わせればこれができなきゃマジックは成立しないし、逆にこれさえできれば素人でもマジックはできる」

 「ふむ」

 「一瞬でも人の注意を削ぐことができれば、その瞬間マジシャンは自由になる。次のイリュージョンのために表立って自由に準備ができる。そうなれば別にマジシャンじゃなくてもできると思わない?その瞬間、特別な技術は要らないのよ。だから素人でもできる。もちろん、


 美佳は感心したような様子で、爛々と輝かせた目でアタシを見る。


 「良かった」

 「何が?」

 「杏子に相談して、本当に良かった」

 「やめてよ。まだ具体的なことは何も言ってないわよ」

 「それでも、なんとなく希望の光が見えてきた気がする」

 「そんなに難しいの?説得」

 「ウチの社長はなかなか首を縦には振らないよ」


 美佳による話はこうだ。

 参加者自身が魔法を使う体験ができる『魔法使いになれる夢のツアー(仮)』という企画を考えたのだが、低空飛行な経営を望む保守的な社長が承諾はしないだろうということだった。そもそもこのツアーは本当に魔法が使えるわけではなく、参加者以外にも役者やマジシャンを起用してまるで魔法を使えるかのような特別な環境を用意するという、全く新しい体験型旅行である。体験型旅行は欧米各国では馴染みのあるツーリズムだが、日本では未だ多くの人に受け入れられておらず、収益の見込めない企画には社長も首を縦には振らない、というのが彼女の見立てだった。実際、噂を聞きつけた総務の人間が社長に耳打ちしたところ、見たこともないような渋い顔をしていたという。このまま無策では、結果は見えている。

 美佳は考える。ならば社長を『魔法使い第一号』にしよう。まさにしたことならば社長も快く受け入れてくれるかもしれない。


 そこでアタシに白羽の矢が立った。 

 アタシの頭に刺さったのは偶然だが、とにかく現役マジシャンのアタシに知恵と力を借りようということだった。


 「でもさ美佳、本気なの?」

 「本気だよ。絶対に社長を説得させてみせる」

 「そっちじゃなくて、企画の中身のこと。参加者を魔法使いにするっていう企画そのものだよ。だって普通の人間の考える企画じゃないでしょ。多分、稀代のマジシャンでも考えない」

 「そうかな。誰でも夢に見たことあるでしょ。アニメとか映画とか見てさ、自分もあんな主人公みたいに魔法使ってみたいなって思わない?思ったでしょ?」


 美佳はまんまるに目を見開いて、犬が尻尾を振るみたいに足をブラブラと揺らす。


 「思ってもそれを実現しようなんて考えるのは、アンタか科学者くらいよ」

 「そんな大げさだよ杏子」


 大げさじゃないよ。自分のやりたいことに真っ直ぐな人間って多くないんだからさ。


 「さてプレゼンの内容詰めていきますか。題して『社長を魔法使いにする大作戦』、良い作戦名でしょ」

 「いやアンタって本当にセンスがないわね。企画の名前も何て言ったっけ?」

 「『魔法使いになれる夢のツアー』?」

 「ダサすぎ。今日はそれも考えるわよ」

 「おお、いいね。杏子やる気だねえ。……お兄さん!さっきのレッドアイなし!アイ・オープナーで!」

 「飲み過ぎで倒れないでよ」

 「大丈夫だって!私、お酒で目が冴える方だから」


 美佳はスケッチブックをカウンターに並べ、ボールペンを取り出すと、そこで首だけ動かしてアタシの方を見た。


 「―――――そう言えば杏子、元々この話断ってなかったっけ?なんで急にやる気になったの?」


 「の意地よ」 


 アタシは静かに拳を握りしめる。

 店内を流れる曲は、どこかで聞いたような心躍るオフビートな曲調だった。

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