#6 Pride
「いらっしゃいませ!マリンポリスにようこそ!」
「お席のご案内をいたします。こちらへどうぞ!」
「ありがとうございました!またお越しくださいませ!」
ファミリーレストラン『マリンポリス』のランチタイムは、戦場だ。ホールの店員はまるで聞き分けの悪い児童たちをあやすかのように、声を掛け合い応対する。まるで駄々をこねるように呼び鈴を連打する客がいれば、すかさずハンディを持って駆けつける。会計はまだかと出口で足踏みをする客がいれば、器用にレジのテンキーを叩いては笑顔で相手を見送る。「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」の掛け声を合図に、各々がこの戦況を乗り切るために最善を尽くす。
「煮込みバーグ、アップ!」
「ポテト、アップ!」
「サラダスパS、アップ……先に三番テーブル上げて!」
「これ二十二番のネギトロ丼まだ?」
「はいはい!ペースアップ!ペースアップ!回んなくなるぞ!」
キッチンの現場はさらに、戦々恐々としている。レストランの心臓とも言えるキッチンは、止まることを許されない。人間の心臓が止まること、それすなわち死を意味するように、キッチンのスタッフも常に動き続けなければならない。血の巡りを止めないように、客の注文に応えて常に料理を提供し続けなければならない。各々がスピーディなアップのために最も効率の良い動きを模索し、最善を尽くす。
ランチタイムの営業はお祭りだ。食欲を満たしたい暴徒が大挙をなしてこの小さな店に押し寄せてくる。いつもは無関係に見える老若男女がこの時だけは大きな大きな怪物に見える。ただそれでも僕たちは働き続けなければいけない―――理由は人それぞれだ。
「おつかれーっす」
僕は汗に濡れた白いコック帽を脱いで、休憩室に入る。
「お、別府君。おつかれ」
「あ、杏子さん。おつかれっす」
先輩スタッフの桜見杏子さんがパフェグラス一杯に盛られたバニラアイスをつついている。
「ごめん。先に休憩もらって」
「何言ってるんですか。キッチンと違って、ホールはずっと動きっぱなしじゃないですか。それに他の若い子はもうとっくに休憩入ってましたし」
「それは…、あれよ。この時間帯で一番おばさんのアタシが頑張んないとさ」
「杏子さんがおばさんって。冗談止めてくださいよ」
「………あ、ははは、ありがとう」
杏子さんは不自然な笑みを浮かべる。
「それにしてもお互いランチに入るなんて珍しいですね。いつもはディナーか深夜で会うのに」
「そうね。山川さんが今日は人少ないから入ってくれって」
「副店長ですか。僕は殿に言われました」
「店長?へえ、よほど少なかったのね」
「ウチのバイトって大学生多いじゃないですか。学祭の時期が近付いてきたんで忙しくて来れなくなったんじゃないですかね。今年は実行委員の子も多かったみたいですし」
「ああ、もうそんな時期なんだ。あれ、別府君は?」
「僕はもう四年ですから。そんな暇ないですよ」
僕は薄汚れたコックコートのボタンを一つ開けると、パタパタと風を仰いで長いため息をついた。
「いま就活中?」
「そうですね。今月から本格的に始めようと思っています」
「そう。職選びは慎重にね」
「え?」
杏子さんの小さな呟きを聞き逃してしまい、僕は短く問い返す。
「―――なあんてアタシが言えるかって!」
虚ろな瞳に色が戻ると、彼女は僕の肩をバシッと叩いて大げさに笑い声を上げた。
「おばさんの戯言よ、気にしないで。別府君のやりたいことをやりなさい」
「杏子さん、何かあったんですか」
「何言ってんの!アタシはどうもしないわよ」
「悩みがあるなら聞きます」
「もうっ……、別府君、ホント止めてよ。おばさんの悩みなんて聞いても面白くないわよ」
「杏子さんがおばさんなんて僕一度も思ったことないです」
「あのね……、男と女の年増の定義は違うのよ。アラサーの女は十分、おばさんに片足掛けてんの。別府君も一人前の男になりたいならその―――」
彼女がふと視線を落として、悲しい顔をした。
「杏子先輩、僕で良ければ悩み聞かせてください」
反射的に僕は彼女の手を取っていた。
杏子さんは一瞬驚いた顔をしたのち何かを思案しつつ、ゆっくりと僕の手を振りほどいた。
「なに別府君、口説くつもり?」
「いえ、その…」
「別府君って不思議な子ね。この前までアタシを避けてたみたいだったのに」
「避けてたつもりはないんですけど…、ここに入った時に山川さんから、杏子さんはスケバンだって聞かされてたもので」
「アタシがスケバン?それってスケバンきょ…、はあ、そういうことね」
「どういうことですか」
「山川さんのジョークよ、ジョーク。気にしないで」
杏子さんはパフェグラスを手に持つと、柄の長いスプーンでバニラアイスを一口頬張った。彼女の口からちゅるりとスプーンが抜けると、間延びした僕の顔が鏡面に映った。
魅惑的な大きい瞳が僕に焦点を絞る。
「で、聞いてくれるんでしょ。悩み」
「はい」
「どこから話せばいいかな。別府君とこうして話すの初めてだもんね」
「そうですね。お互いバイトの話しかしてこなかったですし」
「じゃあ、アタシがどういう仕事してるか知ってる?」
「はい。なんとなくですが」
「―――――そこから話すわ」
杏子さんは奇術界という特殊な環境に身を置いていること、売れないマジシャンでほぼフリーターとなっていること、大学卒業後のこれまでの人生の洗いざらいを話してくれた。自分の道程のどん底を話すのはどんな気持ちなのだろう。僕に推し量ることはできないが、彼女の決して明るくない顔を見ているとその悲痛な思いは十分に感じ取れた。
「で、本当の悩みはここから」
彼女の言葉に、僕はゆっくりと頷いた。
「こないだ高校時代の友人とばったり出くわしてさ、こいつがまた昔と変わらず無頓着な奴なんだけど、これがもうしっかり社会人やってるのね。本人は、立派な会社に勤めてるわけじゃないからって謙遜するんだけど、やり遂げたいプロジェクトがあるから今は頑張り時なんだって、目を輝かせてた。もちろん同世代にそういう人間がたくさんいるのは分かってた。でも身近な友人にいたら、それはクるものがあるよね。心にぐっさりとさ」
杏子さんはまた一口アイスを口に運ぶ。
「……ふぉんでさ、そいつが言うわけ。私と一緒にプロジェクトを成功させようって。杏子がいなきゃできないんだって。夢の続きを見よう…って」
「いいじゃないですか。協力してあげたら」
「そう、普通はそう思うよね。自分に手伝えることなら、いまのアタシの立場を考えれば断る必要がないんだよね」
「それで、どうしたんですか」
「断ったのよ」
彼女はまた寂しそうな顔をして、言葉を吐いた。まるでそれが不本意であるかのように。
「なんで断ったんですか?」
「自分に自信がないから」
短く言い切ると、呆れたようにフッと笑う。
「それだけよ。いい年した大人が笑っちゃうでしょ。でもね、人間それだけで簡単に折れてしまう生き物なのよ。人間を生かしてるのは心臓じゃなくて、もっと目に見えない臓器なの」
彼女の言うことはもっともらしい。ただ何か違和感がある。それは自分が杏子さんに思い描いていた人間像と違うというギャップもある。そしてそれ以上に、彼女の言葉に実が入ってないような感じがする。僕の投げたボールに、彼女がプラスチック製のおもちゃのバットで跳ね返すような感じ。もちろんフォームはよくてもボールが打ち返ってくることはない。鈍い音を立てて、わずか数メートルの位置にボテボテのゴロ球が転がるだけ。
「下手なんですか?マジック」
僕はボールを拾い、投げ返す。やはり僕は彼女の気持ちを推し量ることはできないようだ。
「あはは、直球ね」
「自信がないんですよね。下手なんですか」
「一応人前でやらせてもらってるし、下手、とまではいかないだろうけど」
「でも自信のないマジシャンなんて見たことないですよ。それってつまり、マジシャンには人に夢を与えるという自信が必要不可欠だからじゃないですか。いまの杏子さんはマジシャンじゃないってことですよ」
「いや別府君、アタシの仕事見たことないでしょ。そこまで言われちゃうとアタシもさすがに傷つくんだけど」
「傷つく
彼女の眉がピクリと動く。一瞬、笑みが消える。
「僕はあなたのマジシャンとしての仕事ぶりを知らないし、どれだけ努力してるのかも知らないです。でもこれだけは言えますよ、自分を信じられないマジシャンが人に魔法を信じさせることなんて出来ないです。絶対に」
引いた椅子が後ろの壁にぶつかる。彼女は突然立ち上がると、拳をぐっと握りしめその燃え滾る瞳で僕を上から睨みつける。
「別府……、アンタってそんな生意気な後輩だったのね。二年も同じバイト先で働いてて知らなかった」
「僕が客なら、絶対そう思いますよ。杏子さんが思っている以上に客はそういう目で見ています。魔法が存在しないことを知ってる大人たちは、冷めた目で見ていますよ。そういう舞台に立っていることをもっと知るべきです」
「何も知らないくせにっ……」
「知りませんよ。ただ一つ、
「別府…、アンタ本当にいい性格してるわ」
春がやってくる。寒空が広がっている。
なのに、杏子のバニラアイスはすっかり溶けていた。
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