第16話

 鼻に来る薬品臭が漂う部屋、保健室で、俺の前にある白いシーツに覆われたベットの上で寝そべっているのは、先程俺が助けた女性、卯豆うずという相性で呼ばれている人だ。

 「なぁ。そろそろ正気に戻ってくれよ」

 「ぁぁ」

 先程から意識のない、条件反射のように漏れる息にも似た声を漏らすだけの反応しか見せない。

 「先生もいないから放れられないし、かといって何もせずに待ってるって言うのもな」

 チラチラと様子を覗ってみるが、アニメのように調子よく目覚めたり、奇跡が起こったりなんてことはなく、ただただうなされるように細かな寝返りを打つのみで、意識的な反応は見せない。

 「腹も減ったし、茜も帰っちゃったし。なんか食べたら俺も帰るかな?」

 バーガーで買った袋を目当てに鞄に手を入れる。

 「……うるさい」

 筆箱や目当ての紙袋、どこかでかった100均のビニール袋などのガサゴソという音が耳に合わないのか、寝言が聞こえてくる。

 「まだ覚めないんですか、卯豆さーん」

 「ぅうーん」

 「……はぁ。食べたら帰るか」

 既に悪夢、というような放心状態は解けており、今は疲れなのか眠っているというような感じだ。それならば他生徒が近づき、襲うというような事態があったとしても、直ぐに派手な音で覚めて自己防衛くらいは果たせるだろう。

 俺は鞄に手を伸ばし、手触りの悪い紙袋、バーガー店で買ったバーガーの入っている袋を探す。

 「ぅうん……」

 ガサゴソと大きな音を立てているせいか、魘されるようにベットの上で身を捩らせる。

 鞄の中にあるものは、手に当たる感触でしか判断が出来ないが、100均で買った何かが入ったビニール袋と、ラノベ、自作でためにためたSS小説の原稿。そして一番音を立てたるであろうバーガー店で買った、バーガーの入っている紙袋だ。

 ここで起こしては不味いと、中途半端に開けていたチャックを、一番下まで一気に下ろし、破る勢いで鞄を大きく広げた。

 「よし。これで大丈夫だ。うん、大丈夫だ、問題ない」

 大事な事なので二回言いました。はい。

 俺は開けた鞄の口から、あまり音の出ないようにゆっくりとか見抜く路を引き出し、膝に乗せる。

 袋の中には、朝食べたばかりのビックバーガーと同じ袋で覆われているバーガーと、ポテトが二つ。そして小さい、黄色の紙で覆われているバーガーが一つあった。

 「ビックバーガーは言いにしろ、チーズバーガーをどうするか」

 黄色の紙で覆われたバーガー、チーズバーガーは、朝、茜のお昼ご飯のためにと買っておいたものだ。

 だが、もう家に帰ってしまった以上、今更届けに家まで言うというのは何か違う気がする。

 「ホントどーしよ」

 「なら私が食べる」

 ため息交じりで、この減所湯が少しでもよくなればと思っての独り言だったのだが、本当にそれが叶い、声が返ってきた。

 俺は一つ、ため息を吐くと、ベットで寝ている卯豆に視線を向けた。

 「お前には貢なんてしたくないがな。まあ残飯処理と考えれば妥当だな」

 「別に貢がれたいなんて考えたりはしないよ。それに私、そこまでわがままじゃないよ?」

 「……あざとい。そしてうざい」

 どこかというと、俺が卯豆が放った言葉に興味を持ち、視線を向けた途端に顔を笑顔させてくるところだ。

 今の少女をたとえるのならば、それは子犬といったようなものだろう。誰にでも尻尾を不利、好意と愛想を振りに振り撒き、周りの誰も彼もを引きこませようとする、そんな傲慢で色欲な子犬だ。

 俺もその誰も彼もの例にそぐわずに尻尾を振り返し、チーズバーガーを手渡してしまう。

 「ほら。食えよ」

 「うん! ありがと!」

 「おう」

 だが、その例と違うことは、明らかに一つある。

 それはかわいい彼女と、カワイイ妹に囲まれて生活をしているのだ。ちょっとやそっとのカワイイじゃ、簡単には心は靡かない。

 「んじゃこれも食うか?」

 俺が取り出したんぽは、茜と一緒に食べようと買っておいたポテトだ。

 箱を渡すと、卯豆はまた先程のような笑顔になり気分が高揚する。

 「……んじゃ俺も食べるか」

 一人で食べ始めた卯豆に少し切ない気持ちになるのを紛らわすために、口を広げバーガーを頬張ろうとした。

 すると。

 「ならこっちで一緒に食べようよ! 食べてる顔、見られるの少し恥ずかしいから、さ……ダメ?」

 上目使いで、心をくすぐるように聞いてくる。

 もちろん女の子の笑顔なんて、茜のが少しな俺は免疫がなく、すぐさま心に入られ、愛らしさに理性を蹂躙されていく。

 だが同時に、新たな、実に覚えのある感情が溢れてきた。

 止めようとしても止められず、身にかかる全てが恨めしく、忌ましいものになってしまう。

 そんな心から溢れる感情が抑えきれず、声を漏らす。

 「ダメだ。近づいてきたら殴る」

 「えー。ひっどーい!」

 「ぅえ。うっざーい」

 どこかの捻くれ者のように適当に返すと、俺は開けただけで止まっていた口を近づけ、バーガーを被りついた。

 「……美味い」

 美味いのだ。

 美味い。

 でも。

 「でも味がしない……ってか不味いな」

 いつもなら美味しいと感じられるはずのチーズが、今ではヘドロを食べているようで、舌に纏わり着くというような感じの嫌悪感はないにしろ、舌に硬い泥が固まってくっ付くような感じの違和感と、鼻にぬめりっけの濃いような生暖かいと感じられるような嫌悪感が殴りつけてくるようなものある。

 朝食べたものと、いつも食べるものと同じようなものなはずなのだが、それが今では嫌なものと感じてしまう。

 「……何でだろうな」

 分かっている。

 それは目の前にいるこいつ卯豆のせいだろう。

 そして俺の、自分自身のせいでもあるのだろう。

 茜に渡す物を、他人に、しかも茜を傷つけている相手に渡し、そしてその傷つけている相手に心を躍らされたのだ。

 だからこそ、なのだろうか。

 やはり、怒りとは、自分自身に未知なる力を、踏み出す勇気を、平穏現実を拒む意思を与えてくれる。

 俺はゆっくりと息を吸い込み、声を発した。

 「なんであんなところで服なんか乱していたんだ?」

 敵には味方がいる。

 それに何事も否定から入っては結果は望めないというものがあるのだから。

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