*


 小野寺康介著、『東雲草の恋文』の大まかな内容はこうだ。


 長年連れ添った妻に先立たれた老男性・益次郎ますじろうが、生前、妻が「絶対に中を見てはいけませんよ」と言って大事にしていた古いお菓子の缶の整理をはじめるところから物語がはじまる。妻を亡くしたことですっかり魂が抜けたようになってしまった益次郎を案じて、娘の美雪みゆきが、形見分けも兼ねて妻の遺品を整理することを勧めたからだ。

 最初はなかなか腰が上がらなかった益次郎だが、嫁に行った自分たちのたった一人の子である美雪に心配をかけさせたくないと思い、妻が大事にしていた着物や食器、その他、家中に散らばる妻の遺品を整理しはじめることにした。

 すると、茶箪笥の上に置いてある古びたお菓子の空き缶にふと目が行った。四角く、単行本の大きさより一回りか二回りくらい大きい缶だ。そういえばこの缶の中は絶対に見てはいけないと言っていたっけ、などと思い出しながらも、亡くなってしまったし時効だとして、益次郎はその缶の蓋を開けてみることにした。

 そこには、妻の筆跡で、誰に宛てたのかわからない手紙が三十通ほど。糊付けもされてしっかりと封がされているそれは、差出人の名前こそ妻のものが書かれているが、宛名が入る部分は空白のままだった。切手も貼ってあり、あとは宛名を書いて出すだけなのに、なぜ妻はこれを大事に取っていて、自分には見てはいけないと言っていたのだろう?

 当然、益次郎は宛先不明のその手紙を前に、首をかしげることとなる。

 これは中を読むべきなのか、それとも、このままにしておくべきなのか……。

 一週間ほど悩み抜いた末、益次郎は好奇心に抗えずに手紙を読んでみることにした。

 建前上は、もう亡くなっているし時効だろう、妻や自分の親族に宛てたものだと推測できるような内容なら形見として持っていてもらうこともできるだろう、と考えてのことだったが、実際は妻の秘密に触れてみたくて仕方がない気持ちのほうが勝っていた。

 それに、自分の知らない誰かにこっそり送るための手紙だったら――ましてやそれが男だったらと思うと、どうにも言葉にできない思いが溢れて、胸が不穏に騒いだ。

 意を決して縁側に移動した益次郎は、八月の陽光を適度に遮ってくれる軒下で丁寧に封を切り、妻の手紙の中身を一通一通、改めていく。しかし、妻の手元で出せずに溜まっていた手紙なので、中を読んでみないことには時系列はわからない。手紙の書き出しにある時候のあいさつをヒントにまず書かれた季節を推測し、こんなことがあった、あんなことがあったという内容から、益次郎も自分の記憶を掘り起こし年代を割り出していく。

 そうしてすべてに目を通し振り分けたそれらを、今度は年代順に並べていく作業は、思ったよりずっと骨の折れるものだった。けれど、一人になったことでますます暇を持て余していた益次郎は、何かに取り憑かれるようにして、あっという間にそれを終えた。

 そうして再度、一通目と思われるそれから順を追って読み返していくと、はじめに読んだときには気づかなかった、ちょっとした出来事――例えば、今夜の十五夜には団子とススキで明月を愛でた、アサガオの花が綺麗に咲くようにと書いて短冊に願いを込めた、夏祭りに着ていった浴衣を見て「馬子にも衣裳だな」なんて言いつつ、なかなか直視できないようだった、など――が、自分自身の思い出とも重なっていることに気づきはじめる。

 最後の手紙に目を通す頃には、益次郎の目からはボロボロと大粒の涙がこぼれて止めようがなくなっていた。咽び泣く益次郎のしわがれた手に、パタパタと涙が落ちる。

 そう、これらはすべて、物静かであまり自分の感情を表に出したり言葉にしたりするのが得意ではなかった妻が、なんとかして自分の気持ちを伝えようと、嬉しかったことや幸せだったことを最愛の夫である益次郎に宛てて書いた恋文だったのだ。

 三十通目の最後には、こんなことが書かれている。

【もし私が先に死んだら、あなたは絶対に缶の蓋を開けて中の手紙を読むことでしょう。隣に私はいませんけど、心はいつもそばにいます。私の大好きなアサガオの鉢植え、大事にしてくださいね。手紙だと素直になれるので――益次郎さん、愛しています。】

 その翌日、今年は咲かないのだろうかと気を揉んでいたアサガオの花が、申し合わせたように東雲の空に向かって一斉に花をつけた。赤紫や藍の色が、庭に下りた益次郎の目を楽しませる。益次郎はまた、はらりと涙をこぼし、ふっと口元を緩めてこう呟く。

「俺が先に死ぬことなんて一つも考えてないなんて……。見合いで出会った頃からそうだったけど、お前のそういうところ、やっぱり憎めないんだよな」と。


 *


「なんていい話……」

 一通り校閲を終えたちひろは、原稿から顔を上げ、思わず独り言をもらした。

 小さい頃から本の虫だったくせに感想が陳腐になってしまったが、本当に素晴らしい作品こそ、なかなか言葉が見つからないものだ。と、自分に言い聞かせてみる。

 しかし、小野寺さんが櫻田にこの原稿を渡したときに『すっげー駄作』と言っていたその意味が、ちひろにはまったくと言っていいほどわからなかった。

 東雲草というのは、アサガオのことだ。東雲の意味が、夜が明けようとして東の空が明るくなってきた頃のことを指しているので、ちょうどその時刻に花が開きはじめるアサガオを見た昔の人が、そう呼んだのだろうと推測できる、とても風情のある言葉だ。短編小説の本文にはその説明もしっかり書かれているし、使い方も間違っていない。

 現在の描写か、過去の思い出の描写か、少しわかりづらいところもあるけれど、この程度の引っかかりなら櫻田がきっと上手く編集するだろうし、内容的にもとてもデビュー前の、いわばアマチュア作家が書いたものとは思えないほど秀逸だ。

 夏の季節の話なので、時期的にもちょうどいい。小野寺さんが感覚で使っていたり、意味を間違えて覚えていたりしているために誤用されてしまった言葉は、おおかた洗い出して適当だと思われる言葉に直したり、付箋を添えて候補となる言葉とその意味をメモにした。益次郎と妻の若かりし頃の時代背景の事実確認のため、その当時の風俗資料をまとめた本、数冊と照らし合わせて一つひとつ確認もしたし、小野寺さんも、時代背景は自身でもかなり調べたようで、専門のちひろも舌を巻いたほどだった。

 それなのに、なぜ〝駄作〟なんだろう……?

「……うーん」

 鉛筆を手に、ところどころ書き加えた自分の字を見ながら、原稿をパラパラとめくる。40字×40行の体裁なので、表紙を入れてもざっと十枚程度だ。紙に印刷すると厚みはないが、内容はかなり濃い。というか、奥深さや奥行きが静かに読む人の心を打つ。

 ちひろは、早くこの短編を含むデビュー作を手に取りたいと思う。それくらい、小野寺康介の作品からは誰かを愛しく思う心や慈しむ心が溢れている。

「駄作、か……」

 彼のその言葉に引っ掛かりを覚えつつ、ちひろは、そろそろ戻るだろうかと校閲部のドアに顔を向ける。しかし、あれから三時間は経ったが櫻田はまだ戻る気配がない。

 どこまで行っているのか、小野寺さんとは会えたのか、ちゃんと『つばき』に載せる許可は取れたのか。今年は咲かないのだろうかとアサガオの花に気を揉んでいた益次郎のように、いろいろ考えだすと、ちひろも妙にソワソワした気分になる。

 一番いいのは、小野寺さん本人が校閲で指摘された箇所を自分で直し、それをちひろがまた校閲し直すことだ。けれど、二年も執筆を中断していることを考えると、掲載の許可は取れても、細かい直しはもしかしたら櫻田がすることになるかもしれない。

 でもとりあえず、現段階でちひろにできることは、ここまでが限界だ。校閲部員が編集作業までするなんて聞いたことがないし、だいたい、校閲には特化しているが、例の一つも守られる気配のない念書に穴だらけの決め事を書いて良しとしたちひろだ。自分の文章力に自信なんてあるわけもない。だから櫻田に事あるごとに言い逃れされ、なかなか廻進堂にありつけないのだけれど――ともかく、小野寺さんの原稿以外にも校閲を待っている原稿はたくさんあるので、櫻田が戻るまでは先にそちらの作業を進めようと思う。

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