すると母子は顔を見合わせ、何やら言いにくそうにチラリと三佳を見やった。何がそんなに言いにくいのだろうと一抹の不安をよぎらせていると、

『わたしたちがここに居付いたのは、単に居心地がよさそうだったからに他なりません。わたしたち母子は、今年の冬にまずわたしが車に轢かれて命を落とし、この子たちも食べるものに困り、しばらくして命を落としました。あ、でも、それはいいんです。眩しい光に驚いて飛び出してしまったわたしが、いけなかったので。その後、三匹でふらふらと漂っていましたが、わたしたちの亡骸をここの家の人が丁寧に供養してくださって。旅立つまでの間、少しばかり住まわせていただこうと、天井裏に居付いたのです』

 コロはそう言い、マルとチビに愛おしげな、けれど寂しそうな目を向けた。

『お母ちゃん……』

 二匹の子ダヌキも母親を見上げて寂しそうにクンクンと鼻を鳴らす。

 野生動物が車に轢かれるという話は、どこの田舎でもあることだ。高校を卒業して上京するまで、三佳も冬場に道路に力なく横たわるタヌキやイタチの亡骸を何度も見てきた。それが普通の光景で、だから目を逸らすことはあっても供養しようとは、なかなか思えなかった。誰かが片づけてくれるだろう――その証拠に、学校帰りに見ると亡骸はもう道路から消えていた。見兼ねた近隣の人が見えないところに片づけてくれたのだ。

「あの、ちなみに、弔ったのは誰が……?」

 尋ねると、コロは『赤い車の女の人です』と答えた。

『わたしを轢いたのも、その人なんですけれどね』

「……お母さん……」

 なんともバツが悪い話というのは、きっとこのことだ。

「ごめんなさい、それ、私の母です……」

 母・瑞恵のせいで死に、その手で弔われるなんて、心境的になんとも複雑だ。しかもその人の子とこうして膝を突き合わせているなんて、三佳のほうとしても、非常に居たたまれない気分であること、この上ない。これも何かの縁か、因果なのだろうか。深く頭を下げて謝りながら、三佳は、朝食の席でカラカラと盛大に笑い飛ばした瑞恵の顔を思い浮かべ、思いっきり〝お母さんんんん……!〟と心の中で歯噛みした。

『いえいえ、いいんです。本当に手厚く弔っていただきましたので……! それより、昨夜からうるさくしてしまって申し訳ありません。わたしたちが感じている獣の匂いの話ですよね? なんと申し上げたらいいのか……わたしたちも初めて嗅いだ匂いなので、はっきり何の匂いだとは言えないのですが、犬のようでもあって、でもどこか違っていて。もっと雄々しいようなと言いますか……とにかく強いことだけは確かです』

「はあ……。犬とも違う、雄々しい匂いですか」

『ええ。それでわたしたちは、なんとなく居心地が悪くてソワソワしてしまって……』

 平身低頭する三佳に焦ったように、コロが話を本筋に戻す。その隣ではマルとチビも『なんかわかんないけど嫌だよね』『背中の毛がゾワゾワするよね』と口を揃える。

「ええー……」

 三匹が揃ってそう言うくらいだから、相当強い匂いがついているのだろうか。自分でわからないのがいいことなのか、そうではないのか……。それでも三佳は、眉間にしわを寄せながら、感じることのできない匂いを嗅ごうと、自身の両腕に鼻を近づける。

「……わかんないです」

 けれど当然、いくら嗅いでもボディーソープの香りしかしない。でも、二十代女子から雄々しい獣の匂いがするとなれば、死活問題だ。美味しそうな匂いならまだしも、野性的な匂いなんて絶対に彼氏ができない。ほかの人に嗅ぎ分けられるかどうかの問題ではないのだ、匂うという事実がある以上、自分から積極的にアピールできる気がしない。

『でもほら、わたしたちだから匂いを感じるだけで、普通の人にはわかりませんし。それに、まとわりついているというよりは、三佳さんを守っているような感じもするんです』

『そうだね、嫌だけど、すごく嫌ではないよ』

『うん、お姉ちゃんに悪い虫が付かないように見張ってるって感じ』

「そ、そうなの……?」

『そうですよ! ね、チビたち?』

『うん』

『気にしないほうがいいよ』

「うん、ありがとう……」

 あまりに落ち込む三佳をなんとかしようと、タヌキたちが慰める。瑞恵のせいで死んでしまったというのに、三佳に注がれるタヌキたちの気遣いが温かすぎて申し訳ない。

「でも、それじゃあ、私に憑いている匂いって何なんでしょうか? 雄々しい匂いのする動物と触れ合ったことなんて、ここ最近じゃひとつもないんですけど」

 その匂いさえ取れれば、タヌキたちは居心地の悪い思いをしなくても済むし、三佳もなんの懸念もなく彼氏募集中を謳える。それで彼氏ができるかは別問題ではあるが、少なくとも三佳が帰省中の間は、母子は今までどおり、のびのびと過ごせるだろう。盆休みはたっぷりある。実家はとても心地いい。三佳だってまだ離れたくないのだ。

『そうは言いましても、わたしたちにも、わかりません……』

 しかし、お役に立てずすみません、とコロがつぶらな瞳を伏せる。

『ただ、子どもたちも言うように、三佳さんにとって悪いものは感じませんので、気にする必要はないと思います。わたしたちは旅立つまでの間、勝手にここに居させてもらっている身です。どうか三佳さんはお気になさらず、そのままお過ごしください』

「え、でも……」

『本当に、お気になさらないでください。それでも三佳さんが気になるなら、わたしたちが出てゆけばいいだけの話です。手厚く弔っていただいた恩に甘えて長居してしまいましたが、本来ここは、あなたの家なんですから。チビたちもわかっています』

「ちょっ、ま、待って――」

『では、ごきげんよう』

 三佳の言葉をかき消すように、コロは穏やかに言ってぺこりと頭を下げる。それから子ダヌキたちに促すような視線を向けると、徐々にその体を透けさせていった。

 もしかしたら、三匹はこのまま出ていくつもりなのかもしれない。三佳が視える側の人間であるばっかりに、普通なら取り上げなくてもいい成仏までの間の居場所を奪ってしまったようで、三佳の胸には否応なしに苦いものが広がる。

 母子はただ、一時の心休まる居場所がほしかっただけなのに……。

 コロは、気にすることはない、チビたちもわかっていると言ったが、小さな子ども二匹を抱えて行く当てもなくふらふらと漂うには、先祖の魂が帰ってくるというお盆の時期は酷すぎる。だってそれらの霊には、迎えてくれる人も、帰る家もあるのだから。

「どうしたらいいのかな……」

 その晩、何も気配のしなくなった天井を見上げながら、三佳は眠れぬ夜を過ごした。

 事情を知ってしまったからには、このままにしてはおけない。轢いた瑞恵本人が供養してくれたことを有難く思っているようなので、それはまあいいとしても、帰ってくる霊をただ見送るだけの三匹の姿は、想像するだけで胸にこみ上げるものがあった。


 *


「――あ、野々原です。お休み中にすみません、今、大丈夫ですか?」

 翌朝、三佳は、また肩入れして……と呆れられることを承知で早坂に電話をかけた。運よく三コール目で電話に出た早坂に事情を説明し、どうするのがいいのか指示を仰ぐ。

『よかったじゃないですか、向こうから出て行ってくれたんですから』

 しかし、早坂の返事はひどくドライなものだった。

「そんな……!」

『聞いた感じですと、彼らもいつまでも野々原さんの家にいるわけにはいかないと思っていたようですし、野々原さんも危険な目に遭うことなく霊を退けられたんですから、むしろよかったと思うべきだと思いますよ。動物霊は、こちらが何もしなくても時が来れば自然と成仏するものなんです。人に飼われていたものでなければ、思考や感情はよりシンプルにできています。ですので、野々原さんが気に病むことではありません』

 思わずスマホを握りしめて電話の向こうの早坂に噛みつくと、早坂はそれさえわかっていたかのように、静かだがしっかりした声で三佳を諭す。そんな早坂に三佳は、実際に会ったことがないから、そんな冷たいことが平気で言えるんだ、と思う。

 いろいろなものに肩入れしてしまうのは三佳の悪い癖ではあるが、それを素通りできるほど、三佳の心はドライにはなりきれないし、そう簡単にも割り切れない。それをいつかは評価してくれたというのに、動物だから……野生動物だからって、出て行ってくれてよかったと安易に片づけるなんて、三佳にはどうしてもできなかった。

 そういえばこの人は前からそうだったと思い出しても、遅い。相談する相手を完全に間違えた。といっても、こういった類いの相談は早坂にしかできないのだけれど、少しは霊の話を聞いてくれるようになったかと思いきや、実際はそうでもなかったらしい。

「わかりました。私、あの母子を探して連れ戻してきます。お盆の時期くらい、帰ってこられる家をちゃんと用意してあげないと、私の気が済みません」

 三佳は、お休み中にありがとうございました、と礼を述べると、すぐに出かける支度を整えた。関わってしまったからには、業務外だろうと何もしないわけにはいかない。それに、早坂の突き放すような言い方にメラメラと対抗心が燃えている。

 だって、可哀そうじゃん!

 所長だって動物のくせに、と心で悪態をつきながら、背中にリュックを背負い、玄関先でスニーカーの紐を結び直す。そこへ「さっきからバタバタしてたけど、どこか行くの?」と顔をのぞかせた祖母に「うん、ちょっとね。夜までには戻るから」とだけ答えると、三佳は真夏の太陽がギラギラと降り注ぐ外へと勢いよく駆け出していった。

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