翌朝、食卓の席でその話をすると、

「天井裏に何か住んでないかって? あはは! 確かにウチは築六十年の古い木造家屋だけど、トトロに出てくる〝まっくろくろすけ〟じゃあるまいし、なんにも住んでないに決まってるじゃない! きっと飲みすぎて寝ぼけてただけよ。あー、おかしい」

 母には盛大に笑い飛ばされ、

「三佳、そりゃ、座敷童ざしきわらしじゃねえべか?」

 祖父には天井裏の座敷童説を推された。

「じいさん、座敷童は座敷に出るから座敷童だべよ」

 そこにツッコミを入れるのは祖母のミツだ。

「おもちゃもないのに、さすがに天井裏には出ない、出ない」

 父も父で、なんだか斜め方向に座敷童説を否定した。

「……」

 というか、座敷童って親兄弟で家に憑くものだったっけ?

 みんな相変わらず自由だなぁと思いながら、三佳は母特性のワカメ入りのだし巻き卵を頬張りつつ、ひとり〝んん?〟と首を捻った。ちゃんと「子どもふたりと母親の声のようだった」とも説明したのだけれど、どうやら野々原家の面々は、そこは深く考えたりはしないらしい。そもそも、座敷童は家族を成すものなのだろうか?

 身近に早坂という〝もののけ〟がいるというのに、その辺りの伝承や妖怪事情にひどく疎い三佳は、まず出足からつまずいてしまったのだった。

 それはともかく、その後の朝食の席は、我が家にも座敷童が住み着いてくれたらいいのにね、という話で終始した。

 三佳がびっくりするくらい憑かれやすい体質なら、父はよく何でもないところで転び、そのほとんどが足の小指や肘といった弁慶の泣き所的な箇所に集中している。母はわりと高確率で運転中に野生動物に出くわすし、祖父母は畑の作物を動物に食べられては嘆き、ついでにフンという名のプレゼントをほぼほぼ踏む。

 そして、住む人がそうなら家も同じようなものだ。

 以前、キヨさん宅に掃除に行った際に靄にも早口でまくし立てたが、タバコの不始末でボヤが出たり(消火に当たった消防の人の説明によると、ポイ捨てだったらしい。野々原家にタバコを吸う人はいない)、台風が来れば屋根が飛んだり、大雨のときは床上浸水も普通にするのが野々原家だ。家の立地条件が悪いのか、はたまた家が古すぎるのか……とにかくプチ不幸が舞い込むような家柄なのはフォローのしようもない。

 まあ、三佳だけ〝実体のないもの〟に好かれやすい体質ではあるが、それぞれプチ不幸体質であり、家そのものも、そうであることは変わらない。

 なのでプチ不幸を持ちより食卓の花とするのは野々原家の中では昔からのお約束だ。というより、明るくしなければ、やっていられないのだ。そうして家族みんなで不幸を笑い飛ばしてきたおかげで、今日まで生きてこられたと言っても過言ではないかもしれない。

 というわけで、ぜひとも我が家に座敷童に住み着いてもらいたいのだ。

 食卓の席は相変わらずいつものように明るかったけれど、きっとみんな、思うことは一つだ。――たとえちょっとした不運に見舞われても〝人並み〟程度の回数がいい。

 それでも、墓参りやお寺に行ったりしている間に、そのことはすっかり忘れていた。

 次に行くには忘れるしかないというもので、野々原家の家系は、わりとみんな忘れっぽいのだ。もれなく三佳もその血を引き継いでいるわけで、朝の一幕は墓参りに向かう車中の中ではもう、誰の記憶からも過去のものとなっていたのだった。

 だって寝ぼけていたんじゃないかと言われたらそんな気もするし、昨夜は実家に帰って家族の顔を見たことで気が緩み、お酒も進んだ。酩酊状態とまではいかなかったものの、記憶があやふやな部分もある。そうなれば、おかしな夢を見たと思うほうが賢明だ。

 それに、実家に帰ってまで霊やもののけや、そういうものと積極的に関わりたいとは思えなかった。お盆の時期は先祖の魂が帰ってくるとはいうけれど、会話の内容からご先祖様のような気もしない。というか、やはり天井裏には帰ってこないと思う。

 そういうわけで、三佳は昨夜のことは早々に忘れ、その日の夜も自室のベッドに横になった。お墓参りをすると気が引き締まるなぁ、などと思っているうちに順調に眠気に襲われ、間もなくして三佳は心地いい眠りの中に落ちていく。

 しかし――。

『お母ちゃん、あの人、いつまでいるの?』

『やっぱり嫌だよ、ぼく。人間なのに強い獣の匂いもするし』

『もう少しの辛抱よ。そのうち帰るんだから、大人しくしてましょう?』

 今日も天井裏からヒソヒソ声がし、三佳はふと目を覚ました。その声に混じって今夜は天井板の上をトコトコと移動する音も聞こえる。音の感じからして、小動物だろうか。常識的に考えて動物が喋るなんてあり得ないけれど、早坂のような例もあるので、一概に否定することもできないのが妙に悔しい。そういう面では、ずいぶん毒されている。

 それはともかく、となると、天井裏の小動物らしき母子おやこは、いわゆる〝動物霊〟とかいうものだろうか。今日も母親は子どもを宥めているので何かしてくるような感じはしないのだが、これは放っておいてもいいものだろうかという疑問も湧く。

 ていうか私、獣臭がするの……? なんか、すごい嫌なんだけど……。

 そして問題はその部分にもある。

 もし仮に本当に獣臭かったら、それは間違いなく早坂のせいだ。人の姿もオオカミの姿も、それはそれは見目麗しく惚れ惚れするほど格好いいのだけれど、その代償が獣臭ならば、ちょっと考えものである。とはいっても、誰からも臭いと言われたことはないし、三佳自身もまったく匂いを感じないので、日常生活になんら支障はない。

 推測だが、獣同士だから感じられる匂いなのだろうと思う。でも、二十代前半の女子に向かって「獣臭い」は傷つくから、できればもう言わないでほしい。前回から気を取り直して、絶賛彼氏募集中なのだ。誰だって匂いで避けられたくはないだろう。

 そうしてやや落ち込みつつ、三佳は薄目を開けて母子の正体を探ろうとした。

 安眠妨害は、やはり困る。獣臭いと言われるのも、いかがなものかと思う。それに、悪い霊だった場合は、それなりに対処が必要になる。岩田ほど凶悪ではないにしろ、ここは三佳の実家で、守りたい家族がいる。家族にまで実害が伴う被害が出るようなことがあれば、『早坂ハウスクリーニング』の一員である誇りにかけて、三佳が黙っていない。

 すると。

「ひゃっ!」

『うわ!』

 天井裏の一匹と目が合い、三佳と一匹は同時に詰まった悲鳴を上げた。

 なにせ野々原家は築六十年の家屋だ。天井板もそりゃ、たわむ。そのわずかな隙間から月明かりを浴びてキラリと光った目と目が合ったのだ。悲鳴くらい出る。

 一気に走った緊張と恐怖でバクバクと心臓を打ち鳴らしながら、一方で妙に冷静な頭の中では、思えば就職する前は霊感があると思ったことなんて一度もなかったなぁ……と三佳は思った。それが今では声も聞こえるし視える。普通に会話もできてしまうくらいで、霊を相手に怒ったこともあるのだから、人生は予測不能だ。

 もしかして、早坂のもとで働きだして霊感が開花したのだろうか。いつも怖い思いをしているだけあって、そんな開花は願い下げなのだけれど。

『ひひひ、ひと! ひと……!』

『え? え?』

『なになに、どうしたの』

『人! 人と目が合った!』

『――なんですって!?』

 そんなことを考えているうちに向こうも三佳が視える側の人間であることを察したようで、途端に天井裏がパニックになった。トタトタ、ステン、ゴツン、と走ったり転んだり何かにぶつかったりする音が三匹ぶん響き、その衝撃で埃が舞い落ちてくる。

 お互いに見つかったのなら仕方がないと、三佳はいよいよベッドから起き上がる。三匹の慌てっぷりがなんだか微笑ましくて、恐怖心もすーっと薄らいでいった。

「ああ……」

 しかし、なおも落ち続ける埃と天井裏の騒々しい物音は、止む気配がない。もし天井が抜けては大変だ。ひとつ短く息を吐き出し、気合いを入れると、

「何もしないから、顔を見せてくれませんか?」

 さっき目が合った天井板のたわみに向かって、できるだけ優しく呼びかけた。

 こうなったら一か八か、自分の力でやってみるしかないと思った。

 早坂とは離れているし、第一、今どこで何をしているのかもわからない。そしてここは我が家だ。断じて我が家である。残念ながら天井裏に座敷童はいなかったが、確実に何かいる。となれば、視えるし聞こえるし話せる自分が、どうにかするしかないのだ。

 三佳の役目はもっぱら〝おとり〟ではあるが、霊やもののけをほとんど信じていない家族よりは、多少なりとも話せるはずだ。早坂がいないことを心細く感じつつも、三佳は水を打ったようにシンと静まり返った天井裏に辛抱強く視線を送り、母子の返事を待つ。

 動物なら、感情はそんなに複雑ではないかもしれない。誠意を持って話せば、わかってもらえる可能性だって、けして低くはないだろう。

『――あの、本当に何もしない?』

 やがて、探るような子どもの声が天井から降ってきた。おっかなびっくり、といった様子で天井板のたわみから逆三角形の黒い鼻も月明かりに浮かび上がる。

「うん、約束する。何もしない。ちょっと話したいだけだから」

 努めて優しく声を返すと、家族会議をしているのだろう、ヒソヒソと声がした。それが終わると『……わかりました』と神妙な声で母親が言い、三匹がやっと姿を現した。

 母親を先頭にしてトン、トン、トンと床に降りてきたのは、ふわふわの茶色い毛並みの動物――ここらでは通年してよく見かけるタヌキの母子だった。全体的にずんぐりむっくりしていて、尻尾が太い。目の周りから鼻にかけてはこげ茶色の毛色に覆われていて、ぱっと見た印象では、アイマスクでも付けているかのようだ。

〝狸〟が使われたことわざにはマイナスの意味を持つものも多くあるが、生まれて初めてまじまじと見たタヌキは、とても可愛らしい姿をしていた。およそ悪さをするようには見えず、クリクリとしたつぶらな瞳は月光を浴びて艶やかに光り、行儀よくお座りをして、じっとベッドの上の三佳を見つめている。

 ベッドからそろりと足を抜き取り床に下ろすと、三佳は三匹の前に正座し、背筋を伸ばして居住まいを正した。母ダヌキ、子ダヌキ二匹とゆっくり目を合わせ、

「それじゃあ、改めて。――はじめまして。私はこの家の一人娘の、野々原三佳といいます。タヌキさんたちのお名前、聞かせてもらってもいいですか?」

 お互いの自己紹介からまずはじめてみようと、名を名乗った。

『わたしは、仲間内からは〝コロ〟と呼ばれておりました。このとおり丸い体なので、子ダヌキの頃からよくコロコロ転がっていたんです。この子たちは〝マル〟と〝チビ〟といいます。わたしの隣にいる小柄な子がチビで、わたしに似て丸いのがマルです。どちらもヤンチャ盛りの男の子で、マルのほうがお兄ちゃんです』

「コロさんに、マルくん、チビちゃんですね」

『はい』

 野生動物だから、もしかしたら〝名前〟という概念そのものがないかもしれないと思ったが、意外とそうでもないらしい。母ダヌキが子どもたちを紹介していく間、二匹はつぶらな瞳で三佳の様子をうかがい、ちょこんとお座りした体勢を崩さず、じっとしていた。

「わかりました。それで、さっそくなんですけど、どうして我が家の天井裏なんかにいたんです? 昨夜からちょこちょこ聞こえてきた話だと、私に何か強いものが憑いているとか……。それも気になりますし、さっきは獣の匂いもするって言ってたじゃないですか。もしかして、私が帰ってきたせいで居心地が悪くなってしまったんでしょうか」

 三佳は、昨夜から気になっていたことを矢継ぎ早に尋ねた。

 もし三佳が帰ってきたせいでタヌキの母子がよくない思いをしているのだとしても、もうしばらくはどうにもならないけれど。でも、獣臭を消す努力くらいならできるかもしれないし、憑いている強いものが何なのかも知りたい。

 状況次第では、早めに盆休みを切り上げて早坂に相談しなければならないことも考えられる。母子が野々原家に居付いた経緯も知りたかった。

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