第13章 忘却ノ町ニ散ル花弁-7

『なにこれ? なにこれ? この子、何なの??』

「想定以上の成果だ」

 ハルが色を含んだ声を落としたのと同時だ。勢いよく下げられた左手によって、ルートヴィッヒの頭部は激しく地面に叩きつけられた。身体の内部からミシリと嫌な音が響いて、同時に激痛が走る。なおも込められる力に、額が岩で切れて生温かな血液が頬を伝った。押し付けられる圧から身体が動かない。そこには一片の躊躇も罪悪の欠片もない。沸き上がる恐怖に身の毛がよだつ。

「く、苦し……」

「もう一度だけ言う。元の術を解け。そうすれば命は助けてやる」

『怖えぇぇ』

 息苦しい迄の重圧感は一介のエンダのそれではない。命は助けると言いながらも、目的は別のところにあるような気がしてならないのだ。まるで自身の王を眼前にしているほどのプレッシャーに、無意識で従いそうになってしまう。若しくは気が狂いそうだ。しかし前方では別の殺気が今にも爆発しそうな位燻っていて、術を解くようなことをすれば怒りの矛先がルートヴィッヒに向くのは必至である。

『ちょ、どうすれば…………あぁ忘れてた』

 身の振り方を考えあぐねた時、離れた場所で呆けたまま立ち竦む元が瞳に映った。最大の切り札に、ルートヴィッヒは何とかこの場を乗り切る方法を模作した。

『僕と接触した後は、全神経を元にだけ投下していたのはお見通しだよ。お陰で中々術が深くならなくて焦ったからね』

 ハルの唯一の弱点は元だ。フェルディナンドも然りだが、執着心はその比ではない。この数週間、よくよく観察することで疑問は確信に変わった。

「元! 僕を助けて!」

「!」

 ハルが意識を後方に向けた間際、ガシリと肩を捕まれ身体ごと少し離れた大木に打ち付けられていた。しかし勢いは左程なく体を硬直させる姿を視界に留めると、ハルはそのまま地面に着地を果たす。駆け寄るギヴソンとタロに小さく目配せを流して、再度瞳に元を映した。言葉に詰まり顔面を蒼白とさせる姿は、いつものような存在感が抜け落ちている。

「あ、あの俺。その……」

 何故ハルを……自身の行動ですら制御が出来ていない。困惑に顔面を蒼白とさせながらも、ルートヴィッヒの前に出る様を見ると「さて、どうしたものか」ハルは小さく溜息を付く。加えて元の背後で痛めた肩を摩りつつルートヴィッヒがニヤリと笑うものだから、内心面白くないのも事実だ。首をコキリと鳴らして、冷ややかに瞳を細める。

「なるほどな。支配は精神にまで及んでいると言う訳か。中々どうして強力な術らしい」


「一気ニ……片……付ルゥ」

「あぁこいつも居たな」

 獣へ変貌する準備が整ったのか、片言の言葉は更にたどたどしいものとなっていた。

 フェルディナンドの時と同じだ。身体がビクンと大きく震えた瞬間、四肢が一瞬大きく膨れ上がり在り得ない方向に延びていく。変貌の途中で頭部からフードが外れると、その下からは土気色をした肌が剥き出しになった。

『あの姿はドグルガ族か。武器の精製にしか興味のない連中だと思っていたが、こんなことに加担していようとは。だからあの剣を元に……』

 長寿の種族らしく刻まれた皺や、少し尖った長い耳が何よりの特徴である。


 変貌の影響か、身体から迸る精気は、距離がある城壁さえも砕き巻き上げていく。民に多数の犠牲者が出ているのだろう。至る場所から悲鳴が上がった。

 エンダは民の声を聞けば、我が身を犠牲にしてでも救いの手を差し伸べずにはいられない。エンダという柵から逃れたルートヴィッヒ、そして異端者であるハルでさえも気が削がれるのだ。元に至っては胸を掻きむしらとする程の焦燥感に襲われた。一人でも多くの民を救い出したい気持ちとは裏腹に、足がどうしても動かない。背中にルートヴィッヒの存在を感じると、外部と一線が引かれたように全てが曖昧となってしまう。

『これがルートの術……?』

 この感情が施された術の影響なのは、ハルとのやり取りで重々承知している。にも関わらずだ。その事実ですら、ルートヴィッヒと自身を繋ぐ強固な絆だと思考が変換されてしまうのだ。冷静に状況を判断しようとする間際から気持ちが次々に上書きされてしまう。思考が止まるのを元は必死の思いで抗っていた。


 騒然となる外部とは相反して周辺はやけに静かだ。しかしその沈黙も束の間の出来事で、

ギギギギッギィィエェェェ……

 耳障りな恫喝が周囲に響き渡った時、獣を纏う大気に蠢く瓦礫が外界に向けて弾丸の如く四方に弾き飛ばされた。

「やれやれ、面倒なほど派手だな」

 激しく揺れる髪を耳に掛け、ハルが眼前に掌を掲げると元とフェルディナンド、そして町の一部に光の盾が出現した。押し寄せる瓦礫が、光の盾に触れた先から弾けるように消滅していく。欲求の赴くままに奪うだけの獣と、神の加護を持って全てを包み込む慈愛……現実味がない光景を暫し元とルートヴィッヒは呆けるように見ていた。

「ミゲル~やり過ぎだよ。あまり目立っちゃ駄目じゃない?」

 ようやく大気が落ち着きを取り戻し、息をするのに抵抗がなくなった時点で、ルートヴィッヒは少し批判めいた声を上げた。

 しかしミゲル……そう呼ばれた男の姿はどこにもない。そこにあるのは、黒光りをする甲虫類の獣の姿があるだけだ。

『素晴らしい。もっと、もっと世界の深部を見せてくれ』

 新たな情報に触れれば触れる程、開けたことのない扉が次から次へと出現してくる。馬面骸骨(せんどうしゃ)とコンタクトを取ったあの日から、実に長い年月を費やしここまで来た。


「黙……レ。エン……ダ……先ノ、非礼……詫タ、ら……楽ニ殺シテ……上げマス、ョ」

 獣に堕ちても、人間としての思考を保ったままだ。直視し難い形態だが、そうも言ってはいられない。ハルは正面から獣(みげる)を見据えると、腕を組んで笑った。

「非礼? 何のことだ。あぁ馬面骸骨野郎が次の王にってやつか。馬面かロバかって事だけだ。他にどんな奴がいる? 牛か? 豚か?」

「……後デ、懇願……無ァァダァ。無知ィィィィ、無……知ィヒィィ」

「試してみろ」

 そう逆なでする声に獣(みげる)の口元からは大量の涎が滴り落ちた。感情が高揚すると獣の構成が強くなり過ぎて自我が保てなくなる。

『この世界で獣に堕ちる、その業の深さを知る者がどれだけ存在するのかな』

 嘗ては狩るだけの対象だった姿を瞳に映して、ルートヴィッヒは思わず漏れた失笑を誤魔化すように唇に指を添えた。

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