第13章 忘却ノ町ニ散ル花弁-8

ギュンッッ

「!?」

 触覚が勢いよく伸びて襲ってくる。ハルがその立ち位置を数センチずらすと、触覚はそのまま足元の地面にめり込んだ。意を決して向けた視線の先に、黒光りの太い蔓のような触角が間近で映し出されると、不快感に身の毛がよだつ。ひらりと体を宙に浮かせ離れた場所に着地を試みるハルが見たものは、今まで体現したことのない不可思議な光景だった。

「あれは……?」

 陥没した場所がみるみるの内に、淀んだ液体で埋め尽くされていく。周辺の草花が瞬く間に萎れる様で、毒が分泌されているのは容易に想像が出来た。「やれやれ」とハルは低い声を上げた。

「表舞台に立てない輩のくせに、世界に干渉しすぎだ。高濃度の毒を撒き散らせば、この土地が浄化されるのに数百年かかる。……場所を変えるぞ」

「タァミー? ……ヒッ……ィーッッッ」

 意志の疎通が取れているのかも不明なほど、高揚した感情は獣そのものである。人語は話すものの、滝のように流れ落ちる涎や血走った瞳が町の民に向けられている気がして、元は気が気ではない。ハルの言葉通り、一刻も早く場所を変えた方が良さそうだ。期待を込めた視線をルートヴィッヒに向けてはみたものの、その表情を見れば気持ちが萎む。

「う~ん、ミゲルはこうなるともう手が付けられないし、ここで大丈夫じゃない? 辛うじて意識はまだ君に向いているみたいだから。ま、結果は一緒さ」

 ルートヴィッヒは、混乱から逃れようと町から出てくる民の存在を様を感じ取った。獣の存在を恐れて、近づいてくる気配はない。

「辛うじてまだ、ね。おい、よもや町ごと殲滅させる気じゃないだろうな?」

 歯切れの悪いルートヴィッヒの言葉にハルが溜息交じりで問う。何でそんなに感がいいのだろう……そう内心で悪態を付きながら、屯する民達に視線を向けてへらりと笑った。

「だって監視塔やら何やらで色々見られちゃってるし。仕方ないでしょ? 僕達、余り人の記憶に残っちゃいけないんだ」

 二人の会話についていけない元ではあったが、民を巻き込むつもりなのは理解できる。咄嗟にルートヴィッヒの肩を強く掴むと、悲痛な表情を浮かべた。術が解けてしまったのかと心配しなければならない程の力加減だ。しかし未だ耳まで赤い様を見届けるとホッとルートヴィッヒは息を付く。

「ルート、お前なに言ってんだ? 俺ら何で扉を開けてこの世界に来たんだよ。なぁ、もうこんな馬鹿げた事は止めて、俺らと一緒に旅に出よう、な!?」

 真っ直ぐと見据える様は、術の効果だけではなく、元の本心でもあるのだろう。こんな事実を目の当たりにしても、一緒にと訴えてくる甘さにルートヴィッヒはヒクリと笑った。

「何故扉を開けたか、か。まぁエンダの存在が、本当に民を助けるためだったら、こんな風に身を落とすことも無かったかもね」

 言葉の真意は元には理解出来ない。しかし口元を歪ませる姿に『ルートだって苦しんでるんだ……』そう思考が過り、途端に胸が苦しくなってしまう。もうそれ以上言葉が繋げなくて、元は瞳を伏せてしまった。反してハルは次々に吐き出される毒を避けながら、口元を歪めて笑う。

「ま、それはいいとして、元~大丈夫だよ。この世界の人間はこんなこと慣れっこなんだ。そうやってこのAnother Wold(せかい)は巡っているんだよ。ね、今は分からないかもしれないけど、民は単に世界の歯車の一つ、そう思えばさ、その犠牲も世界を構成する必要な要素だって理解できるから」

 飄々と笑う様はどこか常人らしくない。一帯何が起きているのか、元はゾクリと背筋に冷たいものが走った。

「さ、お喋りはここまで。あまり長く獣に堕ちたままだと戻れなくなっちゃうからね。じゃぁ、元、お願いなんだけど、ハルさんを殺してくれるかな。ミゲルだけでも大丈夫だと思うけど、用心に越したことはないしね」

「なっ!?」

 元が体を硬くするその間にも、ミゲルはハルへの攻撃を繰り返し、至る場所に毒沼を作り出している。嘗ては根を伸ばす草花に埋め尽くされていた場所も、今は見る影もなく無残なものだ。風向きが変われば多くの民が犠牲になるだろう。それ程濃い瘴気は大気をも汚染し始めている。


「大丈夫、君だけにそんな業は負わせないよ。僕も一緒に背負ってあげるから、ね」

 そう温和な微笑みを浮かべたまま、元の腕に手を添えて身体をクルリと反転させた。正面には、辛うじて残されている地面に着地するハルの姿がある。何を馬鹿な事を……たったそれだけの言葉なのに、喉から出てこない。

『なんでそんな事が言えるんだ? 俺達、仲間だったのに……』

 殴り付けてやりたい位に、腸(はらわた)が煮えかえっていても、意図せず剣を持つ腕が上がる。グリップをもつ手に力が籠ると、剣先がハルに向いた。繰り返される「何故」に答えが出ないまま、ハルと視線が重なりあう。その表情には憤りも憂いも浮かんでいない。ただ吸い込まれそうな大きい瞳が真っ直ぐと向けられたままだ。

「元、僕とずっと一緒に居たかったら、どうか言う通りにして。今彼女を倒さないと、組織から僕が殺されちゃうよ。ね、元、僕を守って」

「……ハルッ」

 その言葉を信じた訳ではない。長い間 仲間を騙し、大勢の民まで危険に晒すような男だ。それなのに、どうしても剣を構えた腕が下がらない。こんな日が、ハルに刃を向ける日が来ようとは考えたこともなかった。

『ハルを襲う位なら死んだ方がマシだ』

 そう意を決しても身体が言うことを聞いてくれないのだ。悔しくて、ただ悔しくて頬に涙が伝う。

 歯を食い縛り、瞳から涙を溢れさせる元を見て、ハルの動きが止まった。ここぞとばかりに、ミゲルの身体の節々から無数の触覚が四方に飛び出す。毒を纏った触覚は幾重にも重なり合い、うねる様に襲いかかってきた。


「ハル!!」


 カッと光が周囲を照らした後に、無残に刻まれた触覚が散り散りになって沼地に落ちていく。ジュッと音を立てて瞬時に消滅する様に、ルートヴィッヒは信じられないと言わんばかりの表情を浮かべた。

 一体、何が起きたのだろう。ハルがその腕を鋭く振り落とした時、次にはミゲルの叫喚が世界を埋め尽くしていた。その掌の中に、元ですら初めて見る光のメイスが握られている。


「おい……元を利するのは止めろと言った筈だ。言葉では理解が出来ないようだから、その身に直接 刻んでやる」

 絶叫が鳴り響く中、耳に届く声は、まるで脳に直接語りかけるような響きがある。ゆらりと一歩踏み出す姿に、ルートヴィッヒは思わず後ずさっていた。毒を孕んだ風がハルを纏うと、長い髪が大きくなびいて、さながらまるで生き物のようだ。

『浄化してる?』

 元は何故かそう思わずにはいられなった。薄い黒紫色した瘴気が、ハルを包む白く輝くオーラに触れる度にその色をかき消していくのだ。しかし浄化とは相反して、身体から吹き出す怒気は何処までも静かにチリチリと大気を切り裂いていく。達観していてどこか傍観者のように生きてきたハルらしくない。今までの印象を覆す姿は何故かとても綺麗で、元は視線を外せなかった。

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