第13章 忘却ノ町ニ散ル花弁

第13章 忘却ノ町ニ散ル花弁-1

「ねぇ、この獣はどうかな?」

 ルートヴィッヒがおずおずと差し出したリストには、「スレーシュー」という名の獣が記されていた。パーティを組んで既に五体もの狩りを成功させているというのに、未だに何処か遠慮気味だ。

『早く馴染もうと必死なんだな』

 ちらりとハルを盗み見た。無言でリストを広げる仕草に元の胸は、ギュッと締め付けられてしまう。フェルディナンドは積極的にコミュニケーションを図っているが、ハルは清々しいほど無関心を決め込んでいた。元に居たっては、感情が激しく高鳴るために会話もままならない。

「ルート殿が獣を選別されるのは初めてですね。どれどれ、獣が現れる時には必ず濃霧が発生している。移動スピードはかなり遅い……情報はこれだけですか?」

 フェルディナンドの言葉通り、獣を特徴付ける記載が一切ない。出現して間もない獣でも、もう少し情報があってもおかしくない。皆が困惑する中、ルートヴィッヒが一呼吸置いた。

「必ず濃霧が……という記載が気になるんだ。濃霧に紛れてしまうと位置を特定出来ないんじゃないかな。民に犠牲者は出ていないのに、エンダの犠牲数が多いでしょ?」

「そうですね。それに報奨金が高いように思います。周辺に住む人々の恐怖は相当のようですね」

 フェルディナンドが唸り呟いた声に、元とルートヴィッヒが頷いた。意図せず入り込んだ濃霧の中で獣と遭遇したら……そんな恐怖から、町や村が報奨金を吊り上げたであろうことは容易に想像できる。

 ランクはB。Sクラスを中心に狩りをする元達パーティにとっては、格下相手の獣といえた。ちらりとリストに視線を投げて、ハルはハーブティのカップを静かに置いた。

「しかし情報が余りにも少ない。Bクラスとはあるが、民の犠牲が少なくランクが上がっていないのだろう。過信は出来ない」

 リストの情報が全てではない。その上、既に何度も狩りを経験しているのであれば、エンダを攻略する術を得ていら可能性がある。

 基本、エンダはリストに記載された内容で、己のスキルと天秤に掛け契約を取り交わす。命を掛けて狩りに臨む以上、裁量を見間違うと全滅してしまう。ゴクリと息を飲み表情を強張らせるルートヴィッヒの姿に、元は熱い眼差しを固定させた。

『大丈夫だって。俺が命に変えても守るから』

 日を重ねる毎にルートヴィッヒへの想いは募るばかりだ。芽生えた感情が何なのか、気が付いたのはつい最近のことで、それからというもの、まともにルートヴィッヒを直視出来なくなっていた。

 それでもハルの冷めた態度を見ていると、浮かれた気持ちが少し萎む。お陰で友人であり仲間、その関係性を何とかギリギリで保っていられた。

『そもそもエンダは恋愛感情を抱かないって、周知の事実だろ?  しかも相手は、お、男だよ? こんな、こんな事って。俺ってそうだったの??」

 元は浮き沈みを繰り返す感情を持て余し、今日何度目かの溜息を大きく吐く。


「……やっぱり止めよう。ただでさえ僕はみんなとの狩りに慣れていなくて迷惑をかけちゃうな。危険な狩りはさせられない」

 慌てて該当ページを閉じて、次のターゲットを選別しようと手を掛けた。フェルディナンドは優しい声色で問う。

「ルート殿がこの獣に拘られた理由をお聞かせ願いますか?」

「え? あ、あぁ、あのさ、ランクの割に報奨金が高いから、選定を見間違うエンダが多いと思うんだ。皆だったら仮にSクラスでも大丈夫でしょ? これ以上、エンダの犠牲を出したくないかなって」

「なる程、民だけではなくエンダの事まで……」

 とかく報奨金の高さや獣のランクで狩りに臨むエンダが多い中、ルートヴィッヒの優しさに、フェルディナンドはにっこりと笑みを返す。

「……私は構わない。契約を結ぶかどうかは任せる」

「へぇぇぇぇ、お前が契約に口出さないって珍しくね?」

 ジロリと睨み付けるハルの視線に、元はボリボリと頭を掻く。一時期は主導権を握ろうと画策し、色々と口を挟んだ時期もある。しかし何度か逆らってはみたものの、一向に聞き入れられない。仕方がなくハルを信頼して一任する事に決めたのだ。加えて元が契約を交わした狩りは、パーティがろくな目に合わない点も要因の一つだった。

「お前じゃないからな」

「どういう意味??」

 まぁまぁと宥めるフェルディナンドに、少し表情を緩めるハルを見て、

『変わったよな……』

 元は出会った頃のことを思い返す。誰よりも強くなりたいと、それだけの為に生きているような人間だ。今もそれは変わらないのだが、時折垣間みる感情は、そんな印象をいとも簡単に覆してしまう。本心にもう少し触れることが出来たら……ふとそんな想いが脳裏を過った。


「私は賛成です。今後、民にまで被害は膨らむでしょう。もう何度も狩りを経験しているのであれば、エヴォリューション(しんか)という脅威もありますしね」

 フェルディナンドの真剣な表情に、ルートヴィッヒがコクリと頷きを返す。しかし心強い仲間が一緒とはいえ、未知な獣には間違いがない。少し震える指先が視界に映って、元は愛しさから思わず抱きしめたい衝動に駆られた。……そしてふと我に返ると、背徳感に叫び出したくなる。元がガタリと席を立つ。

「作戦中にごめん。ちょっと外の空気を吸ってくる」

「元……顔色が悪い。僕もつき合うよ」

 そう心配そうに上目遣いで見られると、ようやく落ち着いた感情が再燃してしまう。元は焦って両手を振った。今二人っきりで話でもしたら、いよいよ何を口走って仕舞うか自信がない。

「い、いいよ! 大事な作戦中だしさ。ちょっと人酔いしただけだし。俺、難しいこと分からねぇから決まったら教えて」

 焦りに焦って、何とかそれだけ言葉にすると、元はあっという間にカラーの雑踏に消えた。

「……もしかして僕、避けられているのかな?」

 最近、悉く元があたふたと逃げ出してしまうものだから、二人の会話はまともに成立しなくなっていた。ルートヴィッヒにはその心情など知るはずもなく、余所余所しい態度に小さな溜息を付く。

「いえ、その様な事は決して……」

『ルート殿が気付かれて居ないのは幸いです。あれは正しくルート殿に恋心を抱いておられるご様子。これは一体……』

 元の感情の行き先がルートヴィッヒなのは一目瞭然だ。何故、恋愛感情が欠落したエンダが、このような状況に陥ってしまったのか……もうそれ以上フェルディナンドは言葉を繋げなかった。そんな二人の会話など気にも止めず、

『濃霧、か……』

 ハルは少し落ち込むルートヴィッヒの隣で、リストに記された「濃霧」の文字を、ただただ優しくなぞるのだった。

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