第13章 忘却ノ町ニ散ル花弁-2

「移動が速い。このままでは直に町に到着するぞ」

 ギヴソンの背の上で、ハルが険しい表情のままボソリと呟いた。目標とする時点まで距離がある場所で放たれた言葉だ。ギヴソンが深紅の瞳をハルに向けた。フェルディナンドの存在にはだいぶ慣れたようだが、新参者であるルートヴィッヒに警戒心を露わにするギヴソンは、相も変わらず皆を背に乗せようとしない。

「獣(スレーシュー)が居るとされている場所と町とはかなりの距離があったと思うのですが……。我々のスピードでは到着に半日はかかりますよ」

 見渡す限りの荒野に瞳を細めて、フェルディナンドが未だ見えぬ獣の姿を追う。徒歩でも十分に間に合う、昨日の段階でそう踏んでいた。

「だよね。リストに記された情報だと移動速度は遅いって……まさかのデマ? ハルさん、獣(スレーシュー)が町に到着する時間は図れるの?」

 ルートヴィッヒは、心配そうに眉を潜めると地図を大きく広げた。赤くペンで囲まれた場所と町の距離は二百キロ近くあった筈だ。半日も経たない時間でそんなに距離が稼げるものなのか……疑心暗鬼な声に、試算に入っていたハルは額に指を添えて「三十分」と呟きを返す。淡々と返された言葉の重さが測りきれなくて、皆が一様に顔を見渡し合った。

「三十分だ」

 再度向けられた言葉にようやく思考が鮮明になる。元が一番先に我に返ると「間に合わねぇじゃん」そう悲壮な声を上げた。獣に襲われ廃墟と化した町の風景と、血塗られた小さな熊のぬいぐるみが脳裏を過る。焦り始める仲間達を横目に、ハルは小さく口元を上げて額に手を添えた。

『やはり曰く付きの案件だったか。カラーの情報はかなり信憑性が高い。今まで情報に嘘偽りなどあったことがなかった。加えてこのスピードだ。さぁ何が起きるのか、ここが恐らく私の……』

 そうギラリと瞳を光らせると、ギヴソンの黒々とした肌に手を添えた。宝玉を持つ獣はエンダに狩られる運命だ。それなのに深紅の宝玉を額に持つギヴソンは、もう何年もの間ずっと寄り添い生きてきた。触れる温もりを掌に感じながら、ハルは膝の上で見上げてくるタロに微笑みを浮かべた。

 広大な荒野を吹き抜ける風の音が、必死に対策を模索する皆の声をかき消していく。ハルはふと元と出会った荒野の姿を脳裏に映す。添える指先をタロがペロリと舐めて、ギヴソンが体を一度大きく震わせた。

「そうだね。行こうか。……ようやく決心が付いた」

「え?」

 ハルの小さな呟きに気が付いた元がふっと視線を上げる。瞳に映ったハルは荒野を吹き抜ける風で、大きくなびく長い髪をまとめることもせず、真っ直ぐに元を見据えていた。加えてギヴソンの深紅の瞳とタロの丸っこい大きな瞳もジッと元を見据えている。

「え? え? 何、何?」

 俺? 少し焦って指先を自身に向ける元に、ハルが一度小さく口元を上げた。滅多に感情を出さないハルにとっては珍しい表情に、

「……ハル?」

 何故だか途端に存在を遠くに感じて、元は咄嗟に腕を伸ばす。向けられた手を瞳に映したままハルがギヴソンの肌を撫でた時、ギヴソンが膝を折って地面に身を落とした。

「乗れ。ギヴソンの脚なら十分に間に合う」

「へ、どんな心境の変化だよ?」

 そんな元の言葉にぷぃと顔を背けると身体をグィッと寄せてきた。あたかも早く乗れと言わんばかりだ。どんなに諭しても頑として背に乗せる事を嫌がったとは思えない変貌ぶりであるが、如何せん時間がない。言われるがまま元から背に跨ると、フェルディナンド、そしてルートヴィッヒが後に続いた。

「掴まれ」

 そんなハルの言葉が落とされたのと同時だ。ギヴソンの皮膚に筋肉の塊がミシリと浮かび上がり、グッと前に身を乗り出す。そんな次の瞬間、後方に吹き飛ばされそうな程の圧がフェルディナンドとルートヴィッヒを襲った。

「なっ!?」

「こ、これは……!」

 ハルが先頭に座しギヴソンに方向を示し、その体を支えるように元が寄り添っている。その後ろに位置し、風の抵抗は受けていないはずなのに息が詰まって仕方がない。二人が辿ってきた旅の軌跡を見た気がして、フェルディナンドは不動に座する姿に畏敬の念を抱いた。

『何と荒々しくて力強い。ギヴソン殿が宝玉を額に持つ獣だとようやく理解出来たような気がします。獣を従えるとはこういうことなのですね。背にエンダを乗せ、今まさに狩りに向かっているのですから……不思議な光景です』

 不愛嬌ではあるが元とハルの側を片時も離れようとしない様子から、心を許しているのであろうことは見て取れる。嘗ての荒々しい姿を知らないフェルディナンドは、宝玉を額に持つ獣の一面を垣間見て不思議な気持ちに陥るのだった。


 町から幾分か離れた場所で、元達は草原の一角に掛かる黒い靄を瞳を細め見ていた。抜けるような快晴の下では、異常な光景には違いがなく、元はゴーグルをグイッと引き上げる。

「なんじゃありゃ~。あんな中に獣(スレーシュー)が?」

「ハル殿、私(わたくし)の見間違いでなければ、靄が移動しているように見受けられます。あれは一体……」

 さながら黒い波だ。フェルディナンドは暫しの間、上下左右に視線を動かすと、そう首を傾げた。その言葉通り、靄は広がりもせず一定の規模を保ったまま近付いてくる。

「ただの靄ではなさそうだな。もう少し町から離れたかったが、あの移動速度では仕方がない」

 町では獣の襲撃に備え固く門が閉じられている。高い外壁の内部での民の煽動ぶりが伝わってきて、ハルが小さく溜息をついた。今まで極力町から距離を保った狩場で狩りを行ってきた。これ程 町が近い場所での狩りは初めてで、獣の精神や行動にどのような変化をもたらすのかも予測が不可能だ。

「ま、倒せばいい話じゃん?」

 元は濃霧を見据えてニカリと口元を上げた。楽観的な言葉で何の確証もないのだが、つられるようにフェルディナンドも頷きを返す。

「民をこれ以上、危険な目に合わせられませんしね」

「そうだね。あんな壁位じゃ、獣の侵入は止められないし。僕らがやるしかないもんね」

 そんな会話を続けている最中にも、濃霧は次第にその禍々しさを露わにしていく。何処までも深く、獣の姿はおろか、内部を伺い知ることも出来ない。相当のスピードで押し寄せる濃霧は、空の色さえも飲み込む勢いだ。


「わ、わ、わ」

 迫り来る不気味な濃霧の波に、ルートヴィッヒは思わず元の左腕を掴んでいた。これに驚いたのは、無心で濃霧を見入っていた元だ。咄嗟のことで、ルートヴィッヒに視線を合わせる事も出来ない。

『わ、わ、わぁ――――――』

 じんわりと伝わる温もりに、元は一瞬我を忘れた。触れている部分が急激に熱を帯び、全身に甘い痺れが走る。好きな人と触れあう喜びがこれ程、甘美なものだったとは……もっと触れたいと願う自分の思考を否定出来ない。

『お、俺は友達になんていう……』

 消えてしまいたい位の嫌悪感に苛まれる元の隣にハルが音もなく立つ。

「くるぞ」

 そう言葉にして、元の右掌をきつく握りしめた。触れた小さな掌はハッとするほど冷たくて、何とか正気を保っていられる。

 声に導かれ上げた瞳に映った光景は、襲い来るように皆を飲み込む濃霧の姿だった。

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