第12章 Rare stone-16
結局、約束の期日を過ぎても、旅人は武器屋に現れなかった。振り回されちまったなぁ~そんな店主の慰めに、元はひきつり笑いを浮かべたままボリボリと頭を掻く。
「いや~いるんだねぇ、ドグルガ族の剣と引き替えにエンダ様をおちょくるなんてなぁ。太っ腹っていうかさぁ、あ、いや失言失言」
「店主、我々が着いた時にはもう既に地下道は潰れていた。獣の存在は確認が出来なかったが、もし居たとしてもあれほどの陥没だ。潰されたとみて問題がないと思うが、しかし用心に越したことはない」
ハルの現実味のある物言いに、全員が店主の動向を追う。たった一人で生きていかざるを得ない精霊の姿が脳裏に過る。
元は帰りの道中で聞いた、ハルの話を思い返していた。
【鉱石(りどる)のこと、何であんな詳細に知ってたんだよ。詳しくないって言ってなかった?】
一人蚊帳の外のように感じて、元はプーと頬を膨らませた。当のハルはフェルディナンドと共にギヴソンの背に乗り、深く考え事の最中だ。
【なぁって】
なおもしつこく向けられる言葉に、ハルは気が削がれると深い皺を眉間に寄せた。それでも視線を外さない元に諦めたのか、気怠そうにボソボソと言葉を落とす。
【出発前に図書館で少し調べてみた。とはいえ全滅したと言われて久しい石だ。数少ない文献も言い伝え程度で大したことがない。
しかしその中で一冊だけ、精霊の姿かたちを詳細に表現している本があった。地下道で初めてシルクを見た時に、本の信憑性を確信したんだ】
小さく呟かれる声は、こんな静寂な森の中であっても、鳥のさえずりや葉が揺れる音にかき消されんばかりだ。それでも全員が聞き逃さんと、必死に声を拾った。
【小さな人間の女の子とリドルの精霊が出会う話だ。空想上の話として、敢えて意図的に書かれた形跡があったのも特徴的だった。
仮にその精霊をAと置こう。人間に虐げられてきた種別として、初めは頑なな態度を一貫していたが、次第にAは少女に心を開いていった。
しかし結局は、強欲な人間達によって人間と通じた精霊以外は皆捕まってしまう。Aを守らんと仲間の精霊達は、自らの意志で石と化した。Aは少女を信頼しきっていたのだろうな。ありとあらゆる情報を提供した挙句、利用され、仲間を失ってしまったんだ】
【物語の最後はどうなったの?】
苦いものを胸に感じたまま、ルートヴィッヒが問う。物語とシルクがどうしてもだぶってしまうのだ。
【その日暮らしで疲弊しきっていたとはいえ、大切な友達を裏切った後悔の念は、少女の心の傷となった。一生涯消えることはなかったと締め括られていた】
【そ、そうか】
元が大きく空を仰ぐ。シルクとは関係のない話なのかもしれない。しかし頑なだった態度の理由が今は理解出来る。今も深い森の中でただ一人、仲間に思いを馳せているだろうか……掌でも余る儚い存在の幸せを、どうしても願わずには居られなかった。
案の定、親父は冗談じゃないと言わんばかりに両掌を眼前で振る。人の力が関与出来ないレベルの倒壊は、恐怖に近いインパクトを与えたようだ。
「近寄らねぇよ、ってか、近寄れねぇから。たく先人達は何を考えてあんなになるまで。人の業っていうのは怖いなぁ。ま、元々、公道から大きく離れた道だったし、何の問題もねぇよ。
しっかし、あんな奥地まで、兄ちゃん達も散々だったなぁ。でもドグルガ族の剣がただで手に入ったんだ。良かったじゃねぇか!」
武器屋の親父らしくレアな武器に、視線は元の背中の剣に固まったまま動かない。流通しないアイテムに興味津々といった様子だ。元は手に馴染んで久しい剣を差し出すと、
「いやいやいや、貰えねぇよ。親父、これ預かってくれないか? 何かの手違いでここに来るのが遅れているだけだと思うからさ」
本来であれば言い値で買い取ると交渉したい位である。旅人にしてもレアストーン(りどる)との交換条件として出さざるを得なかった剣だ。そう考えれば何の対価もなしに貰える筈もない。親父は一度ゴクリと息を飲んで剣を見据えたが、ブンブンと大きく首を振った。
「いやいやいや、厄介ごとは勘弁だ。エンダに関わったちゃいけねぇんだ、俺らは。おっと誤解するなよ、それが互いの為なんだからな!」
そう必死に弁解を繰り返す声に全く興味も示さず、ハルは扉に手を掛けて言葉を遮った。
「店主、我々は二件先の宿屋に宿泊している。明日には出発する予定だ。もし旅人が来たら宿を訪ねるように言ってくれ」
それだけ言葉にすると、皆を置いて店を出て行ってしまった。元は剣をどうする事も出来ず両手に抱えたまま、親父と扉を交互に見るしか出来ない。しかし無言で頷いた親父の表情から、少しバツが悪そうに剣を再度背中に収めた。
『出発は明日か……』
元々、四つ目の海を越える為に早々に旅立つはずだったのだ。カラーで海を越える話をしていたのは、数日前の話なのに、今では随分前の事のように思えてならない。それ程、この数日間は様々な感情が入り乱れた。
「そっか。元達、もう出発しちゃうんだ。そ、うだよね」
少し困惑するように声を上げたのはルートヴィッヒである。たった一度の狩りを共に戦っただけなのに、もう何年も一緒だったかのような錯覚を受ける。仲間として相性がいい……それは誰もが感じていることだ。
「いや、もうハルの野郎。何でも一人で決めちゃうからさ~。もう少し留まろうって言ってくるよ。ルートの仲間だってまだ戻ってきてないんだから」
少し遠慮気味な元の言葉に、ルートヴィッヒは軽く頷いただけだ。結局この町でルートヴィッヒが仲間と再会することはなかった。仲間から見捨てられた……その事実を突きつけることが元には出来なくて「仲間にならないか?」その一言がどうしても言えず仕舞いなのである。
「ルート殿は今後どうなさるおつもりですか?」
武器屋を後にしてカラーに向かう道中で、フェルディナンドは優しく問うた。フェルディナンドやルートヴィッヒは狩りでの消耗が激しく、昨日まで起き上がることが出来なかった。ようやく活動が出来るようになったのは今朝の事だ。
『爺さん、ナイス!!』
「うん……そうだね。カラーで受け入れてくれるパーティを探すよ。昔の仲間のことは心残りではあるけど、前に進まなきゃ生きていけないからね」
「だ!!」
「だ?」
声が裏返って次の言葉が出てこない。覗き込むルートヴィッヒがやけに近く感じて、思考が正常に機能しなくなってしまった。それでも彼のいない生活など考えられない……元は拳に力を込めるとゴクリと息を飲む。
「だったら俺らと一緒に旅をしよう! ルートと一緒だったら、俺、どれだけでも強くなれる気がする。何処にでも行ける気がするんだ! 一緒に……!」
「……元!」
そう前のめりに訴えてくる元の姿に、ルートヴィッヒは胸に熱いものがこみ上げてくる。
この土地まで来ると、エンダ一人では獣を倒すことなど物理的に不可能だ。そのためにエンダは数名から数十名でパーティを編成し旅をする。しかしエンダが生きていく為には結構なお金を必要とした。一カ所に留まることが出来ない性質上、獣を狩り生計を立てる以外にエンダが生きていく術はない。しかも一度狩りに出れば、襲われる飢餓に報酬の三分の一は食事に消えてしまうのだ。単純に仲間を増やせない最大限の理由である。増員に見合うだけの素質がなければ、どこも受け入れてなどくれない。
感極まりグッと踏み出すルートヴィッヒに向かって、元はあたふたと慌てふためいた。癖毛の髪がさらりと揺れる、そんな些細なことですら視線が追ってしまうのだ。太陽の下だからだろうか……出会った時と比べると俄然、輝いて見えた。
『近っ』
「だ……だから、お、俺、ハルに、そ、そおだんしてくるってば」
「元殿、私(わたくし)も参りましょう」
「元、フェルディナンドさん……もし、もしハルさんが僕を受け入れたくないと思われたら、僕は大丈夫だから!」
気持ちが高ぶって駆け出す元を、後に続くフェルディナンドを……そして不安気に見守るルートヴィッヒの後ろ姿を……新しい仲間の存在に誰もが浮かれていたのだろう。物陰から見入る深いフードを被った男の存在に、誰も気付けなかった。
「あいつを仲間に……?」
荷造りの手を止めて、ハルは一度視線を上げた。窓の外から民の笑う声がもれ、何とも穏やかな午前だというのに、部屋の中は重苦しい空気に包まれている。
「あいつじゃねぇよ、いい加減ルートって呼んでやれよ」
「どう呼ぼうが私の勝手だ」
素っ気ない物言いに、元はムッと感情を露わにする。そんな元をハルは見据えたまま微動だにをしない。加速した険悪な雰囲気にフェルディナンドが焦ってフローの手を伸ばした。
「ルート殿は良い方ですし、狩りの相性も良いように感じました。接近戦が主だった我々のパーティに、今後必要となる人材ではないでしょうか?」
フェルディナンドの言葉を受けて、ハルは荷造りの続きを始めた。二つの腰袋に細々としたものを詰め込みながら、小さく声を落とす。
「あいつをパーティに迎えたいのならそうすればいい。私は一向に構わない」
「……不服だったらそう言えよ。嫌々、迎え入れられて、ルートが居ずらくなったら俺、許さねぇから」
「元殿」
「許さないとは具体的にどうするつもりだ?」
「ハル殿」
フェルディナンドに諫められ、元はプィと顔を背けた。暫しの間、ハルは元を見据えていたが、結局はそれ以上は何も言わず作業に戻った。何故ここまで腹立たしく感じてしまうのか、当の元ですら困惑するのだ。それなのに一緒に旅が出来ると早く伝えたくて、会いたくて、気持ちが逸って仕方がない。元は無意識に窓の外に視線を向けた。
「……あいつをパーティに迎える条件は一つだ。爺さんが獣に堕ち掛けたことは絶対に口外するな。それだけは必ず守れ」
重苦しい空気を割ってハルの声が部屋に響く。ただただ静かに落とされた声にも関わらず、有無を言わせぬ強制力がある。パーティには入れるが仲間ではない……元は納得が出来ないと言わんばかりに足を踏み出す。
「元殿。獣がエンダの成れの果てなど、いくらルート殿とはいえ容易く受け入れられるものではございません。増してや出会って一週間程度では、ハル殿がご判断出来ないのも無理はないでしょう。良い方なのは承知しておりますが、早急に判断するのは危険ではございませんか?」
フェルディナンドの優しく諭す言葉に、憤る感情が途端に萎む。冷静になれば納得も出来るというのに、どうしてハルの言葉は一々感情のひだに触れるのか……元は気持ちの落ち処が分からなくなり、ドサリとベッドに腰を下ろした。
「直ぐにとは言わねぇから、ルートのことちゃんと見てくれよ。本当にいい奴なんだから……」
ルートヴィッヒをパーティに迎えるために、宿を飛び出す元の姿をハルは窓から見下ろしていた。窓枠に手を添えて、小さな息を一つ付く。
「私は間違っているのだろうか……」
「え?」
聞き間違いか? そんな違和感を覚える程、フェルディナンドは紅茶を入れたカップを落とさんばかりに驚いた。不可侵な自信を携え道を突き進み、本心も何処にあるのか図り知れない。そんな人物の言葉とは到底思えなかった。しかしもう何も告げようとしないハルの肩に乗り、タロが優しく身を寄せる。
「あ、いえ、元殿はハル殿の真意を汲み取っていらっしゃいますよ。ただ気の合うご友人との出会いに、少し気持ちが高ぶっておられるようです。もう少し落ち着かれたら、ルート殿のことは考えて参りましょう」
「……そうだな」
フェルディナンドが部屋に戻った後、ハルは作業の手を止めてソファに身を沈めた。そして荷物から取り出した首輪を手に取ると、タロが不思議そうに膝の上から覗き込んでくる。
「タロ、これ預かってくれる? 大事なものなの」
そう言葉にして耳のピアスに手を添えた。透明に近い白い魔石がお情け程度に付いた代物だ。
これはハルが元と出会って間もない頃、体力を増強するためにと半ば強引に付けさせられたものだった。気休めにもならない程度の効力な上、能力の向上を魔石に頼るのを嫌うハルが、唯一身に付けているアクセサリーである。
タロの黒く丸い瞳は物言いげにハルを見据えていたが、納得したのか応じるように首を垂れてきた。
「ふふ、ありがとう」
そうにっこりと微笑んで、首輪に取り付けられた小さなボックスにピアスを仕舞う。付け慣れない首輪に何度も足で掻いてはいたが、優しく体を撫でる掌の存在に満足したのか、直にタロはハルの膝の上で丸くなって眠りについた。
膝に伝わる温もりに愛しさを感じながら、ふと町を行き交う人々の声に意識が飛ぶ。獣の脅威に晒されているとはいえ、民は懸命に生き、次の世代に命を繋いでいく。獣を狩るだけのために存在するエンダにとって、望めない生き方がそこにはある。
「……」
ふとハルは幼少の頃に、母が歌ってくれた子守唄を口ずさんでいた。懐かしくもあり、切なく胸を締め付ける慣れ親しんだ歌だ。この歌を聞けば暴れる父親の存在にも、凍える真冬の空の下でも、母親の胸の中で安心して眠りにつくことが出来た。
「お母さん、私は……」
二度と戻れない過去への記憶に思いを馳せて、ハルは窓枠に広がる空の青さに瞳を細めた。
第12章 Rare stone 完
第13章へ続く
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