第12章 Rare stone-8

「では何故あの獣に狙われているのか、心当たりはないのですね」

 フェルディナンドが優しく問う声に、シルクは表情を固くして頷いた。地下を漂っていた時だ。突如、異形の者から追われるようになった。この世界に獣という生物の存在を知らないシルクにとって、この数日間は耐え難いものがあった。

『嘘を付いている風ではない』

 ハルは周囲に気を張り巡らせた。地下道の隅の闇がゆらりと揺れる。陽も落ち掛けた地下程、危険な場所はない。闇は更なる闇を引き寄せてしまう。これ以上は、危険だと判断して、地下道からほど近い宿に宿泊することに決めた。

 談話室に大勢いた客達も夜が更けて久しくなると、各々の部屋に戻って行く。元達は、誰も居なくなった談話室の暖炉の前で、ぐるりとシルクを取り囲むように腰を下ろした。

『私があの場所を離れる日が来るなんて……』

 自らをエンダと名乗る者達のお陰で、獣の追随をかわし地下道から出る事が出来た。ここまでくれば自由だ。特にあの場所に縛られている訳ではない。長年、地下で過ごしていたのも、ただ単に行きたい場所が無かっただけ……そう思いはするものの、この地を離れる決心がつかない。

「獣は確かに町を襲いますが、家畜などが標的になることはなかったと認識しておりましたが」

 フェルディナンドが小さく唸り声を上げた。獣が人間以外を襲うなど聞いたことがない。獣の狩りに関して百戦錬磨の猛者達は、一様に頭を捻る。

「別の要因がありそうだが……仕方がない。明日はこいつを囮にして獣を外におびき寄せる」

 その僅かばかりの戸惑いも抵抗もない自然な物言いに、誰もが思わず一度頷いた。一番最初にシルクが我に返ると、ハルを恐々と見上げた。

「……は?」

 瞳に映る姿は、ただただ儚げな少女の姿だ。しかし大きな栗色の瞳はどこまでも深く、その真意が図りきれない。シルクの背筋に冷たいものが走った。

「ハル殿……囮など」

「正気なの? 囮だなんて可哀想だよ。守れなかったらどうするの!?」

 元はウーンと唸る。ハルが狩りの手法に口を出したが最後、絶対に覆らない。ある程度の勝算があることも、長い付き合いから分かっていることだ。だからこそ口を挟むことをしないのだが、必死に訴えるルートヴィッヒの表情に胸が熱くなってしまう。うっとりと熱い視線を送る自分に元は気が付いていない。

「確実な方法で奴をしとめる必要がある。……元は先ほど受けた攻撃で古傷が開き、まともな狩りが出来ない。このパーティで戦えるのはルートヴィッヒ(おまえ)だけだ」

「え?」

「は?」

「元、どうしてそんな大事な事を言わないんだ!ハルさん、魔法で治せないの?」

 突然振られた会話に、中々言葉を繋ぐ事が出来ない。勿論負傷などしていないし、古傷って何の話だ……詰め寄るように身を乗り出すルートヴィッヒを前にして、元は何も言えず頭をボリボリと掻いた。間髪入れずにハルが失笑を浮かべる。

「無理だ。古傷は如何に癒しであろうとも直せない。戦士が戦えないとなると……な。もう一度言う。今回の狩りを成功させるにはこれが一番確実だ」

 ちらりと向けられた視線の先には、ぐっと言葉を飲む元の姿があった。確かに今日の状況を考えると、獣を前にして、同じ感情に揺さぶられかねない。

『古傷を治せないなどと強引な。しかし戦えない理由をお伝えする訳にはいきませんからね……』

 持論を交えるハルに、フェルディナンドは苦笑いを浮かべた。何となくハルの提案が受け入れられそうな雰囲気である。シルクは冗談ではないと大きく首を振った。

「ちょっと、私が受ける前提で話を進めるのを止めるです! 囮なんて冗談ではないです。私は鉱石(リドル)の最後の生き残りなんです。こんなことで死ぬわけにはいかないです!!」

 掌サイズの姿から迸(ほとばし)る気迫に元達は何も言えなかった。自分以外の種(しゅ)が全滅してしまっているのだ。確かに……そう元が声を発しようとした声を遮り、ハルが顔にかかった髪の毛を耳に掛ける。

「いいのか? それで」

「……何がですか?」

「獣は何処までも追ってくる。それこそ海を超えたとしても、だ。お前は知る由もないが、この世界で頂点に位置する存在なんだ。既にこの宿の地下辺りまで近づいて来ているかもしれん」

 地の底から響くような声だった。途端に足下がぽっかりと深い闇に飲み込まれたように覚束なく感じる。シルクは不安げにカーペットに視線を落とすと、居るはずもない獣の存在にブルリと身を震わせた。


『海を超えて、とは言い過ぎのような気がしますが、しかしそれほどの執着心を獣に感じました。一体、シルク殿に何が……』

「獣を狩ることが出来るのは我々(えんだ)だけだ。逆を言えば、獣を狩ることだけの存在価値しかない。ただその一つの存在価値の為に、死ぬ瞬間まで戦い続ける。しかし獣を狩るという使命がある限り、我々の存在は不変だ。

 お前はどうだ? 一族の生き残りとして、お前の存在は一体どこにある。人間と同じように獣に追われ、一生を怯えながら生きるのか? 暗い土中で人知れず悠久の時間を過ごすだけか?」

「そ、それは……」

「ハルさん、言い過ぎだよ。誰にもこの子(シルク)を責める権利なんてないよ。僕達に有利な状況で交渉事を進めるのは卑怯じゃないかな」

 畳み込めるような言葉の応酬に、我慢が出来ずにルートヴィッヒは口を挟んでいた。そうなりたくて置かれた状況ではない。人知れず生きていかなければならない理由があったのだ。眼鏡の奥の真剣な眼差しを真正面から受け止め、ハルの視線がぶつかり合った。

「交渉? こいつに選択肢を与えているつもりはない。必然を問うてるだけだ」

 更に綴られる辛辣な言葉に、ルートヴィッヒの眉が更に険しくなった。狩りを明日に控え、勃発した険悪な雰囲気に元は深く溜息をつく。己の思想を絶対に曲げないハルは、どうしても他人と相容れない。その性格を理解した上で共に旅が出来る人間がどれだけいるだろうか……これから先、多くの仲間と徒党を組んで戦う日も遠い未来ではないのだ。それは元の不安要素の一つでもあった。

「俺、難しいことは分からないけど、やっぱハルが言い過ぎなんじゃねぇの? もっと別の言い方があんじゃん。同じ事を言うにしてもさ」

 心配も合間見合って思わず出た言葉だったが、ハルの人さえも殺せそうな冷めた視線にぐっと口を噤む。


【狩りを目前にして曖昧な発言は止めろ】

 口にこそしなかったが、感情のない声が聞こえたような気がした。元はもう何も言えずただ不穏な空気の中、あたふたとするばかりだ。もう誰も声を発しなくなった中で、シルクはカーペットの上にぺたんと座り込み、ただただハルの言葉を何度も繰り返す。

『一生あの異形から逃げて?』

『たった一人で隠れるように生きてきたのに?』

 孤独だと安易に言葉にも出来ない程、長い年月を過ごしてきた。精霊としての生き方を捨てて、鉱石化した方が楽なのではないか……そう脳裏を過ぎったのも一度や二度ではない。それでも最後の最後に、リドル、いつもその名が思いを留まらせた。

『だって死ねないもの。私は死ぬわけにはいかないもの』

『でも何も出来なかったです。人間にだけはこの身を渡したくなかった……ただそれだけ…………』

 誰も言葉を発しようとしない。硬直した空気の中、フェルディナンドはどうするべきか思い悩んでいた。ハルが全力で狩りに挑まなければならない理由も、ルートヴィッヒの人としての優しさも分かるから、双方を無碍には出来ない。

「……しょうね?」

「え?」

 消え入りそうな声に全員が視線を床に向ける。顔を隠す白銀の長い髪の毛がパラリと落ちると、今までとは違う表情を浮かべるシルクがハルを見据えていた。

「私が誇り高き一族の末裔だって言葉、本気で言ったんでしょうね?」

「ああ、もちろん本気だ。リドル……魂にまで刻まれたその気高さ故に、破滅の一途を歩むことになったと聞く」

 淡々と落とされる言葉に、シルクは一度瞳を大きく見開いた。「あなた……どうしてそれを……」しかしその声は最後まで続かずに、シルクは見た目で分かるほど、体全体を大きく震わせた。

『そうよ。孤独から逃れることが出来る唯一の手段さえも、この名が許してくれない』

「先の町で古い書物の中に記されていた。百年前、鉱石(リドル)を大量補完する手段として、人間はある精霊を捕虜にしたと、な。その精霊を救わんと一つの種が滅んだ、とあった」

 色味が唯一濃い瞳孔がみるみるの内に大きく見開かれ、ただでさえ透けそうな白い肌からは一切の色が失われていく。震える唇から、次の言葉が綴られることはなかった。


 そんな中、永遠に続きそうな沈黙を最初に打ち破ったのはハルだ。立ち上がりストールを肩に掛けると、全員に声を向ける。

「こいつ(シルク)が同行をしないのであれば仕方がない。私と爺さんが地下道に入って魔法でいぶり出す。ルートヴィッヒ(おまえ)と元は外で待機だ。出てきたら狩れ」

「でもそれじゃ二人が……」

 危険だ……そう言い掛けてルートヴィッヒは口を噤んだ。誰も危険を冒さずに狩りに挑むなど、今の状況では無理なのだ。地下道は想像以上に倒壊が進んでいる。中で戦えないのは、先の探索で嫌というほど思い知らされた。

『それなのに……僕は……』

「爺さん、方法は道中で伝える。明日に備えて今日は先に失礼するぞ」

 そう短く指示を出すと、さっさと部屋を出て行ってしまう。何一つ解決していない中で残された三人とシルクは、ハルが出て行った扉を呆然と見ていることしか出来なかった。

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