第12章 Rare stone-7

『この隙にです。結果的には助けられたけど所詮は人間です。私の存在が知れれば……』

 精霊は瞳だけを周囲に流し、逃避経路を定める。そうして、フェルディナンドの掌からゆっくりと翼を広げた。

「おい、聞きたいことがある。あの獣とどんな関わりがある。心当たりはあるのか?」

 そんな平坦な声を発したのと同時に、ハルは精霊の体を翼ごと掴んでいた。冷やかな視線を向けたまま、羽根に食い込むように掴むものだから、これに焦ったのはフェルディナンドだ。

「ハ、ハル殿。このような小さな生き物なのです。もう少し優しく……」

 掌には綿毛のような儚い感触が未だ残っている。強く握りしめてしまえば、その命など簡単に掌から零れ落ちてしまうだろう。そんな生き物を躊躇なく握りしめ、目の高さまで掲げるとハルは小さく笑った。

「こいつは石に宿る精霊だ。最強の強度を誇る鉱石のな。この姿であっても、獣に踏まれた程度ではビクともしない」

「え!?」

 フェルディナンドはもとより、石の精だと称された精霊も言葉を無くした。石の存在以上に、宿る精霊を知る人間と会おうとは思っても居なかった。精霊は抜け出せない掌の中で、苦しげに身をよじらせ問う。

「どうして……ここが閉鎖されて百年以上経つ筈……です」

「確かに精霊(おまえ)の存在はお伽噺レベルだ。絶滅したと言われて百年か。その末裔がいようとは、私も半信半疑だった」

 ハルの言葉にゴクリと元は息を飲む。全員が一様に掌の小さき生き物を覗き込んだ。

「まさか、この妖精が?」

「あぁ、お前に獣の討伐を依頼した旅人の目的物だ。鉱石名をリドルと呼ぶ。レア中のレアストーンだ。……良かったな、こいつを旅人に渡せば依頼完了だぞ?」

 少し問われるような言葉に、元はブンブンと首を振った。両腕を広げて、呆れたように笑う。

「何を言うかと思ったら~。だって旅人は武器の材料を探してんだぜ? いくら石の精だっつ~ても、これじゃぁ飾りにもなんねぇよ」

 ハハハと笑う元とは反して、精霊は掌でその小さな体を震わせている。目的が自分(りどる)だと分かった以上、この人間の存在は獣以上に危険だ。

「に、人間は、卑怯な手で我が一族を根絶やしにしておきながら、未だ気が済まないのですか!?」

 体を怒りに震わせ、大きく瞳を見開いたまま、瞬き一つしない。ルートヴィッヒは暫し言葉を噤んだ後、問うのを躊躇うようにゆっくりと口を開いた。

「ねぇ君、僕達の他に人間と会わなかったかい? 君を探しに僕の仲間がここに入ったみたいなんだけど」

 拘束する掌から逃れんと身をよじらせてみても、絶妙な力加減でどうしても逃げる事が出来ない。精霊は諦めたように溜息を吐くと、フィッと顔を背ける。地下道に足を踏み入れたのは、この者達だけではないらしい。もう既にここは安全な場所ではなくなったのだ……精霊はキリリと指を噛む。

「知る訳がないです。ここはだいぶ脆くなっていて、最近落盤が多いんです。どこかで生き埋めになっているかもです」

「そ……か」

 侮蔑を含んだ声に、ルートヴィッヒは一度色濃く落胆の表情を浮かべた。しかし次には表情を真剣なものに変えて元を振り返る。


「ねぇ元、本当にこの子をその旅人に渡してしまうのかい? いや部外者の僕がどうこうの言える立場じゃないんだけど……」

 未だ元はこの精霊が武器の材料になることに疑心暗鬼だ。そう心配そうに問う声を聞くと、俄然現実味が帯びてくる。

「なぁ……えっと、もし武器とかの材料とかになっちまったら……死ぬの?」

 神経を逆撫でする言葉に、精霊は眉を吊り上げる。そのあまりの凄まれ顔に、元は「あわわ」と仲間を見たものの、助けを求められたルートヴィッヒやフェルディナンドでさえ、その発言に苦笑いを浮かべる始末だ。

「あんた、馬鹿なの? 溶かされて刃とされてしまうのに、生きている訳がないです。……そもそも人間が過ぎたものを持ちたがるから……人間なんかの道具の為に、何故私達が……」

「え、溶か?」

 「溶かされて死んでしまう」この言葉の真意が理解できずに、元の思考はピタリと止まった。生きているまま火床に入れられる様子を想像して、喉元に苦い物がこみ上げる。

『え? え? え? 生きてんだぞ? 何で材料なんかに出来る訳? えぇぇぇ?』

 精霊を覗き込んだまま凝視して、ようやく思考が脳に辿り着く。ハッと我に返ると、大きく顔の前で何度も掌を振った。

「駄目駄目駄目!! 殺されるのが分かってんのに渡せっかよ。この剣は旅人に返すよ。そんでもって、獣は……倒す! ルートの仲間が襲われでもしたら困るから」

「元……!」

 ルートヴィッヒは頷きを返すと小さく「ありがとう」そう礼を向けた。見つめ合う二人の姿にハルは諦めたように溜息を落とす。

「さて……話の内容は理解したか? 我々はあの獣を狩りにきた。答えろ、何故獣から追われている」

 自分を欲しようとする人間の瞳ではない。何処までも澄んでいるのに、その瞳からは一切の感情を読みとる事は不可能だった。全てを根こそぎ奪い取っていった人間達とは明らかに違う。しかし次には我に返ると、精霊は何度も首を振った。

「うぅん、そう都合のいいことを言って、どうせ騙すんです。人間なんかに頼るなんてしないです。そんな一族に顔向け出来ないような事出来るはずがないです! どうせもうここには私しか……!」

 一瞬この人間なら信じてもいいのではないだろうか……そう心が動いた自分を恥じた。一族がどうして自分を残して絶滅してしまったのか、忌まわしい過去が鮮明に思い出されて、払拭するように大きく頭を振る。そうして何とか気丈に視線を上げると、ハルをギッと睨みつけた。

「わ、私が目的ではないのなら、このまま放つです。あの異形の者を狩りたいなら勝手に狩るです。私には関係のない話です!」

 ハルがこの精霊をどうしたいのか皆目見当もつかない。先の展開が読めず、三人は交互に顔を見合わす。ハルは挑戦的な視線を冷ややかに流すと、一度頷きを返した。

「言われてみればそうかもしれないな。特段、お前の手助けなど無くても獣は狩れる。狙われているならば、と考えてのことだったが、余計だったか。ふむ、付き合わせて悪かった。さぁどこにでも行け……」

 そう言葉にして、掌をゆっくりと開いてみせた。身体の自由に精霊が大きく翼を広げると、松明の灯りに照らされて、羽の一枚一枚が鮮明に映し出されていく。

 正直なところ、執拗に追ってくる獣から逃げきれる自信はない。時間を追うごとにその距離は狭まり、先程などは本当に危なかったのだ。それでも捕まって死ぬわけにはいかない……精霊は体をフワリと浮かせて、ぐっと力を込めると、闇に向かって飛び出す。


「……逃げきれるものならな」

 ハルの声が背後で聞こえた時、風向きが変わった。壁に開いた風穴から獣の鋭い爪が空を過ぎる。

 確かに鉱石(リドル)はこの土地では類を見ない硬度を誇る。しかしそれは鉱石化した時の話で、精霊時の姿では獣の攻撃を完全に防ぐことは不可能だ。

 横目に掠めた巨大な爪の軌跡が瞳に映る。


 ギャ……!!


 獣の呻き声と世界が光に包まれたのは同時だっただろうか。その光は嘗てリドルが陽の光の下で暮らしていた太古の時を彷彿とさせる程、優しく清らかな光だった。


 獣が口惜しそうに、出現した光の壁に向かって爪を打ち付けてくる。精霊は留めどなく注がれる光に包まれて、食い入るようにその様を瞳に映していた。

「傷を負わせた我々には見向きもしない。余程、お前にご執心のようだ。今のお前のスピードでは、獣から逃れることは出ないぞ? さぁどうする?」

 まるで心が籠もっていない。異形の姿を光の壁越しに映しながら、精霊はギリリと唇を噛みしめた。絹のような柔らかな髪の毛が光の盾の効果で淡く揺れる。

「だ、誰が人間……なん……かに」

 震える声に、虚勢を張っているのは明らかだ。ハルは後ろ姿を震わせる精霊を真っ直ぐに見据え、一度だけ瞳を細める。

「ふん、誇り高き種族の末裔とはいえ、所詮はただの生き残りか。末裔としての使命も何もあったものではないな。

 そう言えばリドルは、己の信念で精霊としての命を終えると聞くがどうだ? 悠久の時を暗い地下で過ごしてきたお前の末路がこれか?」

 ハルの声には目に見えない拘束力があるかの様だ。恐る恐る振り返った精霊の表情は、随分と困惑している様子が見て取れる。しかし次には拳を強く握りしめると、指先を勢いよくハルに向けて、高らかに言葉を紡いだ。

「お前など軽々しく呼ぶなっ、です。私の名は「シルク」そう呼ぶです!」

 ハルの言葉の何が琴線に触れたのかは分からない。しかし精巧に造られた人形のような顔に、憂いと憤りの感情がありありと浮かんでいる。元達は互いに顔を見合わせてみるものの、到底口を挟むことが出来ずにいた。

『……人間の私利私欲のために、リドルは追われ全滅の危機に瀕していらっしゃるのですね。恐らくもう、この子(シルク)しか……』

 そんなパーティの中にいて、ハルだけは満足そうにニヤリと笑った。

「交渉成立だ。それはそうと我々は、人間に区分されていない」

「え? だってその姿……」

 シルクは四人の姿を交互に見て、困惑の表情を浮かべた。確かに今まで見てきた人間とはタイプが違うようだが、どこから見ても人間そのものだ。

「へぇ俺達(えんだ)を知らない奴がいるんだなぁ」

 元の声にシルクは冷ややかな表情を向けた。未だ先程の発言を許していないらしい。慌てて口を押さえる元の肩に腕を回して、ルートヴィッヒが助け舟を出す。

「僕達は獣を狩るために、この世界の扉を開けたんだ」

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