第12章 Rare stone-6

 ハルは突き当りのT路地を何の躊躇もなく右に曲がった。一回り小さな体をものともせず、息切れ一つしていない。松明の淡い明かりだけが頼りだというのに、進むペースは速くなる一方で、はぐれたらそれまでだ……地下道で途方に暮れる自分を想像して、ルートヴイッヒの背筋に冷たいものが走った。

「ここも行き止まりか。想定以上に倒壊が進んでいる」

 ハルは土砂で埋もれた通路に視線を向けて、小さく息をつく。無計画に掘られた地下通路は至る所が崩れ落ち、地下道内で獣を狩るなど到底できそうもない。それでも深い通路に向かって更に足を速めるものだから、ルートヴィッヒは思わずハルに手を伸ばしていた。

「あ、あのハルさん」

 後ろから呼び止められて、ハルは瞳だけをピクリと横に流す。やっと止まった歩みに、ルートヴィッヒは一息付くと、癖のある髪の毛を結び直した。

「何だ」

「もしかして僕を警戒してる?」

 問うのも申し訳がなさそうに視線を泳がせる姿に、ハルは真正面から冷ややかに見据えたままだ。その仕草だけで途方もない威圧感を感じぐっと息を飲んでしまう。

「警戒? してどうする。単に仲間だと思っていないだけだ」

 その声はこんな地下道においてもよく響く。率直すぎる拒絶、そう衝撃を受けるのと同時に、エンダには珍しいタイプだと内心思った。

 選考基準がそうさせるのか、エンダには社交的な人種が多い。ましてや、ヒーシャという職業は、温厚な性質ではない限り成れないと言われる程だ。何者にも比較し難い存在感に、ルートヴィッヒはポリポリと頬を掻いた。

「そっかぁ、仕方ないかな。昨日会ったばかりだもんね。……でも折角一緒に狩りをしているんだ。あまり役には立たないけど、安心して前線を任せてもらえる様に努力するよ」

 そう顔一杯に笑みを浮かべて軽くウインクをしても、ハルは素っ気ないまでに体を翻す。ただ一度視線を後方に流して、ぼそりと声を落とした。

「……好きにしろ」 

「! ありがとう、ハルさん」

 子供みたいに無邪気に笑って、ルートヴィヒは歩みを進める小さな背中を追った。跳ねるように着いてくる気配に一度息をつくと、ハルは意識を地下道全体に広げる。

『……しまった!』

 先程まで付かず離れずの距離を保ちながら、追跡していた獣の気配が遠ざかっていく。咄嗟に振り返ったハルは、勢い余ってルートヴィッヒの胸に飛び込む体勢となった。

「わわ、ハルさんごめん!」

 しかしハルの意識は遥か遠く離れた場所まで駆け抜けている。「そっちは……」腕の中で呟かれた声に、ルートヴィヒは思わず来た道を振り返り、暗闇に向かって小さく息を飲んだ。



「たく~」

 口を大きく尖らせる元の隣で、フェルディナンドは地図から顔を上げた。

「元殿、申し訳ございません。地下では無かったら、ルート殿とご一緒頂けたのですが……」

 闇に巣喰う獣にはヒーシャの魔法が有効だ。それはよく分かっているのに、ルートヴィヒが危険な目に合っていないかと考えるだけで、居ても立っても居られなくなる。初めて出来た友達だからと無意識に言い訳して、元は乱暴に頭を掻いた。

「いや爺さんと一緒ってのが嫌って訳じゃねぇんだ。ただハルと一緒じゃ、ルートが嫌な思いをすんじゃねぇのかって心配になっちまって。あいつ、ルートの事、余所者扱いすんじゃん? 超いい奴なのに。俺、それが気に食わねぇんだ」

 そう正面を見据え眉を上げる様は、ルートヴィヒの身を心から案じている姿だ。出会って間もない相手であっても、ここまで心を砕かれるものなのか……フェルディナンドは性根の優しさに瞳を細めて、首を短く振った。

「元殿……ハル殿があそこまで警戒されているのは、私と旅をされているからでしょう」

「はぁ? 何で爺さんが関係してんだよ。別に擁護しなくても良いんだぜ」

 そうフィと顔を背ける元に、フェルディナンドは地図を下ろすと、視線を前に移した。先にあるのは松明の僅かな灯りで照らされた地下道だけである。至る場所に岩盤を掘るための道具が散乱していた。

「今一度、獣に堕ちるようなことがあれば、私は二度と人には戻れないでしょう。確証はございませんが、そう感じるのです。それはハル殿にも伝えておりますので……心配して下さっているのだと思います」

 瞳は先の光景を映している筈なのに、意識は別のところにあるような物言いだった。普段の温厚な性格からは想像も出来ない程、全身に深い闇を纏っている。未だ獣に堕ちた罪悪感に苛まれているのは一目瞭然だ。

「……考え過ぎじゃねぇ? そもそもそんな気遣いが出来る奴じゃねぇけどなっ」

 少しぶっきら棒に言葉にすると、地図を強引に取り上げていた。地図が読めない元は、今自分がどこに居るのかも分かっていない。しかし己の欲求を制御出来ずに、フェルディナントにやつ当りをしてしまった。羞恥心が沸々と湧き出てきて、居たたまれなくなる。

『爺さん、立ち直ったとばかり思ってた。俺、自分のことばっかで……』


 元が進行方向に地図を合わせた時だ。

「どいてぇぇ―――――――――――――――ぇぇ……!!!」

「え?」

  蚊の泣くような声が真横を通り過ぎ、同時に「キャッ」そんな叫びが続く。

「え?」

 フェルディナンドは小さな衝撃を額に感じて、恐る恐る手を添えた。掌にふわりと柔らかな何かが触れる。

「これは……」

 それは微かな呻き声を発しながら、フェルディナンドの掌で身をよじらせているようだった。気配を頼りに掌を松明の灯りに掲げると、体長十センチ足らずの生き物の姿が映し出される。

「……これ、妖精か?」

 覗き込んだ元が気の抜けた声を上げた。白銀の長い髪は綿毛のように全身を包み込み、肌はこれほどの闇の中であっても透き通る程に白い。背中に生えた翼は身体ほどの大きさで、肌の色よりも白みが濃かった。

 これにはフェルディナンドも咄嗟に言葉が出てこない。この世界に於いて数々の書籍に目を通してきたが、妖精の存在など何処にも記されていなかった。

「そ……そのようですね」

 何とか言葉を返したものの、どう扱っていいのか分からない。それこそ力を入れようものなら、手折れてしまいそうだ。

「う……う、ん」

「あっ、目を覚まされましたか?」

 フェルディナンドの声に、掌の妖精はビクリと体を震わせるとハッと飛び起きた。ぶつかった時の衝撃で意識が朦朧としているのだろう。手を額に添えてぶつぶつと何かを呟いている。体のパーツ一つ一つはとても小さなものだが、動きや表情は人間と変わらない。何とも不思議な光景に、元が唸り声を漏らした。

「奴……が来る。はやく、早くここから離れなきゃ……」

「え?」

 震える声に、表情を厳しいものに変えて、元とフェルディナンドは視線を声の方向に合わせる。

 ……聞こえてくるのは、地下道を駆け抜ける空気の音だけだ。冷たい空気が肌に触れると、元はするりと剣を抜いた。

「爺さん! 来るぞ!!」

 まるで風の様だった。独特の獣臭が鼻に届かなかったら、気が付いた時には喉元を掻き切られていたかもしれない。元は闇に向かって大きく大剣を振りかぶった。


 キィィィーン


 獣の進化した鋭利な鍵爪が、元の眼前でピタリと止まる。

「すげぇ……」

 この獣の爪ではなかったら、波動だけで獣を絶命させていたかもしれない。それほど旅人から預かった剣の威力は絶大だった。まるで自分の為に造られたかのように、しっくりと手に馴染む。

『この剣だったから、恐らく折られずに済んだ』

 思わずゴクリと息を飲んで、グググと右足に力を込める。腕力は相当なものだが、押し返せないレベルではない。

「体はC級のくせに、何だよ。その爪ぇ。体の半分はあんじゃねぇぇぇぇか!!」

 怒声に体を任せて一気に剣を振り落とす。しかし振り切った腕に手応えを感じることは出来なかった。

「たく、身軽な奴だ」

 少し離れた場所で体勢を低くしたまま、獣は低い唸り声を上げる。力比べを見ても元の能力が上回っている。怒りに任せて襲ってくるタイプならば、早々に決着がついた筈だ。

「厄介な……」

 フェルディナンドは妖精を右手で包み込んで、空に向かって杖を掲げた。清い光が杖の先から迸り、恨めしそうな獣の呻き声が響く。

「ダ セラ ボナーラ マーク ド 届け 芽吹きの時!!」

 詠唱が終わるや否や、壁という壁から緑の蔓が吹き出すと、怒濤のように襲いかかった。蔓は自身が発色しているのか、周囲が緑の光に包まれていく。

「え」

 発色する緑の蔓は、獣の全容を明らかにした。ルートヴィッヒが潰した筈の眼球は退化して、既に役割を果たしていない。いや、眼球だけではなかった。のっぺりとした顔は大小の牙を携えた口だけが大半を占めていて、他の機能は見る影もない。

 また体には一切の体毛がなく茶褐色の肌は剥き出しのままだ。それにも関わらず、頭部にだけは長い毛が集中しているものだから、その全容は人間のようにも見えなくもなかった。


 ドクン!


 獣が人間の成れの果てであるならば、その業から解き放してやりたい……そう決めた筈なのに、人に近い姿を目の当たりにすると、元の精神は激しく揺れ動く。躊躇し次の一手を出せない間、緑の蔓に体を拘束された獣は、その光の効果に身を激しくよじらせていた。余程の苦痛なのだろう。そのおぞましいまでの絶叫は、地下道の空気を揺らし淀ませていく。


 ザシュッ

「あっ!!」

 獣が苦し紛れに振り落とした爪は、拘束する緑の蔓を切れ切れに引き千切った。緑の光の蔓は空に舞って、儚い光を発して地面に消える。

「グッ……元殿、早く!」

 短い時間だったが獣の消耗は明らかだ。四つん這いのまま、その場で動けずにいる。術を返され受けた痛みにフェルディナンドはガクリと膝を付いた。

「元……殿?」

 しかし動けないのは元も同様だった。眼前の獣とフェルディナンドが獣に堕ちた姿が被って、剣を持つ手に力が入らない。

『何で、何でそんな姿なんだよ』

「元殿……」

 鋭い鍵爪が地面にグッと食い込むと、獣の姿は闇の中に掻き消えていた。


 二度も獣を取り逃がしてしまうなど、初めてのことだ。狩りを経験すると獣は手法を覚え手強くなる。短時間で狩れない場合、エンダの生存率は格段に落ちた。

 呆然と立ち竦む後ろ姿に葛藤を感じて、フェルディナンドは声を掛けるのを戸惑ってしまう。その二人の前に、ルートヴィッヒが勢いよく通路の角から飛び出してきた。

「元! フェルディナンドさん、大丈夫!??」

 元はふっと身体の力が抜けた。息を切らせて駆け寄ってくる姿を見ると、身体の呪縛が溶けるかのような安堵感に包まれる。しかし同時に、対峙しても倒せないであろう獣の存在に、得も言われぬ恐怖が襲ってくるのも事実だ。

「やべ〜逃しちまった」

「仕方がないよ、素早い奴なんだ。姿は見たのかい?」

「あ、あぁ」

 努めて明るく笑う元の姿に、フェルディナンドは一抹の不安が過る。この狩りがと言うよりも、元のエンダとしての行く末が心配でならない。戦えなくなったエンダの末路は悲惨なものだ。

 その隣にハルは音もなく立つとボソリと呟く。

「人型か?」

「はい。かなりの異形でしたが、四肢を使い人のような動きでした」

「……そうか」

 更に言葉を続けようと口を開いたフェルディナンドに、ハルは制止の意味を込めて首を振る。そして不器用に笑う元の姿にふっと瞳を細めた。

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