第12章 Rare stone-9

 早朝の宿屋の前で元は大きな息をついた。うっすら朝靄が周囲を包み込み、清浄な空気は少し肌寒い。

「こねぇな……」

 始めから過度な期待はしていなかったとはいえ、ルートヴィッヒとフェルディナンドは小さく頷いただけだった。ハルといえば宿の壁に寄りかかり、腕を組んだまま瞳を閉じている。

 シルクは当然のように現れない。この世界の頂点に立つ獣相手に、敢えて囮をかって出るなど、エンダでも無ければ考えられない事だ。夜の内に宿を離れた……そう考えるのが妥当だろう。獣もそうだ。シルクを追って地下道を離れているかもしれない。重苦しい空気が全体に流れる中、ハルが瞳を開けた。


「おい出発するぞ」

「あ……あぁ」

「はい」

「うん」

 落とされた号令に皆が応えたが、ハルの視線は宿屋の裏手に向けられている。怪訝そうに見合わせる皆から「あっ」そう驚きの声を上がった。

「シルク!?」

 皆の声の先には、建物の角から姿を現したシルクがいた。全身を包む白銀の髪は、朝陽を反射して眩しい。

「か、勘違いするな、です。決して貴方達を助けたいなんて思っていないです。あんな異形の者なんかに、リドルが屈する訳にはいかないから……だからです!」

 透き通る肌を赤く染めて、シルクは必死に訴えた。

「ちょっと、聞いているのです!? あっ」

 頬を膨らませるシルクにつかつかと歩み寄ると、ハルはその体をガシリと掴む。そして顔の位置まで掴み上げて、小さく口元を上げた。

「お前はそれでいい。あの獣が存在する限り、お前の未来に選択肢などない。呪縛から解き放たれて自由に生きるために、今日という日を迎えた……そう心して狩りに臨め」

 感情なく淡々と落とされた声に、「掴むなです!」そう体をよじっていたシルクが瞳を見開く。

「自由になんて……無理、です。私はあの地下で寿命が尽きて石になるまで……」

 瞬き一つ出来ず、表情を固めたまま声を震わせる。鉱石化を許されるのは他が為か、寿命が来たときだけだ。そうやって精霊としての命が終えるのを、ずっと地下で待ち続けた。

「それもお前が選ぶ生き方の一つだ」

 冷ややかに言い放つと、そのままフェルディナンドにシルクを差し出して、「さぁ行くぞ」もう一度だけ号令をかけた。

 誰一人として口を挟めなかった。しかしハルの後ろ姿を追うように見ていたルートヴィッヒは、眼鏡の位置を直して一つだけ息を吸う。そして同じく呆けたまま動けずにいる元の背中をポンと叩いた。

「全て計画通りってことだね。うん、そっかぁ。……ねぇ元、ハルさんはシルクを見捨てて、獣の餌にするつもりなのかな? ……そうだったら僕」

 ハルに限ってそんな筈はない……しかし真剣なルートヴィッヒの顔を見ていると、その一言が出てこない。元は何も応えることが出来ずに、孤高の後ろ姿をただ見ていることしか出来なかった。


 それからの道中でハルが提案した狩りの手法は、驚くほどシンプルなものだった。地下道は山を掘り進めて作られたものだが、真上の地上に辛うじて平坦な場所が存在する。ハルはそこを狩り場に選んだ。


「ふむ、想定していたよりも広いな。如何に狩り場を限定出来るかが鍵だ」

 足の下に迷路の様に掘られた地下道が存在すると思うと、漠然とした不安が過ぎる。元が胸の前で手の指を絡ませて、心配そうにボソリと視界を足下に向けた。

「崩落したりしねぇよな? ほら、狩りの影響でさ」

「可能性はゼロではない。山の固い岩盤で構成されているとはいえ、獣が無尽に掘り進めているんだ。今までもったのが不思議な位だ」

「でもルートの仲間が巻き込まれでもしたら……」

 生き埋めになれば助けられない。そう覚悟が出来ているのか、岩が転がる荒れた山肌に瞳を細める。元の苦渋に満ちた表情を横目だけに写し、ハルはボソリと呟いた。

「大丈夫だろう。地下道の入り口に人が出入りした形跡は無かった。あの町から他の入り口は遠すぎる」

「? どう言うこと?」

「長い年月、地下道に足を踏み入れた人間は居ない」

「で、でも、ルートの仲間が……」

 釈然としない元は纏まらない思考をフル回転させる。呆けたままハルの発言を聞いていたルートヴィッヒは、ヒクリと口元を上げた。

「仲間はここには来ていなかったって? え? もしかして……ここに来るって見せかけて、僕を見捨てたって事?」

 狩りを生業にして生きるエンダ達にとって、スキルの高い仲間集めは死活問題である。カラーではパーティの入れ換えが日常的に行われているのだ。ただし見限られたエンダは、他のパーティに受け入れらなければ、この世界で生きていけない。仲間にとって如何に必要な存在となるか、生き残るためには己のスキルを命がけで磨くしかないのだ。

「ふぅん、エンダっていう生き物も人間と一緒です。……騙して陥れて己の利だけが大事なんです」

 苦々しく吐き捨てる声に、元はギリリと歯を鳴らした。共に命をかけて狩りに挑んだ仲間を、まるで道具を捨てるかのような手軽さだ。仲間に対する意識はフェルディナンドも同じだ。エミリーと二人で旅を続けてきたフェルディナンドにとって、仲間の入れ替えなど理解に苦しむ。呆然と言葉をなくすルートヴィッヒの腕を掴むと、元は真剣な表情を向けた。

「もしかしたら、何かの手違いで町に仲間が戻っているかもしれないじゃん。狩りが終わったら、もう一回町に戻って探してみようぜ。……そ、それでもし、仲間が見つからなかったら……そ、その」

 「仲間にならないか」その一言がどうしても出てこない。断られた時のショックに耐えられないかもしれないと、躊躇してしまう。フェルディナンドはあたふたと顔を真っ赤にする元の様子と、無感情なハルの表情に視線を向けて、

『ルート殿をお仲間に、ですか。とても良い方ですし、問題はないかと思われますが。果たして、我々の旅の目的をお話ししてよいものか……』

 最後の一言をこのまま言わせてもよいのか迷っていた。同姓で同年齢の仲間を得た元の気持ちは分からないではない。しかし獣がエンダである事実を抱え、その謎を解明することを旅の目的としているのだ。他のエンダとは明らかに違う生き方に、彼を巻き込んで良いものなのか、答えが出ない。


 ポカンと見上げるルートヴィッヒの瞳に、元が耳まで赤くした時、ハルの冷ややかな視線が足下に向けられた。

「おしゃべりはそこまでだ。獣がすぐそこまで迫ってきている。シルク、打ち合わせした通りだ。あの大きな岩を境にして浮揚しろ」

 フェルディナンドの肩の腕で、シルクがビクリと体を震わせた。ハルから言われた役割は、ただ一つ。狩り場を限定させる為に、その範囲内で浮揚するだけだ。

「ほ、本、本当に、守ってくれるんでしょうね? 飛び出した瞬間、食べられるって皮算だったら……」

 未だ信用をしていないのは一目瞭然である。中々決心がつかないシルクを皆が心配そうに見入る中、ハルは獣の気配を土中に感じた。もう時間がない。おもむろにフェルディナンドの肩に腕を伸ばす。

「え?」

 皆が声を上げる間もなく、シルクを無造作に掴む。続けざま、大きく振りかぶったと思った時には、そのまま中央に向かって放っていた。

「ええぇ……ひえぇぇぇぇぇ!??」

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