第10章 存在ノ理由-3

「まずは一匹目」

 ハルは掲げた掌をクッと広げる。その瞬間、獣の体の中心が弾けて闇に掻き消された。同時におぞましい絶叫が、いつまでも響き木霊し続ける。

「まだ生きているな。ふむ……これではないのか。では二匹目だ」

 無感情で紡がれる声は、エンダとしての尊厳も使命もあったものではない。そこにあるのはただの追求心だけだ。まるで獣を実験台にでもしているかのような冷酷さに、ギヴソンがブルリと巨体を大きく震わせた。


 この瞬間から、元はハルの底知れぬ能力を目の当たりにすることとなる。狩りは、あまりにも一方的だった。一方的過ぎて、現実味がない。しかし狩りは確実に終焉へと向かっていた。

「すげぇ」

 元は不本意ながらに呟きを落とす。戦士でありながら、よりにも寄ってヒーシャに狩りを託すなど、プライドが許すはずもない。にも関わらず、そう呟かずにいられないのだ。

 ハルが片手を上げて少し掌を広げただけで、暗闇に一ヶ所煌めく星空が瞬く。もうそこに獣の断末魔などなく、突如姿を掻き消すのだ。ただただハルはその動作を繰り返し続けた。

 あまりにも静かだった。

『これが唸らずにいられっか』

 闇に紛れる数十体の獣も、既に半数以上の気配が消えた。禍々しい世界に、少しづつ光が取り戻される光景だけが、狩りを現実のものとしている。

『くそ! 底が知れねぇ。てか、ホント人間なのかよ、こいつ!?』

 元がギリリと歯ぎしりを鳴らす。仲間としては、この上ない心強さだ。しかしパーティを組み、狩りに望んではいるが、エンダは個々の強さに重きを置く。特に前線で戦うタイプのエンダにとって、他を認める事は己の弱さを認める事に他ならない。

『この手のタイプにしか、ハルの魔法は通用しない。分かってんだ。でもこれ程の力なんて……俺とハルとの差は一体どれだけっての!?』


 既に数体を撃破しているにも関わらず、その額には汗一つ、浮かんではいない。

『……こんなものか。言う程、伝説的ではない。物理的攻撃が効かない事と、魔法に法則が必要なだけだ。数体試して分かったが、光の魔法だけでは、差程ダメージを与えられない。光系と地系、そして火。すなわち生命の息吹。このタイプには、これが有効……か』

 ぐるりと振り返ったハルの瞳に、顔面全体に悔しさを滲ませる元の姿が映った。咄嗟の事で表情を戻せなかったのだろう。その姿を一瞥し、ハルが小さな溜息を吐く。

「……何だよ」

「何がだ?」

「何がって事ないじゃん! 言いたい事があったら、ちゃんと言えって」

 まるで子供じゃん……そう思いはするものの、それでも表情を戻す事も出来ず、睨み付けてしまう。そんな元の心情など全く意に返さず、ハルは淡々と言葉を紡ぐ。

「私は己の役割を果たしただけだ。お前に妬み僻まれる覚えはない」

「はぁ? 妬んだり僻んだりしてねぇ~し! てか、闇系の獣しか倒せねぇくせに、してやったりって思ってんじゃねぇし!」

 これ以上、会話を交わす必要性を感じていないのだろう。ハルは一度周囲に意識を飛ばす。

「元、調査は終わった。一気に片を付ける。一瞬 魔法を解除するが、大丈夫か?」

 そんな声にも素直に頷くことが出来ない。先程から口を開けば、だだをこねる子供だ。そこまで分かっているのに、巧く感情がコントロール出来ないのだ。

『俺、だせぇ。……だって歴然とした力の差が、まんま俺らの距離みたいで』

 黙り込む元の態度が、了承の意思表示だと判断したのだろう。ハルが小さく、「よし」そう言葉にすると、日溜まりの様な優しい空気が一気に消え去った。途端に夜の冷たい風が頬に当たる。

「ラア マレ ……」

「お?」

 最近のハルにしては、珍しくはっきりと呪文を唱え始めた。いつも気が付けば魔法の効果が波及していて、ハルに関しては呪文など必要がないのかと思っていた位だ。

 術の途中で、感情のない平坦な声が飛んだ。

「そういえば元、こいつらに触れるな。精神を持って行かれるぞ」

「へ?」

 そう素っ頓狂な声を発した時だった。背筋に今まで感じた事がない違和感が走り抜ける。冷たい……そう言葉にするのもはばかれる程、ゾッとした。


 ピトリ


 何かが首元を撫でた。いや、実際に触れられたのかさえ分からない。ただ何かが、元の意識に触れた。

「は……」

 途端に元を構成する大切な何かが、ゴソリと抜けた。脚が大きく震え、ガクリと膝を付く。

『なにこれ……超だりい……』

 突如生きているのが苦痛となって襲いかかる。一瞬で体から力が抜けた。反して未来への恐怖だけが波のように押し寄せてきた。

『俺は……』

「だから気を付けろと言ったんだ。こいつは生命(いのち)あるものから、生きる尊厳を全て奪う能力を持つ。だから触れられる前に倒さなければならない。まぁ、強固な精神力があれば打破出来るがな」

 沈む意識の中で聞く声は、それ事態に効力があるかのように元を現実に誘う。冷たい小さな手が、元の首元に触れた時、はっきりと意識が引き戻された。鮮明になった意識にハッと顔を上げると、そこには数体の亡霊の様な獣から、取り囲まれているハルの姿があった。

「―――――――!!」

 言葉に出来ずパクパクと口を動かすだけの元を余所に、ハルが最後の呪文を唱える。

「聴け 女神の救済」

 それは今まで耳にした事がない、言葉の羅列だった。ブアッと長い髪の毛が巻き上がり、バトルドレスが大きくなびく。腰を床に付けたまま見上げる元の瞳には、仁王立ちのハル……を通り過ぎ、後方に荘厳な音を響かせ、突如現れた女神の姿に釘付けになっていた。ハルがクイッと首を掲げる。

 光り輝くその姿は、十メートル近い巨像だ。まるで大理石で作られた銅像のように、乳色の姿は内面から輝きを放っている。その瞳は閉じられているが、全ての大罪を見抜きそして赦す、そんな慈しみに溢れている。口元は母のような微笑みを湛え、広げた両手は救いを求める全ての者を抱く。

「え……それ魔法?」

 獣もまた魅入られたかのように固まって動かない。

 しかし女神の瞳が徐々に開かれるのと同時だ。数体の獣が一瞬にして消滅していた。深紅の瞳を見開いたまま見い入るギヴソンを、元は無意識に引き寄せた。その真剣な横顔に、ギヴソンは静かに視線を移す。

 そして女神の姿もまた、光と共に消え失せ、周囲に夜という闇が戻った。

「ふむ、魔力の消耗はかなりのものだが、中々使える魔法だ。しかし発動までが面倒だな。複雑過ぎる」

 平然と魔法を行使した姿が頭を過ぎり、元はガクリと力が抜ける。ハルと競い合っても、到達点が違うことを改めて認識させられた。

「おめぇ、ホントに人間? 今どのレベルなんだよ」

 ここまで違うと、流石に張り合えない。ボリボリ頭を掻く元に向かって、ハルは無表情のまま手を差し伸べた。

「……サンキュ」

 ぶっきらぼうに手を取る姿に向かって、ハルが微かに口元を上げた。その時だ。

「え?」

 体を激しく突き抜ける痛みに、ハルは大きく体勢を崩し、そのまま元の胸に崩れ込んだ。狩りの最中に於いても飄々としていたハルの額に、今やビッシリと汗が浮かんでいる。真っ青な顔色に尋常ではない事が起きた……それだけは理解出来た。

「え、ハル? どうした? もしかして、さっきの反対魔法??」

 戸惑う元に向かって、ハルは一度小さく頭を振った。大きく震える左手を必死に押さえ苦々しく言葉を落とす。

「左手が……。ち、違和感は感じていたが、まさか、取り憑かれていたのか」

「は? 取り憑かれって」

 圧倒的な力で狩りを終わらせたにも関わらず、一体何が蝕んでいるのか、元にはさっぱり状況が掴めない。頭を捻る元に発せられた言葉は、想定もしていないものだった。

「ゾウガンに取り憑いていた奴の一部だ。く、体に入り込まれていたのか。何処までも腹立たしい奴だ」

「ええええええええ!?」

 ゾウガンとは、黒い靄を体から放出し、最後はミイラ化し変死を遂げた。領主だったゾウガンが、突如暴君と化したのも、その靄から体を憑依されたから……それがハルの見解である。

「ち、ちちち、ちょっ、おま、だっ、だい!!」

 その体は表面が恐ろしく冷たく、掌に伝わる感触に、元の思考は更に混乱を極めた。そこにハルが苦しそうに、しかしはっきりとした口調で言葉を綴る。

「落……ち着け。いいか、元。この地に渡るふ、船の中で「正邪の森」の話をしたのを……グッ!」

「ハル!!」

 ハルはギリリと歯を食い縛り、左手拳で地面を激しく強打した。地面に亀裂が走り、岩が砕ける。ハルは、最後の気力を振り絞るように、一度大きく息を吸った。

「お、覚えているか!?」

 突然振られた問いに、混乱する頭を必死にかき混ぜて、元は船の中での出来事を思い返す。ハルには珍しく、次の土地の話を聞かせてくれた事があった。

「た、確かじゅ、巡礼地って」

 曖昧な記憶から必死にかき集めた言葉だったが、ハルがせき込み頷く。

「そ、うだ。そこに……私を連れて行ってくれ。何とかなるかも……しれ……」

 そう最後まで言葉に出来ず、ハルの意識はそこで途切れた。ぐたりと力が抜けた体に、元が呆然と言葉を落とす。

「え……それどこ?」

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